猫寺
三日前の出来事
その日はついていた。目的地の住宅街への入り口に座するように、あるいは不遜な輩の来訪を頑なに阻む門番にも似た、開かずの踏み切りがある。一度歩を断たれると、数分は足止めを食らう。それが今日に限って、踏切を渡り終えた途端に警報が鳴り始めた。
幸先がいい。柄にもなく得した気分になる。
油断は禁物。
これから仕事を行うのだ。慎重という二文字は両手で抱えるほどあるに越したことはない。
立秋を迎えても炙られるような熱が立ち昇るアスファルトを踏みしめ、だらしなく緩めていた首元のネクタイを締めた。背広の上着はさすがに脱いで腕にかけていたが、糊のきいたスラックスには皺もなく、革靴にいたっても一点のくすみもない。手に提げたビジネスバックも実に卒のない一品であり、どこを切り出してもサラリーマンに見えることが肝心だった。
緩やかな坂をしばらく上り、幹線道路の交わる大きな交差点をさらに左に曲がれば、目的とする閑静な住宅街へと続く道となる。
この町に足繁く通い始めてから二月が過ぎようとしていた。目に映る町並みは最早見慣れたものであり、工事途中だった店舗が日を追うごとに形となり、二か月後には沿路沿いに誇らしげに花輪を飾っている。開店したばかりのパン屋から漂う焼き上がったばかりの香ばしい匂いに鼻をひくつかせ、あるいは見慣れた町だからこそ、新たな発見をしようと頭を振る。
幹線道路に沿ってしばらく歩き進むと、込み入った景色が豁然として広がった。思いの外近い空と公園を囲う緑が鮮明に映る。
車通りの多い道路をすぐ脇に望む住宅街が昼でもなお静かなのは、偏に目の前に広がる大きな公園のお陰だ。大小色取り取りの遊具をはじめ、近隣のジョガーが泣いて喜ぶであろう遊歩道も整備され、植樹の緑も目に鮮やかに近隣住人に憩いを与えている。
週末ともなればバスケット片手にピクニックをする家族連れも多いことだろう。
木陰に点在するベンチには散歩途中や、本を片手に各々がそれぞれの時間の流れに身を委ねていた。
公園をぐるりと迂回すると、色レンガ張りの瀟洒なマンションが目に入る。五階建てといささかこぢんまりとはしているが、都心にも程近く最寄りの駅も徒歩五分圏内の優良物件だ。
高層マンションほどの派手さはないが、それでも一戸の間取りは贅沢なほど広く、このご時世でも全ての部屋が埋まっている。そして、このマンションこそが今回の目的地だった。
歩道にまで迫り出した枝葉から覗く木漏れ日に目を細め、はたと気づいた。空の色合いが薄れ、心なしか遠くにあった。
夏の季節が来れば、判を押したような炎暑に辟易となり、早く秋が来ないかと口の愚痴のひとつも零したくなるが、夏の終わりを感じた途端に感傷がもたげる。
歳か?
何度も季節の変わり目を重ねるとは、それだけ齢を重ねているに他ならないと無理から納得した。
不意に訪れた感情の起伏に苦笑いをしていると、タイヤのスキール音が耳を劈いた。そちらの方に目を転じると、急停車した車が見えた。その車に弾かれるようにして、小さな丸い物が弧を描くように歩道に落ちた。車はそのまま通り過ぎてしまった。
ボールらしきものに近づくにつれ、ボールではなく毛玉――毛玉でもなく、足元に伏していたのは小さな仔猫だった。白勝ちのブチ猫だった。
眉根を寄せた。目の前で目撃した小さな死は、小さくはあっても影を落とした。験を担ぐタイプではなかったが、今日は日が悪いという諦めの一言が飛来した。
途端に予定がなくなった。
ビジネスバッグから一週間も前のスポーツ新聞を取り出し、丸まったままピクリとも動かない仔猫を包んだのだった。
今日の出来事
開かずの踏切で立ち往生を余儀なくされるのもいつものこと、歩き慣れた道をひた歩き、パン屋から漂ってくる香りを肺一杯に吸い込みながら歩道を進めば、公園が現れた。公園の隅には、先日埋めたばかりの仔猫が眠っている以外は普段と変わりなかった。
両手で収まるほど小さな仔猫を埋めるにも今はなにかと障りがあるが、仔猫の墓標は遠くからでも一目で分かる、こんもりと茂った椎の木だった。
一つの善行に己の心が改められれば世話はないが、結局、仕事をするためにマンションへと続く道を歩いていた。
この角を曲がればマンションが――そこにマンションはなかった。
ぱちくりと目を丸め、いささか芸のない目を擦った。やはりない。
曲がる角をひとつ間違えたか……至極真っ当な考えと共に、改めて公園の横を歩いた。今度こそ次の角を曲がれば。
ついに足が止まった。目的としたマンションが――ない。これだけ分かり易い大きな公園という目印があるマンションへの道を間違えることなどあり得ない。いや、沽券に係わる。
冷静になる呪いがそこにあるのか、頭を振ってから再度歩き始めた。次の角を曲がってもマンションは見当たらず、公園を望む最初の道に戻ってきたところで小首を傾げた。
