第三話 同居人との微妙な距離感
翌朝。
リビングに入るところで、深山さんと義母さんがなにやら話をしているのが聞こえてきた。
「うん、そんなわけで、魔法の品をいくつか貸してほしいなって」
「まあ他ならぬ綾の頼みだから、いいっちゃあいいんだけどね、でもなんでもホイホイ貸せるってわけでもないわよ? そのへんはわかってる?」
内容は子をたしなめる親のそれなのに、口調が軽い。軽すぎるよ、義母さん。冷徹なんてイメージからはほど遠いよ……。
深山さんも、かなり気楽げに、
「わかってるわかってる。今日のところは、明くんの魔術属性を特定できればいいんだから」
「いや、だからさあ……。その類の魔術品も、貸せるものと貸せないものがあるんだって。貴重なものは本っ当に貴重なんだから。特に『把握の指輪』なんて絶対に貸せないし。あれ、スペリオル聖教会でも滅多に複製されないから、魔道学会では賢人しか持ってないのよ? 学会に所属してない人間や、守護者とかも持ってるのかまでは知らないけどさ」
「あれ? 『把握の指輪』ってそんなに貴重なものだったの?」
ちょっと意外そうな深山さんの声。
義母さんは僕からでも、腕組みしながら深くうなずいているのがわかるような声音で、
「それはもう、とてもとても貴重。なんてったって、指に填めただけで、ぱぱっーとその人間の魔術属性がわかっちゃうわけだからね。まったく、そういうものこそ優先的に複製してほしいってのにさ。希少性の高さが価値に繋がるだかなんだか知らないけど、本当、聖教会はケチなんだから」
「まあ、学会と聖教会は昔から仲悪いから、複製品を売ってくれるだけでもありがたいんだけどね……」
「ふん、万人に救いを与えようってな組織なら、タダでくれてもいいと思わない?」
「あう~……、それは、さすがに……」
「そんなわけで、貸すのは初心者向けの簡易なものになっちゃうけど、とりあえずはそれで我慢してね、綾。明くんの魔術属性がそれで特定できないようだったら、私の立会いのもと、『把握の指輪』も使わせてあげるから」
「あ……! うん、ありがとうお母さん!」
「いえいえ、どういたしまして。まあ、最初から『把握の指輪』使わせりゃいいじゃんって気持ちもあるけど、私としては、綾と明くんが二人きりで過ごす時間を邪魔したくないからさ~。馬に蹴られて死にたくはないっていうか」
「も、もうお母さんったら……」
「それはそうと、そろそろこっちに来なさいな、明くん。……隠れて盗み聞きしてるのは、とっくの昔にわかってるんだぜ? ベイベー」
「えっ……!?」
驚いたような深山さんの声。
え、でも、マジで? 本当にバレてたの……?
「へいへ~いっ、出て来い少年! 魔道士たちの会話を盗み聞きした者がどうなるか、その身にこれでもかってくらい教えてやるぜ~っ!」
……冗談、だよね?
額に軽く脂汗をかきながら、僕はリビングに足を踏み入れる。
「うむ、おはよう。……明くんからしてみれば、昨日からいきなり同じ屋根の下にクラスメイトの女の子が住むことになったわけだけど、ちゃんとよく眠れた?」
なんだろう、このいたって普通なテンション。
やっぱり、いまのは冗談で、僕がいるのに気づいたのも、本当についさっきだったのだろうか。
「あ、ちなみに。綾はどうか知らないけど、私のほうはきみがリビングの入り口にやってきたところから気づいてたからね。せっかくなので、いくつか同類にしか話さない内容を入れてみました。賢人とか、守護者とかのね」
「義母さん、なんでまたそんなことを……?」
「ん、綾に師事するってんだから、早いうちに仲間意識もっておいてもらおうと思って。ちなみに、仮に明くんが一般人のままだったら、リビング前に立ったところで会話を中断して、きみに警告のひとつも発してたからね?」
「また怖いことを……」
思わず呟いてしまう僕。
義母さんは、座れとばかりに深山さんの隣のイスを軽く引いて、
「なに言ってるの。盗み聞きに気づいたと同時、攻撃する魔道士だって世の中にはたくさんいるのよ? 実際、私も最近までは……いや、ある意味では、いまだってそんなだし。なんにせよ、警告程度で済ますのは手ぬるいほう。
……あ、もちろん翔太さんにも秘密にしてることは多いから、あの人とはできるだけ、こちら側の話はしないようにね?」
「了解です、気をつけますです。……でも、万が一話しちゃった場合は、どうなるんですか?」
イスに腰かけながら、ふと興味が湧いて尋ねてしまった。
返ってきたのは冷たい微笑。
「この手で翔太さんを消さざるを得ないわね。……ってこらこら、顔、真っ青にしないの。冗談に決まってるでしょ、冗談に。相手は明くんのお父さんで、私にとっての愛しい愛しいマイダーリンよ?
