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第七話 同居人のお弁当

 深山さんの告白を受け、晴れて彼女と恋人同士になってから数日が経っていた。

 あの日以降も魔術講座は続き、僕も『なにもないところから水を出す』くらいのことはできるように。……まあ、これだけじゃ、いざというときの飲み水確保の役くらいにしか立たないわけだけど。


 僕のもうひとつの魔術属性の特定は、まだ行われていない。

 というのも、義母さんの仕事が忙しくなり始めたからだ。ちなみに、忙しいのは会社の仕事なのか、それとも魔道士のほうの仕事なのかは訊いていない。

 後者だったら余計な心配事が増えるだけに終わるだろうし、なにより、炊事や洗濯、掃除といったことがおろそかになってしまうほどではないそうだからだ。

 正直、学園には購買や学食があるのだから、無理してお弁当を作ってくれたりとかはしなくてもいいのだけど、義母さんとしては、それこそを最優先でやりたいらしい。社会人や魔道士である前に、僕たちにとっての『良き母』、父さんにとっての『良き妻』でありたいのだそうだ。その言葉には僕も素直に感銘かんめいを受けた。


 そして、肝心の深山さんとの仲に関してだけど。

 二人で話し合った結果、父さんたちにはまだ、つき合っていることは内緒にしておくことにした。

 認めてもらえるかが不安、というのも当然あるけど、一番の理由は、実は、共通の秘密を持っていることの幸せ、みたいなものを感じてしまったからだったり。


 しかし、深山さんとの進展具合は……まだ、全然。

 同じ家に住んでいるのだし、毎晩行われる魔術講座だってあるから、もちろん、彼女と話をしない日なんてない。

 進展させたいとは思っているし、彼女だって同じように思ってくれているはずだ。

 でも、どうにもタイミングが掴めないというか、がっついてると思われるのが嫌というか、情けない話かもしれないけど、キスはおろか、まだ手すら繋げていなかったりする。

 ……うん、僕がただ単にヘタレなだけ、というツッコミは、できればしないでいただけるとありがたい。


 ちょっとしたことであっても、これをしたら嫌われないかなって気持ちが先に立ってしまうのだ。

 相手の本心がわからないなんて当たり前のことなはずなのに、そのせいで延々と同じところで足踏みをしているような感じ。

 でも、そんな現状を楽しく感じている自分も、確かにいて。

 こういうのを、恋心って呼ぶのだろうか。


 ……よく、わからない。

 でも、そういうことを考え始めると、なぜか頬が緩んでくる。

 休み時間も、同じ教室内にいる深山さんを、いつの間にか探してしまっているし。

 それは彼女のほうも同じらしく、以前よりも高い頻度で目が合うようになっていた。

 こうなると、学園では話ができないのが、すごくもどかしく感じられてくる。

 でも、これだけは破っちゃいけないことだと思うしなぁ……。


「ああもう! なんでこの学園の期末試験は七月下旬――終業式の割と直前にあるのかなあ! あるのかなあ!」


 声をかけたい。彼女と話したい。嫌われる可能性はあるかもしれないけど、それでも……。

 そんなことばかり考えていた僕の耳に、天宮さんの声が飛び込んできた。


「……なにさ、もう」


「おおう!? な、な~んか堀口くんの機嫌が悪い? あ、あたし、なんかした……?」


「いや、別になにもしてないけどさ。昼休みになったとたんに大声だしすぎだよ、天宮さん。――なあ? 孝広」


「なに言ってんだよ。美月はいつもそんなんじゃないか。というか、もうすぐ期末試験だったか、ブルーだあ……」


「だよねえ、孝広くん! そりゃ堀口くんはいいでしょうよ、問題ないんでしょうよ、赤点回避に必死になるあたしたちの気持ちなんて、わからないんでしょうよ」


 それに呆れたように返したのは、購買でパンを買って帰ってきた桜井だった。当然のように隣にいる瀬川さん。


「わかりたくもないだろうよ。実際、俺にもわからない」


 それにビシッと人差し指を突きつけ、天宮さんが叫んだ。


「薄情者っ!!」


「……なあ、明よ。俺、そんな薄情なこと言ったか?」


「う~ん、まあ、捉え方によっては。……でも、もうすぐ期末試験かあ」


 深山さんと一緒に勉強とかできたら楽しいかなぁ、なんて考えが脳裏をよぎる。

 でも、僕の憶えている限りでは、彼女ってすごく成績がよかったような……。

 僕が教えられることはあっても、教えてあげることなんてできるのだろうか。

 まあ、それでもひとりで勉強するよりは楽しいだろうな、と結論する。

 一方、孝広たちも、


「とりあえず、試験対策はやらなくちゃな。……というわけで美月、勉強みてくれ」


「う~ん、あ、カンニングするとか、どう? 孝広になら、上手くすればできるでしょ? ……いやいや冗談だって、本当に。でも実際さ、あたしも成績は悪いほうなんだよ? そんなあたしになにを教わろうっての?」


