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第8話 決着

 

 それは異様な光景だった。

 赤黒くそして同時に黄金色を放つ得体の知れない獣と、その獣に巻き付く大蛸。

 まるで間違って海に落ちてしまった獣を捕食しようと大蛸が動いているような光景である。

 見る者の言葉を奪うほどの光景だった。

 アイラとジグドゥは、既に泥船をファレイにぶつけた瞬間に船から飛び降りている。

 着地の衝撃を吸収する為に泥を使いたかったが、もうジグドゥにはそういう余裕すら残されていないらしく、そこはアイラが体を張ってジグドゥを抱えたまま大地に降り立った。

 かなりの衝撃が襲ったが、それでもまだ戦闘不能には陥っていない。

 アイラにはもう攻撃の手段が残されていない、ジグドゥだけが頼りだ。

 ジグドゥの泥操作に頼るしかなかった。

 ジグドゥはアイラを信頼しきっているようで、泥操作以外は一切何もしない、眼すら閉じて精神を集中させていた。 

 しかし。

 その大蛸は、獲物を完全に捕らえていたのだが、その内部から紅い光線のような帯が放たれると、脆くもその体は崩れ落ちていった。

 重さにして1tは有りそうな泥が、地面に飛び散った。

 だが、所詮は泥である、いくらでも再生が利く。

 ジグドゥは、泥船をぶつけた瞬間から、ずっとファレイのエネルギーを吸収し続けている。

 ファレイにとっては微々たる物かも知れないが、ジグドゥにとっては貴重なエネルギー源だ、さきほどの襲撃の際もファレイにはまったく堪えた様子が無かったが、泥にファレイが触れている間は吸収を続けていたのだ、そのエネルギーを使わなかったらいくらジグドゥとて、とてもじゃないがあれだけの規模の泥舟を形成し動かす事は至難だったはずだ。

 ファレイは、泥に塗れながらも明確に攻撃する箇所を把握していた。

 泥を操作している人間は既に分かっているようだった。

 赤い眼が霧の体に浮かび上がり、間違えようの無いほどジグドゥを睨みつけている。

 人の心を砕くような、圧倒的存在感と恐怖を視るものに与える眼光だった。

 ファレイが、ジグドゥに攻撃を仕掛けようとした瞬間、地面に撒かれた泥が今度は巨人となってその行く手を遮った。

 身の丈は8mは軽く超えている。

 腕が太い。

 足が太い。

 胴も太い。

 首も太い。

 屈強と言う言葉がこれほど似合う物も珍しいと思えるほど、その泥巨人はたくましく、そして頼もしく見えた。

 ファレイよりも2周りはでかい。

 そういう泥巨人がファレイに掴みかかった。

 しかし、勝負は一瞬で付いた。

 まるで火球を抱えようとした紙人形のように、その泥巨人は一瞬にしてその姿を崩していた。

 呆れるほどに脆い。

 しかし妙だった、たとえ破壊されようと、すぐにその姿を変えファレイに襲い掛かっていた泥が、まるで日光に晒された氷彫刻のように崩れたまま動かない、いや動いている、動いてはいるのだがそれは再生の為に動いているのではなく、泥が自らの自重に耐え切れなくなり、重力に屈服する形で崩れていく動きだった。

 アイラが、その様子を見て、驚いたようにジグドゥを見ると、ジグドゥは前のめりに倒れこんでいた。

 「ジグドゥ!」

 すぐに駆け寄るが、ジグドゥはもう完全に意識を手放した状態だった。

 呼びかけても何の反応も見せない。

 無理も無い。

 いかに訓練されているといっても、あれだけの酷使は生まれて初めてだったのだろう、疲労困憊し意識不明になってもまるで不思議ではない、泥の持つエネルギー自体は敵から吸収した物を使っても、それを操作する精神力はジグドゥが消費しなければならない、本来ならば相手からエネルギーを吸収しながら戦闘ならば、2〜3日程度の長期戦にジグドゥは耐えられるはずなのだ、もっとも2〜3日も体力を吸われ続けながら動いていた相手など今までいないが。

