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第五話 同居人の初講座

 深山さんが帰宅したのは、桜井たちが帰ってから一時間ほどが経過した午後五時ごろのことだった。

 リビングに入ってきたところでその姿を認め、声をかける。


「おかえり、深山さん」


「……あ、た、ただいま……」


 もうすっかり暖かいし、屋内にいたはずだから、体調を崩したってことはないと思う。

 けれど、なぜか彼女は頬を赤くしていた。……うつむいているのは気にならないんだけどさ、もはや、それが自然にすら感じられ始めているから。


「タイミングよく帰ってこれたね。やっぱり、魔術で桜井たちが帰ったのがわかったの?」


「うん。探知サーチ系の術を使って。……あ、でも、お母さんがこの家に張った結界を用いたわけだから、この場合は結界ゾーン系なのかな? このあたり、魔道士うちでも曖昧にされてるんだよね……」


 そう言って、苦笑ではあるけれど笑顔を向けてくれる。

 嬉しく感じて、僕も笑みを返した。


「ケンカで正面からぶつかっていったときの、肘が入ったんだからいまのはエルボーだ! いやいや、それはたまたまで、これは単なる体当たりだ! みたいな、そんな感じの曖昧さ?」


「そうそう、そんな感じ。両方とも使ってるんだから、どっちにも属してるのにって、そういう感じ。魔道士はすぐに単一たんいつの分類に分けたがるから。……研究者のサガってやつなのかな」


「魔道士って研究者なんだ?」


 そんな僕のなにげない問いに、彼女は人差し指を口許に持っていき、天井に目を向ける。


「う~ん、研究者っていうか、学者っていうか。このあたりも曖昧。とりあえず『賢い人』って感じ。でも学会から支給されるお金は、研究費用って呼ばれてるんだよね。……やっぱり、研究者なのかな?」


 そこで深山さんは僕の隣のイスに座り、首を傾げて訊いてきた。


「ところで、桜井くんたちの用事って、なんだったの? やっぱり人捜し?」


「うん、たぶんそうだったんだと思う。実は義母さんに許可をもらって、僕も同席させてもらったんだけどね、後半は正直、なにについて話しているのかさえ、よくわからなかった……」


「ふふっ。それはしょうがないと思う。堀口くんはまだまだ駆けだしだもん。お母さんと守護者ガーディアンの人間たちの会話を問題なく理解されちゃったら、わたしの立つ瀬がなくなっちゃう」


「それは、教えることがなくなっちゃうってこと?」


「それもあるし、同席したのがわたしだったとしても、どこまで理解できるか自信ないから……」


 魔道士……というか、裏の固有名詞については、深山さんもまだまだ駆けだしってことなのだろうか?

 だったら、足並み揃えて一緒に憶えていけたらいいな、なんて思う。


「そうそう、堀口くん。わたしの魔術講座は今日の夜……昨日ぐらいの時間じゃ遅いと思うから、九時半からぐらいでいいかな?」


「了解。父さんが帰ってくるのは大体、七時半ぐらいだから、それから晩ご飯を食べて、できるなら、二人ともお風呂も済ませちゃってからって感じで。……場所は僕の部屋でいいんだよね?」


 昨日がそうだったのだからと、軽い気持ちで尋ねてみたのだけれど、隣から返ってきたのは沈黙。……あ、あれ?

