春 -9-
第八話のあらすじ
珍しく一人で町を散歩していた千歳は史跡を眺めたり地蔵を叩いたりしながら桜の妖怪を探していました。たどり着いた首塚の上でなにやら怪しい男に出会った千歳。果たして彼の正体は?
妖怪も人間も変わりはしない第九話
春だというのに、その長身の男は草黄色の寄れたコートを身に纏い、ぼさぼさの髪を整髪料でそのままべたっと無理やりくっつけたような、そんな髪型をしていた。
その奇妙な出で立ちから目を離せずにいると向こうもこちらが見ていることに気付いたのかにへらと笑みを浮かべ、それまでの二倍の速度で近づいてきた。
ゆらり、ゆらりと既視感のある歩き方。その特徴ある歩みに思い当たり、ぎょっとする。
カーブミラーの男だ。
見られていた?
黒歴史?
脅迫?
いろいろな思考が錯綜する。
迫りくる恐怖心に歯を食いしばり、しかしやっぱり気圧されて一歩後ずさる。背中が史跡に当たる。冷たい感触が背筋を駆け抜けた。
こいつ妖怪じゃないのか。
人ならざる気配に、僕の勘がそう告げた。
霊感が無かろうと、日々妖怪どもと一つ屋根の下暮らしていることには変わりない。妖怪慣れしているという点では、一日の長がある。見分ける目は持っているつもりだ。
だとしたら。
妖怪だとしたら。
あの距離からでも僕の行動が見えていたかもしれない。
「どうも、こんにちは。」
男が口を開いた。風貌はもはや沼地だが、薄っすらとハッカの香りが漂ってくる。爽やかな香水がここまで似合わない男がいるだろうか、と初対面すら終えていないのに思えてしまう。
「……どうも。」
警戒は解かない。
「もしかして、不審に思っています?」
細長い、糸のような釣り目が驚きました、と言わんばかりに見開く。見開いたところでやはり細長い。
「怪しい者じゃありませんよ?」
今年一番嘘くさい台詞。
胡散臭さが服を着たら、目の前の男が誕生するのではないだろうか。
「何者だ?」
「何者もなにも、ただの散歩マニアです。あなたもですよね?」
「僕をそんな酔狂なものと一緒にしないでくれ。僕は……近くにある史跡を巡っていたんだ。」
まだ一つ目で、しかも終わろうとはしているが、廻ろうとしていたことは事実だ。
「では遺跡マニアでいらっしゃる。」
「なぜマニアにしたがる。」
「共通の趣味を見つけ出すのが信頼への第一歩だと思いまして。」
「信頼?」
僕と男との間に、欠片も生まれる要素があるだろうか。
「神様がくれた奇跡のような出会い、湯水のように溢れる共通項、次第に仲良くなった二人は秘密を打ち明け合う仲に、とバイブルには書いてありました。」
「聖書か?」
「自己啓発本とも言います。これです。」
男はコートに手を突っ込み、中から一冊のハードカバー本を取り出した。白い表紙にくっきりとした字体で『これでばっちり! 相手の心を掴むコツ一〇八選』と書かれている。帯までしっかり取っておく派のようで、赤い帯には白字で『売りつけろ! お前の商品を』とあった。胡散臭い男が、胡散臭い本を取り出してきた。怪し過ぎてだんだん怪しく思えてこなくなるから不思議。
「あんた、セールスマン?」
「いえいえ。そんな大層なお仕事では。」
「じゃあ詐欺師か。」
「詐欺師だったら、こう簡単に素性を明かしたり、手の内を見せたりしますか?」
手の内というのはあの本を指しているのだろうか。隠しておくほどのものには到底思えない。むしろあの本が詐欺だ。
「そういう詐欺師もいる。あえて明かした手の内も、実はまだフェイクかもしれない。どこまで行っても取ってつけた表面しか見えてこないような奴とか。」
「玉ねぎみたいな人ですね。」
「あんたがそうなんじゃないのか?」
「違います。」
男は、これは虎の巻なんです、と言いながら本をしまう。
「私は簡単に素性を明かすし、手の内だって見せちゃいます。詐欺師でも玉ねぎボーイでもありません。外と内がはっきりした人間です。」
「ピーマンとかか?」
「中身空っぽじゃないですか。」
「さして変わらなさそうだが。」
「あなた、初対面の人になかなか失礼ですよね。」
人間だったらいざしらず、妖怪ならば礼儀などいらない。さあ、早く正体を明かせと強く念じる。
「セールスでも詐欺でもないなら、何しに?」
「ですから散歩がてら史跡を……ああ、この段階だともう関係ないのですね。ふむ。」
考えていることが駄々漏れなのも、内を見せているからなのか。
「散歩好きも史跡好きもやっぱり嘘だったのか。」
「嘘です。信頼を勝ち取るための、お近づきになる手段その一です。共通の趣味を見つけ、親密になる、です。あ、これ言っちゃ駄目だった。」
それとも単に馬鹿なのか。
男はうーんと考え込む所作をする。薬の調合に悩む闇の魔術師に見えてきた。
「ふむ、困りました。お近づきになろうにも、一筋縄ではいかない人のようです。」