「マジか……。オレ、美月は頭いいんだろうなって勝手に思ってた……」


「なにを根拠に……。――あ、優菜たちはどう? 試験勉強、一緒にする?」


「私の場合は、そんな張り切ってする必要ないかな。ちゃんと授業聞いてるし、ノートもとってあるから、少し復習すればそこそこの点は取れると思う」


「出ました! 我が親友の優等生発言! ……ちなみに、桜井くんもそんな感じなの?」


「うん? まあな。和樹みたいに『一度見聞みききすれば憶えられる』とまでの変態性能は持ちあわせていないが。それでも、それなりの記憶力はあると思うぜ」


 まあ、『賢聖けんせい』なんて称号を持っているくらいだからなぁ。

 桜井の返答に、面白くなさそうに目を細める孝広。


「まったく、どいつもこいつも友達がいがないったらありゃしねえ。――なあ明、お前は一緒に勉強するよな?」


「え? 僕? まあ、してもいいけどさ、僕はそこまで成績いいほうじゃないよ? 孝広だって知ってるだろ?」


「知ってるとも。でも底辺レベルってわけでもない。教わることは充分、可能だ」


「教わることが前提なんだ……。まあ、わかってたことだけどさ」


 でも、深山さんと一緒にいる時間が減っちゃいそうだなぁ……。


「おい明、なんだよその不満そうな顔は?」


「……あ、いやさ、よくよく考えてみたら、孝広と天宮さんの邪魔しちゃうんじゃないかって思って。恋人同士だろ? 二人は」


 その言葉に、二人ともが顔を赤くする。


「う、あ……まあ、な」


「それは……まあ、そうなんだけど、ね」


 二人、目を合わせてから、ごにょごにょと言葉にならない呟きを漏らし、


「でもよお! オレ、ぶっちゃけ頭悪いだろ!? 美月も成績悪いほうだって自己申告してるし!」


「そうそう! そんなあたしたちに、すがるものなしで勉強しろと!? 無理だって! 赤点確実だって!!」


「そんな、断言しなくても……」


 ちょっとだけ呆れた目を向けてしまう僕。

 孝広は大声で、


「断言するさ! それに赤点なんて取ってみろ! 夏休みに学園で補修授業受けることになるんだぞ! 美月と二人きりで試験勉強できないのがなんだ! それだけのことで夏休みが潰れずに済むのなら、オレたちはむしろ、お前という救い主を大歓迎するさ!」


「まあ、歓迎されなかったらやってられないけどさ。でも、救い主とはまた大げさな……」


「いやいや、堀口くん。全然大げさじゃないんだって、これが。去年の期末試験、あたしは見事に赤点を取り……夏休みが十日も潰れ、そして家でこっぴどく叱られた。それはもう、トラウマになるくらいに叱られた」


「そ、そこまでなんだ……」


 天宮さんの言葉に潜む重く暗い感情に、つい引きつった笑みを浮かべてしまった。


「なんか、厳しい親御さんなんだね……」


「毒にも薬にもならない感想をありがとう。……そうね、うん、厳しい。すっごく厳しい。『もう一度授業を受けなおすなど、非効率にも程がある』って、本当、深く静かにいかっておられたから……」


 遠い目をする天宮さん。

 ああ、これは本当にトラウマになってるっぽいな。

 ふと視界の端に、深山さんが教室を出ていく姿が映った。……ふむ。


「とりあえず、考えておくよ。じゃあ、僕もそろそろご飯にするから」


 さりげなさを装って立ちあがる。

 しかし、光一に気づかれてしまった。


「なあ、明? お前は基本、弁当じゃないか。なんで教室から出る必要がある?」


 ……くっ、カンの鋭い奴め。孝広なら絶対に気づかないでいてくれるのに。


「え~っと……そんな気分なんだよ、いまは」


「気分? 紀文きぶん……。あ、はんぺんか? ……いや、そう呆れた顔をするな。いまの俺の心情がお前には理解できないのと同じくらい、お前のその心変わりの理由が俺にはわからないんだ」


 そこで瀬川さんが桜井になにごとか耳打ちする。

 うっ、深山さんのあとを追おうとしてること、気づかれたか……?