 耳を澄ますと、確かに聞こえる、深山さんがぶつぶつと呟く声。


「あうぅ……。お、お風呂に入ってから、そのあとに……」


 顔は真っ赤。

 そして、彼女の考えてることを察し、僕も赤面してしまった。

 あちゃー、よくよく考えてみれば、そりゃ意識もするよなぁ。ナチュラルに男の部屋に誘われちゃあ。しかもお風呂上がりに、なんだからなおさらだ。、


 しかし、逆に『深山さんの部屋で』なんて言っていたらどうなっていただろうか。僕、一緒に暮らすのに問題ありって烙印らくいんを押されちゃってたよね? 彼女に。

 やっぱり僕の判断は間違ってなかったと自信を持っていえる。だから謝ることはしない。

 しないのだけど、やっぱり悪いことをした気には、なってしまうわけで……。


「……えっと、リビングとか、人目につく場所でやる? 父さんの監視は、義母さんに頼むなりしてさ」


 我ながら、肉親相手になんて酷い言い草だろう……。

 でも、それくらいしか手はないと思うわけで。


「あ……っ、う、ううん! 堀口くんの部屋でいいよ……! うん、うん……堀口くんの、部屋のほうが、いい……」


 段々と小さくなる声で、けれどハッキリとそう口にする深山さん。……うわあ、なんかもう、首まで真っ赤になっているよ、彼女。

 ともあれ、深山さんが覚悟を決めたのなら、ここで恥をかかせるわけにはいかない。……や、恥っていっても、単に突っ込んではやらないほうがいいってだけだけれども。

 そんなわけで、サラッと了承の意を示す僕。あくまでも冷静に。意識なんて微塵もしてない、というふうに。


「ん、わかった。じゃあ、今夜、僕の部屋で」


「……うん。至らないところは多々あると思うけど、よろしくお願いします」


 そういう言い方はやめてほしい。

 ちょっとした期待……もとい、変な妄想が膨らんでしまうじゃないか。

 落ちついて、落ちついて。心はあくまで平静に。


 ……そう、相手は義理とはいえ僕の姉なのだから。

 だから、異性として意識するほうがおかしいのであって――


「なになに? 二人で秘密の話? 今夜のこと? いかがわしい話?」


 興味津々といったふうに首を突っ込んできたのは義母さんだ。

 僕と深山さんは、ついつい同時に強く返してしまう。


「違いますっ!」


「違うよぅっ……!」


「あれ、違うの? 私はてっきり、今夜から綾の魔術特訓が始まるんだとばかり」


 いや、それはそのとおりなんだけど。


「義母さん、いかがわしいことするのかって訊いてきたじゃないですか。そんなことをするつもりは全然ないって言ったんです」


「そ、そうそう……!」


「ほほ~う、……ふふ~ん、……へへ~え。つまり、明くんも綾も、そういう展開になる可能性を微塵も考えてない、と? じゅんだねぇ」


「う、いえ……。微塵もってわけじゃ、ないですけど……」


「うむ、素直でよろしい。実際さ、私に言わせれば、明くんが昨夜、問題なく眠れたってだけでも驚きなのよ? 普通、意識して眠れなくなったりとかするでしょ、同い年の女の子が隣の部屋で寝てたらさ」


「まあ、そのとおりではあるんですけどね……。でもまあ、昨日は疲れのほうが勝ったのかな、と……」


 それに納得したようにうなずき、次に義母さんは深山さんへと話の矛先を向ける。……助かった、とちょっとだけ安堵。そして頑張れ、深山さん。


「綾は昨日、なかなか眠れなかったって言ってたわよね? 朝、明くんがリビングに来る前にさ」


「う、うん……」


 ああ、気圧されてる。

 昼の桜井じゃないけど、義母さんって確かに、ある種の『最強』感があるよなぁ。


「だというのに、夜、男の部屋に招かれて、その誘いを、その気がまったくない状態で受けちゃうと? まあ、明くんだから大丈夫って気持ちがあるのかもしれないけど、男って基本、夜はオオカミになるものよ? いやいや、私の経験で言わせてもらえば、明くんくらいの歳の子なんて、年がら年中、女の子の身体のことしか考えてないものだって。間違いない!」