 しかし、極度の緊張と、そして普段扱わない大質量の泥舟の製作、それの移動などにより、想像以上にジグドゥの精神は削られていたのだ。

 

 ああ――


 もう、これで完全に打つ手は無くなった。

 アイラは決心していた。

 この身がどう朽ちようと、ジグドゥだけは守り抜くと。

 それは母性本能に類する物かもしれないし、何か別の感情かもしれなかった、しかし理由などどうでも良かった。

 ありったけの力を注いだとしても、もしかしたら数秒ジグドゥの命を先延ばしにするだけかも知れない。

 しかし、何もしないでここで諦めるわけには行かなかった、普段は滅多にやる気を見せないジグドゥが意識を失うほどまで頑張ったと言うのに、自分がした事はそれと比べると何もやっていないに等しい、ならば自分が出来るのは諦めない事だ、そしてジグドゥを守る事だ、そうアイラは強く思っていた。

 ファレイがその決心を感じたのかどうか、研ぎ澄まされた刃物のような鋭い殺意の視線をアイラに送っていた。

 アイラは、ジグドゥの盾のように前に立った。

 先ほどから、ファレイの攻撃の威力は嫌というほど見せ付けられている。

 もしかしたら、ファレイの最も弱い攻撃だろうと、自分とジグドゥをまとめて殺す威力があるかもしれない。

 しかし、命を投げ打てば――命を代償にする魔法ならばこの怪物にも通じるかもしれない、可能性は僅かではあったが、その僅かな可能性こそが今は頼りだった。

 ファレイとの距離は凡そ150mほど、ファレイが攻撃を仕掛けてこようとすればもう射程距離に入っているかもしれない。

 先ほどの前足の攻撃にしても、100mは離れている距離から次々と襲ってきたのだから。

 予想通り、前足が吹っ飛んできた。

 数は1つ。

 これならば――

 アイラは口の中で精神集中の言葉を唱えた、すると目の前に淡い紫の燐光を放つ壁が出現した。

 それが、前足を弾いた。

 しかし、弾いたと同時にその壁は破壊されていた。

 先ほどの鉄柱に封じ込められていた魔法は、アイラが自分で時間をかけて封じ込めた物だ、あの中には今の魔法の凡そ100倍もの力が注ぎ込まれている、その100倍は魔法の持続力の違いで、一瞬だけならば今の残りカスの様な魔力でも出現させられる、さきほど何度も攻撃を受けていた為その間合いや速度を完全に覚えたからこそ出来た芸当である、初めて見る攻撃には有効な手段とは言えない、どれほど強力な防御魔法だろうと、一瞬だけではほとんど役に立たないからだ。

 それは例えるならば、一枚の顔より少し大きめの部位が隠れる鉄板を持っているようなものだ、それで相手の銃の弾丸を防ぐ行為に似ている。

 相手がどこを狙ってくるか分からない、例えば心臓を相手が狙っていると分かればその部分に鉄板をおいておけばとりあえず死ぬ事は無いだろう、しかし、相手がどこを狙ってくるか分からない場合、極めて困難な作業となる。

 それ以上の事をアイラは行っているのだ。

 何しろ、アイラの場合はその身を護る鉄板が数秒しか出現しないからである。

 ファレイは憤怒した。

 またしても、攻撃が弾かれたからである。

 それから2度弾いた。

 奇跡に近い成績だった。

 もしも、このような極限状態でなければ10回に1度成功するかどうかというところだ、それにしても決して悪い数字とは言えない。

 それを3度も連続で成功させるのは、眼の眩むような確率のはずである。

 こういう状況で本来の力を出せる事も十分凄いことなのだが、本来の力以上を出せると言うことはアイラの戦士としての卓越した資質が伺える。

 ファレイは攻撃を止めていた。

 どうしたのか!?