真面目な話、そこの記憶だけ消すことになるかな。……いや、それは通用しないんだったっけ。頭の痛い話だわ……」
本気で困ったように頭を抱え、義母さんは一度、キッチンのほうに引っ込んだ。
なので、隣に座る深山さんに僕は訊く。
「いまの話、なんで記憶を消すのが通用しないの? それで丸く収まる感じがするんだけど」
「え? あ……えっと、ね? 人間の記憶って連続してるから、そこだけ抜きだして消しても、なにかの拍子に思いだしちゃうことがあるの。記憶を消去っていっても、基本、魔術で消せるのは個人の記憶だけで、『世界に記録された事柄』は残っちゃうから。
仮にその問題が解決したとしても、周囲の人間が『あのときのことをどうして憶えてないの?』って聞きだしたり、場合によってはそのときの行動を調べられたりして、結果、本人の記憶はないままなのに、話した内容そのものは判明しちゃう場合もあるし。……人間は、他の人の記憶の欠落に敏感だから」
と、そこで紅茶のカップを片手に義母さんが戻ってきた。
「明くんだって、友達が記憶失ってたりなんてしてたらさ、どこでなにをしていたかとか可能な限り訊きだして、時間の空白を埋めてあげようって思うんじゃない? 善意から。それが記憶を消去した側にとっては不都合に働くわけね。
もちろん、希術『記憶封印』っていう、個人の記憶から『アーカーシャー』――『世界の記録』のほうに繋げていって、違和感なく記憶を封じ込める反則的な術もあるわけだけど、それだって本人が思いだしちゃう可能性がゼロってわけでもなし。……結局、もし翔太さんにバレたら、あの人の意思ガン無視して、こっちの世界に引っ張り込むしか、解決手段はなかったりするのよね」
父さんなら、割と問題なく受け入れそうな気がするんだけどな、その状況も。
同じことを思っていたのだろう、義母さんは少し困ったように続ける。
「まあ、それはそれでアリって気もするんだけどさ。正直、身内に隠し事をするのってしんどいし。あの人の魔術属性って、綾以上に珍しいもので、人間にとっての理想とも呼べるものだから、きっと話しても大丈夫なんだろうし。……でも、うん。やっぱり裏側の事情は知ってほしくないかな。私たちが勤めている会社も、なかなかにアレな立ち居地のところだし。あの人には綺麗なままでいてほしいっていうか、ね……」
「父さんの魔術属性? 魔術属性って、読んで字の如く『魔術の属性』ですよね? 魔道士じゃなくても持ってるものなんですか? いや、というかいつ調べたんですか? それにそれに、父さんと義母さんが勤めてる会社って、魔道士関連のところなんですか!?」
「落ちつけ、少年。まずはご飯を食べるんだ。大体、いくらランクEXの私でも、そんな一度に訊かれたら困るってもんよ。普通の人間と同じで、耳は二つで口はひとつしかないんだからさ~」
うながされて、テーブルに並べられてる料理に手をつけ始める。
今日の朝食はベーコンエッグ。簡素だけど、自分のために作ってくれたものってだけで、わけもなく嬉しくなってくる。「いただきます」と手を合わせ、食事を開始。
「で、なんだっけ? 翔太さんの魔術属性をどうやって調べたか、だったっけ? それは単純。指輪のサイズ測りたいから、これ填めてみてって言って、填めさせた。これ、人の指のサイズに合わせて伸縮する素材でできてるから。……あとは、そう。西園寺グループって知ってるでしょ?」
もごもごと口の中のものを咀嚼しながら「ええ」と答える。
「十年くらい前から、徐々に力をつけてきたところですよね。いまでは海外にも進出し始めてて、それだけに敵も多いとかなんとか」
「おお! 人って見かけに寄るんだね~! 明くん、経済事情にも詳しいんだ! いや~、話が進めやすくて助かっちゃうな~、お母さん」
「いえ、これはぶっちゃけ、父さんの受け売りだったり……」