 その言葉に、キッと義母さんを睨みつける深山さん。

 彼女って、ちょっとだけ内弁慶うちべんけいなところがあるよなぁ。そんな失礼なことを思ってしまう。


「お母さん、それはいくらなんでも、堀口くんに失礼」


「む、確かにそれはそうか。でも実際問題さ、ちゃんと心の準備くらいはしておいたほうがいいと思うよ? 間違いを起こさないためにも」


「……わかってる。それは、ちゃんとわかってるから。間違いなんて起こさないし、起きない。……ね? 堀口くん」


「う、うん! そりゃもちろん!」


 浮かない表情の深山さんに、慌ててうなずきを返す僕。

 だって『ごめんなさい、ちょっと自信ないです』なんて間違っても言えないし。


 でも……そうなんだよなぁ。夜の九時過ぎに、お風呂上がりの黒髪ロングな美少女と、部屋で二人っきりになるんだよなぁ。

 深山さんの中では『先生と生徒』みたいな感じで捉えてるから、そこまで意識はしてないのかもしれないけど、こっちは……。

 ……って、いやいや、なにを考えてるんだ、僕は。彼女だって充分すぎるほどに意識してたじゃないか。むしろ、僕よりも先に意識してたじゃないか。

 と、少しばかりもんもんとしてきた僕の耳に、深山さんの小さな声が聞こえてきた。


「間違いは、絶対起きないよ。……うん、『間違い』は」


 …………ええと、じゃあ、なになら起きるというのでしょうか? 深山さん。


 いやいや、落ちつけ! 冷静になれ!

 いまのに深い意味なんてない! そうに決まってる!

 大事なことだから二回繰り返しただけだって!!

 義母さんは僕たちを交互に見てから、ニヤニヤと笑い、


「そう? ならいいけど。――さて、じゃあそろそろ晩ご飯の準備にとりかかるとしますかね。……あ、精のつくものがいい? すっぽんの買い置きはないけど」


 その言葉に「ぶっ!?」と吹きだす。

 隣では深山さんも怒り心頭といった様子で、


「もう、お母さんってば……!」


 と頬を赤らめながら怒っていた。

 おまけに、義母さんがキッチンに行ってからは「……まったく。お母さんってば、本当にまったく……」と呟く始末。


 しかし、義母さんのやりたいことはどうもわからないな。

 単純に考えてしまえば、僕たちの仲を取り持とうとしているようにしか見えないわけだけど、僕たちは義理でも姉と弟。昨日からそうなったのであっても姉と弟。よって、義母さんが色恋沙汰に発展させようとなんて、するはずがないわけで。

 つまるところ、こうやってからかうことで楽しんでいるか、好き合ってはいけないと暗に釘を差しているかのどちらかなのだろう。


 やがて、父さんが帰ってきて、皆で夕食。

 それが終わると、僕、深山さんの順でお風呂に入る。夜に一緒に勉強をすると言い、入る順番は変えてもらった。もちろん『魔術講座』という言葉は使わない。

 ちなみに、僕が風呂から上がって、深山さんが入ろうとしたときに、


「あ、綾~! 昨日のうちに言っておこうと思ったんだけどさ。明くんの次だからって、湯船のお湯を飲んだりしちゃあ、ダメだからね?」


 なんて、ニンマリしながら義母さんが注意を飛ばすという一幕があったりもしたり。

 激怒とまではいかないまでも、それに深山さんが怒ったのは言うまでもない。……気のせいか、怒りながらも、なんかすごくあたふたしていたけれど。

 まあ、どう考えても冗談の類だ。僕が入った風呂の残り湯を飲むなんて行為は、深山さんからしてみれば罰ゲームの域だろう。

 ふと立場を逆にして、僕だったらと考えてみた。……ええと、まあ、それに関してはノーコメントということで。


 そして、深山さんによる僕のための魔術講座の時間が……言い方を変えれば、二人っきりで過ごす夜がやってくる――。





 時刻はぴったり、午後九時半。


「……まったく。お母さんは、本当にまったく……」


 昨日と同じ、上下とも白のパジャマ姿で僕の部屋にやってきた深山さんは、開口一番、そう呟いた。

 その手には、大きめの茶色い紙袋。お風呂から上がったばかりだからだろう、ほんのりとピンク色に色づいている頬のままで、その紙袋をベッドの上にそっと置く。

 それでもギシッときしんだ音を立てるベッド。その音にあらぬ妄想をかきたてられ、思わず緊張してしまう。

 それをほぐすため、僕はあくまでも気楽なふうを装って、冗談を飛ばしてみた。


「ところで……飲んだ?」


「……っ!? 飲んでない飲んでない飲んでない……! 本当、今日は飲んでないから……!」


 顔の前で手をぶんぶんと振り、めちゃくちゃ慌てる深山さん。……え、あれ? この反応って、もしかして、昨日は……ってこと?