 懸念は当たり、桜井がニヤニヤとした表情を向けてきた。


「了解。行ってこい、明。心配するな。俺は勝手な憶測を言いふらしたりなんてしない。絶対だ」


 その隣でヒラヒラ~っと手を振る、こちらも笑顔の瀬川さん。

 どうも『頑張ってこい』みたいなニュアンスが込められてるっぽい。


「……じゃあ、行ってくるよ。――孝広、天宮さん、試験勉強の話は前向きに検討しておくから」


 去り際の僕の言葉に、孝広が顔を輝かせる。


「おおっ! やっぱり持つべきものは親友だな! 期待してるぜ!」


 ビッと親指を立ててきた。

 僕も同じようにして応え、早足で教室を出る。


 先日、家にいるときに訊いたところ、どうも深山さんは屋上で昼食をとっているらしい。

 それも、訪れる人がまずいない、寂れた第三校舎の屋上。

 学園では話しかけないように頼まれているわけだけれど、二人っきりでいるときくらいはいいんじゃないかな、なんて思いながら、僕はそこに向かう。……もちろん、ことがことだから、嫌われたらどうしようって気持ちは消えない。

 けれど、いまは彼女と一緒に時間を過ごしたいという気持ちがまさってしまった。


 第三校舎の屋上、そこに繋がる扉に手をかける。

 錆びついた音を立て、開いていく扉。

 勢いよく風が吹き込んできて、思わず瞳を閉じてしまう。

 でも、それも一瞬のこと。すぐに扉の向こうへと歩を進め――。


「あ、いたいた。……えっと、深山さん?」


 箸を片手に、ぱちくりと目をしばたたかせる小柄な少女が、そこにいた。

 彼女からすれば、想定外の来客。……いや、人が来ること自体が、すでに予想の範囲外だったのだろうか。

 だとしたら、さすがに読みが甘いと思うのだけど。


「……堀口くん。なんで?」


 口調には抑揚というものがあまりなく、相変わらずのクールぶり。まあ、すでに無表情は少し崩れてしまっているわけだけど。


「深山さんに会いたかったから。……そう言ったら、怒るかな?」


 まだ呆然とした様子で、けれど静かに首を横に振ってくれる。


「怒るなんてことないけど……。でも、まだ信じられない……」


「信じられないって、なにが? ……あ、先に言っておくけど、もしここに人が来たら、すぐに他人のふりをするから、そのあたりは心配しないでいいよ」


 言ってから、少しだけ胸の奥がチクリとした。

 でも、彼女の頼みを無視してここに来たのだ。深山さんに拒絶されずに済んだのだから、このくらいの痛みは甘受かんじゅしなければ。

 彼女は少しだけ、声に感情の色を乗せて、


「うん、わかった。……でも、本当に信じられない。学園では話しかけてこないよう頼んだの、わたしのほうでしょ?」


「それに関しては、悪かったと思ってる。もう二度としないでほしいって言うのなら、これっきりにするつもりでもいる。……どう?」


 問いかけながら、深山さんの右隣――コンクリートの床の上に腰を下ろす。

 腰を下ろしたところはちょうど日陰で、また、段差がついていてイスに座るような体勢をとることができた。少しひんやりとしているのが心地いい。

 彼女は口にくわえたままでいた箸を、膝の上に置いてある弁当箱のほうに戻し、


「……ううん。他の誰も見ていないところでだったら、話しかけてくれていい。……というより、話しかけてほしい」


「ほ、本当に!?」


 意外な言葉に、思わず深山さんのほうに身を乗りだす僕。

 食事を再開しながら彼女はうなずく。


「うん。本当は、あの日からずっと、学園でも話しかけてほしいって……思ってた。でも、話しかけないでほしいって言ったのは、わたしのほうだから、それをわたしから撤回するのは、身勝手だなって、思って……。そんな身勝手なことを言って、嫌われたら、嫌だなって……」


