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篝火 -春ー  作者: 日笠
14/24

春 -5-

まだまだ続きます


やっと話進んできた

 きっちり三つ分の代金を支払い、店を出る。

 随分のんびりしているが、これでも出勤中だ。だがまだまだ時間はある。学校の目の前にある家に住んでいた田ノ内君も、こんな気持ちだったのだろうか。

「お前、筋金入りの馬鹿だったんだな。」

 若干傷心気味のミコに追い打ちをかける。同情の余地などない。

「筋金入りとは!」

「だってお前、相手の手が分かってんのに負けるとか。阿呆の極みじゃないか。」

「そうでない。違うのじゃ。」

「違うって何が。」

 ついさっきの曲がり角まで戻ってくる。パン屋とは反対に進み、海の方に向かって直進。ちょうど昇ってきた朝日がそこかしこで反射し、目に刺さる。

 古びた事務所や、寂れて潰れたガソリンスタンド、昔からこの地にあるのか『高層ビル建設反対! 景観を壊すな!』とご丁寧なことな毛筆で書いた垂れ幕を軒先にぶら下げてある、僕の家に勝るとも劣らない古めかしさを誇っている木造家屋などを通り過ぎ、埋め立て地を一望できる下り坂にたどり着く。

 水銀をほろりと流したように煌めく海の上を、真っ白な船が滑っていく。

 いい朝である。

 これで今日仕事が無ければ、どんなにいいことか。

 考えることは学生時代から変わっていない。学校に行かなければならなかったり仕事に行かなければならなかったり、ついでに徹夜明けの朝とかも、どうしてこう、外で過ごせない日の空に限って抜けるように青いのか。全てを投げ打って遊びに行ってしまいたくなる。よもや、そういう意図をもって空を晴らしているのではなかろうか。人間を駄目にしてしまおうとか考えている神様とか、妖怪あたりが。

「そうなのか?」

「何がじゃ。」

「聞いていなかったのか。」

「主はなんもしゃべっておらんじゃろうて。」

「面倒くさいな。心読んどけよ。」

「怒るじゃろが!」

 ミコが手に持ったメロンパンの袋を勢いよく回す。遠心力で、ビニールが綺麗にメロンパンの形に伸びている。

「心を読めと言ったり読むなと言ったり。ほんに、面倒な主じゃ。」

「居候の身で何を言う。たまには僕に貢献しろ。」

「何と言う俺様。ほとほと呆れるわい。」

ミコは肩をすくめた。

「呆れたいのはこっちだ。なんでお前、負けたんだ?」

「それじゃがの……心を読めんかった。」

「心を、って。」

 力を失ったのか? とためしに念じてみる。

「そういう訳ではない。現に、ほれ。こうして主の心を読めている。」

「僕が純真すぎてお前の力の如何に関わらず僕の心の内が駄々漏れ、という可能性は。」

「否定はせんがの。純真と言うより、間抜けなせいで。」

「僕の心は国家機密より厳重に守られているはずだなんだが。」

最重要機密だ。大人になると、人には言えない秘密が増えてくる。子供のころの内緒話なんて可愛いものだ。

「ならさっきの娘見たく防いでみい。ほいほい読み取らせおって。警備甘々じゃ。」

「防いだ?」

 ミコの言葉に耳を疑う。

「そんなことができるのか。」

「できたんじゃろうな。現に、あの娘はそれをやってのけた。あんな経験は初めてじゃ。」

「とりあえずあのパン屋の常連になることから始めなくては。」

「弟子入りとか、恥ずかしいからやめい。それに、そこまで特別なことではないのかもしれん。」

「そうなのか?」

「うちだって、いつも言っている通り頻繁に読心しておるわけではない。誰彼構わず読心とか、無作法にもほどがある。たまたまうちが今まで読んできたものがそういう術を持っていなかっただけで、実は世間一般では割と主流なのかもしれんの。」

「ぜひその流れに肖りたいものだ。」

 大海原を白い船が進むように、白い綿雲が青空を流れていく。

 海風に乗ってほんのりと香る潮の香りに、体中に塗れていた小麦の匂いがすげ変わっていくようだった。パンの匂いも嫌いではないが、甘い物ばかり食べているとしょっぱい物が食べたくなるように、たまに潮の香りを嗅ぐとなんとも心地いい。

「あの娘から強い抵抗のようなものを感じた。」

 ミコが思い出したように口を開く。

「抵抗と言うか、拒絶と言うか。娘の思考に手を伸ばした時に、堅固な壁にぶつかったような、そんな反発があった。」

「読心術とか、人外の境地すぎて僕にはよくわからないけれど、心の壁ね。やってみる価値はあるかもな。」

「ほう?」

「試しに僕の心を読んで見てくれ。防ぐから。」

「ふん。普段駄々漏れ筒抜けの主が一朝一夕でうちに勝とうなど、笑止! じゃがその喧嘩、あえて乗ろうぞ。」

「おう、かかってこい。吠え面をかかせてやる。」

 まず自分の心の中をイメージする。波風立ちまくりの荒れ狂った思考の海を落ち着かせ、なだらかに整える。土台を作った後は、その上に壁を作り上げる。何物も寄せ付けない、分厚いコンクリートの壁だ。コロッセウムみたく丸く壁で囲った後は、その中に思考をおけばいい。