 いやいやまさか、と首を横に振り、無言で手を縦にして、『ごめん』の仕草。

 幸い、それだけで彼女は落ちつきを取り戻してくれ、苦笑をひとつ見せて許してくれる。

 それから「さて」とベッドの上に腰を下ろし、紙袋から魔法の品マジック・アイテムと思われるものを取りだした。


「……まずは、これ」


 彼女の手の中にあるのは、僕だって勉強のときによく使っている付箋ふせんの束。ちなみに、色は白。


「これを使って、明くんにはどの魔術系統まじゅつけいとうが一番向いているのか――つまり、明くんの魔術属性を調べる。……一枚、取って」


 促され、少しだけ震える手で、ぷつっと切る。いや、だってさ、魔法の品って高価そうじゃん。手つきも慎重になっちゃうってものだよ。

 と、付箋の色が、みるみるうちに青に変わった。……いや、これは青というよりは、水色?


「ふむふむ、明くんの魔術属性、ひとつめは『水』、と」


「え、いまのでもうわかっちゃったの? それにしても、なんか地味というかなんというか……。『受容じゅよう』とか、そういうのを期待してたんだけどな」


「『受容』なんて属性持ってる人、現代にはまずいないよ……」


 向けられる苦笑。

 それに僕はちょっとだけ得意げに返す。


「それが、僕の父さんが持ってるらしいんだよ、それ」


「……そ、そうなの? すごい……」


「やっぱり、すごいんだ? まあ、だから僕にもそれっぽいのがあったらいいなって……なに、これ?」


 無言で目の前に出されたのは、今度は一枚のカード。これも色は白だった。

 付箋の束をしまいながら、彼女は僕に目を向けてくる。


「……二つ目の魔術属性を調べるの。ひとつしか持ってない人はすごく稀で、ほとんどの人は二つ持ってるものだから。もちろん例外的に、三つとか四つとか持ってる人もいるんだけど」


「……そうなんだ。じゃあ、僕にも父さんみたいな属性があるかもってこと?」


「うん……。実際、ひとつ目は大抵、すいふうらいひょうこうあんの八種類のうち、どれかが該当して、個人の資質が顕著けんちょに現れる属性は二つ目以降になることが多いの。もちろん、ここでも例外はあるんだけど、ね。

 それで、今度はそのカードを、少し力を込めて握ってみて。そして目を閉じて魔力……じゃわからないかな、ええと、自分の中の『流れ』とか『動き』、それとも『意識』って言ったほうがわかりやすいのかな……それを送ってみて。目を閉じるのは意識を集中してもらうため。他意はないから……」


 もちろん、そんなことを疑ってなんかいない。

 言われたとおり目を瞑り、渡されたカードに意識を傾ける。

 ちょっとりきんでみたり、自分の中から水が流れ出てて、それがカードに流れ込んでいくようなイメージを描いてもしてみたり。

 ……まあ、自分の部屋で女の子と二人っきりという、そんな状況で目を閉じているのだから、自然、変な妄想をしてしまいそうにもなるのだけれど。

 と、おそらくはカードを覗き込んでいるのだろう、深山さんの吐息が両の手にかかるのが感じられた。


「……うん。一度、やめてみて」


 その言葉に従い、瞳を開く。案の定、僕の手の近くには深山さんの顔。カードの色が緑に変化していたり、中央になにかの模様があったりもしたけれど、それよりも彼女の顔にばかり注意がいってしまう。……うう、近い。手に吐息がかかってるよ。

 最初のうちはそんなことを思ってばかりいたけど、カードを見る彼女の表情がとても真剣なものだったからだろう、すぐにドキドキするような気持ちは消えていった。

 少しして、深山さんは表情を緩め、嘆息する。


「色は『調和』の緑に変化して、浮かび上がってきたマークはハート。……『精神アストラル』系であることは間違いないけど、でも、これってなんだろう……」


 ガサガサと紙袋から分厚い本を取りだし、ページを繰りながら、ぶつぶつと彼女は続ける。


「『受容』とかは、マークは同じハートでも、色は『包容』の青になるはずだし……、『精神』系で他者との『調和』……。ううん、候補がありすぎて絞り込めない……」


 やがて、パタンと本を閉じ、こちらに向き直る。


「……ごめんなさい。簡易な魔法の品とわたしの知識じゃ、魔術属性の特定はこれが限界。後日、お母さんに立ち会ってもらって『把握の指輪』を使わせてもらうから、それでいい……?」