「嫌ったりなんてしないって! むしろ僕のほうこそ、話しかけたくて仕方がなかったんだからさ!」


「そ、そうなの? じゃあ、二人して我慢、してたんだ……」


「そうみたい、だね……」


 なんか馬鹿らしい話だった。

 でも、恋人として距離を縮めていくっていうのは、こういうことをいうのかな、なんて思ってる自分も確かにいて。

 くすくすと深山さんが笑う。それはまるで、家にいるときの彼女のよう。


「でも、学園内で話をするのは、二人っきりのときだけ。教室にいるときは、禁止。……うん、禁止」


 まるで自分に言い聞かせているような口調。

 下がっている眉根と声音は、自分が口にしたことに『なんで禁止するの』と無言の抗議でもしているかのよう。

 だからなのか、禁止と言われても不思議と残念な気持ちは起こらなかった。彼女も頑張って我慢しようとしているんだと、わかったから。

 布の袋から自分の弁当箱を出して開き、「そうそう」と彼女に話を振る。


「教室でさ、もうすぐ期末試験だーって孝広と天宮さんが騒いでたよ」


「あの二人が……? 東雲くんはともかく、天宮さんは頭いいと思ってたんだけど」


「ははっ。さりげなく酷いこと言ってるね、深山さん」


「……あ」


「まあ、事実だからいいと思うよ? でさ、一緒に試験勉強しないかって話になってるんだ」


「そうなんだ。……ちなみに堀口くん、わたしとは?」


「もちろん、したいと思ってるよ。でも僕、教えられるかなぁ。深山さんに教わってばかりになりそう」


「でも、堀口くんも頭、いいほうでしょ?」


 とんでもない、と首を横に振る僕。


「そんなにいいほうじゃないよ、僕。ええと……中の上、くらい?」


 格好よくみせたくて、つい見栄を張ってしまった。実際には中の中ってところだ。


「そっか。……あ、でも東雲くんたちって、確かつき合ってたよね? よく、一緒にいるし」


「うん。……深山さんも知ってたんだ?」


「……一応、風の噂で」


 食べ終えたのか、パタンと弁当箱のフタを閉じ、小さな布袋にしまう深山さん。


「邪魔に、ならないのかな? 堀口くんが一緒に試験勉強するのって……」


「僕もそう言った。そしたら、なんかすごい勢いで『一緒に勉強してくれ』って頼み込まれた。救い主とまで呼ばれた」


「そんな、大げさな……」


「ははっ。それっぽいこと、僕も言ったよ」


 思わず笑ってしまう。案外、合ってるのかもしれない、僕と彼女。

 本当に些細なことなのに、なぜかそんなことを考えて嬉しくなってしまう。


「でも、深山さんと一緒にすごす時間が……その、減るのが、さ。僕には、難点かなって……」


 きっと顔が赤くなっていることだろう、それくらい恥ずかしい言葉だったけれど、頑張って口にした。

 そして、おそらくいい返事はもらえないであろう提案も、勇気を出して言ってみる。


「それで、思ったんだけどさ。その試験勉強、深山さんも参加してみるっていうのは、どうかな……?」


 きっと考えなしの言葉だと思われるだろう。

 正直、自分でもどうかと思う提案だったから、そう思われるのが自然に違いない。

 けれど、孝広たちの頼みと自分の希望、両方を両立させる方法は、これしかなくて。


 返ってくるのは、沈黙。

 すぐに『できない』と言わないのは、僕に嫌われるのを恐れてのことだろうか、それとも、僕と少しでも多くの時間を共有したいと思ってくれているからなのだろうか。

 後者であることを願いつつ、僕は説得の言葉を重ねていく。


「ほら、あの二人ってさ、根は真面目っていうか、深山さんの本当の性格を知っても、バラさずにいてくれると思うんだよ。それなら深山さんの言う『学園での修行』の妨げにもならずに済むんじゃない?」


「…………」


 深山さんは、うつむいて黙り込んだまま。

 まあ、僕だって虫がいいことを言ってるってわかってる。

 こんなのは仮定に仮定を重ねた、リスクをまったく考えてない絵空事。

 だから、そこまで期待はしてないし、断られても『そっか』で流せてしまえることだろう。


 彼女が無言で思考を巡らせている間に、弁当を食べ終える。

 それとほぼ同時、ようやく深山さんが口を開いた。


「まず、歯に絹着せぬ言い方をさせてもらうね? ……正直、浅はかだとは思う。不確定の要素が、多すぎる」


 まさかの『口撃』に、ちょっとだけへこむ。

 その口調は、どちらかというと、学園にいるときの彼女のそれに近かったから。もちろん、ここは学園なわけだけど。

 しかし、深山さんは「でも……」と続ける。


「わたしも、多くの時間を堀口くんと一緒に過ごしたいという気持ちは同じ、だから……」


「そ、それじゃあ!?」


 深山さんのほうに身を乗りだす。……ああ、本日二回目だ。

 でも、まさかの展開になろうとしているんだ。驚いたり浮かれたりしないほうがおかしい。

 少しだけ照れたように、深山さんはうなずいて。


「前向きに検討、してみる……。まずは天宮さんたちと話してみて、信頼できる人たちなのかを確認。堀口くんのお友だちだから大丈夫だとは思うけど、一応。……天宮さんも、よくわたしを気にかけてくれる人だから、きっと、大丈夫だとは思う。それでも、念のための確認は必要だと思うから。

 答えを出すのは、明日、この場所で、でいいかな?」


「……わかった。いい返事を期待してるよ」


 そう口にしながら、孝広にも似たような返事をしたことを思いだす。

 う~ん、『考えておく』とか『前向きに検討してみる』という言葉は、こんなにも心を落ちつかなくさせるものなのか。

 ちょっと、悪いことをしちゃったかもな、孝広たちには。


 チャイムの音が鳴り響き、深山さんが立ちあがる。

 そちらを見上げようとして、スカートの中が見えそうになっていることに気づき、慌ててあさっての方向に顔を向けた。


「じゃあ、わたしから先に教室に戻るね。一緒にいるのを見られるのは、あまりいいこととはいえないし。……あと、話してるうちに暗示が解けちゃったから、もう一度かけなおさないと」


 それに、こくこくとうなずきながら、校舎に戻る扉のほうへ向かう深山さんへと視線を向ける。

 ……だ、断じて、強風でスカートがめくれたりしないかなぁ、なんて思ってはいない! 絶対に思っていないとも!