「あら、そうなの? まあともかく、いま明くんが言ったとおり、実際に敵は多いのよ、西園寺グループ。で、大きな会社って用心棒みたいな感覚で魔道士を雇ってるところも多くてさ。そして、うちの会社は西園寺の傘下。……あとはなんとなくわかるでしょ?」
「……ふむ。つまりは、義母さんが父さんの会社の用心棒的魔道士ってことですか?」
「イエースっ! しょせん、私の『部長』なんて単なる形だけの肩書きなのさ。最近の仕事は、全部、部長補佐である翔太さんが取り仕切ってくれてるの」
つまり、名目上の上司ってことだったのか。
二人の接し方を見ていて、この二人は本当に上司と部下の関係なのだろうか? と思わなくもなかったけど、なるほど、上司と部下に見えなくて当たり前だったわけか。
と、なんのフォローのつもりなのか、義母さんが補足してくる。
「あ、でも仕事のほうも一応はやってるからね? これでも会社では厳しいことで有名なんだから。……まあ、だからこそ翔太さんみたいな緩衝材的な役割の人間が必要になっちゃったんだけど」
「義母さん、結局、仕事はできるんですか? できないんですか?」
「できるよ! もうバリバリできるよ! ただ単に翔太さんができすぎるから、ついつい甘えて、全部任せるようになっちゃったってだけ!」
う~ん、ところどころ言ってることに矛盾がある気が……。
どうも義母さん、見栄を張ろうとして、ところどころボロが出ちゃってるって感じがするんだよなぁ。
形勢不利と見てとったのだろう、彼女は「でね」と話を変えてきた。
「西園寺グループって、裏のほうでよからぬ組織と繋がってるらしくてさ~。あ、もちろん噂だよ? 実際、表ではもちろん、裏でも眉唾ものの話だから。……なんでも、陰謀論で有名な『シュテルン』ってのと関わりがあるとかなんとか」
「シュテルン……?」
初耳だった。
まあ、陰謀論とかにまったく興味ないからなぁ、僕。
「まあ、実在なんてしないんじゃね? ってのが大半の人間の意見なんだけどね~。……ところで、こんなに長々と話してて、時間のほうは大丈夫? 遅刻しない?」
「え? ええと……」
言われて壁にかけられている時計を見る。
現在の時刻、七時二十五分。
学園までは三十分くらいかかって、八時二十分までに到着できればいいから……うん、まだ余裕はあるな。
「大丈夫です。もちろん、油断は禁物ですけど。……あ、ところで義母さんのほうは? こんなにゆっくりしてていいんですか? 父さんは僕が降りてくる前に出たようですけど」
「お母さん、今日は仕事、お休みするんだって」
横から口を挟んできたのは深山さん。
「お休み? それって大丈夫なの? 父さんも昨日は休んだけど、今日は仕事行ってるのに」
「さっき言ってたように、お母さんは会社の用心棒的存在。仕事自体は、今日もお義父さんに任せるつもりでいるんだと思う。――でしょ? お母さん」
「あ、あはは……。まあね。ほら、昨日の夜、携帯に電話がかかってきてたでしょ? それで今日、ここで会うことになっちゃってさ。相手は学生だから、学校終わったあとに来るって」
学生? その人も魔道士なのかな。
そう訊いてみると、
「魔道士では……ないかな。裏の人間であることに間違いはないけど。その子はね、『賢聖』って呼ばれてる、守護者の実質的なリーダー。なかなかにいけすかない子よ? 食えないっての? できるだけ敵に回したくないタイプ。なんでも、人捜しに協力してほしいそうなのよね~。……断るけど」
「もう断ることに決めてるんですか……」
ちょっとだけ、見たこともないその『賢聖』とやらのことが哀れに思えた。
「まあ、可能な限りの協力はするつもりでいるわよ? その行方不明になってる子って、割とシャレにならないことをやったのちに消えたから。でも守護者って実質、聖教会の下部組織みたいなもんだからな~。前身が『聖教会の戦士たち』だし。まあ本人たちは、守護者って名を改めたときに聖教会から独立したって言ってるけど」
あ~、そういえば魔道学会と聖教会は仲が悪いって言ってたっけ、深山さんが。
だから守護者に対しても、あまりいい感情がないのかな?
