春 -11-
第十話のあらすじ
千葉の巧みな話術に取り込まれていく千歳。けれども、妖怪に対する価値観の違いが千歳と千葉との間に決定的な溝を生みます。千葉への疑いを残したまま別れた千歳。さてさて花見はどうなるのか。
妖怪との距離を測る第十一話
家に戻ったのは夜の七時過ぎだった。
千葉と別れた僕は散歩がてら徒歩で埋め立て地まで下り、坂を下りきってすぐのところにあるスーパーで食料を買い込んだ。帰りはいつものように犬神に頼もうかと思ったが、千葉に見張られているような気がしたので控えた。かといって人込みに塗れるのも嫌だったので、頑張って歩いて帰った。こんな遅くなるのなら、意を決してバスに乗るべきだったと一人ぼっち家を目の前にして思う。
夜はまだ肌寒い。
明かりが灯り、薄闇にぼんやりと浮かび上がっている自宅に戻る。いつもミコは結界を張っていたらしいが、とくにそれらしいものを感じたことはなかった。
玄関の戸を開ける。
確か出掛けに家の片づけをするようミコに命じておいたはずだが、どうやらサボタージュしたらしい。
むしろ悪化している。
三和土から既に散らかっていた。住人の数より明らかに多い大量の靴が散乱しており、居間へと続く廊下はリサイクルショップもかくやというほどに、骨董品が並べられている。小さな箪笥、ランタンや解れの目立つ肩下げバッグ、首が弱いのか俯き加減の扇風機。足の欠けたちゃぶ台がひっくり返した状態で置かれていた。
片づけをサボるのはまだいい。
ただ朝よりも散らかっているとは何事か。
足の踏み場を選んで歩き、明かりが零れている居間の襖を開いた。
「ただいま。」
「おう主、帰ったかや。」
割烹着を着たミコがいた。頭に白い布巾をつけているが、自己主張の強い狐耳が飛び出てしまっている。いつも使っているちゃぶ台には、質素な和食が並べられていた。品目を見るに、冷蔵庫の食材完全放出。
「その格好はなんだ。コスプレか。というかお前、片付けサボっただろ。」
「さぼっとらん。これは作業着みたいなものじゃ。埃はかぶりとうないし。」
「妖力があるから汚れないだろ。」
「気分じゃ。」
「……え? 本当に仕事したのか?」
「もちろんじゃ。頼まれたからには、ちゃんとこなすからの。」
「じゃあなんで朝より玄関や廊下散らかっているんだよ。」
「あれは、物の置き場に困っての。とりあえずそこらにおいた。」
「あんなもの家にあったか?」
「うむ。使っていなかった部屋に眠っておった。綺麗になっておるぞ? あとで確認するかや?」
「いや、いい。」
眩暈がし、額を押さえる。
まさか掃除しなくていいところを掃除し、日常で使うところを散らかすとは。
「夕食ができておるぞ。食べよ。」
「お前が作ったのか?」
「うちを見くびるでない。」
「私も作った。」
キッチンからエプロン姿の白露が出てきた。
「駆りだしたのか。」
「駆りだされた。」白露が頷く。
「手伝ってもらっただけじゃ。さ、食べよ。」
胃薬の在庫が無いことに多少の不安を抱え挑んだ夕餉であったが、杞憂だった。意外と美味しいミコのご飯。上手なら、普段からやってくれればいいのに。
盛り沢山だった食卓はあっという間に空になってしまった。満腹である。
食後に茶を飲みながら、今日あった事の顛末を二人に伝えた。
「というわけで、黄色いコートを着た不審者には近づくな。」
「心配せずとも、そこらの退魔師なんぞに遅れは取らぬ。年季が違うのじゃ。それとも何じゃ? 主はうちらのことが心配で心配で仕方ないのかや?」
くつくつと笑うミコは放置し、白露の顔を伺う。僕の視線に気づいた白露は、湯気の揺蕩う茶へ息を吹きかけるのを中断し、こちらに親指を立てて見せた。
「任せて安心。経験が違う。」
「経験?」
「私も割と、経験豊富。」
物臭で出不精な奴だと思っていたが、実は好戦的な奴なのかもしれない。
「ところで主よ。その似非退魔師は鬼門が不安定になっていると言っておったのじゃな?」