 文句なんて、もちろんない。

 元の白色に戻ったカードを返しながら、深山さんに答える。


「いいよ。いいに決まってる。それに、水の属性が得意ってことはわかったんでしょ?」


 地・水・火・風の四大属性しだいぞくせいっていうのは僕が読むラノベにもよく出てくる概念だ。その段階までしかわかっていないほうが、逆にシンプルで、初心者の僕にはいいような気もした。

 しかし、深山さんは不甲斐なく感じているのか、引き続き頭を下げてくる。


「うん、ごめんね。それだけしかわからなくて……」


「本当、いいんだって! 昼間がそうだったんだけど、一度に色んなことを教えられても、僕の……いや、昨日までただの一般人だった人間の頭じゃ、とても憶えきれないから」


「うん……」


 ああ、なんかすごくしょぼくれちゃってるよ……。

 どうしたもんかなぁ。……ふむ、こういう場合は、質問でもして自尊心を回復させてあげるのが一番か?

 昨日の段階ではダメだったことも、今日の僕になら答えてくれるだろうし。


「んっと……ところでさ、深山さんの魔術属性ってなに?」


「わたしの? ……わたしはね、風と『治癒ちゆ』。だから『治療ヒール』系の術が一番得意なの。もちろん、他の系統の術もそこそこは使えるけど、やっぱり一番なのは『治療』系。逆に、苦手なのは『破壊クラッシュ』系かな……。」


「なるほど。真逆の属性って感じだもんね。しかし、そっかぁ、イメージに合ってるといえば合ってるし、でも合ってないといえば合ってないような……?」


「あ、明くん。ちょっとひどいこと言ってる」


 くすっと笑って撤回を求めてくる。……うん、これで少しは気が紛れたかな。


「ごめんごめん。ちなみに義母さんは? あ、答えられなかったら、ノーコメントでも別にいいけど」


「ううん、そんなことないよ。話していいって許可もらってる。……ええとね、お母さんの属性は火と『破壊はかい』」


「……深山さんの『治癒』とは正反対なんだ。親子なのに……」


 ちょっと意外だった。

 やわらかく微笑んだまま、深山さんは少しだけ首を横に振る。


「魔術属性って、血の繋がりによる遺伝や、肉体の遺伝情報によって左右されるんじゃなくて、個人の魂に基づいて決まってるらしいから。……一卵性双生児とかがわかりやすい例かな。双子って遺伝情報はまったく同じなのに、同じ属性を持っていることが、まずないから」


「そういうものなんだ……」


「うん、そういうもの。――それで、お母さんの属性、『破壊』の話に戻るけど、同じ『破壊』にも種類があってね、お母さんのそれは、厳密に区別すると『現実破壊げんじつはかい』っていうの。

 もたらす結果は『概念がいねん破壊』と似てるんだけど……うん、単純に言って、この物質界に『質量』をもって存在していながらも、実際は破壊不可能なもの……つまりは、固形状のものじゃなくても破壊できちゃうの。たとえば、火とか水とか、あと風とか、そういうの」


「――なんか、すごいね……」


 それはつまり、川として流れている水を、氷という『固形』にする過程を経ずに『破壊』するってことだ。

 はっきり言って、あまり明確にイメージはできないけど、それが至難の業だってことは、なんとなく理解できる。

 なんとなくではあれ、僕がそれを理解したのを察したのか、目の前の少女は少しだけ誇らしげな表情になった。


「そうだね。わたしは『破壊』系の術は『物質破壊』レベルのものしか使えないから、本当にすごいって思ってる。――あ、ちょっと話が脱線しちゃったね。それで、明くんが使える魔術だけど」