 そんな僕の内心に気づくことなく、彼女は一言、『開放言語トリガー・ワーズ』と思われる言葉を呟いた。


「――変転オン


 たった、それだけ。

 けれど、こちらに振り向いた彼女の瞳には、冷たい輝き。


「――それじゃあ」


 ぺこりと一礼し、クールな深山さんは背を向けて屋上から去っていく。

 それに驚きと、なんだかよくわからないモヤモヤとした気持ちを覚える僕。

 彼女自身が望んでいるとはいえ、その在り方は人間ひととして正しいのかと、そんな無意味なことを思ってしまう。

 でも、それをどうにかする方法なんて、僕にはなくて。

 そこまで考えて、ようやく気づいた。


 無茶としか思えなかった、試験勉強の提案。

 あれは、僕なりの抵抗だったんだ、と。

 彼女に、もっと普通の学園生活を送ってほしいと願う、僕の精一杯の抵抗だったんだ、と。

 それはもちろん、脆く、儚く、浅はかな考えでしかなかったけれど。

 それでも、そうしてほしいっていう思いは、真実だったから。


 二度目のチャイムが鳴る。

 仏の顔も三度まで、というわけではないけれど、三度目のチャイムがなるまでには教室に戻らないと遅刻扱いにされてしまう。

 急がないとな、と僕は弁当箱を布袋にしまい、慌てて立ちあがるのだった。





 翌日は朝から慌しかった。


「ごめん、綾! 本っ当~にごめん! じゃあ行ってくるから、明くんのお昼ご飯よろしくね~!」


 部屋から出て、階段を降りようとしたところで、義母さんのそんな声。

 続いて、勢いよく閉められる玄関扉の音がした。


「……おはよう、堀口くん」


 階段を降りきったところで、深山さんに声をかけられる。


「おはよう、深山さん。ところで、いま出ていったのって、義母さん……だよね?」


「うん。お仕事のほうがどんどん忙しくなってきてるらしくて、朝ご飯作るのだけで精一杯って。……無理しなくてもいいのにね。ご飯ならわたしにだって作れるんだから」


 深山さんの言葉にうんうんとうなずきながら、リビングへと向かう僕。


「そうだよね。僕だって作れるし、弁当だって、ないなら購買でパンを買うなり、学食行くなりすればいいんだから」


「あ、お弁当のことは大丈夫。わたしが作っておいたから。……お昼、一緒に食べよ?」


 テーブルについた僕に、彼女が二つの弁当箱をみせてくる。……ええと、本当に?


「……あ、ありがとう。その、楽しみにしてるよ、すごく」


 緊張してるのか感動してるのか、それとも気恥ずかしさを覚えているからなのか、とにかく言葉がスムーズに出てきてくれない。

 もちろん、嬉しいってことだけは、間違いないのだけれど。

 僕のつたない返しに、でも深山さんは嬉しそうに微笑んで、


「……うん。これでも、そこそこの物は作れるから。とんでもなくマズいものになってるってことは、ないと思う」


「そっか、それなら安心」


 変にはしゃいでしまわないよう、そう軽口で返す。

 それから二人で朝食をとり、例によって時間をずらして家から出た。


 教室に着いたのは、いつもより早い時間。

 まだ人数の少ない教室を、自分の机について眺めながら、ぼーっとする。

 そうしていると、孝広と天宮さんが揃って登校してきた。……いいなぁ、僕も深山さんと一緒に登校とかしてみたいものだ。

 今度、深山さんに言ってみようかな。『学園近くまで一緒に行かない?』って。


「よう、明! 今日は早いな!」


「なんかテンション上がっちゃってね。いつも出る時間まで、じっとしてられなかった」


 理由はもちろん、カバンの中に入っている弁当箱にある。『彼女』が自分のために作ってくれたお弁当。これでテンションが上がらなかったら、一体なにで上がるというのか。

 そんな事情なんて知らない天宮さんが、なぜか突然ブーたれる。


「ふ~んだ。どうせあたしはいつも、ギリギリの時間に出てますよ~だ」


「いや、美月。明には余裕かましたつもり、ないと思うぞ? イヤミと思って勝手にむくれないように」


「だってだって、いまの発言はどう考えてもあたしたちにケンカを売っていたとしか――」


「売ってねえから。――なあ? 明」


「うん。全然、そういうつもりはなかった。……ところで孝広、昨日、なにか深山さんと話をしなかった?」


「おう、したした! まあ、なにを話したのかは固ぁ~く口止めされてるんだけどな……」


「ごめんね~。どんな話をしたのかは、あとで深山さんのほうから聞きだしてもらえるかな?」


 ふむ、これは深山さんなりのテストかなにかなのだろうか。

 昨日の話の内容を、口止めされてるにも関わらず僕に軽々しく話すようなら、彼らに自分の本来の性格を明かすことはできない。よって、一緒に試験勉強はできない、みたいな。

 そういうことに違いない、と僕はうなずく。


「わかったよ。詳しいことは、あとで深山さんから聞いておく。……それでいい?」


「助かるぜ、明!」


「ありがとう! いや~、それなりに慣れているつもりだけど、上手いこと隠すのって、やっぱりすごく大変だね~」


 元気よくそう言って、二人はそそくさと僕の前から立ち去った。

 まあ、昨日の話が上手くまとまっていたとしても、万が一『これで赤点が回避できる!』みたいなことをどちらかが口走ったりなんかしたら、『深山さんが試験勉強をオーケーした』という内容が僕にバレてしまって、すべて台無しになってしまうもんな。

