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プロローグ

 ――大好きな家族が、僕にはいる。

 温厚で優しい父親。

 明るくて子供っぽく、けれど自立した大人として立派に生きてきた母親。

 ちょっと訳ありだけど、それでも、とても優しい心を持った姉。


 それは、ユメのような幸福な毎日。

 だから、壊れてほしくないと思った。

 だから、永遠に続いてほしいと願った。


 けれど、姉は僕のことが好きで。

 僕も、姉のことを好きになってしまって。

 きっと、そのことにちゃんと気づいてしまったときだったんだ。

 このユメを終わらせたい。僕がそう、願ってしまったのは――。





 私立、硝箱しょうそう学園高等部、二年三組。

 ようやく昼休みを迎えたその教室は、今日も今日とてにぎわっていた。


「いや~、もう暦の上では早くも七月! もうちょっとで夏休みになるな!」


 一番テンションが高いのはこの男、桜井光一さくらい こういち

 目元の涼しげな、大人っぽくて格好いい男なのに、中身のほうはどうにも子供っぽいというアンバランスな魅力を持つ男子生徒だ。


「そうだねぇ。ようやく自由に動ける時間が増えそうで、なによりなにより。やっぱりサボることは、あんまりしたくないもんね」


 ハキハキと応えたのは、桜井の彼女でもあるセミロングの快活系女子、瀬川優菜せがわ ゆうな

 二人揃ってクラス内でもかなり人気が高いほうに入るものだから、クラスメイトはよく『どうしてあの二人がくっついた! 美男子や美少女は、それぞれ普通レベルの容姿の人間とくっついてくれよ! たとえば俺(私)とか!!』派と『美男子や美少女だから、相応の相手とくっつけるんだろうね~』派にわかれて、よくわからない議論をしょちゅう繰り広げていたりする。

 ちなみに、僕は後者だ。ケンカしていることも多いけれど、あの二人はなんだかんだでお似合いだと思う。

 しかし、それでも二人揃って『別に誰かにモテたいとか思ったことない。いまつきあっている人以外は』と豪語しているのはどうだろう。余計な敵を作ってはしまわないだろうか。


「よし、あきら! もうすぐ夏休みだ! 学食でパーッとやろうぜ!」


 僕の肩に手を回してきながら、朗らかに笑いかけてくる桜井。歯はキラーンと輝いており、なるほど、こういう爽やかかつ彼女にベッタリじゃないところが敵を作りにくいんだろうな、なんて再認識。

 だがしかし、


「ちょっと待て。パーッとやる理由がわからない。あと、そういうのは彼氏彼女でやるべきなんじゃないか? 瀬川さんをさしおいて僕を一番最初に誘ってくるのって、彼女持ちの男としてどうなのさ?」


 やっぱり一応のフォローというか、『彼女を大切にしてやれよ』発言はしておいたほうがいいだろう、瀬川さんのためにも。

 しかし、そんなのは微塵も意に介さず、


「いや~、それは大丈夫じゃねえかな。ほれ、あれ見てみろ」


「うん……?」


 桜井があごで示したほうにあるのは黒板。

 この短時間で食事を終えて戻ってきたのか、それとも先にやっておくべきと判断したのか、黒板の前には長い黒髪が美しい小柄な女生徒の姿が。

 そして、おそらくは昼食に誘っているのだろう、いつの間に移動していたのやら、瀬川さんともうひとり、髪をツインテールにした美少女が、黒髪の少女にそこそこの大声で話しかけている姿が。


「難航しそうだろ? あいつ、愛想よくねえっていうか、『あなたには関係ありません』って空気を思いっきり撒き散らしてるから」


「あー、まあね……。というか、空気どころか、実際に言ってるのを何度か聞いたことあるし……」


 黒髪の少女の名は深山綾みやま あや

 桜井の言ったとおり、無表情で無愛想、わかりやすく他人に壁を作っているタイプの人間だ。

 そのためか、クラスはおろか、学園内のどこにも彼女と親しい人間はいない……らしい。

 この硝箱学園は初等部から大学部までが同じ敷地内に存在する、巨大なエスカレーター校なのだけれど、そんな大きな学園なのにひとりも友達がいない、というのが彼女の孤立っぷりを如実に表している。