「あ、うん。水系の術なら僕にも使えるって認識で、いいのかな?」


「うん、そう。世界に……明くんの場合は主に、水の精霊に働きかけるための『第七言語グレイ・ワーズ』で組み立てられた、呪文の詠唱文を暗記してもらって、詠唱終了後に自身の魔力と『開放言語トリガー・ワーズ』を用いて術を発動させるの」


 そこまで言って、口をつぐむ深山さん。

 僕は次の言葉を待っているのだけれど、しかし、それが一向に紡がれない。

 ……あれ? もしかして……。


「……あの、それだけ?」


 返ってきたのは、肯定のうなずき。


「初歩のものなら、それだけ。高度なものになると、詠唱中にいんを結んだり、精霊と完全に同通どうつうしたり、魔法陣や魔法の品を用いる必要も出てくるけど。

 あ、逆にとても簡単なものだと、呪文の詠唱すらしないでいい場合もあるよ。学園でわたしが使ってる自己暗示の術とか。これは単に『開放言語』で自分の中のスイッチを切りかえてるだけだから。ちなみに、この魔術は『精神』系。たまに『増強エンハンス』系の括りにされてることもあるけど」


「なるほど、とても曖昧なわけだ」


「うん、すごく曖昧。……新人魔道士は困っちゃうよね」


 苦笑を交わしあい、二人して一度、軽く伸びをする。


「魔術の威力――魔力を高める方法はこれから話すとして……ちょっと、一息いれようか。わたし、コーヒー淹れてくるね。眠くならないように」


 そう言って、深山さんは少し早足ぎみに部屋から出ていった。

 う~ん、この授業が終わったら、すぐに寝るつもりでいるから、コーヒーよりも紅茶のほうがいいんじゃないかな、と思うのだけど、まあいいか。

 と、そこでひとつ、すっかり訊き忘れていたことがあったのを思いだした。

 戻ってきた彼女に、ベッドに座るやいなや、憶えているうちにと尋ねかける。


「そういえば深山さん、携帯電話って持ってる?」


「携帯電話……? ううん、持ってない。持つ必要を感じなかったから」


 また微妙に寂しいことを……。

 でもまあ、確かにあの学園生活なら必要ないんだろうな。


「これからは必要になってくると思うんだ、僕。学園で連絡をとる必要があるときとか、絶対にでてくると思うし。テレパシーとか使えれば別だけど、そういうのはできないでしょ?」


「できないね……。『通心波テレパシー』は魔術よりも上に位置する術――『希術きじゅつ』だから……」


 使える人がいるのか、テレパシー……。

 僕はあれ、てっきり魔術じゃなくて超能力の類だとばかり。まあ、両者の違いなんて、僕にはよくわからないわけだけど。

 それに希術っていうのも、今日、何度か聞いた覚えがあったから気になるところ。けど、それよりもいまは携帯の話だ。


「でしょ? だからさ、近いうちに携帯を持たない?」


「それで、学園でもお話しようって、そういうこと……?」


 もうお風呂から出てだいぶ経つのに、ほんのりと頬が赤くなっている深山さん。

 それにちょっとドキドキしたけど、僕が言ってるのはそういうことじゃないし、なにより、彼女の言葉を肯定したら、携帯を持つのを拒否されそうだ。

 だから、ちょっとした引っかけではあるけれど、こう返す。


「ちょっと違うかな。緊急事態のときに連絡しあえるよう、そういうのを持っておこうってこと。緊急時じゃなければ、僕からは絶対にかけないから」


 これでどうだと様子を見ると、彼女はなぜか、ちょっとだけ残念そうにため息をついて、


「うん、そうだね……。そうしようか。確かに、学園にいる間、絶対に連絡がとれないっていうのは、問題があるかもしれないし。それに、文明の産物である携帯電話なら、万が一、他の魔道士が学園にいたとしても、魔力の動きで気づかれることもないし」


「え? 魔術を使ったかどうかって、そんなもので気づかれちゃうの?」


 いや、そんなことより。


「うん。わたしもときどき、学園で魔力の動きを感じることがあるし。……わたしは学園にいる間、ずっと暗示の魔術を使ってるから、きっと他の魔道士には、わたしのことバレちゃってると思う。もちろん、そう何人もいるとは思えないけど……」


 そんなことより、彼女は知らないのか?