 大体こんな感じであろう。よさ気な雰囲気だ。これなら、行ける気がする。

 曖昧模糊な言葉で自分を奮起させ、一つのイメージをコロッセウムの中に浮かび上がらせる。

 ミコは貧乳。

「こんのっ、阿呆がっ!」

 真っ赤な顔をしたミコにメロンパンで思いっきり頬を打たれた。


 目的の公園についてもなお、ミコはご立腹だった。

「うまくいったと思ったのだがな。コロッセウムが失敗だったか。」

 思えば、コロッセウムは穴だらけの建物である。ネズミ一匹どころか、人間さえ自由に出入りできてしまう。今度はもっと厳重な、日本銀行の金庫とかをイメージしよう。

「たぶん、主のそれは大概間違っておるぞ。」

 憐れむような目で言われた。

「して主、この公園は?」

「おおそうか、もうついたか。ここが件の花見会場だ。そして―――。」

 大げさな身振りで、公園中央にそびえる桜の老木を指差す。

「あれが件の桜の老木だ。」

 褒められて然るべき、と柄にもなく悦に入った状態でミコの反応を待つも、一向に賛辞の言葉は送られてこなかった。不満に思い、ミコの方に向き直ると、ミコは見るからに落胆していた。

「やっぱりこの桜じゃったか。」

「知っていたなら話は早い。これには妖怪が憑りついているらしくて、それでそやつにお前の顔を立ててもらって文字通り一花咲かせてもらおうと思っていたんだが……それは一体どういう反応だ?」

 肩を落とし、気の進んでいない足取りで桜の木へ進むミコを、後ろから追いかける。

 贔屓目に見ても生命力で漲っているとは思えない樹の幹に、その手を置いた。

見るからに老木である。言い出しっぺの僕でさえ、えもいえぬ不安に包まれる。

本当にこれ咲くのか?

昨日はあの謎の爺の存在と、感涙物の思い出話によって気がつかなかったが、一夜明けて冷静になってみると、いろいろとおかしい点がこの桜にはある。

 第一に、瑞々しさに欠ける木本体である。冬であるならいざ知らず、春の気配が鼻先をちらつく昨今で、まるで枯れ果てているかのように幹は乾いている。触れてみても、温かみや生命の躍動を感じない。しかし、枯れているわけでもない。木と言う体裁だけを辛うじて保っているかのような、言うなれば、空っぽなのだ。

 第二に、そんな幹の状態にも関わらず、若々しさを十分にため込んで今にも爆発しそうな蕾たちが、日の目を浴びる日を今か今かと待っているという点だ。

 この奇妙のアンバランスに、違和感を覚えてならない。

 果物や野菜でいう、実に栄養を与えるためのいわゆる生物の機能というやつなのだろうか。しかし樹木に関して言うならば、逆のことをするのではないか。幹を生きながらえさせるために、葉を落とすと昔学校で習った気がする。

「主はこの木に、老いぼれの小さな爺を見たのではないか?」

 木をしげしげと見つめていたミコが言った。

「ああ、そうだ。花咲か爺さんとかに出てきそうな、爺以外の何物でもない爺だった。知り合いか?」

「知り合い……というほどではないがの。この界隈では有名な妖怪じゃ。咲かさずの爺。咲かない桜に憑りついた浮遊霊じゃ。」

「浮遊霊とは失敬な。」

 ふいに、幹の影から昨日の爺が昨日と全く変わらない風貌で現れた。

「今は桜の精として所謂ぐれぇどあっぷを成し遂げておりますよ。お久しゅうです、お嬢さん。」

 僕の腰くらいしかない背丈。絵本で見るような絵にかいたような爺像。桜の木同様、怪しいところばかりの、むしろ怪さが人の形をしているようなこの爺がまさか妖怪だったとは。

 何より、咲かさずの爺とは何事だ。

「おい、爺さん。あんたこの木はもうすぐ開花するはずだって言っていたよな?」

「ええ言いましたとも。皆様方の春を望む心の力が集まれば、この老いぼれも少しは頑張れる……かも?」

 はて、と小首を傾げてひへらと笑う爺。どこか掴みどころがないのも、妖怪たる所以か。

「つまり嘘ということか。」

「丸っきりの嘘、というわけでもあらぬぞ? うちら妖怪は人の信仰や空想、想像、思念らが具現化したものじゃ。人の思いが集まれば、力も強くなる。うちや鬼みたいなのが強いのも、そういうわけじゃ。」