「そんなニュアンスのことを言っていたな。封じ込めていた結界が破られていたり、出入り口が緩くなっていたりとか。」
「確かに……今日は来やすかった。」
白露が茶を啜りながら言う。もう十分に冷ましたらしい。いっそ今度から冷茶を出してあげようか。
「ふむ。一度親父と相談してみるべきかの。」
「鬼門って、鬼の親父が管理しているのか?」
「鬼の一族が、じゃの。鬼門が広がりすぎぬよう、妖力を注いで塞いだり、狭めたりしておる。」
「塞いでる? 維持しているわけでなくて?」
「そこから説明すべきかの。」
空になった湯呑に茶を注ぎたしてから、ミコが座りなおした。お茶請けの醤油煎餅を小さく割りながら、話し出す。一欠けら、ご相伴にあずかった。
「そもそも鬼門というのは自然発生するものなのじゃ。前に妖界とこちらの世界との繋がりについては話したじゃろう? 妖界というものは力のある大妖怪が作り出した世界であり、別の次元に存在しておると。」
「聞いた聞いた。」
「なんか怪しいが、まあよい。妖界は言ってみれば作為的に作り出された世界じゃ。じゃから、その状態に無理が生じる。」
「無理?」
煎餅を齧る。物足りなくなり、もう一枚取った。
割って、一欠けらをミコに返す。
「世界は、繋がろうとする。」
ぽつりと白露が呟く。
「その通りじゃ。近すぎたのがいけないのか、作り方が間違っておったのか、それは誰にも分からぬが、妖界と人間界は繋がりを持とうとする。一つになろうとするの。そして混ざり合った世界の狭間、それが鬼門じゃ。鬼たちがやっておるのは、二つの世界の区切りをはっきりとしたものに維持し続けることなのじゃ。」
「うーん、よくわからん。」
「国内と国外を繋ぐ空港みたいなもの」
白露が言った。
「えっ! そんなもの?」
ミコが続ける。
「簡単に言えばの。主は鬼門を通路のようなものと想像していたみたいじゃが、それは正しくはない。妖界と人間界が混ざり合い、そのどちらでも無くなった世界と二つの世界との隔たりにある穴が、鬼門じゃ。」
「どこから入っても、どこへでも出られる。」
「あ、だから空港ね。少しイメージつきやすいな。でも、その三つに明確な境界はないのだろう?」
「今は、の。次元の壁の綻びがそのまま鬼門じゃ。放っておけば、いつしか妖界と人間界は直接繋がりあうじゃろうな。」
「大変さは微妙に伝わってきた。でもさ、そういうことなら実は僕も簡単に妖界にいけちゃうんじゃないのか?」
「そうならないように、鬼たちがいろいろやっておるのじゃよ。妖力の無いものが通れないようにし、妖力のあるものには通りづらくしておるのじゃ。というか、主はそんなにこちらに来たいのか? 別に面白いものはないぞ?」
「なんかあるなら行ってみたいと思うのが男だ。」
「何もないのじゃが。」
「妖界という世界があるじゃないか。」
「よう分からん。」
鬼門の方に目を向けた。
一見ただの木戸である。それが、狭間の世界に繋がっているという。二つの世界が混ざり合ったそこを越えれば、もう一つの世界へ行くことができる。
壮大で、不思議な感じだ。
千葉は鬼門をトンネルと表していた。陰陽師たちはこれの全貌をはっきりとは掴んでいないのかもしれない。奴らもまだまだだな、と心の中で嘲笑する。
ふと、ミコの言葉が反芻された。小さな疑問が浮かび上がる。
「……作り出した?」
ぴくっ、と白露の耳が動く。
「……ミコ?」
「あれ、言っておらんかったかや?」
白露がミコを睨みつけ、ミコは慌てふためきだす。
「というか、妖界の話をしたのはいつだ?」
「最後に鬼とユキが来たときじゃ。」
「あー?」
その時は確か、初めて犬神バスを利用した前夜だったか。二日酔いが酷かったのは覚えている。当夜のことは、酔っていておぼろげにしか記憶にない。
「うろ覚えだ。」
「ミコの馬鹿。」
「すまぬ、抜かった……。」
「どうしたんだ?」
「なあ、主? 聞かなかったことにしてくれぬか?」
「忘れて。」
二人の物言いに真剣さを感じ取り、何も言わずに頷いた。