それにしても、ポンポンと知らない固有名詞が出てくるものだ。
僕はまだ魔術を教えてもらうことを約束しただけ――いわば、魔道士見習いのそのまた見習いみたいなものなのだから、もうちょっと遠慮というか、手加減をお願いしたい。
しかし、その旨を伝えても「詳しいことは、今夜から綾に教えてもらいなさい」と一蹴されてしまう始末だった。
やがて、僕たちは朝食を食べ終え、
「そろそろ出たほうがいいかな。――深山さん、一緒に家を出るのはマズいよね? 女の子のほうが身支度に時間かかると思うから、僕が先に出発するのでいい?」
「……あ、うん。気を遣ってくれてありがとう」
そう言って、はにかむ彼女。まあ、まだ目線をしっかり合わせてはくれないけど、それも時間が解決してくれると思われた。
ちなみに、僕も彼女もすでに制服姿だ。女の子は身支度に時間がかかるとはいっても、果たして僕とどのくらい違うのだろう?
「……じゃあ、行ってきます。ご飯、美味しかったです」
「おう! そう言ってくれると作った甲斐があったってもんだぜ!」
玄関に向かう僕へ、勇ましくそう返してくれる義母さん。それに知らず笑みがこぼれた。……ああ、家から送りだしてくれる家族がいるって、いいもんだな。
……っと、そうだ。二人にひとつずつ、訊いておかないといけないことがあるな。
「あの、今日義母さんに人が会いにくる時間帯、たぶん僕も帰ってきてると思うんですけど、その時間帯は僕、いないほうがいいでしょうか?」
「うん? ああ、いいっていいって。音を遮断する術を使って、部屋から声が漏れないようにするからさ。……ありがとね、そこまで配慮してくれて。でもここはきみの家なんだから、仮に私が防音の術を使えなくても出ていくことなんてないってば。そのときは私たちのほうが外に出て、適当なところで話をすればいいんだからさ」
「そうですか? じゃあ、お言葉に甘えて。……っと、それと深山さん、ちょっといい?」
こいこい、と玄関に向かいながら深山さんを呼ぶジェスチャー。
「……えっ!? わ、わた、し……?」
「おおっ! 綾にご指名、入りました~っ! 頑張ってきなさいな、綾!」
「う、うん。頑張る。……って、もう、お母さんったら……!」
ちょっとだけ頬を膨らませて、彼女がこちらに歩いてくる。
僕も同時に歩を進め、玄関で靴を履いてから彼女に向き直った。……ここなら義母さんにも聞こえない、はず。
それでもちょっとだけ心配になり、僕は声をひそめて話す。
「深山さんは今日、どうするの? 家に来る人になら、素の性格を見せちゃっても大丈夫?」
「あ、そのこと……。えっと、ね。わたしはその人が帰るまで、本屋にでも寄ってようかなって、思ってる。正直、人捜しでやってくるお客さん、学生だっていうなら、硝箱学園の人である可能性もあるから。……というかその可能性、高いと思ってるから」
「……奇遇だね。僕も実はそう思ってる。ほら、うちのクラスには兄が行方不明になったって人がいるから……」
もちろん、まさか、と思う気持ちもあるのだけれど。
彼女は僕に同意するようにうなずく。
「行方不明になった人は、瀬川和樹って、いうんだよね。つまり、瀬川さんのお兄さん。魔道学会でも、いなくなって惜しがられてるって話を、お母さんから聞いたこと、あるよ。なんでも消息を絶つ前に、『道』を開いたとか、なんとか……」
「『道』を……。それって、かなりすごいことなんじゃないの!?」
驚きのあまり、目を見開いてしまう。
ああ、義母さんの言ってた『シャレにならないこと』ってそれのことなのか。
彼女から返ってくるのは、やはり肯定。
「すごいことだよ。だから、いなくなって惜しく思われてるの。……わたしは会ったこと、ないんだけどね。もちろん、守護者の人たちとも」
「そっか。……でも『道』を開いたってことは、瀬川さんのお兄さんも魔道士なのか?」
ということは、今日家に来る守護者のリーダーって……瀬川さんのこと、なのだろうか。
あれ? でも今日来る人は魔道士じゃないって、義母さんは言ってなかったっけ?
