第50話 最終決戦開幕
「救うだと?」
ガイツが尖った口調で聞いた。
「そうだ、現在の人類の停滞期を脱却するには例え壊れても構わないほどの衝撃を与える必要が有る、それが人類とは次元の違う私の力だからね」
エクの姿形をした、エクとは異質の存在は声を高らかにそう言った。
エクの姿は髪を剃髪し、服装はどこにでもあるような安っぽい僧衣のような服、装飾品の類は一切見につけていない。
ただの、10歳程度の子供にしか見えない。
だが、ただの子供にしか見えないというのに、その全身から放つ圧倒的な存在感はどうだ。
獅子が何も見に纏っていなくても獅子で有るのと同様に、何もしていない状態で他を圧倒する何かを全身から弾けんばかりに感じさせるのだ。
思わず平伏してしまいそうになる。
意志が弱い者ならばそうしてしまった方が遥かに楽だと思えるほどのオーラに似た物をエクは放っている。
元々、『神の御子』として、国家単位の一宗教団体の次期総帥と呼ばれる少年である、ハヤンが出会った当時から常人離れした存在感と魔力は感じさせていたが、今のエクはそれよりも尚、異質であり、そして尋常なレベルではない。
ただ人の形を、子供の形をしているが、その中に秘められた者の存在は凶々(まがまが)しく、そして強大な意思である。
「人類全員をさっきの総帥のようにする気か」
プルシコフがこの男にしては珍しく、僅かに怒りが篭っている口調でエクに問いかけた。
先ほどの存在は確かに人間を超えた存在だ、だがあれになりたいと思う人間など稀有だ、あれになった時点でもう人間が人間として享受できるあらゆる幸福を放棄してしまう事と同義だ。
「あれは一つの成功だよ、もっと別の姿に変わる人間もいるだろうし、姿は変わらないで今の人類とはかけ離れた意思を持つ人間も生まれるだろう。さっきね試しにちょっとこの周辺だけ篩いにかけたんだ、一人でも残ったのは成果だったな、適合者じゃないと体が持たないんだ。もっとももうその成功例も死んでしまったようだけどね、今現在だと1000分の1程度の確率か、これが高いか低いか、それを判断するのは生き残った人達だよ」
エクは、ダルマとパンチェッタが、怪物化した総帥を撃破した事も既に理解しているようだった。
エクの理論だと、エクの力というのは進化を促す作用のある能力であり、それの影響を受けると肉体的かあるいは精神的な過剰な反応が起こり、適応能力が無い人間は細胞が死滅してしまうということらしい。
人が人以上の力を手に入れる代償と言う事なのだろうか。
「よく分からないが、お前が何かをすると1000人の内999人は死ぬと言う事か、それがどういう意味だか分かっているのか!?」
ガイツが激昂した口調でそう言った。
どこか掴み所が無いようで、それでいて常に余裕を感じさせていた男が見せた、素の怒りであった。
「尊い犠牲と言う物だよ、言っておくけど人類だけじゃない、他の動植物全部も篩いにかける、生き残った存在だけでこの世を動かす、そうすれば停滞期を抜け出し、人類は空へと足を伸ばせる、宇宙の果てに人類が到達するのも決して夢物語ではない時代が来る……、それは悪い事かな? 人類の夢だろう?」
夢見るような口調でエクは話している。
「その夢とやらが、誰かの屍の上に築かれていなければな」
ガイツの言葉に、エクはおかしくてたまらないといった声を発した。
「ふっくく、人類の歴史は、犠牲の上に成り立っているのだろう? どこがいけない? これまで多くの失敗を繰り返してきた人類、そろそろ限界なんだよ、だから私が手を貸してやろうというんだ、いずれこのままいけば人類は……、そうだな2000年程度先には末期に陥るはず、そうなってからでは遅いんだよ」
「どうにも気に入りませんねェ」
珍しくクァルゴが口を挟んだ。
エクがクァルゴに視線を向けた。
「気に入らない?」
「ええ。僕はね、基本的に物事に干渉しないように生きているんです、はっきり言って世界を良くしよう何て思わないですし、良くなれば良いとは思いますけど、その為に自分の時間を割こうとは思わない、その分自分の幸せを追求するべきだと考えているからなんですけどねェ。利己的だとは思いますけど、あくまで他人をそれに巻き込もうと思ってはいないんですよ、あなたみたいにね。これが幸せだからこうするべきだって押し付けがましい親切は迷惑です」
嫌悪の表情を浮かべていた。
それはクァルゴだけではなかった。
「同感だな。人類がいずれそうなるんだったら、それまでと言う事だろう、お前にどうこうしてもらう筋合いは無い。滅ぶのを選ぶのも人類のするべき事だ」
プルシコフも同調した。
