春 -8-
第七話のあらすじ
酒盛りは夜中まで続きます。そしてユキは花見のことを妖界中に言いふらしました。千歳は決意新たに桜を咲かせることを画策します。
町を散策する第八話
さすがに連日犬神のお世話になるのは人として、そして僕としてもどうかと思ったので二日酔いの辛さを押し殺してその日は普通に出勤し普通に退社した。
翌日も一般の交通機関を駆使し普通に出勤し退社。久々に利用して改めて思うに、やっぱり僕は人の多いところが苦手だ。人口が密集しているのを見ると、なぜか低俗な気がして嫌悪感を抱く。他にやることはないのか、集まらなければ生きていけないのか、と。だからこそ、人ごみを避けるために多少不便でも人気のない町に住んだのだ。だがしかし、不便は多少どころじゃなかった。人気はないが妖気がある。もっと山奥に引っ越したいが、今度は天狗とかに絡まれそうで嫌になる。自分のこんな体質が憎らしかった。
明けて休日。本来ならば花見を予定していた日ではあるが、肝心の桜がまだ咲いていなかった。そしてそんな日に限って天気が良かったりする。暖かな太陽と、時折吹き抜ける優しい風が過ごしやすい気温を生みだし、雲一つない空と銀色に煌めく海の対比が美しい。湿度も快適。気温も上々。どことなく花の香りがする、春真っ盛りの休日だ。天気に恵まれているのか恵まれていないのかよく分からない。
朝の光を体いっぱいに浴びながら庭で歯磨きをしていると、まだ眠そうなミコが、朝日に目を細めながら庭に出てきた。
「ふわぁ……と、おはよう。」
「おはようさん。」
「ふむ、良い天気じゃの。花見日和じゃ。」
「皮肉か。」
「ぬか喜びさせておいてよう言うわ。割と楽しみにしておったのに。」
「安心しろ。今日は無理だが来週には絶対に。」
「同じ過ちを繰り返すつもりかの。」
庭先の水道で口をゆすぎ、ついでに顔も洗う。水道ではなく地下水から水を取っているとかで、ひんやりと気持ちいい。古風な物件だけはある。
「……思ったんじゃが、来週になったら別の桜も咲くのではないか?」
縁側で日向ぼっこをしているミコが、あくびをしながら言った。寝癖もそのまま、顔も洗っていない様子だったので、物干しざおにいつも掛けている如雨露に水を汲んで持っていく。
「ここで折れたら男が廃る。ほれ、顔を洗え。」
「うちは朝顔かなんかか。」
言いつつ顔を上に向けて準備万端になる。学生時代植物に施していたように、水やり気分で如雨露を傾ける。
「んー。」
ミコは目をつぶって、まるで蕾のように顔をしぼめた。早く花開け。
「洗えてんのか? 勢いが足らない気がする。」
「やめい。絶対にひっくり返したりするでない、やめい。」
自分が扶養者であると実感する行為である。ほんの少しの支配欲が芽を出す。いや、これは飼い主の気分か? そんな僕の内心にも気づかず、ミコはシャワーでも浴びているかの如く気持ちよさ気にしていた。服が濡れないのは妖力のなせる技か。洗濯する面倒もないので楽ではある。妖力様様。
行水を終え朝飯。今朝は卵焼きと納豆、あと昨日スーパーで買ったウィンナー。ウィンナーは皮がぱりっと弾けるくらいじっくりと焼いてから食べるのが好きだ。
「……熱い。」
「ウィンナーは焼き立てに限る。焼き立てを、炊き立てごはんに乗っけて食べるのが至高なんだ。」
「うちは猫舌なのに。」
「イヌ科の癖に。」
「お主たちにも、ヒト科の癖に猫舌の奴がおろう?」
「ああいうのは人間の恥さらしだと思っている。」
「猫舌ごときでそんな……。」
いいから黙って食えばよかろうに。
時計の針は九時を指し、太陽も部屋が日陰になる程度に昇ってきた。庭から縁側までがちょうど日向になっており、日向ぼっこにはもってこいである。もってこいの場所でもってこいのお茶菓子片手にもってこいの座布団の上でぼんやりと日光浴に励むミコに、外出の旨を伝えた。
「本当に行くのかや? その、桜の主探しとやらに。」
「当たり前だ。僕は一度やると決めたらやりきる男だからな。」
「居場所も素性も姿形も分からないというのに?」
「そこらへん歩いていればなんとかなるだろ。」
「男らしいのか男らしくないのか、全く分からん。」