「分かった。」
「すまぬな。」
「言いにくいことなのか?」
「……いつか、話す。」
―――待っている―――。
口をつきそうになった言葉を、飲み込んだ。
待つ義理も、干渉する好奇心も、今は持ち合わせていない。
彼女たちがなにを持っていて、それが僕にどんな関わりがあるのかは分からない。そしてそれは、ともすると知らないほうがいいのかもしれない。ふと、自分が案外いまの生活を気に入っていることに気づいた。
まあ、変わらないことって大切だよね。
僕はそれ以上聞かないかわりに、持ち帰ってきた朗報を聞かせることにした。
「桜の妖怪の居場所が判明したぞ。」
「む、それは本当か?」
「ああ、情報源は千葉だがな。」
「またはずれか。」
見せつけるような落胆ぶりで、ミコがため息を吐いた。
「そやつは信用できるのかや?」
「分からん。根本的に意味不明な奴だ。」
人間かどうかも怪しい。
「桜のことだって、僕が言いだす前に向こうから切り出してきた。どこで調べてきたのやら。まあ、嘘だとしても行ってみる価値はあるだろう。」
「どこ?」
顔を近づけてきた白露に、貰ったメモを見せる。白露は半目で熱心にそれを読みこむと、ふむふむと二度頷いた。
「もしかしたら、当たり、かも。」
「嘘だろ?」
「ほれ、主も信じておらぬではないか。」
「ここ、小さな社がある。地脈的にも、申し分ない。」
「地脈?」
「地図、ある?」
首を横に振った。
「地図なら掃除のときに出てきたの。」
「あの中から探してこいと?」
「元々は主の持ち物じゃろう。」
「僕とあの部屋達とは無関係だ。たぶん、前の住人のじゃないのか?」
「でも今は主のじゃ。」
「面倒くさいことこの上ないな。」
言いながら、席を立つ。物の散乱している廊下へ探求の旅に出た。
「文句を垂れながらも行ってくれるのじゃな。」
「いい人。」
「うるさい。というか手伝え。」
埃はミコが払ってくれていたらしい。年季の割に綺麗な骨董品の数々を仕分けする。図らずも大掃除のような形となった。こういうのも片付けの業務内のはずだが、なぜ僕がそれをやっているのだろう。
「いらない物は庭に出しておけ。今度まとめて捨てる。まだ使えそうなものとか、取っておくやつは一つの部屋に押し込んでおこう。その部屋は今後物置として扱う。」
各部屋に数個ずつ置いてあった家具や骨董品も、集めたら結構な量になる。売ったらいい額になるのではないだろうか。手元の古めかしい地球儀をくるくると回しながら考えていると、軸が外れて地球が廊下を転がっていった。
「主、片付けはまたあとでせぬか? 地図を見つけたのじゃがぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
ミコが地球を踏みつけ盛大にこけた。
「ぬああ! やはり今片をつける!」
「そうか。では頑張ってくれ!」
「うむ!」
一人ボルテージを上げているミコを残し、僕と白露は居間に戻って地図帳を開いた。ランタンに地図、地球儀と、この家の前の住人は冒険家だったのかもしれない。もらったメモと比べながら、大体の位置を見当づける。
「案外近いな。」
件の社は、自転車で数十分の、商店街が広がっている町の一角にあった。近くを私鉄の線路が走り、小学校もすぐ側にある。
家出にしては小規模だ。だが、近いに越したことはない。
「桜の木は、ここ?」
白露が地図を指差す。その指先を少しずらして、正しい場所を示してやった。
「ここら辺。」
「やっぱり、ちょうどいい。」
「何が?」
「風水。社と、桜の木は流れで繋がってる。まだ力を行使できるのかも。」
「それは朗報だ。明日にでも行ってみるかな、と。白露もついてくるか?」
ふるふる、と首を横に振られた。
「明日は、用事。」
「そうか。」
「残念。」
白露がひとりごちた。
「犬神でも連れて行くかな。」
「残念?」
「いや全く。」
「残念。」
猫系の女の子っていいよね