深山さんが首を横に振って、僕の呟きを否定してきた。
「瀬川和樹は魔道士じゃないって、お母さん、言ってたよ。たまたま『道』を開いただけの、一般人に毛が生えた程度の人間だって。……つい最近、わたしが『道』の開き方をお母さんに尋ねたときのことだった、かな……」
「そうなんだ。じゃあ、瀬川さんは候補に残る、か……」
もちろん、瀬川さん以外にも候補はいる。
彼女と仲のいい桜井とか、あとは……はるみ先輩とか。
けど、それはいま考えてわかるようなことじゃない。
「じゃあ、そろそろ僕、出るね」
「……うん、堀口くん行ったら、わたしもすぐ出るから。少し遅れて、教室に入る」
「一緒に教室に入ってもおかしくはないと思うけど、念のために、ね?」
「うん、念のために」
「……じゃ、行ってきます」
「……行ってらっしゃい」
まるで、仕事に出かけるときの新婚夫婦みたいだ。
そんな考えが頭をよぎり、ちょっとだけ言いよどんでしまう僕なのだった。
深山さんも、そんなふうに思ったのかな? いや、それはないか……。
余裕を持って学園に到着し、二年三組の教室に入る。
一瞬、話をしていたクラスメイトの視線がこちらに向いた。が、すぐに逸らされる。
……やっぱり一緒に教室に入るとかしなくて、正解だったな。
さて、まずは孝広あたりに色々と質問されるはず。なんせ昨日のうちに、親の再婚のことと自分に姉ができることを話してしまっているのだから。
それを上手くかわさないと、と考えながら席につく。
「よう、明」
まず声をかけてきたのは桜井だった。……孝広は、いない?
「おはよう。……なあ、孝広は?」
「ん? 孝広が恋しいのか? 残念、まだ来てないぜ」
「いや、恋しいとかそういうわけでは……」
早いところ話をして、さっさと終わらせてしまいたい、というだけだ。
正直、深山さんのことを上手くはぐらかせるか、そのことばかり気になってしまう。
それに、懸念はもうひとつあったりするし。
と、桜井に続いて話しかけてくる少女がひとり。
「堀口くん、おはよう。聞いてよ、今日、美月遅いんだよ~。いつも、もっと早く来てるのに。携帯に電話しても出てくれないし……」
きた、もうひとつの懸念の元、瀬川さんだ。
どうしようか、会話の中に守護者とか入れてみようか。
でも、彼女が裏の事情に関わってなかったら、逆にマズいことになるのか?
いやいや、関わっていないのなら、だからこそ大丈夫なはずだ。
CMで流れるアニソンは、オタクだからこそアニソンだと気づく。オタクじゃない一般人には普通の歌にしか聞こえない。そんなことをいつだったか、孝広に聞かされた覚えがあった。
「堀口くん? どうしたの、ぼーっとして」
「えっ!? ああいや、なんでも……っ!」
いけないいけない、どうも考え込んでる時間が長すぎたようだ。
よし、ここは自然に――
「ところで明、今日、お前の家に用事があるんだが、帰り、一緒させてもらっていいか?」
…………はい?
あまりにも直球すぎる一言を発したのは……桜井。
お前なのか? お前が今日の、義母さんの言ってた客なのか……?