「別に無計画が格好いいと思っているわけじゃないぞ。デートのプランだってきちっと立てる方だ。」
「そうであったか。」
ミコが嬉しそうに声を上げる。白い着物に日光が反射していて、なんだか柔らかい光に包まれているようだ。
「どうした?」
「……はっ、どうも! どうもしていない!」
さっきまで婆臭かったみこが一転、子供のようにはしゃいでいた。
「僕には週末遊園地に連れて行ってもらうことを約束してもらった子供のような、期待に満ちた目をしているように見えたが。」
「何じゃその例え。兎に角、今やろうとしていることとデートとは全くの別物じゃろうて。」
「だからと言って、家にいて何か分かるわけじゃないだろう?」
「そういうことを言っているのでなく……その、ほら。うちらを、の?」
どうも歯切れが悪い。日に当たりすぎて頭をやられたのだろうか。もしやさっきの水やりと適度な日射により頭に朝顔でも生えてきたのでもあるまいな。
「はっきり言え。時間が惜しい。」
「じゃから! うちが手伝ってあげてもよいぞ……とな?」
ああ、と一人合点がいく。こいつもやはり素直ではない。曲がりに曲がった、へそ曲がりである。
「手伝ってくれるのか。」
と僕が助け舟を出してやると
「うむ!」
とこれまた嬉しそうに、目を爛々と輝かせて返事をした。その笑顔が眩しく見えてしまったのは、照りつける日光と、それを反射する金髪やら白い着物やらのせいだと思いたい。
「それじゃ、部屋の片づけでもしておいてくれ。」
「うむ! ……ぬ?」
「部屋が綺麗だと思うと僕も心置きなく捜索ができる。だから頼んだ。」
「待て! うちはそういう意味で言ったのではなく―――」
「では任せた。」
春真っ盛りの町中へ、足を踏み出す。小鳥もさえずりも聞こえてきそうだ。
すまんなミコ、と心の中で謝る。
今日は一人で行きたい気分なんだ。
図書館か、史跡めぐりか。
件の桜は歴史あるものらしいから、桜にまつわる文献が残っていても不思議ではない。しかし今日は絶好の散歩日和である。ミコを一人にしてまで出てきて作った、ぽかぽか陽気の自由な時間。
決断に時間はかからなかった。
歩き回ることにした。
いつもの出勤コースと正反対の方向に足を向ける。
旧幕張町は京都や奈良などの古都ではないにしろ、なかなかに深い歴史を持つ町である。古くは江戸時代までさかのぼるとかさかのぼらないとか。もしあの平屋が当時からあるものだとしたら、少なくとも築三百年はあるということになるが。そんなわけはないだろう。そう信じたい。
町の各所に史跡やら首塚やらがあったりして、少し散策するだけでも立派な社会科見学の様相を呈する。が、史跡自体には教科書に載るような歴史などなく、せいぜいが地元の公民館で紹介されている程度。しかし史跡には違いないので壊すに壊せず、祀るに祀れず、中途半端な状態で維持されている。
開発や近代化などは全て下の埋め立て地や隣町に任せているから、旧幕張町は開発が手付かずの場所もちらほらと残る。しかしそろでも、人が増えれば建物も増える。情緒あふれる木造建築の並びに突然レンガ造りの家が顔をだし、さらに行けばコンクリートの新興住宅が我が物顔で景観に入り込む。ちょっとした建築歴史博物館だ。
町中を歩けば点々とある小高い山が目につく。山と言っても、標高十から十五メートルくらいの盛り上がった雑木林に過ぎない。なぜそんなものが多く残っているのかと言うと、そこが史跡だからである。ふらっと林に立ち入り三分くらい登れば、頂上で威風堂々と鎮座する過去の遺物に相まみえることができる。
夜になるとそこそこの雰囲気になり、かつ簡単に行けるということからここらの子供たちの間でお手軽肝試し会場として流行り、いつしか心霊スポットとして全国に知られるまでになった。地元が有名になり始めたときには僕の家の方がよっぽど心霊スポットだ、と小馬鹿にしていたわけだが、最近になって本当に自宅が心霊スポットの仲間入りを果たして大後悔をしている僕である。あの時もっと首塚などの方を盛り上げてやれば、僕の家が注目されることも無かったに違いない。悔やんでも悔やみきれない。
てぽてぽと道なりに歩いていると、小路の脇に古ぼけた地蔵を見つけた。