酔ってるのか。ちなみに酒はやらないので、そもそも酔って前後不覚という経験もないのだが。
とりあえず元来た道を戻ることにした。いつものパン屋を脇に見やりながら交差点も逆に辿り、そして遮断機の下りた踏切に差し掛かった。
異変は忽焉とやってきた。最初に気づいたのは音のなさだった。喧騒が掻き消されているのは、あれほど忙しく行き交っていた車がただの一台もないからだ。まったくの無音だった。
見慣れた風景にそっと滑り込んできた差異に気づくなり、体中の産毛がそそけ立った。辺りを見渡せば人もいない。
半ば茫然と、踏切に設置された警報灯を眺めた。赤いランプが交互に点いているにも係わらず、警報音が鳴っていない。
一体なにがどうなってる。
いや、まずは落ち着け。
向こうへと続く道を断絶する遮断機は上がる気配もない。
どの段階で日常を見失ってしまったのか、今一度、曲がり角や交差点を一つひとつ確認しながら歩き、間違えなく公園を視線の端に捉えた。ひとつ目の角を曲がった。
落胆こそなかったが、三日前までは確かにあったマンションだけが消えていた。
マンションがあった思われる場所にはなんの変哲もない民家が並んでおり、ひとつ間違いを正すとすれば、居並ぶ民家の直中に見上げるばかりの立派な山門が建っていた。
長年の性として、道路を横断する時は左右の確認をしてから反対車線へと移り、正面にした山門をあんぐりと見上げた。
山門の足元に沿うようにして石畳で囲われた用水路が流れていた。水量はなかったが、恐ろしく真っ黒なコールタールのようなものがとろとろと流れている。黒水の中を白いものが浮かび沈みつしながら流れ去っていく。
山門はぴったりと閉じられ、中を窺い知ることはできない。いや、正確には扉がなく、潜り戸すら造られてはいなかった。開かない山門に意味などあるのだろうか。
妙案を思いついた。隣家の塀を伝って覗き込めば、少なくとも山門の向こう側が知れる。
隣に面する家の様子を窺い(当然にして人の気配は皆無だった)、コンクリート塀の縁に手をかけ、身軽に上体を引き上げた。塀の上に足を乗せてゆっくりと立ち上がる。慎重に足を運んで、山門の際に辿り着いた。
結果から言えば、こぢんまりとした本殿が鎮座していた。小さいながらも入母屋造本瓦葺の屋根を持ち、その屋根を支える虹梁の形状は大仏様だろうか。古色蒼然とした、一見して素晴らしい建築であり、素朴ながらも微細にして彫り込まれた模様は精緻を極めていた。
閑散とした境内の隅に動くものがあり、目を眇めると手足を丸めて日向の温もりを一身に受ける猫がいた。よくよく見れば、境内のそこここに色取り取りの猫が点在していた。
思い思いの寝姿で目を細める猫たちの福々しい顔を見るにつれ、塀伝いに境内を覗き込む己も含めて、こんなところで一体なにをやってるんだとバカバカしさ半分、小さく笑った。境内に降り立ち静まり返った空間を見渡した。
午睡を邪魔されたとばかりに、境内の中央にでんと納まっていた茶トラの猫が四肢を伸ばし、背を伸ばして起き上がった。肉付きの良い大柄の茶トラは、予想に反して可愛らしい声で鳴いた。
澄んだ青い目がはっとするほどの聡明さを湛えている。
粛然とした雰囲気というよりも何処か間延びした空間を横切る茶トラは、ひょいと身を躍らせ山門の上に立った。
なるほど。道理で出入り口がないわけだ。身軽な猫ならば隣家の塀を伝い、屋根を越えることも容易だ。
閉じられたまま開くことのない山門内に現せ身の人間がひとり。早々に退散した。
狐に摘ままれた――この場合は猫に摘ままれたと言い直すべきか、改めて山門を振り仰いでいると、門前には招き猫よろしく、背を丸めてちんまりと座した先ほどの茶トラが黒い川面を見つめていた。
茶トラが余りにも真剣に見つめるものだから、猫に倣って黒い川に目を落とした。白いなにかがぷかりと浮いた。
よくよく見れば猫の頭部だった。浮かび上がったかと思うと、するりと流され沈んだ。白猫に続いて三毛、シマ三毛に黒などなど、次々と毛色の違う猫が流されてくる。
茶トラが沈思黙考然とする書生のように静かに視線を落とす中で、一匹の猫が架け橋に上手く前足を引っかけて川から這い上がった。水気を払い入念な毛繕いも終えた三毛猫は、軽い身のこなしで山門を越えた。
茶トラがのんびりとした調子で鳴いた。
それは別れの挨拶だったらしく、途中で立ち切れたような短い尾を振って山門の向こうに消えた。
もう一度だけ黒い川に目を向けると、一際小さな白い頭が川面から覗いた。左耳から額にかけて、染め抜かれたような黒い斑点が二つ並んだ模様を忘れるはずもなかった。あっとなって目で追うも、ゆっくりと流されていった。
再びここへ戻ってくるだろうか。
やがて見つけるだろう。
ここは昨日も明日もなく、安穏と日向ぼっこをする猫だけに与えられた寺なのだから。
おわり
前々から書いてみたいと思っていたのですが
あー……なんや分からん感じになりました。