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篝火 -春ー  作者: 日笠
10/24

春 -1-

春の章本編です。読んでくれる人増えるといいな

 季節において大体暖かな日が続く、麗らかな光が心地よい太平洋沿いの小さな町、旧幕張町。海と、海沿いの埋め立て地を臨む高台の上に、古くからあるその町は広がっている。

 学校と、住宅街と、スーパーと私鉄くらいしかない古くて小さな町。しかし景観はよく、埋め立て地に降りればショッピングモールや映画館だってある。電車で二駅、自転車でも一時間かけずに行ける隣町は、賑やかな店が並ぶ所謂都会というやつで、そっちと反対方向に一五分走れば、下町風情溢れる商店街のある地域へとたどり着く。

 都会に挟まれた、時代に取り残された穴のような町。そんな旧幕張町で僕、篝千歳は一人暮らしをしていた。

 していた。

 海岸沿いの大学に進学し、一人暮らしのために安い物件を探していた当時の純粋無垢な僕に一言言えるのならば、ぜひこう言ってやりたい。

 高台の縁にある平屋だけはよしておけ。

 未来の僕からの貴重な助言は、過去の僕には届かない。

 目先の安さに目が眩み、普通ならありえない値段の平屋を、僕は即決で買った。借りたのではなく、買ったのである。

 若さとは恐ろしいもので、望みに叶った物が目の前にあったなら、それがどんなに異常であったとしても、深く考えないで自分に都合よく解釈してしまう。「木造で、古い平屋だからなのかな」とか「このくらい田舎にあるのだから当然だろ」とか「この値段が相場なのだろう」とか。

 何も説明されていないのに。

 勝手に。

 都合よく。

 そんな後先考えない若者が、きっと現代社会の闇に染められてしまうのだろう。

「主ー? そろそろ出社ではないのかや?」

「ああ、だからこうして酒盛り後の汚い部屋でなんとか支度をしているんだ。」

「それは難儀じゃの。」

 冬のころから出しっぱなしの炬燵の中で、ミコが今にも閉じそうな瞼をこすっている。

「いい身分だよな。夜な夜な宴会なんて。」

「春ぞ? 花見の季節ぞ? 宴会をしないでどうする。」

「なら外でやれよ。……なんでそこで小首をかしげる。」

「まだ公園の桜は咲いておらんぞ。ここらで咲き誇っておるのは主の頭のお花畑だけであろう。」

「喧嘩なら買うぞ?」

「うちに勝てるとでも? その気になれば主の心なぞ筒抜けじゃ。その間抜け面にカウンターを叩きこむことも……今夜はおいなりさん? え、中止? ちょ、待つのじゃ。いやじゃ! カップラーメンはいやなのじゃあ。」

読心術とは不便なもので、頭の弱いやつが使うべきスキルではないと僕は思う。

「所詮は四足歩行のイヌ科だな。ほら、さっさと起きろ!」

 渋々炬燵から這い出るミコ。着替えずに床で寝ていたというのに、召している和服には皺ひとつついていない。人外のなせる技なのだろうが、妙に所帯じみているのはなぜだろう。

「さもありなん。うちらは合理的なのじゃ。使えるものは使わんと、妖怪に生まれた意味がなかろう?」

「無駄の塊が何を言う。」

 腰のあたりをつねってやると、ミコがひゃん、と鳴いた。

「なななな何をするっ!?」

 一瞬だったが、手に触れた柔らかい感覚に僕は茫然とした。想定外の感触に何も言えなくなる。

「な、なんじゃ?」

「ミコ……。」もはやからかう気もさらさら起きず、憐みの目を向ける。「太った?」

「……ほ?」

 自分の腰回りを弄りながら、だんだんと落ち着きを無くしていくミコをよそに、僕は衝撃に打ちひしがれていた。

「毎晩毎晩朝まで飲み明かし食い散らかし、昼間は家事をするでもなくただただ惰眠をむさぼり、また夜になれば同じように暴飲暴食。ひきこもりながら繰り返す堕落した毎日。そりゃ太るわな。その贅肉を少しでも胸の方に寄せられればいいのに。」