平然を装い、僕は答える。
「い、いいけど、なんで……?」
「おいおい、そんな固くなるな。いや、マジで警戒しないでくれって、悲しくなるから。なんてことない、愛欲皇……っつってもわからないか、お前の新しい母親にちょっとばかし用があんだよ」
口の中はからから。
でも、なんとか言葉を絞りだす。もちろん、愛欲皇という単語がなんなのかはわからなかったけど、それが魔道学会における義母さんのことを指しているのは、きっと、間違いないと思うから。
それを口にした彼は当然、裏の事情に詳しいはずで。
「――守護者の……賢聖?」
「おお、知ってたのか! 話が早いぜ!」
僕のささやきにも近い呟きに、表情を明るくする桜井。
続いて彼は、瀬川さんを目で指して。
「でもって、こいつが剣姫で、上級生のはるみさんは黒の魔道士な? それぞれ、守護者の第七位と第十位。まあ、知ってるだろうけ――」
「えええっ!? ちょ、ちょっと待った! なにを軽々しくバラしてるのさ!」
「ありゃ? こいつらのことまでは知らなかったか? 俺はてっきり……。まあ、今日中には話すことになってたろうから、別にいいか」
「いやいやいやいや、ここ教室だよね!? こんなオープンに話しちゃってていいの!?」
「大声だすな。大声で話さなきゃバレねえもんなんだよ。だから少し声のトーン落とせ。……ちなみに、俺は第三位な?」
「第一位じゃないんだ? リーダーなのに……」
思わず突っ込んでしまう僕。
でも、そこには誰だって疑問を覚えるはずだ。
桜井は肩をすくめて、
「ははっ、よく言われる。第一位は剣帝っていう『聖剣』の使い手だよ。それと、俺はリーダーじゃない。実質的にリーダーって立ち居地にはいるけど、本当のリーダーは和樹だからな。『聖教会の戦士たち』として活動していたときも、リーダーはあいつだった」
そこで桜井は、どこか遠くを見るような目をした。
「自分で言うのもなんだけどな、守護者って個性的な奴らが揃ってるんだよ。ぶっちゃけ、俺の言うことなんて聞きゃあしねえ。殺人鬼と剣鬼、幻想殺しはその最たるもんだ。
和樹のしてたことはな、何匹もいる狂犬を首輪つけておとなしくさせてたようなもんなんだよ。それも力ずくで抑えるんじゃなく、自分から協力したいって思わせるようにして、だ。もちろん和樹自身は、そう意識してふるまっていたわけじゃなかったんだろうけどな……」
過去を懐かしむような目。
和樹って人がいなくなってからどのくらいが経っているのかは知らないけど、相当、その人のことが好きだったんだろう。
あるいは、憧れていたのかもしれない。そんな感情が、熱が、彼の言葉からは溢れていた。
と、黙ってしまった彼の代わりに、瀬川さんが口を開く。
「兄さん自身は、決して強いわけじゃなかったんだけどね。剣では私に敵わなかったし、強さ的には守護者の中でも下から数えたほうが早かったりするし。……でも、うん。なんていうんだろう、不思議な魅力がある人だった。『聖教会の戦士たち』が解散したとき、兄さんを慕って集まってくれたのが、いまの守護者メンバーだから。だからやっぱり、リーダーは兄さんなの。もちろん、兄さんの言うことを聞こうとしない守護者っていうのも、いるんだけどね」
瀬川さんも桜井と似たような目をしていた。
苗字も同じ瀬川で、紛れもない兄だから、桜井以上に慕っていたのだろう。
でも、瀬川さんのほうが強いっていうのは意外だった。まあ、剣姫なんて二つ名がついているのだから、強いんだろうな、とは漠然と思っていたけれど。
深山さんが入ってきたのが視界に入り、教室の出入り口に顔を向ける。
こちらに視線が向けられていたから、桜井たちに気づかれないよう、ちょっとだけ微笑んでみたのだけど、それはあっさりと無視された。
うん、学園での彼女は今日も無表情で無愛想。そしてなにより、颯爽としていて格好いい。
それに、なんとなく安堵を覚えた。
……あ、そういえば。
「あのさ、桜井。たとえばの話だけど、この学園には他にも魔道士……っていうか、裏の事情に詳しい人間、いるのかな?」
深山さんも魔道士であることを知っているのかが気になって、僕はそんなことを尋ねる。
彼は、なにを言ってるんだこいつは、と心底思っている感じの表情をこちらに向けてきた。
「うん? そりゃいるだろ。なんたって、ここは硝箱学園だからな」
いや、それは答えになってなくないか?