「そういうことを言っているから、お近づきになりにくいんだよ。もっと下心無しでくるべきだったな。」
もはや怪しく思うことすら放棄していた自分にはっとする。いつの間にか警戒心が緩んでいた。これもこの男の作戦だというのか。
「困りました、困りました。」
本を読みながら首をひねっている男を見て、絶対に違うと一人断言した。
「ああ、そうだ。」虎の巻を読み終わった男が、顔を上げる。「私は裏表がない人間です。」
「本にそう書いてあったのか。」
「これをさりげなくアピールしろと。」
「それはさりげないのか?」
「さりげなくなかったですか?」
「たぶんそれは、口に出して言うものじゃないな。行動とかで示すんだ。」
「脱げと。」
「なんでそうなる。」
話疲れてきて、ため息をつく。
実はもう、警戒心は解けていた。緩んだものを引き締めるまでもなく、そのまま弛ませて何でも通るほどに緩んでいた。
まだ男に怪しさを感じてはいるがそれも希薄なもので、必死に裏表が無いとアピールしたり信頼を得ようとしたりしている行動自体に感じているだけで、その目的には本当に裏などなく、ただ信頼されたいだけなのだろうというのは伝わってきていた。ある意味、この男の素頓狂な行動は的を射ていたのかもしれない。それ以上なにかあると思わせない、阿呆ぷりを発揮している。
「裏が無いことを証明するためには、私の全てをさらけ出すしかありません。この本にも、奥の手は脱衣だ、と書いておりました。」
「それはたぶん、性別限定だ。」
「まさか。この本はいつだって男女平等ですよ?」
「だって……男のあんたが男の前で脱いで何になる。」
「私はさまざまな趣味趣向に通じていますから。全ては相互の信頼のためです。そして信頼の最終形態は、やはり肉体関係かと。」
悪寒が走る。
こいつは僕の信頼を得たいと必死になっている。そしてその信頼の行きつく先が肉体関係だというのなら……。そこまで考えてぞっとする。
「まあそれも信頼を得る手段にすぎないのですが。体を許したのならば、もう何も隠す必要はないですし。決して嘘をついてはいない、と思ってくれるはずですよね。」
「つまり、その最終形態っていうやつは、信頼を得るための最終手段ということか?」
「英語で言うとリーサルウェポンですね。」
「じゃあ僕はもうあんたを信頼している。信じきっている。うん、そうだ。疑う余地もなく僕とあんたは信用しあっている。」
これでよし。身の安全を確保。
「いえ、まだです。」
駄目だった。再び貞操の危機。
「ここは一旦別離するのです。そしてまた出会う。相手は偶然ですね、と気を許す。また別れ、出会う。これは必然の出来事です。」
「そう……なのか?」
「もちろん。そして最後、四度目の邂逅を果たし晴れて運命となる。」
「偶然、必然、運命ね。ん? 一度目は?」
「最初の出会いは奇跡に他なりませんよ。奇跡にはじまり二が偶然。三度目必然、四が運命。」
「語呂が悪いな。」
「奇跡が無ければ、収まりがいいんですけどね。」
「起きてしまうものは仕方がない。」
「というわけで、私とあなたは一度別れます。」
すた、とこちらに向けて手を上げる。細長くて木の枝のような指が、開いたり閉じたりした。
「まだ三度もあんたと会わなければならないのか。」
「私だって面倒です。でも、そうしろと本に書いてあるので。」
マニュアル主義だこと。説明書通りにしか動けない人間は、社会では役に立たないと子供のころ耳にたこができるほど言われた。それなのに目の前でそれを真っ向から否定して生きているような人物に出会うと、いい気分はしない。
こんな奴でも大人になれているじゃないか、そう思ってしまう。
「まあそう邪険にしないでください。私とあなたの仲じゃないですか。」
「奇跡止まりだけどな。」
「いいじゃないですか、奇跡。」
そう言い残して、男は去る。そういえば、まだ名前も訊いていなかった。だが、大丈夫であろう。どうせあと三回も会う機会があるのだから。
結局あの男は何がしたかったのだろう、と思案に耽りながら雑木林を下っていく。実の所まだ妖怪ではなかろうかと疑ってはいるが、地蔵をしばいていたことは口に出さなかったので、疑念の天秤は人間寄りに傾き始めている。
史跡めぐりの意義も消失し、あとは残りの休日を持て余すのみである。まだ日は高いし、図書館にでも寄ろうかとも思う。林を抜けると痛烈に眩しい春の日差しが僕を襲った。久しぶりの陽光がぽかぽかと体を暖めてくれる。
やはりこんな日は外を出歩くべきだ、そう決めた矢先、地蔵のバックミラーの所で僕は驚くべき偶然に遭遇した。
「どうも。……運命です。」
飛ばしすぎじゃあないだろうか。
千葉のイメージは某魔法使い映画の某闇魔法教師