 ここはお互いのため、昼休みが終わるまでは相互不干渉そうごふかんしょうを貫いたほうがよさそうだ。


 しばらくして、深山さんが教室に入ってくる。

 すでに桜井と瀬川さんも登校してきており、教室内は全体的にざわついていたので、よほど目立った行動をとらなければ大丈夫だろうと、やってきた深山さんに小さく手を振ってみた。

 以前、似たようなことをしたときには無視されてしまったけど、恋人同士となったいまだったらどうだろう。


 果たして、彼女は静かに一礼することで応えてくれた。

 表情はまったくといっていいほど変わらない。それは当然のことだ。

 でも、僕の存在を意識に留めて、挨拶を返してくれた。


 それは本来、ちょっと仲がいいクラスメイトがする程度のやりとりに過ぎない。

 けれど彼女のそれは、ずっとずっと特別なもので。

 『無表情で無愛想』と称される彼女が、僕だけに見せてくれた、特別な『愛想』で。

 それを理解した瞬間、なんとも形容できない温かさが、僕の心を満たしていくのが実感できた。

 ああ、『幸せ』って、こういう気持ちのことをいうのかな。

 ニヤニヤとした顔で、そんなことを思ってしまう僕だった。


 そして、待ちに待った昼休みの時間になる。

 深山さんが教室から出るのを横目で確認してから、


「今日は弁当忘れたから、学食に行ってくるよ」


 とだけ残して立ちあがる。

 止められなかったり、一緒に行くとか言われなかったのは、やはり気づかれているからなのだろうか。深山さんのあとを追おうとしていることを。


 とりあえず、覗き見だけはされないように気をつけないとな。

 そんなことをする友人たちではないだろうけど、念のために背後に注意を向けながら屋上へと急ぐ。

 屋上へと出たときに広がった景色は、昨日とまったく同じ。

 青い空に、灰色のコンクリート。そして、日陰の段差に腰かけている深山さん。

 昨日とひとつ違うのは、まだ深山さんが弁当箱を取りだしていないこと、くらいだろうか。


「……えっと、お待たせ……でいいのかな?」


 家にいるときの表情で、にっこりとうなずいてくれる深山さん。


「……うん、待ってた。隣、どうぞ……」


 勧められるまま、昨日と同じ場所に腰を下ろす。風に乗って届いてくる、深山さんのいい香り。

 二人同時に弁当箱を取りだし、「いただきます」と手を合わせる。

 そんな、なんでもないことすら楽しく感じられるのは、僕と彼女が『恋人同士』になったからなのだろうか。

 二人の距離は、深山さんが僕の家にやってきたときと比べて、間違いなく縮まっているとは思うけど。


 弁当箱の中身は、卵焼きにタコの形に切ってあるウインナーにと、とにかくカラフルなものだった。一目見ただけで手が込んでいるとわかる。

 というか、タコさんウインナーなんて初めて見たよ……。


「朝からこんなに手の込んだものを作るのって、すごく大変だったんじゃない?」


「ううん、お弁当のことは、昨日の夜にお母さんに頼まれたから。だから、内容を考える時間も用意する時間も、充分あった。早起きも苦手なほうじゃないし。……それより、どう?」


 少しだけ不安そうな瞳を向けられ、さっそく卵焼きを頬張る。


「……うん、美味しい。……えっと、味がちゃんとついてるっていうのかな、本当、美味しい」


 実は、あまり味なんてわからなかった。

 感動と緊張、きっとその両方のせいだろう。

 でもなにか言わなきゃと焦って、タコさんウインナーにも手を伸ばし、口の中に放り込んでから、僕は再び口を開いた。


「これも美味しいよ。ちゃんと中まで火が通ってて、固さがちょうどいいって感じ? うん、とにかく美味しい」


 正直、自分の語彙ごいのなさにちょっと呆れる。

 でも深山さんは「よかったぁ」と微笑んで、自分の弁当にも箸をつけ始めてくれた。


 それからも、美味しい美味しいと繰り返しながら食べ続ける。

 実際に美味しくもあったけれど、それ以上に僕の胸にあったのは、黙々と食べているのは失礼ではないか、という思いだ。

 せっかく一緒にいるのだから、もっと色々と話すべきなんじゃないかって、そんな、焦りにも似た気持ちが湧きあがってくる。


 そんな焦りを見透かされたのだろうか。

 くすくすと笑いながら、けれど僕の話には乗ってきてくれる深山さん。

 話題にしたのは空に漂う雲のことで、正直、心の中では、退屈させてるんじゃないかって気持ちばかりがあったけど。

 それでも、


「そうだね。あんなふうに緩やかに生きることができたら、きっと、とても幸せ。大変なことがあっても、それをよしと受け入れて、流されるままでも、幸せな気持ちでいられるんだろうね」