不満に思い、眉根を寄せる僕。
それに少し愉快そうな表情を浮かべ、桜井は続けてくる。
「なあ、明。『ガラス箱の蟻』って小説、知ってるか?」
「なに? 唐突に。知らないけどさ」
「そうか。いやな、この作品の内容、詳しいことは忘れたけど、マンションに異国の人間を閉じ込めて生態を観察しようってものなんだけどな、どうもその発想が、この学園にも用いられているらしいんだ。……あ、小説の内容には突っ込んでくれるなよ? 俺もうろ覚えなんだから」
「いや、そこに突っ込もうとは思わないよ。僕はその作品の存在自体、知らないんだから。でも、同じ発想が用いられているっていうのは、一体……?」
「まあ、要するに、だ。蟻の生態を観察したいならガラス箱に入れてしまえ、人間の生態を観察したいならマンションに入れてしまえってわけさ。……さて、ここで問題。じゃあ、将来性抜群な学生――それも小学生から大学生までの生態を観察し、才能がありそうならスカウトしたいって場合には、どうすればいいと思う?」
「まさか、初等部から大学部までが存在する巨大な学園を作って、そこにまとめて入れてしまえ、とか……?」
ぱちぱち、と桜井が拍手。
瀬川さんも瀬川さんで「ぴんぽーん!」と陽気に正解を告げる。
「そういうこと。この巨大な学園はね、それを……それだけを目的に作られたの。硝箱学園の硝は『硝子』の『硝』、箱はそのまんま『箱』の『箱』。つまり、ここは硝子箱。中にいる私たち生徒は蟻ってわけ」
「……一体、誰がそれを観察してるっていうのさ?」
確か、ここの理事の大半は西園寺グループの人間だったはずだけど、ただの一財閥がそんなことをするものか?
「さあ? この学園のからくりに気づいたのは、私の知る限りでは兄さんが最初だったけど、それに関しては不明のまま。守護者にいる情報収集担当の二人は『シュテルン』が関わってそうだって言ってたけど、あれって陰謀論っていうか、実在そのものが疑わしいからね。守護者全体がその説には懐疑的なんだ。……あ、『シュテルン』って言われても、わからない?」
「あ、いや、大丈夫。朝に聞いた覚えがある。……まあ、どんな組織なのかは全然知らないけど」
「う~ん、どんなっていうのは、実は私も知らなかったり……」
「俺もだ。なんせ実在する可能性のほうが低い、単なる陰謀論だからな。存在しないものの実態なんて、存在しねえんだよ」
どこか投げやりに言いながら伸びをし、桜井は「ところで」と話の矛先を変えてきた。
「お前も大変だよなぁ。あの愛欲の愛さんだけじゃなく、深山とまで一緒に住むことになって。……家で相当、息苦しい思いしてるんじゃないか?」
「いや、それは大丈夫! 本当に大丈夫だから……!」
「そうか? 案外、神経の図太い奴だったんだな……」
危ない危ない。
そうだよな、義母さんのことを知ってるってことは、その娘が深山さんだってことも知ってるんだ。
深山さんの家での素顔をペラペラ話しても、学園での彼女と結びつかないから、一緒に住んでることがバレることはないって軽く考えてたけど、それをする前に桜井たちが話を振ってきてくれて助かった。
それによくよく考えたら、姉となった人の名前も言わないのは不自然だし、夏休み明けからは彼女の苗字も『堀口』になるわけで。
そうなったら、深山さんと僕の姉が同一人物であることは、間違いなくバレることになる。
うわあ、僕、考えが浅いにも程があるだろ……。
なんにせよ、本当に助かった。桜井たちには、あとで缶ジュースでもおごらせてもらおう。
しかし、自分のミスにばかり気がいってしまい、残念なことに『愛欲の愛さんってなにさ!』と突っ込む機会を逸してしまった。くそぅ。
ふと、こちらに向けられた視線に気づく。
それは僕だけではなかったらしく、桜井と瀬川さんもそちらに目をやっていた。
果たして、僕の感じた視線は深山さんのもの。
気のせいだろうか、ちょっとだけ寂しそうな、あるいは不満そうな顔をしているように、僕には見えた。
桜井が呟く。
「どうしたんだろな? あいつ」
「なんか、こっちを気にしてるっぽいよね、光一」
「ああ。……あ、なるほど。そういや、こっちには明がいたか」
「……え? なんで僕?」
「昨日の夜から一緒に住んでるんだろ? そりゃ、さすがのあいつだって気にするさ。……わたしの同居人を取るなって感じかね?」
楽しそうに笑う桜井に、瀬川さんも同意を示した。
「そんな感じだろうね。――さて、堀口くん。最初に言ったとおり、今日、三人で一緒に帰りたいなって思ってるんだけど、いい?」
「えっ!? 瀬川さんも一緒に!?」
「いやあの、そんなに驚かなくても……。私も一応、守護者メンバーなんだよ?」
「それはそうなんだけどさ。桜井ひとりで来るものだと思っていたから、つい……」
この会話、ちゃんと深山さんに聞こえてるかな?