「君はどう思うの? ハヤン」
エクはハヤンに問いかけた。
エクの変貌振りに茫然自失状態だったハヤンは、声を掛けられて急にハッとしたように答えた。
「俺は……、どうでも良い――」
ハヤンの眼には光が無かった。
人が生きていく上で必要な光が。
自分はもう護る者が無い、そう痛感した表情がハヤンに浮かんでいた。
かつて自分の村で自身の手で親しい人間達を虐殺した経験を持つこの男は、自分が死ぬ方法を探す旅を続けていた、その中で出会ったエクという少年にわずかばかり心を開いていた、その少年は意識を失っていたハヤンに付き添う形で旅に同行し、そして途中で拉致され、現在に至る。
死への旅路の中で、ほんの少しだけ自分の死よりも優先させるべき事項がハヤンの旅に追加されたのだ、それがエクの救出である、それが今目の前で費えたのだ、その衝撃は常人に計り知れない物が有るのだろう。
エクの発する気とは正反対に、萎んだ風船のように、弱々しくいつ死んでもおかしくないほどの気配になっている。
「ふぅん。とりあえずこの場の多数決では君達は私に逆らうというんだね」
エクは、ハヤンの姿を見ても表情一つ変えずに、全員に視線を送った。
「これも一つの抑止力なんだろうな……」
エクが小さく呟いた。
「何か世界規模な何かを成そうとすると、現在の全てはそれを阻止しようと動く、つまり君達は現在のこの人類代表というわけだ。しかし皮肉なものだよ、君達の視点からすれば君達は世界的大虐殺者を止める救世主様でも、私の求める未来からすれば発展を授けようとする天使を拒む悪魔に過ぎない、果たしてどちらが正しいのかな……」
「それをこれから決めるのだろう?」
ガイツが不敵な笑みを浮かべてそう言った。
「サービスで教えてあげるよ、私の肉体と意思はまだ完全に制御し切れていない、だがじきにそれにも慣れる。そうなれば現時点のあらゆる攻撃は私には通用しなくなるよ、別次元の存在になってしまうからね、多く見積もっても一日もあれば完全な状態になる、君たちの中の誰かが抜け出て救援を呼んでも間に合わないよ、もっとも今の私の話を信用させるだけでかなりの時間を食ってしまいそうだけどね――」
誰もそれに答える者はいない。
その言葉に、「本当か?」と問う物もいない、確かめる術などどこにも無いのだから。
戦いは既に始まっているのだ。
少なくとも、プルシコフ、クァルゴ、ガイツ、ハヤンの四人が倒されたらそれでおしまいである。
全世界規模で総統府で起こした現象を起こされたら、全人類の大半は死滅する事になる。
その内の僅か1%未満の存在が生き残るという話だが、それも確かか分からない、少なくとも『人類』という種族が滅び新しい種族が誕生する事だけは間違いが無いだろう。
まさに世紀の一戦となる。
最初に動いたのはプルシコフであった。
プルシコフの振動波による攻撃がエクを襲っていた。
エクは身動き一つせずに、その振動波をまともに食らっていた。
勝負は決したか!?
プルシコフの能力は分子レベルで存在を揺らし、その結合を解く分解振動である、これをまともに喰らってただで済む訳が無い。
だが。
エクの体は陽炎のようにぼやけているように見えるが、まるで平然とその場に立っている。
「振動波か、中々面白いけど、振動し分解する倍以上の速度で修復していれば何の問題も無いね」
驚くべき事にエクは、再生をし続けているから破壊されても効果が無いと言っているのだ。
この速度での再生が可能ならば、例え剣で切り裂かれても、肉体が一滴の血を溢す前にその肉体は再生を完了するだろう。
この存在を倒すには一息で首をそぎ落とすか、あるいは――
プルシコフの攻撃が通用しないと見て、エクの死角に当たる位置から飛び掛ったのはクァルゴであった。
クァルゴの能力は単純明快、相手を喰らう能力である、肉体のどの部分にも出現させる事の出来る『口』で、相手の肉体や相手の攻撃を喰らうのだ。
今も右手の中指から腰の辺りまでの大きさの、巨大な口でエクを噛み砕こうと襲い掛かっていた。
どれほど再生しようと、その口で丸ごと噛み砕けば問題が無い、そう考えているようであった。
しかし。
エクはその攻撃に僅かに視線を送っただけである、たったそれだけでクァルゴの右腕は肩の位置から胴体と離れ離れになってしまっていた。
クァルゴの大口を開けた右腕が空中で何回転もしながら地面に叩きつけられるように落ちた。
開けっぴろげのままの口が滑稽にすら見えた。
「はは、そんな単純な攻撃が通用すると思っているとはね」
エクは人の右腕をふっ飛ばしたとは思えないほど、軽い口調で言った。
最後に動いたのはガイツであった。