「胸は関係ないじゃろが!」

 それまで自分の体を確認していたミコが、その瞳と同じように真っ赤に顔を染めて応える。

「できないのか? 合理的な? 妖力とかで。」

「馬鹿にしとるのか! こ、これでも結構あるほう、なんじゃよ……?」

「普段だったらその無い乳も相対的にあるように見えるんだろうな。ただ、くびれが無くなるとこう、まな板? ユキと比べるともう残念だな。」

「あやつは規格外なんじゃ! あぁ、どうしてこうなってしもうたのか。宴会か。宴会じゃな。宴会のせいなのじゃなもうやめじゃ宴会はもう今後一切中止じゃ。」

「それには同意だ。全面的に協力しよう。」

「ああ! でも今夜もユキや鬼の親父がくるんじゃああああ一体どうしたら!」

 ミコが頭を抱え項垂れる。泣きたいのはこっちだ。汚い部屋で、小太りした人外の狐が、今晩も開かれる飲み会を憂いている。これが独身社会人の部屋で展開されているのだ。どうしよう、一生結婚とかできないかもしれない。

「今夜もやるのか。」

「やるのじゃ。しかも鬼の奴、美味い酒を仕入れたとか言っておった。」

「なんでお前ら、そこまで飲み会に必死なんだよ。やるならせめて、月一とかだろ。毎晩毎晩盛大にやりやがって。次の日も仕事の僕に謝れ。」

「だってのう。妖界には春も桜もないしの。花見はうちらの一番の楽しみなのじゃ。」

「でも妖界でも飲み会はやるんだろ?」

「ほぼ毎日どこかで宴じゃ。でも、花見と宴は違うのじゃよ。」

「じゃあ、花見ができれば、もう飲み会はやらないんだな?」

「……しばらくは。」

「宴会は今夜で打ち止めだ。ああ、花見で盛大に盛り上がって、羽目を外して、それで打ち止めだ。」

「でも桜はまだ咲いておらんぞ?」

「咲いているやつを探してくるさ。今週中には終わらせてやる。」

「よいのか? そんな、うちのために。」

「何を勘違いしている。僕の精神衛生上のためだ。お前はそこでぶくぶくと太るがいい。もしくはその贅肉を胸に寄せる妖術でも開発していろ。」

「人でなし!」

「そっくりそのまま返してやる。」

「主への怒りの焔でこの脂肪もいっそ!」

 騒ぎ立てそうな気配を察知し、早々に家を出た。外は陽気な風が吹いていて、庭先から臨めるただっ広い海岸線からは太陽が半分ほど顔を出している。朝日を浴びてきらきらと輝く海は凪ぎ、海を映したガラス張りの高層ビルが同じように煌めいていた。ひしひしと感じる平和と潮の香りを胸いっぱい肺に吸い込む。立地だけは、古臭くて近所で"出る"と噂されるまでに至っているこの平屋で誇れる数少ないところだ。あと無駄に余っている部屋とかも。

 呑気を体現したかのような街並みを、急ぎ足でバス停へ駆けていく。この時間はまだ学生の登校とは重ならない。車の通りも少なく、静かなものである。通勤途中にある中学校では陸上部と思われる生徒たちが声を掛け合いながらグラウンドを走っている。大人になると嫌でも走らなくてはならないのに、こんな朝っぱらからよく走るものだ。と思ったが、よくよく考えれば学生時代は好き好んで走り、それで気持ちよくなっていたわけで。いつから本気で、走るために走るということをやめたのだろうと感傷にふけりながらグラウンドの中学生たちを心の中で応援した。頑張れ、中学生。頑張れ、僕。

 中学校の近くにあるパン屋から、小麦の香ばしい匂いが流れてくる。走りすぎて痛くなってきた肺と胃に、この匂いは殺人的だ。

 絶対、昼、は、はぁ……パンだ。

 息切れしつつ、そう決意した。


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