右に行けば史跡へと続く鬱蒼とした雑木林が、左に行けば正月に出向いた神社へと続く南北に延びた三叉路であった。
三本の道路が交差する一点の曲がり角、錆が目立つカーブミラーの足元に地蔵はいた。古びてはいるが決してないがしろにはされていないようで、昼前の今でさえ摘んだばかりと思われるナズナが供えられていた。目鼻や体表面の凹凸は削れてしまっているが、穏やかな表情を浮かべていることはなんとなく分かった。
ふと、地蔵にも何か宿っているのではないかと思った。昔話の中には地蔵に笠を拵えてやった翁に一家総出で恩返しに来た話もある。地蔵自体が心を持っていなくとも、あの咲かさずの爺みたく妖怪が憑りついている可能性もだってある。それに古くからあるようだし、あの桜について知っているかもしれない。考えれば考えるほど妙案に思えてきた。
この地蔵に聞いてみよう。
そうと決まれば話は早い。
試しに、拝んでみる。
反応なし。ほぼ滑らかに近い顔は、変わらず笑みを浮かべている。
財布の中をじっと見つめ、厳かな手つきで五円玉を取り出し供えてみる。駄目押しの拝みも忘れない。
やはり反応なし。段々この笑みに腹が立ってくるが、仏のような心構えで耐え忍ぶ。地蔵を拝むのに仏の如くとは、この地蔵も畏れ多かろう。
「どうも、お地蔵さん。ちょいとお話しませんか?」
無言の圧力。むしろこの笑みが怖い。が、負けない。こちとら、仏の顔も三度までである。次も折れてやるつもりはない。
「おい地蔵。出てこいよ。出てこいってば! 出てきやがれっ! ……おらぁっ!」
突然、手のひらに熱さを伴う痛みが広がった。血の広がるようなじんじんとする痛みに、血の昇っていた頭も冷えていく。
無我夢中になるあまり、地蔵の頭を引っ叩いていたらしい。阿呆らしくなって立ち上がると、カーブミラーに年甲斐もなく地蔵に喧嘩を吹っ掛ける駄目な男が写っていた。見るに堪えない自分像に薄ら寒くなる。
カーブミラーの奥の向こう、黒い点のような人影がゆらりゆらりとこちらに向かって歩いてくるのが見えた。恥ずかしさがこみあげてきて、とりあえず雑木林へと逃げ出した。
まだ春も始まったばかり。雑木林の中は日なたの暖かさが嘘のように寒い。湿った腐葉土を踏みしめながら、木漏れ日の仄かな暖かさを求めてさまよい歩く。どれだけ無謀に歩いても、遭難のしようがない小さな林である。何も心配することはない。
しんとした林を歩きながら、先ほどの地蔵について考えていた。いつも妖怪と共にいるから忘れていたが、僕自身には霊感と呼べる代物がない。ただ妖怪屋敷に住み着いてしまった、不幸な一般平凡男子である。あの地蔵が実体化してくれたのなら話は別だが、そうでないなら見えも触れも話せもしないし、地蔵の中に妖怪が存在しているか否かなど、判別のしようがない。
要するに先ほどの行為は不毛であったわけか。
人に見られていなくて本当に良かった。遥か先に誰かいたが、あの距離では僕が何をしていたかなど予想の範疇を越えないだろう。お地蔵様を拝んでいる好青年、としか見えないはずだ。地蔵の頭に平手打ちをかましたなど、微塵も思うまい。
ちち、と舌を鳴らすように小鳥が鳴いた。頭上で葉が揺れ、小さな影が木漏れ日を遮って空を飛ぶ。
林を登りきった。
木が途切れて景色を一望できるようになったわけでも、近くなった空を仰げるわけでもない。ただの小高い丘の上。落葉と湿った土と、手が届くまでに垂れてきた木の枝が折り重なり一層影の濃くなった丘の上に、苔むした石塔が祀られている。
一応の目的地にはついた。
然れども、やることがない。
地蔵のありがたい啓示により、自分に霊感なるものが無いことを僕は思い出していたので、今さら史跡に向かって当り散らすわけにもいかない。ここまで歩いてきてしまった労力と、未だ癒えぬ恥ずかしい心の傷跡によるやり場のない気持ちをぶつけてやりたいのはやまやまだが、そうしたところで神が出てくるわけでもない。
どうしたものかと途方に暮れていると、後ろから足音が聞こえてきた。腐葉土を踏みしめるふにっ、という音と、木の葉が割れる硬い音。不規則でいて気の抜けるリズムを刻みながら、それは近づいてきた。
振り向くと、男が登ってきていた。
イメージは我が町幕張本郷