 ちなみに、彼女はこのクラスにおいて女子のほうの学級委員で、男子のほうの学級委員は僕だったり。……まったく、学食行って戻ってくるまで放置しておいてくれれば、僕のほうでやったのになぁ、黒板消しくらい。


 ともあれ、彼女一人に任せておくのも悪い気がして、手伝おうかと黒板のほうへ向かって歩を進めた。


「おっ! お前も援軍に加わるのか! 頑張れよ! きっとお前にならやれるさ! ああ!」


 後ろからは桜井からの無責任な励ましの声。まったく、他人事ひとごとだと思って……。

 途中、がっくりと肩を落としてこっちにやってくる瀬川さんと目があった。


「あ、援軍にきてくれたんだ。でもごめん、私、もうギブアップ……。おとなしく光一と学食行くことにするよ……」


「あー、うん……。お疲れ」


 他にかける言葉も見つからず、そんな間抜けなことを口走ってしまう。瀬川さんは瀬川さんで、とぼとぼと歩きながら「苗字が『深山』なんだから、無関係ってことはないと思うんだけどなぁ、ラノベ的に考えて」なんてぶつぶつと呟いていた。

 黒板に近づくにつれ、ツインテールの少女――天宮美月あまみや みつきと深山さんの会話が聞こえてくる。


「まあまあまあまあ、そう言わずにさー。行こうよ行こうよ。楽しいよー、きっと楽しいよー。多少の猥談わいだんはするかもだけど、それはあたしならではの愛嬌ってことで!」


「――いい」


 ……聞くんじゃなかった。女の子が『猥談』なんて言葉、教室内で使っちゃダメだろうに。

 天宮さんは気さくで活発、しかも美少女だから、瀬川さん同様クラス内での人気は高いけど、実際に猥談の場に居合わせたらドン引きする男子も多そうだ。


「なんでなんで~? いいじゃんいいじゃん! ね? ほら行こう? 黒板消すのならあたし手伝ってあげるって! ほらほらほらほら!」


「だから、本当にいい。……邪魔」


 わずかに顔をしかめながら、痛烈な一言。


「ああうぅ……。邪魔って言われた、言われたぁ……」


 がっくりとへたり込みそうになっている彼女に、しかし、僕は追い打ちをかける。


「そりゃ言われるって……。天宮さん、さすがにいまのは度がすぎてる」


「うぐっ……。そ、そうかな? あ、言っとくけど、いつだってこんなんなんじゃないんだからね、あたしだって。そこんとこ、堀口ほりぐちくんも忘れないように!」


「はいはい。――それはそうと、僕も学級委員なんだし、手伝うよ、深山さん」


 目を向けると、なんか、すごい勢いで逸らされた。でも基本、彼女はいつもこんな感じなので気にしない。


「おおっ! 強力な助っ人現るっ! いいよぉ! 輝いてるよぉ、堀口くん!」


 こっちのほうも気にしない。


「……別にいい。わたしも学級委員だから。これ、わたしの仕事でもある」


「うん。でも困ったことに、僕の仕事でもある」


「そ、そう。それは、困る。本当に、困る……」


「そんなわけで、仲良く困るよりかは、協力してさっさと終わらせちゃったほうがいいと思うんだけど、どう?」


「な、仲良く……。でも、いい。わたしは、ひとりでやるほうが、いいから」


 相変わらず、強情な少女だった。

 彼女は基本、いつだってこんなスタンスだ。それは誰に対しても崩れない。


「ひゅーひゅー! お熱いね~、お二人さん! さあ、男女の共同作業へ、いざ!」


 そして天宮さんのスタンスも崩れない。まったく、いつだってこんなんなんじゃない、なんてどの口が言うのやら。あと、どこをどう見たら、僕たちがお熱い二人に見えるというのか。