 あの学園がなんのために作られたのかを。

 深山さんと同じ魔道士が、あの学園にはたくさんいるはずなんだってことを。


「ちなみに、わたしがこの講座中に結界を張らないのはね、どうせ『結界を張った』ってことが気づかれちゃうから。結界を張らないで魔術や魔法の品を使えば、当然、そのことが魔道士には感知されちゃうんだけど、結界を張っても『あそこに結界が張られてる。あそこでなにかしてる』ってバレちゃうから。……バレないのは、結界の中でなにをやっているのか、だけ」


 本当に、知らないのか?

 あの学園は硝子箱がらすばこで、生徒たちはありみたいなもので。

 なにより、何者かがそれを観察してるっていうことを。


 ……知らないのなら、伝えておかないと。

 魔道士だったら、知らないことで、いつどんな危険に遭遇するかもわからないのだから。

 そのことを話すと、彼女はなにを言っていいのかもわからないという様子で、しばらく、ぱくぱくと口を開け閉めした。

 しかし、それでも落ちついてくると、さすがというべきか、冷静に状況を分析し始める。


「そうだったんだ……。なら、魔道学会の……ううん、学会に所属していない裏の人間が何人か関わっていてもおかしくない。そのあたり、聖教会は調査を進めてるのかな……。――堀口くんは魔道学会のこと、どのくらい知ってるんだっけ?」


 まだ少し混乱しているのか、そう僕に訊いてくる深山さん。


「ほとんど、なにも。知ってるのは……というか、憶えてるのは、それが魔道士の所属している組織の名前で、義母さんが賢人ゲーティア愛欲皇アズモデウスって呼ばれてたってことくらい、かな……」


「そっか。今日のうちに初歩のことをお母さんに教えてもらったわけじゃないんだね……」


「うん。詳しいことは深山さんから聞くようにって、言われた」


「そうだよね。……ええとね、魔道学会にはたくさんの魔道士が所属していて、その中でも特に優れた魔道士、いわゆるエリートは『賢人』っていう位階いかいをもらえるの。位階にはそれぞれ、ソロモン七十二柱の悪魔の名前を冠した称号があって、その称号ごとにランクが決まってる」


 ランクEXとかいう、あれだろうか。

 深山さんはコーヒーを一度、口に含み、


「ランクは、一番低いのがE。そこからD、C、B、A、Sの順に高くなっていって、ランクに応じて、支給される研究費用も高額になっていく。そして、最高のランクはEX。特定の方法で『本質の柱』に辿りついたとか、とある伝説の武器を持っているとか、そういう、魔道士としての実力とは別のところが評価されてなる場合が多いランク」


「七十二柱、か。つまり、魔道学会には七十二人もエリート魔道士がいるんだ。ランクに差があるといっても、すごい人数だね……」


「あ、それは違うの。詳しい内訳うちわけは知らないけど、位階の……確か、半分近くは空席」


「空席? 位階は存在するけど、その地位についている人はいないってこと?」


「うん。位階はね、優れた魔道士が上から順に埋めていくものじゃないの。特定の条件を満たさないとなれない、ランクEXの位階がわかりやすいかな。でも、それ以外のランクの位階も、会長である『大賢者ソロモン』に能力を認められた魔道士にしか与えられない。

 ちなみに、お母さんはランクEXの第三十二柱『愛欲皇アズモデウス』。位階につく条件は、世界に七つしかない『魔王の欠片デーモン・ピース』のひとつ『魔鞭まべんアズモビュート』を所持し、その力を引きだせること」