『クラスメイトが二人、僕たちの家に来るってさ』って直接言えれば苦労はないんだけど、学園では基本、話しかけてこないよう頼まれてるからなぁ。
というか、話の内容が気になるのなら、通りすがりを装うなりなんなりして、こっちに来ればいいのに……。
そうだ、あとで携帯で話す、とかはどうだろう?
いや、ダメだ。僕、彼女の電話番号教えてもらってない。そもそも、携帯をいじってるところも見てないことから、彼女が携帯を持ってない可能性も考えられた。
まあ、家を出るときに玄関で、帰る時間になるまで本屋にでも寄ってるって言ってたから、大丈夫だろうとは思うけど。
……いや。そもそも彼女、一体いつまで本屋にいるつもりなんだ? まさか、深夜までとか?
あ、それとも家から客が帰ったかどうかわかる魔術とか、あったりするのかな? だとしたら、それってどんな魔術?
正直、訊いてみたいことが山と出てきたけど、あいにく、目の前にいる彼女にそれを尋ねることはできない。というか、それができればこんなやきもきはしない。
ああ、なんてもどかしいんだ……。
とりあえず、今日の夜、携帯を持っているか訊いてみよう。そして持っているなら、絶対に番号を教えてもらおう。
この『話せない』状態は、いくらなんでも精神的にしんどすぎる。
と、隣で瀬川さんが携帯を取り出したのが視界の端に映った。
気になって視線をやると、ディスプレイには『美月』の文字。
「……出ない。本当、どうしたんだろう」
ピッと通話終了のボタンを押して、瀬川さんはため息をひとつ。
仲のいい友達だから、きっと心配なのだろう。
あ、そうだ。仲のいい友達といえば、孝広もまだ来ないな。……ちょっと、電話してみるか。
アドレス帖を開き、タ行を選ぶ。そして『孝広』の名前を選んでボタンを押下。
プルルルル、プルルルル……、とコール音。
しかし、出ない。天宮さんだけじゃなく、孝広も電話に出ない。
なんだろう、これは本当にただの偶然なのだろうか。……偶然に決まってるか。ここはラノベの世界じゃない。現実だ。だから、こんな偶然も起こる。
コール音が留守番電話の応答に変わったところで、僕は通話終了のボタンを押した。
そこでかけられる、瀬川さんの声。
「東雲くんも電話に出ないの?」
「うん、たぶん風邪でも引いたんだと思うけど……」
「そうだね。たぶん、そうだよね。きな臭い出来事は、裏側の世界だけでたくさん。表でまで起こらなくていいよ……」
そうして、再び嘆息。
う~ん、けっこうナーバスになってるのかな、瀬川さん。
……そりゃそうか。本来なら、単なる女子高生として青春を謳歌するのみのはずの歳なのに、兄が行方不明な上、守護者とかいう組織に入っているのだから。まあ、守護者であることがどれだけの負担になるのかなんて、僕には察することもできないわけだけれど。
結局、孝広も天宮さんも今日一日、学校に姿を現すことはなかった。本当、一体どうしたというのか。
まあ、下校時にでももう一度、電話をかけてみるつもりではいるけれど。
そうして、桜井と瀬川さんと、三人で帰ることになる放課後がやってくる――。
明と綾のラブコメはどうした!
そんなツッコミを、書き終えてから自分にしてしまった、世界観設定の説明に終始する回です。
綾の魅力が発揮されるパートはまだまだこれからなので、見限らずについてきてくれると嬉しいところ。
……しかし本当、どうしてこうなった(汗)。