 天宮さんのことは無視することに決めたのか、深山さんは僕にだけ告げてくる。……ある意味、心は通じあってるといえた。


「でも、その……堀口くん、邪魔、だから……」


「悪いけど、その言葉にはもう慣れてる。邪魔でもなんでも、僕は僕のやることをする。実際、黒板の上のほう届かないでしょ? 深山さんは」


「そ、そんなことない……! んしょ、んしょ……っ」


 ジャンプを繰り返すが、やはり届かない。というか、こういうことは過去に何度もあったんだから、いい加減、学習してくれてもよさそうなものだけど。

 ため息をひとつつき、もうひとつの黒板消しを手にとる。そしてささっと上のほうを消しにかかった。


「あっ……」


 不満とも安堵ともつかない声が深山さんの口から漏れる。まったく、意地っ張りというか、なんというか……。

 しばし、黙々と作業をする。

 そして黒板を消し終わると同時、深山さんがぽつりとこぼした。


「一応、お礼は言っておく。……ありがとう。でも、わたしにはかまわないで。そのほうが、きっとお互いにとって幸せ。……あ、でも、もう遅いのかも……あうぅ……」


 はて? ここまで困惑した声を出す深山さんを見るのは初めてだ。

 弱々しく拒絶の言葉を口にするのは、いつものことなのだけれど。

 ちなみに、ここまで深山さんの表情はまったくもって変わっていない。彼女は本当に、いつだって無表情を崩さない。

 僕はそれを『颯爽さっそうとしていて格好いい』と思ってるんだけど、実はそれに同意を得られたことは一度もなかったりする。

 友人である桜井や孝広たかひろも、


 『それは、お前だからそう思うんだと思うぜ?』


 なんて言ってくるし。


「じゃあ、これで」


 それだけ残し、僕に軽く頭を下げてから彼女は颯爽と歩き去っていった。

 うん、やっぱり格好いい。


「……って、そこで逃がしちゃダメじゃん! 堀口くん!!」


「ちょっ、耳元で大声出さないでよ、天宮さん! なに? じゃあ一体どうすればよかったの?」


「決まってるじゃない。『おっとベイベー、行くのは早いぜ。礼代わりに俺たちと学食、つきあいな!』って言う場面でしょ! あそこは!」


「いや、それは言えない。仮にそういう場面であったとしても、僕にそれは言えない。ハードルが高すぎる」


「むぅ~。堀口くんが誘えば、絶対についてきてくれると思うんだけどな~」


「その根拠のない自信は、一体どこから出てくるのか……」


 この人は本当、言動が読めないというか、なんというか……。

 彼女は胸を張って、自信満々に告げてきた。


「だって、深山さんってどこからどう見ても堀口くんのこと――」


「お~い、美月~! パン買ってきたぞ~!」


「あ、ありがと孝広くん! 待ちかねたよ~!」


 手をぶんぶんと大きく振りながら、教室の入り口付近へと駆けていく天宮さん。……って、ちょっと待った。

 僕は思わず走りだし、孝広の元に到着した彼女の肩をつかんでしまう。


「ちょっとちょっと天宮さん! なに!? 前もって孝広にパン買いに行ってもらってたの!?」


「え? うん。誘えずに終わるの、目に見えてたし」


「ちょっ……、もし上手くいってたらどうするつもりだったのさ」


「うん? 決まってるじゃん。エスコートは堀口くんに任せて、あたしはパン食べるつもりだったよ」


「なんでそんな計画を!?」


「いや、当然の計画じゃない?」


「ん、当然の計画だな。……ところで明、そろそろ美月の肩を離してもいいんじゃないかとオレは愚考ぐこうするんだが、どうだろう?」


 僕の親友――東雲孝広しののめ たかひろからの視線がちょっと痛かったので、慌てて手を離す僕。


「ご、ごめんごめん」


 と、そこに桜井と瀬川さんがやってきた。……まだ学食行ってなかったのか。僕が言うのもアレだけど、二人とも暇だなぁ。


「パン、俺たちの分もあったりするか?」