「そうなんだ……。あ、じゃあ、深山さんのお父さん――義母さんの前の旦那さんは?」


 そこで、なぜか意外そうな表情になる深山さん。


「え? なんでお父さんの話? もしかして、お父さんも賢人なの? お母さん、そう言ってたの……?」


「ええと、位階の名前は憶えてないけど、確かに言ってた。『紹介する賢人は、私の元旦那だ』って。ランクは、なんだったかな……」


「そっか、お父さんも賢人だったんだ……。お母さん、わたしにはお父さんのこと、なぜか話してくれないから……」


「そりゃ、離婚した相手のことだからね……」


 もちろん、それを予想していなかった僕も、大概まぬけだけど。


「そもそも、その離婚の原因だって、わたしは知らないんだよね……」


「性格の不一致とか、そういうのなんじゃないかな。魔道士は性格破綻者ばかりだって、桜井が言ってたし」


「性格破綻者……。まあ、あながち間違いではないかもしれないけど」


「えっ……心当たり、あるの? 義母さんのことで。その性格破綻者だって言われる、心当たり……」


「うん、ある……。でも、お母さんのそういうところは、そういうものと割り切ってるから、わたしは」


 なんとも奥歯にものの挟まった言い方をする。

 でも、それ以上は訊かないでほしいと、深山さんが全身で主張しているのが感じ取れたから、僕はそこで追及の手を引っ込めた。彼女を苦しめるのは、あまりにも僕の本意じゃない。

 と、深山さんは枕元にある時計に目をやって、


「――もう十一時……。時間経つのって、早いね」


「あー、そうだね……」


 同意する僕。

 そして、そこでやめておけばいいものを、調子に乗ったこの口が、ついつい勝手に動いてしまった。


「……深山さんと話してると、本当、あっという間に時間が経っちゃう気がするよ」


「えっ……」


 ぼっと真っ赤になる彼女。

 ああ、これはさすがに僕でもわかる。

 その頬の赤みが、風呂上がりだからとか、そういうことに起因してるんじゃないってことくらいは。


「えっと、堀口くん。わ、わたし……その、わたしっ……」


 もじもじと、深山さんがうつむいて言いよどむ。

 それに僕は、ごまかすように、ついどうでもいいことを口走ってしまった。


「あ……っとさ、そういえば、義母さんから、お互いの呼び方のこと、言われてたよね? あれから僕、ずっと考えてたんだけど」


 嘘だ。

 そんなの、一度も考えたことなんてなかった。

 いま、とっさに口から出てきているだけの、完全にでまかせの言葉。

 けど、止まらない。

 一度出た言葉は、勝手にその続きを引きずりだす。


「やっぱり、名前でっていうのはハードル高くて、さ。だから、考えたんだけど……『姉さん』って呼ぶのはどうかな、と……」


「――――」


 その言葉に、深山さんの顔が蒼ざめる。

 あかから、あおへ。

 あまりにも、対極の色への移行。


 それは、あまりにもゆっくりで。

 けれど、だからこそ、止められなくて。

 そして……深山さんが、口を……開いた。


「それは……やだ。絶対に、やだ……」


 やだ、と。

 それだけを、繰り返す。


「やだよぅ……。それだけは、本当、やだ……」


 その言葉こそを一番恐れていたのだ、とでもいうように。

 ゆるゆるとかぶりを振りながら立ちあがり、コップを手に持ったそのままで、後ろ歩きで、部屋の出口へと歩を進める。

 一歩ずつ。

 ゆっくりと。


 それはまるで、僕の後ろにいる、なにかの影に怯えているかのように。

 あるいは、お化けに出会ってしまった、震える幼子おさなごのように。

 そして、そんな彼女に、僕は、かける言葉を見つけられなかった。


 口からでまかせだった言葉。

 なにかをごまかすように発した言葉。

 それが彼女を……彼女の心を、傷つけてしまったのだと。嫌というほど、理解できてしまったから。


「……ごめん、なさい。今日は、ここまで、で……。……荷物は、そこ、置いといて……。明日も、ちゃんと、やるから……。やりたい、からっ……!」


 少女の持っていたコップが、床に落ちる。

 割れはしなかったけど、中身が飛び散り、なかなかに悲惨なことになってしまった。


「ごめんなさいっ……!」


 最後に、少しだけ大きな声でそう残し、深山さんは部屋から出ていった。

 一体、なにがいけなかったのか。

 あの言葉の、なにがいけなかったのか。

 その答えなんて、本当は予想がついているのに。


 それなのに、僕はずっと。

 ベッドに座ったままの姿勢で、ずっと。

 開いたままになっている扉と、その向こうにある暗闇を。

 ただ、見るでもなく眺めていた……。

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