 アイラが見たそれは、絶望的な光景だった。

 そこにはもう見慣れたはずなのに体毛がざわつく狂獣がいた、赤黒くそして黄金色に輝いている全長4mはある獣だ。

 それが禍々しい息を吐くように、霧を纏わり付かせそこに出現していた。

 狼でもない、獅子でもない、虎でもない、熊でもない、豹でもない、そして人間でもない獣である。

 それの口に強烈な力が集まっていた。

 今までの手抜きの攻撃ではなく、一箇所に集中させた力の塊をぶつけてこようというのだ。

 恐らく閃光のような鋭いモノが、空気を裂いてアイラとジグドゥを襲うのだろう。

 どれほどタイミングを合わせて、残った全ての魔力で結界を張っても恐らく防ぎきれない威力がそこにある。

 アイラは逃げなかった、そして防御体制もとらなかった。

 どうせ、この攻撃は避けられない、そして防げない。

 アイラがした作業は1つだけだ。

 それは覚悟する事。 

 この攻撃を受けるが、それで絶命はしないようになんとかする。

 重傷は負っても構わない、相手の攻撃を喰らいながら相手の体をどうにかして掴み、そして命を全てすり減らして魔法を放つ。

 それしかない、とアイラは考えている。

 歯を食い縛った。

 震えそうな足を必死で押さえた。

 その光景をまた楽しそうにファレイが見ている。

 笑うが良い――、好きなだけ笑い、そして侮れば良い、その時に人間の恐ろしさをお前に教えてやる。

 アイラは心の中でそう、堅い決意を抱いた。

 そして、ファレイの口から予想通り紅い閃光が放たれた。

 決して大きくないが、丁度人の腕3つ分程度の太さがあった、肉体がその攻撃を受けてしまったら、体のどの部分に喰らっても、その部分は使い物にならなくなるのは考えるまでも無い、そしてそれが四肢であれば使い物にならなくなるだけで死ぬことは無いかもしれないが、腹部や頭部に当たったらそれでおしまいだ。

 閃光は、アイラの体の中心を狙っていた。

 予想通りの攻撃だったが、前足の攻撃よりもやや早い、この攻撃を体の中心に喰らってしまったら絶命はどう足掻いても免れない。

 僅かに体を動かせば、それで避けられるような気がした。

 それが出来るだけの反射神経と運動能力はまだ残っている。

 アイラは一瞬避けようとした、しかし、それを思いとどまった。

 避けてしまったら、背後にいるジグドゥに当たってしまうのではないか、そう思ったからである。

 背後を確認する余裕は無いが、かなりの確率で当たってしまうような気がする。

 踏みとどまるしかなかった。

 それ以外の選択肢を選ぶには時間があまりにも無かった。

 心臓以外ならば、喰らってもすぐには死なない、そう見切りをつけた。

 魔法が発動するまでに、数秒生きながらえていればそれで良いのだ。

 紅い閃光が、アイラの覚悟を知ってか知らずか、無常にも迷い無く美しいとさえ思える直線でアイラのみぞおちの辺りに迫った。

 アイラはぎゅっと固く奥歯をかみ締め、あらゆる苦痛にも耐えるという表情を浮かべた。

 未だかつて無い恐怖が全身を包んでいたが、眼だけは絶対に閉じようとしなかった。

 だが。

 その時だった。

 

 びちぃ

 

 そういう音がした。

 何かが避ける音だった。

 布を何枚も重ねて、それを思いっきり引き裂いたらこういう音がするかもしれない。

 アイラはそれを見ていた。

 アイラの肉体に閃光が触れるほんの一瞬前で、その閃光が4つに分断されたのだ。

 その全てが、アイラの肉体に触れる事無く、でたらめな方向へ伸びて行った。

 一瞬、アイラはそういう遊びを今度はこの怪物が始めたのかと思った。

 さっきは檻の中の獲物を甚振る遊びで、今度は死を覚悟した相手を殺す寸前まで追い込んで楽しむ遊びを。

 しかし、それが違うとアイラには分かっていた。

 ファレイに異常が起きていた。

 獣の顔の左半分。

 眼球の周辺と左頬が、まるでかなり重いハンマーか何かで殴られたように陥没していたのだ。

 異常はそれだけで終わらなかった。

 まるで見えない鳥に肉体を啄ばまれているかのように、赤黒い黄金色の肉体がぼっぼっと所々に抉られているのである。

 奇怪な光景だった。

 アイラは動けない。

 もしも、何か攻撃手段を持っていればこの決定的な隙に攻撃できそうな気がした、しかし実際にそのような手段を持っていたとしても、この様子を静観していたような気もする。

 それほど目の前の光景は凄まじかった。

 体の大半が陥没し、そしてその霧の中に包まれ朧げにしか見えなかった人の姿が、はっきりと見えるほどになった。

 