「ジャム&マーガリンほしいな、ジャム&マーガリン。あ、イチゴジャムだけ入ってるパンでも可!」


「可! じゃねえよ! オレと美月の分しかないに決まってるだろ!」


「ちっ、使えねえ奴だ」


「ほんとほんと……。……って、こら光一! 友達の基準を『使える』とか『使えない』とかで測っちゃダメでしょ!」


「おい優菜さんや、お前もいま、『ほんとほんと』って同意してなかったか?」


「……し、してない」


「してただろうが、こら!」


 いきなりいがみ合い始める桜井と瀬川さん。

 それを見て天宮さんが呟いた。


「夫婦ゲンカは犬も食わないっと。そして、あたしはパンを食べよう。ほらほら、孝広くん」


「おう、ほらよ」


「ありがと! やっぱりパンはメロンパンに限る! メロンパン……ああ、なんて高級なひ・び・き……」


「メロンが丸々一個入ってるわけじゃないあたりが、悲しいところだけどな……。そのあたり、うぐいすパンに通じるものがある」


『いやいや、通じるものないって』


 僕を含めたその場の四人が、孝広に一斉に突っ込んだ。

 孝広が「ちぇっ」とぼやく。基本、僕たちの日常はいつもこんな感じだ。

 意味のないことで盛りあがり、その会話はグダグダになって終わっていく。

 でも、それがなんとなく心地いい。それが幸せ。少なくとも、いまは。


「やっほ~! 遊びにきたよ~!」


 と、一度途切れた話を続けようとするかのように、新たな来客。

 ややショート気味の……瀬川さんより少しばかり短い髪の女生徒が、購買の袋を片手に教室の外に立っていた。

 彼女は深山はるみ先輩。僕たちよりひとつ年上、高等部の三年生だ。


「あっ、はるみさん!」


 一番最初に反応したのは瀬川さん。

 どういうわけか、彼女はこのメンバーの中で一番彼女に懐いている。ちなみに、意外なことに次点は桜井。


「ジャム&マーガリン、あります!?」


「あるよ~! ふっふっふ、優菜ちゃんや光一くんの好みを把握できてない私なんて、私じゃないし!」


 桜井がそれにツッコミを――


「確かに、軽くアイデンティティの崩壊に繋がるな」


 え、同意するの!? しかもアイデンティティの崩壊とまで!?

 瀬川さんも上機嫌なまま桜井に同調する。


「うんうん。はるみさんのどこが一番いいって、うちの兄さんと思考回路がまったく同じってところだもんね~」


 それにはさすがに突っ込まざるを得ない。まあ、先に動いたのは孝広だったけれど。


「いや、さすがにそれは冗談だろ? まったく同じ思考回路の人間になんて、クローン人間でもならねえよ」


 しかし、はるみ先輩は余裕の表情だ。


「まったくもってそのとおり。でも私と和樹かずき――あ、優菜と光一のお兄さんのことね? その和樹とは、本当にどういうわけか、思考パターンが同じになっちゃうのよ。便利といえば便利。不気味といえば不気味。でも、とりあえずは便利だからいいんじゃないって感じ? こうして優菜ちゃんにいい影響を与えられてもいるわけだし」


 それに深くうなずくのは桜井だ。


「だな。はるみさんがいなかったら、俺もこいつも、立ち直れていたかどうか……」


 なんだろう、この流れ。

 その和樹って人が、まるで故人であるかのような……。

 と、僕の表情を見て察してくれたのだろう、はるみ先輩が補足してくれる。


「あ、和樹はただ単に行方不明になっただけだからね? まあ、ただ単にとはいっても、実際にはそんな単純なものじゃないんだけど。……なんせ、この世界のどこにもいないって話だから」


「あの、それを世間一般的には『亡くなった』というのでは……?」


「違う違う。いい? 堀口くん。いないのは『この世界に』なの。つまり、どこか別の世界に行っちゃった、あるいは引っ張り込まれたとするのが一番妥当。……聖教会せいきょうかいの調査によると、あの世にもそれっぽい魂がないらしいからね。だから死んでいる可能性はゼロなわけ」