 なんて、深山さんは呆れることなく笑顔で返してくれる。

 そんな彼女に、心底ホッとさせられる僕。

 好きな人と一緒にいるだけで幸せって言う人の気持ちが、いまならなんとなく理解できる気がする。


「……あ。堀口くん……その……あ~ん……」


 唐突に、僕に向かって彼女の使っている箸が差しだされた。挟まれているのはグリーンピース。

 基本、すごい恥ずかしがり屋だというのに、この娘はときどき、とんでもない直球をほうってくる。


「……ごめん。僕、グリーンピース苦手なんだ。もちろん食べられないわけじゃないけど、自分の分だけで、今日はもう許容量いっぱい」


 密かに心の中で戦慄せんりつしながら、恥ずかしさのあまり、そう返してしまう僕。

 そういうのを期待している部分は確かにあったけど、しかし、いざやられてみると想像を遥かに上回る気恥ずかしさがあった。

 しかもこれ、よく考えれば間接キスみたいなものなんじゃあ……?

 彼女も同じことを思ってはいるのだろう、ちょっとだけ頬が赤くなっている。

 けれど、赤くなった頬はそのままに、深山さんはちょっとだけ肩を落として、


「……残念、こうすれば代わりに食べてもらえるかと思ったのに。……どうしても、ダメ?」


 そして向けられるのは上目遣い。……そ、それはダメだって!

 それに、どうも本気で残念がっているのが、雰囲気でわかってもしまった。

 うう、やっぱり拒否しちゃいけない場面だよなぁ、ここは。


「……いや、ダメじゃない」


 そう短く返し、だらしなく「あ~ん」と大口を開ける僕。きっと、まぬけ面になっているに違いない。……どうか、人が来たりしませんように。

 嬉しそうに微笑み、そっと箸を僕の口に近づけてくる深山さん。

 頃合いを見計らい、その先っちょをくわえるように口を閉じる。

 『なんちゃって』と引っ込められるようなことはなく、グリーンピースは僕の口の中へ。ちなみに、この緑色の豆が苦手なのは本当だ。

 だというのに、僕の口から箸が離れたところで、彼女は嬉しそうに、


「もう一個もう一個」


 なんて、さらにグリーンピースをつきつけてきた。

 こればかりは「ダメ。ちゃんと自分で食べなきゃ」と僕も拒否。でも、彼女を悲しませないよう、言葉をつけ加えることにした。


「他のものだったら、大歓迎だから」


 それに深山さんは表情を輝かせ、弁当箱の中にあるグリーンピースをひょいひょいと幸せそうに口の中に運んでいき、代わりとばかりにミニサイズのブロッコリーを差しだしてきてくれた。……って、グリーンピースが嫌いって嘘だったんだ!? いや、よくよく考えれば、嫌いとは一言も言ってなかったけどさ。

 そんなわけで、断ることなんてもちろんできず、おとなしく再び口を開ける僕。


 そんなふうに気恥ずかしくも穏やかに食事を終えると、深山さんが、持ってきていた水筒と小さめの紙コップを二つ取りだし、烏龍茶を二人分淹れてくれた。

 それを口に含みながら、目が痛くなるくらい晴れ渡った空を見上げる。

 まったりとしながら交わす会話の内容は、昨日から保留状態となっている試験勉強のことに移っていった。


「どう? 深山さん。孝広たちと話はしてみたようだけど」


「うん。……堀口くんは、どのくらいのことを聞いてるの?」


「全然なんにも。話の内容は深山さんから聞いてくれって、その一点張りだった」


「……釘、差しすぎちゃったかな」


「たぶん難易度が高かったんだと思うよ? 察するに、深山さんがどんな返答をしたのか、先に僕が知っちゃったらアウトって感じだったんでしょ?」


「まさにそのとおり。……でも、この感じなら問題ないみたいだね。――受ける、試験勉強の誘い」


 なんか、すごくあっさりとオーケーの返事をもらえてしまった。……これでいいのか?