 ぬぅうっ

 

 ファレイが喉の奥に詰まったような驚愕の声を上げていた。

 霧の中の人物は、はっきりと自分の意思で体を動かしているように見えた。

 ローブを着た、白髪の男が、ファレイと同じような紅い色をした瞳で、何かをやっていた。

 人の形をした獣のようにも見えた。

 「てめえ……、もう戻りやがれ――」

 ローブの男が、呻くように言うと。

 ファレイは、心底口惜しそうな哀切すら感じさせる、声なのか、音なのか判断が付かない物を虚空へ放つと、ローブの男の周りに漂っていた全ての霧がまるで嘘のように消え去っていた。

 その場に残されたのは。

 ローブの男。

 それを見詰めるアイラ。

 後方に倒れるジグドゥ。

 その3人だけである。

 さきほどまでの戦闘が嘘のように、辺りを当たり前の静寂が包んでいた。

 声を発するものは無い。

 遠くから獣の遠吠えのような物が聞こえるだけだ。

 さきほどまで雲に隠れていて完全にその姿を見せなかった月が、僅かにその姿を晒して、微量ながら光を大地に落としていた。

 アイラは完全に脱力していた。

 本来ならば、このローブの男に攻撃を仕掛けるべきだ。

 しかしもうそんな気が失せていた、もう今日はどんな相手とも戦う気が起きないだろう、そういう一日をアイラは今過ごしたのだ。

 極度の緊張状態から脱するとほとんどの人間が、脱力状態になる、出来る事ならアイラもジグドゥと同じように地面に寝転んでしまいたかった。

 だが、まだ油断は出来ない。

 こちらから攻撃する意思がまるで無くても、向こうには有るかもしれない。

 向こうから攻撃されるに十分なことをこちらは既にやってしまっているのだから。

 その時、ふとローブの男が下を向き。

 「何で……」

 「え……」

 「何でお前らは……、お前らは俺に構うんだ! 畜生、そっとしておいてくれ、お前らにこの気持ちが分かるか、自分の意思と関係なく誰かを殺してしまうこの力を持つ事がどれほどのものか! ちくしょう……」

 見上げた男の眼は、まるでファレイと同じような獣の眼だった。

 怒りに満ちた獣の眼だった、そして涙こそ零さないが瞳に堪らない悲しみが浮かんでいた。

 先ほど、無関係な人間3人を殺した事を、僅かな感覚では有るが理解しているのだ、そしてそれを悔いているのだ。

 アイラは言葉も無い。

 激昂しているようでもあり、そして苦しんでいるようでもあり、そして耐え難い悲しみに打ちひしがれているようにも見えた。

 自らの身に宿る獣の凶暴さ、邪悪さ、恐ろしさ、それらを全て理解し、そしてそれを心底嫌悪している表情を男は浮かべた。

 ローブの男は、フードを被りなおし、アイラに背を向け歩き出した。

 「ま、待ちなさい!」

 アイラは、思わずそう言った。

 言ってから、自分が引き止めるだけの理由がないことに、また引き止めるだけの力が無い事に気付いている。

 ローブの男は僅かに顔だけアイラに向け。

 「どうせ俺を殺せもしない癖に……」

 そう言った。

 強烈な言葉だった。

 男の目的は死なのか?