「ネームバリューが物を言うってか。現金な理だな。」

「おかげで鬼門を越えてこられるのじゃから、ありがたい。ま、こやつの桜が咲いたという話は過去十年聞いたことが無いがの。」

 ふぉっふぉっふぉと笑う爺の真横で、僕は不覚にも膝をついた。押し寄せる脱力感が、沸々と湧き上がる爺や僕、その他もろもろ世間への怒りすらも飲み込んで僕を放心させていく。

「爺、どうしてくれる。僕はもう後には引けないんだ。花見をしなくてはいけないんだ。どうにかしろ。」

「はて、頑張ってはいるのですがのう。それはもう、数十年頑張りっぱなしですわい。しかし、咲かなくての。春の力さえあればのう。」

「……ミコ?」

「うちだってどうしようもない。桜の木に憑りついている奴が力を発揮できないのであれば、そもそもうちらの出番が無い。」

 ふと、さっきからの妙な言い回しが引っかかった。

「憑りついている憑りついているって、この糞爺は桜の木が妖怪化したのじゃないのか?」

「ふぉっふぉ、糞とな。」

「お前にはグレードダウンがお似合いだこの疫病神。」

「これ主、疫病神に失礼じゃ。あれは腐っても神じゃからのう。それに引き替え、この爺はただの元幽霊じゃ。つまり元人間なのじゃ。それが桜の木に憑りついているにすぎんからの。元からなんの力もない。」

「ということは、この糞爺に頼んだところで、桜は咲かなかったということか?」

 人生最大出力の蔑んだ眼差しで爺を貫く。当の本人は僕の視線などどこ吹く風、気楽に髭なんぞを弄っている。いっそ引っこ抜いてやろうかと思った。

「いや、所詮幽霊だったとしても、こやつはもう五十年近く桜に憑いておる。少しくらいはこの桜に干渉する力を持っているはずじゃよ。ほれ、このぱんぱんに膨らんだ蕾が証拠じゃ。本当なら、この桜はとうに枯れておるよ。」

 その言葉に、はっとした。飄々としていても、本当はこの爺だって努力していたのだ。

 僕は爺に向ける視線を、少し和らげた。

爺がしたり顔で笑う。癇に障った。

「春の力が欲しいというのも、本当じゃろうな。」

「はい、そうですよ。春の力さえあれば、わしにもこの桜を咲かせることくらいはできましょう。そうすれば、あなた様にも満開の桜をみさせてあげられます。」

「そいつは本当か?」

「ええ、もちろん。」

「よし分かった。」

「主?」

 ミコが不安気な声をあげる。

 期待とも諦めとも似つかない、ただ若者を興味深そうに見守る年寄特有の優しい目が、僕をしかと見つめた。

「任せろ。僕がこの桜を咲かせてやる。」

 一陣の風が舞い込んで、公園の砂を巻き上げた。うっすらとした砂埃が視界を遮ったかと思うと、目の前に人型モードの犬神が颯爽と現れた。

「先輩! この桜の木のこと調べてきました……ってありゃ? 女狐が。」

「おうおう、犬よ。出会って早々女狐とは、この桜の木のように朽ち果て永遠と地に伏せをかます覚悟はできておろうな?」

「ふぉっふぉっふぉ、お嬢さん? まだ、死んではおらんのだけどもね?」

 険悪なムードで対峙するミコと犬神を見て爺が笑う。

「ところで人間様や。本当にお力を貸していただけるのですかな?」

「ああ。何よりこれは僕自身のためのことだ。力を貸さない訳にはいかない。」

「それはありがたい。ぜひとも、頼みますよ。」

「あ、お爺! 起きていたんですね。ということはもう、先輩はだいたいのことは知っているっすね。ちぇ、せっかく自分が調べてきたのに。」

「ふっ、さすが犬。使えそうで使えないの。ところで主よ。会社とやらには、いかないのかや?」

「あっ。」

 慌てて腕時計を見る。

 二つの針が示す時間に思わず青ざめる。

「犬神!」

「合点です!」

 そういえば、学校のすぐそばに住んでいた田ノ内君もしょっちゅう遅刻をしていた。反対に、遠くに住んでいた杉下君はいつも時間通り学校に来ていた覚えがある。つまるところ、近いから、すぐ行けるからと余裕をぶっこいている奴が二度寝三度寝に興じたり朝飯をゆったり食べながらテレビを見たりで、なんだかんだで遅刻するのだ。余裕が生む悲劇。むしろこれは、家が近い奴の性である。

「全速力で飛べ! 途中で僕を振り落しても構わん! その時は絶対に拾えよ!」

「あいあいさ!」

 そして僕は無限に続く晴れ渡った青空に飛び立った。

「ほんに阿呆な奴じゃ。阿呆で、天邪鬼で、それでいてひねくれていて……けどたまに優しい。お爺、分かっていてわざとやったのじゃろ?」

「はて、なんのことですかのう? ふぉっふぉっふぉ。」


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