「いやあの、意味わからないです……」


「オレもだ。――美月、お前はわかるか?」


「うん、まあ、一応は。でも、あたしには割とどうでもいいことかなぁ。――それより先輩、先輩のフルネームは『深山はるみ』でいいんですよね?」


「そうだけど? ……って、またその話? 私には深山綾なんて名前の親戚、本当に心当たりないんだけど……。ぶっちゃけ、私ってば絶賛記憶喪失中だったりするし」


 記憶喪失だったのか、この人……。


「記憶喪失かぁ……。絶対に関係、あると思うんだけどなぁ……」


 天宮さんの言葉に、今度は瀬川さんが同意を示す。


「だよねぇ。無関係ってことは絶対にないよねぇ、ラノベ的に考えて。――そう思うよね? 光一」


「だな、ラノベ的に考えて。――実際問題、記憶を取り戻す手がかりになるんじゃないか?」


「う~ん、どうだろ。正直、記憶なんて戻らないほうがいいぞ~って、ときどき頭の奥で警鐘けいしょうが鳴る感じもあるから、いまのままが一番って思ってもいたり……」


「そんなもんか」


「そんなもんだよ、光一くん。――ところで……っと、そろそろ優菜ちゃんにはこれをプレゼントしてしんぜよう」


「待ちわびました、ジャム&マーガリン!」


 受け取るやいなや、袋を開けてかぶりつく瀬川さん。なんか、小動物みたいでちょっと微笑ましい。……もちろん、深山さんに比べれば小柄とはいえないわけだけど、それでも女子の中では比較的、小さいほうに入る彼女だから。


「そして光一くんには、これをプリーズ」


「お、今日は焼きそばパンか。……ふむ、このチョイスだと、なんかはるみさんをパシらせたようで――」


「悪い気がする?」


「いや、本来の立場が取り戻せた気がするな」


 ニヤリ、と悪役っぽく笑う桜井。それにはるみ先輩は、


「ありゃりゃ……。学園で『そっち側』の意識を持つのはやめようよ。一応、私は光一くんよりも年上なんだからさあ。あと、呼称は『はるみさん』だけど、実際にはタメ口っていうのもどうだろう」


「それが、俺という人間だ。和樹にもそういうふうに接していたし。……そして、いただきますっと」


「そういうところは礼儀正しいのになぁ……」


 そう言いながらも、はるみさんの口許には優しい微笑み。

 本当、この人は桜井と瀬川さんの実の姉みたいだ。――……姉、か。


「ん? どうしたの? 眼鏡男子くんや?」


 難しい顔をしていたからだろう、はるみ先輩にいぶかしがられてしまった。

 それにしても眼鏡男子って……。まあ、確かに眼鏡はかけているわけだけど。


「あ、いえ、なんでも……」


 ないですよ、と言おうとして、でも別に隠すようなことでもないか、と思い直す。


「実は、うちの父親が再婚することになったんですよ。で、その相手もバツイチの子連れでして」


「へ~。じゃあその歳にして義理のきょうだいができちゃうわけか。……なんか複雑な気分だね。『きょうだい』としてなんて接せそうにないっていうか」


「ええ、まあ……。ちなみに、義理の姉ってことになるそうです。歳も近いとか。それ以上の詳しいことは聞いてないですけどね。そもそも、どれだけ詳しいことを聞いても、それが反対の動機になるとは思えませんし」


 ふと、しゃべりながら周囲を見渡せば、桜井と瀬川さん、それと天宮さんはパンを食べるのに夢中になっていた。

 必然的に、会話に割り込んでくるのは孝広。


「物わかりいいな~、お前。自分の家に歳の近い他人――それも女の子が住むことになるなんて、いまのオレだったら絶対に反対するぜ?」


 うんうん、と隣でうなずく天宮さん。……はて? なぜ彼女がそこでうなずく?

 気にはなったものの、いまは孝広に答えるほうを優先する。


「物わかりいいっていうかさ、父さんってもう何年も男手ひとつで僕を育ててくれたわけだよ。母さん、僕を生んでから割とすぐに死んじゃったから。だったら、そろそろ父さんも自分の幸せを見つけてもいいんじゃないかなって、さ。幸か不幸か、僕には母さんの記憶が全然ないから、新しい母親っていうのには抵抗ないし」


「そういうところが物わかりいいって言ってるんだけどな……。まあ、当事者がそれでいいっていうんだから、それでいいのか。……っと、美月、食べ終わったら包み、この袋の中に入れとけ。あとでまとめて捨てておくから」