「もともとね、昨日の放課後、天宮さんたちと話したときに『参加する』って言ってあったの。……もちろん、わたしがそれを堀口くんに言う前にバラしちゃったら、参加は取りやめとも言ったんだけど」


「ははっ。そりゃ、本当に難易度が高い。……でも、よかった。僕の望むベストな結果に落ちついてくれて、本当によかった」


 と、そこで紙コップの中身が空になる。

 もともと、やや小さいサイズの紙コップだ。これだけで足りるはずはなく。

 でも、深山さんにおかわりを頼むのはどうだろうか。

 ずうずうしいって、嫌な顔をされたりはしないだろうか。

 ……うん、ここはやっぱり、自分でやるべきかな。


「深山さん、ちょっとごめんね」


「え……?」


 水筒は、彼女を挟んだ向こう側に置いてある。

 自然、深山さんの身体に少しだけ覆いかぶさるような感じに。


「あ、あの……?」


 ……って、ああ、これは間違いなく僕の不注意だ。

 その体勢のままで彼女の声がするほうに振り向くと、目の前には真っ赤になった深山さんの顔が。

 唐突に早まる心臓の音。


「ごっ、ごめん!」


 深山さんから慌てて離れ、元いた位置に座りなおす。

 けれど、早鐘を打つ心臓はそのままだし、彼女の顔の紅潮も収まらない。

 少しの間、そうしてお互い沈黙。

 けれど、それも深山さんの行動に破られた。


「……っと、深山、さん……?」


 寄りかかってきたのだ。彼女が、僕の肩のあたりに。

 すごくやわらかい身体の感触を、左半身に感じる。

 伝わってくるのは彼女の温もりと……かすかな震え?


 少しだけ不思議に思って、そちらを見る。

 すると、顔だけをこちらに向けて瞳を閉じている深山さんの姿が、僕の目に飛び込んできた。

 ただでさえ早かった心臓の鼓動に拍車がかかる。


 ああ、これ以上動悸が早くなるのは……よくないんじゃ、ないかなあ。

 そんなことを、どこか冷静な頭が考えるも、しかし、僕の視線は自然と彼女の口許に吸い寄せられた。

 ほんの少しだけ開かれた、淡いピンク色の唇。

 お互い、緊張から震えてはいるけれど、それを望む気持ちもある。


 そう思えたから、僕は姿勢を正して彼女の両の肩にそっと手を乗せた。

 驚いたのか、ちょっとだけ肩が跳ねはしたけど、抵抗の色は感じられない。

 それに安堵し、彼女の唇に自分のそれを近づける。


 もしかしたら、それはままごと遊びのように感じられたかもしれない。

 その程度のことでなにを緊張してるんだって、笑われるようなことなのかもしれない。

 でも、それが……ただ合わせるだけの初めてのキスが、僕――いや、僕たちにとっては、とても大事で。だからこそ、緊張もするわけで。

 なにより、その余裕のなさを、目の前の少女は笑わずにいてくれるから。

 おそるおそる、震えながら、僕は彼女との距離を限りなくゼロに近づけて――


 ――ガツンッ!


 ……ぶつかった。

 情けないことに、格好悪いことに、歯と歯がぶつかった。

 そういえば、キスのときは顔を傾けるものだって、なにかの本に書いてあったのを読んだことがある。

 ああもう、緊張しすぎてそんなこと、頭の中からすっかり抜け落ちてしまっていた。

 ……いや、そんなことよりも、だ。


「深山さん、大丈夫!?」


 自分の唇には、ザックリと切れた感触。

 少量ではあるけれど、間違いなく血が出ている。

 つまりそれは、彼女も同じということで……。


「ら、らいひょうふ……」


 なんか、あんまり大丈夫じゃなさそうだった。いや、意識はしっかりしてるようだけど。

 それに……ああ、やっぱり深山さんの口許にも血がついちゃってるよ。

 深山さんにとっての、おそらくはファーストキスだっただろうに、本当、僕はなにをやってるんだか……。


 急いでポケットからハンカチを取りだし、彼女の口許を拭う。

 それが深山さんにとってはフォローになったのか、「えへへっ」と笑ってくれた。

 それにつられて、僕も笑う。


 せっかくのいい雰囲気をぶち壊すような大失態を犯したというのに、それでも彼女はやわらかく、温かく、幸せそうに笑ってくれたのだ。

 それが僕の心も温かくしてくれた。

 失敗を、失敗と思わなくていいんだと、教えてくれた。


 ――ああ、いい娘だな。


 そんな、彼女を愛しく思う気持ちが、じわじわと心に広がっていくのを感じる。

 今日、何度も感じた『幸せだな』っていう感情。

 それを、いまこの瞬間、特に強く感じる。

 それが、僕の心を満たしていくのを感じる。


 とんでもない『失敗』をしてしまい、ファーストキスは血の味、なんてことになってはしまったけれど。

 そのあとにも『彼女』とこうして笑いあえたのだから、これは普通に『成功』を収めるよりも、ずっとずっと価値のある『失敗』だったんじゃないかなって。

 彼女と笑みを交わしあいながら、僕は、そんなことを思ったんだ――。

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