 そのようにしか思えない発言だった。

 ローブの男は、再びアイラに背を向け、歩き出した。

 男の先には無明の闇が広がっている。

 アイラは、その背を見送るしか術が無かった。

 呆然と、立ち尽くしているアイラの、その背後でジグドゥが、安らかな寝息を立てていた。

 

                              ・

 

 「駄目でしたねェ」

 その様子を遠方からクァルゴは見ている。

 見てはいるが、道具は一切使用していない、これほど光が無い状況で遠くから見るのは人間の視力の限界を遥かに超えている。

 しかしクァルゴにはかなり鮮明にその様子が見えているようだった。

 その横で老人が。

 「分かってはいた。だがな、今回の戦いはそれなりに参考になる部分が有ったわ、それだけでかなりの収穫じゃの」

 こちらは、小型の片手にすっぽりと隠れる大きさの双眼鏡を持っていた、それだけの道具ではやはり常人では夜に遠方を見るには頼りないが、老人にも問題なく見えているようだ。

 「被害者も出てしまったようですし、どうするんです?」

 「知った事か、もうこの国に用は無い、水守が勝手に始末を付けてくれるじゃろう」 

 老人にとってもう、ローヴァには興味が欠片ほども無いらしい、作戦が失敗した苦情すら言う気も無いのだろう。

 「良いんですかねェ、本国から怒られちゃいませんか」

 「それはそれで構わん。しかしやはり我らの手には余るなアレは……」

 「やっとその結論にたどり着いてくれましたか」

 クァルゴが嬉しそうな声を発した。

 この男、自分が面倒な目に合わなければ何でもいいと思っているのかもしれない。

 「あの男を好きな場所へ誘導できる手段があればそれで構わないのだが、そういう手段が思いつかんしな、何やら目的地が有るようにも思えるからの。捕らえるにしても、わし1人では荷が重い。こうなっては仕方が無い、本国に応援を要請するしかあるまいて」

 「いや、賢明な判断ですねェ」

 「おぬしが本気になれば、わしと2人であやつと対等以上に戦えるかも知れんと言うのに――まったく、情けない弟子だ」

 老人が、ため息に近い息を吐きながら言った。

 

                             ・

 

 最初に泥人形が襲撃した洞窟は、既に跡形もなくなっている。

 その場所に1人の男が寝転んで、空を眺めていた。

 体を虚脱感が襲っていたが、それはもうほとんど消えて、妙にさっぱりした気分になっていた。

 あれから何時間気を失っていたのか――

 寝転んでいる男――ダノンは記憶の糸を手繰っている。

 ローブの男に、抱きかかえられている場面は記憶に残っているのだが、それ以降は紅い色の記憶しか残っていない。

 しかし、分かっているのはあの男に助けられたのだという事実だけだ。

 あの男が来なければ襲われる事も無かったのかもしれないが、それはそれだ、助けてもらったと言う気分に変わりは無い。

 それにしても――とダノンは思う。

 あの暗い眼をした男、あの男がどうにも嫌いじゃなかった。

 もっとはっきり言ってしまえば好感を抱いていると言っても良い、あの暗い男、人が話しかけても大した返事も返さないあの男にだ。だが、それは助けられたからというのとはまた違うのかもしれない、あの言葉を聞いたからだと思う。

 

 生きたいのならば生きろ――

  

 当たり前の言葉だった。

 投げやりな言葉にも取れる。

 しかし、あの状況で聞いたからかもしれないが、妙にダノンの心にその言葉が残っていた。

 自分は、今まで必死に剣の修行をし、そして生きていた。

 しかし、生きると言うことを意識していたかと言うと、どこか妙にその事を考えないようにしていたのではないか。

 そう考えさせられた。

 生きる事は悪い事ではない、少なくとも生きる意志が有る内は生きるべきだ。

 あの言葉がそういう意味に聞こえていた。

 ダノンは思っていた。

 あの男には生きる意志が有るのだろうか――

 その問いの答えは闇に掻き消えていた。

 とりあえず一眠りして、朝になったら、この辺りの地面を掘り返してみよう、そうダノンは思っていた。

 泥人形が使っていた武器が眠っているかもしれない、かなり上質の品だったからまとめて売ればかなりの値段になる、その金を組織に渡して、何とか譲歩出来ないだろうか、そういう考えを今、ダノンは持っていた。

 金で解決できないときは、その時はその時だ、絶体絶命に陥っても悲観せずに、出来るだけの事をしてやろうとダノンは思っていた。

 そういう考えを頭の中で考えながら、ダノンは眠りに付いた。

 眠りに付く直前にあのローブの男の顔がちらりと浮かんで消えた。

 

  

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