「あ、ありがと、孝広くん。そういうところ、マメっていうか、気が利くよね」


「そうかね? まあ、オレとお前の仲だし。……ところで美月、お前って深山をよく気にかけてるよな。さっき黒板のところにいたのも、明っていうより深山を手伝おうとしてたんだろ?」


「おおっ! 孝広くん、鋭~い! うんうん、そうなのよ。結局は『邪魔』って一蹴いっしゅうされちゃったけどね……」


「諦めるな。勝利の女神は諦めない者にこそ微笑むんだ」


「うん、そうだね。頑張る!」


「まあ、どうしてそこまで頑張るのか、オレにはせないわけだけど……」


「あー、それはね。話すとなかなかに長くなっちゃうのよね……。簡潔に言っちゃうと、あたし、深山さんに負い目っていうか、罪の意識みたいなものを感じてて……」


「負い目? 罪の意識? 美月、深山になにかしたのか?」


「ううん、なにもしてないよ? もちろん、彼女から奪ったものも、なにもない。でも、あたしのほうが勝手に奪った気になっちゃってるっていうか、ね……」


 と、そこでようやく自分たちに注目が集まっていることに気づいたのか、孝広がぐるりと視線を巡らす。天宮さんはしょんぼりしているせいか、あまり気にしてないようだけど。


「な、なんだよ?」


 そう問うてくる孝広に、まず最初に突っ込んだのは瀬川さん。


「えっとさ、もしかして美月と東雲くんって、つきあっていたり……?」


 はるみ先輩がそれに続く。


「な~んか、ただのクラスメイトって雰囲気じゃなかったよね~」


 空気が変わったのに気づいたのだろう、少し焦ったように天宮さんが口を開く。


「え? ……えっ!? ちょ、ちょっとなんでそんな話になってるの!? 違うって……ね、ねえ? 孝広くん」


「…………」


「も、もしも~し。そこで黙り込まないでもらえますか~、孝広さ~ん?」


 孝広が爆弾発言をしたのは、そのときだった。


「……あ、ああ! つきあってるぞ! つきあってて悪いか!」


「ちょっ!? ちょっと、孝広くん!?」


 心底慌てたように、ぶんぶんと両手を振る天宮さん。しかし、その頬が緩んでいるのは、誰の目にも明らかで……。

 どうやら、本当にそういうことらしい。

 僕と孝広は親友だというのに、知らないことって意外とあるもんなんだなぁ。もちろん、二人が割と前から、仲よさげに話していたのは知っていたけど、天宮さんって基本、誰にでも気さくに話しかけてるから、それと全然区別がつかなかった。


「――ということは、だ」


 ニッと笑みを深める桜井。


「これは友達として祝福してやらないわけにはいかないな、優菜」


「そうね、光一。パーッと祝って、質問攻めにさせてもらわなきゃ!」


 それに孝広が少しだけ顔を青ざめさせる。


「ちょ、ちょっと待て! それは――」


 しかし、孝広のセリフは瀬川さんやはるみ先輩によって遮られた。

 そして、「どこまでいってるのか」とか「告白したのはどっちなのか」とか、怒涛どとうの質問攻めが開始される。

 けれど、二人の幸せを願う気持ちに嘘はない。

 桜井も瀬川さんも、はるみ先輩も。

 そして密かに天宮さんも、とてもとても嬉しそうな表情を浮かべていた。


 ふと、思っても仕方のないことを思ってしまう。

 深山さんもこの輪の中に加われたら、きっと楽しいだろうに、なんてことを。

 あの無表情をほんの少しでも崩す。このメンバーだったら、それが可能なんじゃないかなって。

 そんなことを、思わずにはいられなかった。





 僕の住んでいる堀口家は、二階建ての一軒家だ。

 一階にはリビングとダイニング、そして台所と父さんの部屋があり。

 二階には僕の部屋と、いくつかの空き部屋が存在する。

 空き部屋は当然、一階にもいくつか存在しており、父子おやこ二人だけで生活する空間としては、ちょっと広すぎて寂しさを覚えてしまうこともあった。


 でも、それも今日まで。

 今日からは父さんの再婚相手――僕にとって義母かあさんになる人と、その娘がこの家に住むことになる。

 とりあえず、二人がやってきたら荷物を部屋に運び入れるのを手伝って、和やかな空気を作ってリラックスさせてあげないといけないな。……いや、ジョークの類は僕も苦手なんだけど。