ガイツはエクに近寄らなかった。
「さっきの奴よりよっぽど怪物だぜ……、なら子供でも遠慮はしないぜ」
そう言うと、なにかを空中に召喚させた。
それは、腐った木の枝に見えた。
その木の枝が何本も何本も絡み合って出来た長さ1mほどの物体。
道に落ちていても誰も拾ったりはしないに違いないそれを、ガイツは躊躇わず手に取り、エクに向けた。
「何をする気なのかな?」
「テメェを倒すのさ」
「出て来い!『呪毒嫌悪妖精』」
その木の枝から黒い霧のように、それは姿を現したのだった。
それは、毒々しい色をし、溝泥の中に体を漬け込んだような色と腐敗臭を漂わせた奇怪な生き物であった。
大きさは1mほどの真っ黒なミイラを、腐った水に漬け込めばそれに近い物を造り出せるかもしれなかった。
それが、眼だけは異常なほどに光らせてエクを見詰めていた。
まるで首を絞められているような視線をエクに向けている。
「大した物だね、それを扱うなんて。人間では手に負えないはずなのにね」
エクはそれを知っているように言った、エクの姿をしているその存在は、エクの知識を得ている、その中から目の前の妖精の名前と特性も理解しているのだろう。
エクの言葉と同時に、呪毒嫌悪妖精がカッと口を開き、そこから吐き気を催すような雄叫びをエクに向かって放っていた。
それと同時に、両目からは光線に似た何かが飛び出し、それがエクの体を覆いつくそうとしていた。
その雄叫びの被害はエクだけではなかった。
「ぐぅぅ……」
クァルゴは、右手を失っている為、左手だけで耳を押さえているが、音を防ぎきれていない。
「が――」
ハヤンは、その衝撃に転がりながら苦痛に呻いていた。
平然としているのはガイツを除けばプルシコフだけである、プルシコフは体の周囲に振動波を放ち、それを盾代わりに出来る。
それで問題無いのだ。
それにしてもその叫び声は、凶器に匹敵する威力を持っていた。
意思を強く持っていなければ発狂してもおかしくないほどの衝撃である。
さすがにエクにも多少は効いているように見えた。
その顔が僅かながら歪んでいるのだ。
苦痛に歪んでいるように見えた、……だがそれは違った。
エクは顔を歪めながら笑っているのだった。
「はははっはははは! この程度なの? そりゃあ、その妖精の力は対人呪殺魔法としては最高峰だけどね、私には無意味だよ。なんだ、これだったら、もう全員一息に殺しちゃおうかな?」
言った瞬間、今までとは比べ物にならない絶叫を呪毒嫌悪妖精はあげた、断末魔の悲鳴とはまさにこの事と誰もが思うような部屋全体を揺り動かすような音であった。
それと同時に、まるで体内に空気を注ぎ込まれたかのように一瞬で膨れ上がると、呪毒慟哭妖精は跡形も無く弾け跳んでいた。
「終わりかな?」
エクの唇に浮かんでいるのは余裕の笑みではなかった。
言うなれば超越の笑みだ。
勝ち負けという場所を遥か高みから見下ろしている存在の笑みである。
全員が戦慄に動きを止めていた。
全員の攻撃が死力を尽くしたものではない、だがこうまで無効にされるような攻撃でもないのだ。
多少はダメージか、そうでなければ相手からの何かしらの行動があれば、その後の展開に繋げるのだが、現在の所クァルゴの右腕を吹っ飛ばした以外は、攻撃らしい攻撃を(妖精を破壊したのを別にすれば)していない、ただ相手の攻撃を受けただけである。
隙を突こうにも、ほとんど動きらしい動きをしていない相手のどこを隙を突けば良いというのか。
「やっぱりハヤンのファレイ以外は私を傷つける事は出来ないようだね、もっともハヤンにその気が無ければどうしようもないな――」
エクは呆れるように、ほとんどまともに視線を合わせようともしないハヤンに言葉を投げた。
「どうする? ハヤン僕を殺せる?」
「俺は――」
ハヤンは、何かを言おうとしているがそれの大きさが喉を通らないように言葉が出ない。
「君だけは他の誰とも違う……、愛国心でも正義感でもない、言うなれば成り行きでここまで来た身だ、強いていうならばエクという少年を助けたい為だけにここに来た、その理由も失ってしまった君には、ここに立っている理由すら見つからないんだ、だから私に牙をむくことも出来ない――」
「……いや、理由はある」
ハヤンはきっぱりと言い切った。
確信に似た力が篭った声だった。
今までの投げやりで無気力で、そして無関心。
この世の全てに興味を持っていないようなこの世捨て人のような男からは考えられない強い意志が込められた口調である。
「お前を止める」
ハヤンは死を決意してから、恐らく初めてであろう。
心からの自分の意思を明確に相手に伝えたのだった。