 それにしても、歳の近い女の子、かぁ。

 義理とはいえ、これから姉と弟の関係になるわけだから、可愛い娘だといいな、なんて考えるのはよくないことなんだろうけど、健全な男子としては、どうしたって期待してしまう。

 ……うん、とりあえず、僕がありのままの自分で接することのできる娘だといいな。一緒にいて疲れない、そんな娘。

 これくらいの望みだったら、持っていてもいいはずだ。

 そんなことを考えながら、リビングで父さんとテーブルにつきながら、お茶をすすりつつ時間を潰す。

 ……ははっ、僕もだけど、父さんもけっこう緊張してるみたいだ。さっきからソワソワとして落ちつきがない。

 僕と同じく、何度も何度も眼鏡の位置を直してばかりいる。


 時刻はもうじき午後七時。

 今日は休みだった父さんから聞いた話だと、そろそろ来る頃だ。

 母娘おやこ揃って、五分前行動とかをきっちりするタイプの人間らしいから。


 ――ピンポーン♪


 案の定、七時になる少し前に呼び鈴が鳴らされた。

 ガタガタッと二人揃って席を立ち、玄関へ向かう。……うん、人のことは言えないけど、もう少し落ちつこうね、父さん。


『はいっ!』


 これも二人同時に発してしまった。

 そして父さんが玄関の扉を開ける。

 そこにいたのは――


「こんばんは~。ちょっと遅くなっちゃったかな? 翔太しょうたさん」


 明るく手をひらひら~っと振る、若い女性がひとり。

 短い黒髪の、できるキャリアウーマンって感じの人だった。しかし、浮かんでいる笑顔は底なしに無邪気で、人懐っこい。

 彼女の声を聞いてリラックスしたのか、父さんはひとつ、安堵の息を漏らして。


「いや、むしろちょっと早いくらいだったよ。本当、時間に対してはちゃんとしてるね、あいさん」


「あ~、酷~い! その言い方じゃ、まるでそれ以外はちゃんとしてないように聞こえるじゃな~い!」


 語気を強めながらも、声はとても弾んでいて、機嫌のよさをうかがわせた。


「ほらほら、さっそくあなたの息子さん――明くんにも誤解されちゃってるようだし?」


 あ、なんか僕のほうに話を振られた。


「いえいえ、別に誤解なんてしてないですよ。……たぶん」


 しかも、なにか返さなくっちゃとか考える前に、言葉が勝手に出てきたし。

 ああ、『話しやすい人』ってこういう人のことをいうんだろうなぁ。

 愛さんは大げさにのけ反って、


「ががぁ~んっ! 『たぶん』とかつけ足されたぁっ! 私、本当にちゃんとしてるのよ? これでも会社ではあなたのお父さんの上司だし、そりゃ三十四歳にしては自分でも子供っぽい性格してるなぁ~、とか思わなくもないけど、ちゃんと娘だって女手ひとつでここまで育ててこれたんだからぁっ!」


 三十四っ!? どう見ても二十代前半に見えるのだけれど……?

 いやまあ、職場では父さんの上司だとのことだし、父さんも童顔のせいか、実際は三十七歳なのに二十代後半で通る容姿をしているから、それほど驚く年齢ではないのかもしれないけれど……。

 そんな僕の驚きなんて無視して、愛さんは父さんの腕にすがりつき、嘘泣きを始めてみせる。


「うあぁ~んっ! 信じてもらえてない! あの反応は絶っっっ対に信じてもらえてない! ブロークンマイハートっ! なぐさめてえぇ~、マイダーリ~ンっ!!」


「あ~、よしよし。でも明は本当に誤解とかはしていないと思うよ? なあ、明?」


 愛さんの頭を撫でながら、父さんは僕にフォローの言葉を求めてきたけれど……。


「いや~、まだ会ったばかりだから、それはなんとも……。とりあえず、なんかすごく若々しいというか、活力溢れまくっている人なのはわかったけどね」


「確かに、活力が溢れまくってはいるな」


 それも、無駄に。


「余裕で二十代で通用するっていうか。……あ、それは父さんもだけどさ」


 そこで愛さんがぱぁっと笑顔になって、僕のほうに身体を向けてくる。


「うっわぁ~! 二十代で通用するって言われた! 通用するって言われたぁ~! 明くん、女殺しだね~! ……モテるでしょ?」


「いえ、全然」


「……ふぅ~ん、……ふふぅ~ん、…………ふふふぅ~ん」


 なぜだろう、愛さんがいきなりニヤニヤと笑いだした。

 だから、というわけじゃないけど、こう続けておく。


「そりゃ、女友達は何人かいますけどね。でも、そのことごとくが彼氏持ちです。そして、その彼氏は全員が僕の友達というありさま」


「あらら、それはキツい……。あ、なんならさ、うちのむすめオトしちゃっても……いいんだぜ?」


「いやいや、よくないでしょう、それは! その娘と僕、今日から姉弟になるんですから!」


「お固いね~。うん、でも何気にポイント高いぞ~。そういうケジメをちゃんとつけるのって、大事だよね!」


 ああ、やっぱりからかいだったか。

 変にノッてしまわなくてよかった。この人と話していると、どうも『らしくない』テンションで話してしまいそうになって困る。

 もちろん、それを楽しく感じている自分もいるんだけどさ。

 本当、さすがは父さんが選んだ女性ひとだけのことはある。

 父さんが好きになった人だから、父さんと性格が似ている僕とも相性がいい。つまりは、そういうことなんだと思う。

 それはつまり、愛さんの娘さんとも相性がいいんじゃないかなって、そんな楽観的な考えにも繋がるわけで。


「あ、ところで、その僕の姉になる人って……一体どこに?」


 ここは玄関なのだから、スペースはそんなに広くない。

 しかし、それでも人がもう一人いられるスペースはある。それが僕と歳の近い女の子だというのなら、なおのこと。


「あ、そういえば入ってきてないわね。……まったく、あの娘は本当にまったく。――ほら、早く入ってきなさ~い。皆待ってるんだから~!」


 大声で外に向かって呼びかける愛さん。

 ……ふむ、恥ずかしがり屋な娘なのかな?

 まあ、歳の近い初対面の異性とこれから一緒に暮らすっていうんだから、緊張してるのは当たり前なのだけど。

 でも、少しでも『嫌だ』って気持ちがあるのなら、僕と違って事前に事情を聞いていそうなものだ。

 そして、こうして同居が成立しているのだから、その娘だって最終的には賛成――最低でも了承はしてくれたのだろうし。


「ごめんなさいね、あの娘、本当に内気だから……。まあ、誰に似たってわけでもないのが、ちょっと複雑なところなんだけど……」


 私に似ず、どころか『誰に似たわけでもない』? それって、どういう意味なんだろう?

 引っかかるところはあったけれど、「ちょっと待ってて」と愛さんが父さんから離れて猛スピードで外へ直行。その娘を連れて戻ってきたことで、そんな些細な引っかかりは消えてなくなってしまった。


 だって、その娘は。


「ほらほら、自己紹介しなさい。自己紹介」


 もじもじと、所在なさげに佇むその娘は。


「……あ~、まあ、よく考えてみたら、私たち、まだ誰も自己紹介なんてしてなかったか。……仕方ない」


 長い黒髪が美しい、その娘は。


「……こほん。この娘が私の娘、深山綾で~すっ! ちょっと距離の取り方が難しく感じられることもあるとは思うけど、仲良くしてあげてね? 明くん」


 その娘は、あの巨大な学園、硝箱しょうそう学園に在籍していながら、友達が一人もいないなんていう変わった人間。

 無表情、無愛想で有名な、僕のクラスメイトだったのだから――。

新作スタートです!

今回は『なろう』では初になる『ワールドブレイカーシリーズ』。

しかも初のいちゃらぶモノ!!


このジャンルは初めてなので、上手く、照れずに書ききれるか不安がありますが、最後までニヤニヤと楽しんでもらえればと思います。

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