第49話 救済の子
完全に精根尽きたという風に、パンチェッタとダルマの二人は地に倒れ天を仰いでいた。
荒い息を吐いている訳ではないが、肉体にはもうほとんどまともな体力は残っていない、今戦えといわれたら、街中のチンピラ程度にも苦戦しかねないほどだ。
「おぅい、英雄。今ならわしを殺せるぞ」
ダルマが、天に向かって呟くように言葉を吐いた。
自暴自棄にも取れるほどの言葉だが、どこか爽やかささえ感じる言葉だった、何かさっぱりしたような雰囲気すら漂う。
とてもじゃないが、右上腕の骨がへし折れて、肋骨が2〜3本折れている人間の声には思えないほどである。
「馬鹿か、英雄が老い先短い爺さんを殺すかよ、それにそんな元気が残っているかよ」
パンチェッタの返す言葉もどこかさっぱりしていた。
たった今、怪物と死闘を繰り広げて、内臓を破裂寸前まで攻撃された全身が疲労の極地の人間の声には思えないほどである。
この二人の声は、まさしく大仕事を終えた男たちの会話だった。
苦痛や疲労を超えるほどの達成感が二人を満たしているのだった。
「こりゃあやつらの手助けは無理だの、行っても足手纏いが良い所か」
「ああ、悪いが連中には連中で頑張ってもらうしかないな」
「あやつらなら、まぁ何とかするじゃろ」
「かもな、どっちにしろ手伝いには行けねぇんだ、せいぜい祈ってりゃいい」
「何に祈れと?」
「知らねぇよ、無神論者なら自分の運にでも祈ってろよ爺さん」
「そうするとしよう」
「……しかし、ちょっと運が無かったようだぜ」
「かもしれんな」
二人は、肉体の限界に近い状況にありながら、地面から体を起こした。
そして二人は同時に同じ方向に視線を送っていた。
何者かが近づいて来る気配が有るのだ。
「さっきの奴の家族とかでない事を祈るぜ」
「まったくじゃな」
・
ハヤン、プルシコフ、クァルゴ、ガイツ、ファエイルの五人は一つの部屋に辿り着いていた。
この部屋に辿り着くまでは、一切どのような障害も無く、また先ほどのような怪物が襲い掛かってくることも無かった、ただ、全身を舐めあげられる様な、奇妙な不快感が全身を包んでいるだけだ。
「この部屋だ」
ハヤンは言った。
その言葉には確信以上のものが込められている。
ハヤンがドアに手をかけようとした時、ガイツがそれを止めた。
「待てよ、とりあえず用心はしておくべきだ、恐らく中にいるのは敵だ、そのエクって子供以外に間違いなくいるだろう、それはかなり高い確率で総統って奴だ」
「総統自身は以前は軍部にいたが、現在は職務に追われて能力自体は落ちているはずですよ、この面々で警戒する必要は――」
ファエイルがガイツにそう言ったが。
「いや、少なくとも仮説ではあるが、幻闘獣の力を手に入れていると見て間違い無いだろう、ならば年齢は関係ない」
「しかし、どう用心する?」
プルシコフが尋ねた。
「計画だけ立てとこうじゃないか、部屋に入って誰が敵と戦うか、誰が人質を助けるか、そのくらいは話し合っておくべきだろう」
ガイツはそう言ったが本心は別に有るのかもしれない。
そのような役割は話し合っても、実際にその場になるとどのような状況になるか分からない、臨機応変に動くべきだ、恐らくガイツはこの部屋に入る前に一呼吸入れて全員の緊張を解こうとしているのかもしれない。
「エクを助けるのは俺だ」
「まぁそうだろうな、敵の相手は俺達がするよ、なぁプルシコフよ」
「気安く名を呼ぶな」
「じゃ、開けますかねェ」
クァルゴの声と同時に、総統執務室のドアが開かれたのだった。
先ほど、ドアを開けようとしたと同時に襲ってきた攻撃を警戒していたのだが、何も無い。
それどころか部屋に敵の気配は無い。
「エク!」
ハヤンは目ざとく部屋の奥のソファに仰向けに寝ているエクを発見し、すぐに駆け寄った。
他の四人は、全員がそれは囮であると考えていた。
近付いたと同時にどこかに潜んでいる敵が襲い掛かるのだと。
しかし、予想に反して何も起きない。
ハヤンはエクを抱きかかえると、その体に外傷が無いか調べた、だが外傷の類は見当たらない、しかし意識は無いようだ。
それにしても何も起きない。
いったいどう言う事なのか。
「総統の姿も無いな……」
ガイツが言いながら辺りを見回した。
「今、振動波で部屋を調べたが、誰も他にはいないようだ、姿を消す魔法の類でも無い、本当にこの部屋には誰もいないぞ」
プルシコフは、やや困惑気味にそう言った。
「どうしちゃったんですかねェ」
クァルゴの拍子抜けしたような口調が静かな部屋に染み込むように響いた。
ファエイルだけは、全員とまるで違う場所に視線を送っていた。
机だ。
机の上に置かれている箱。
あれは――
間違いなく、以前総統に見せられた封印された箱、幻闘獣憑きを生み出す箱だ。
ファエイルはそれにごく自然な動きで近付いていった。
これを手に入れる事が出来れば、あるいは世界の勢力図を書き換える事が出来るかもしれない、これはそれほどの物なのだ、だがここにいる全員の目を欺いてこの箱を手に入れることが出来るだろうか。
不可能に近い。
まず隠すのは不可能。
ならば……
「これです! この箱ですよ! 総統が封印を解くとか何とか言っていた箱は!」
隠せないならば、むしろ自分からその箱を皆に見せる、それが第一手、こうすることで自分がそれを欲しがっていないように伝わり、後々これが自分が誰も気付かぬうちに、この箱を手に入れる事が出来るきっかけの足がかりになるかもしれないのだ。
だが。
ファエイルは言った瞬間気付いていた。
少なくとも発見した時、その時は箱が閉じていた。
そして全員に視線を送ってすぐに箱に視線を戻すと――、いつの間にかその箱は開いていたのだった。
封印されているはずなのに?
「え?」
ファエイルは、フラフラとその箱に近付いて行った。
「何かヤバイぞ! 止まれ、あんた!」
ガイツの言葉よりも先に、ファエイルはその箱を手に取った。
その時、それは起こった。
ファエイルの体が、音も無く消え去ったのだった。
まるでプルシコフの振動波による分解を食らったように、さらさらと衣服までが砂になり、その存在が本当にそこにいたのかどうかまで怪しいほどに、跡形も無く消え去っていた。
手に持っていた箱だけが、カランと地面に落ちた。
「ッ!?」
ガイツは絶句した。
少なくとも攻撃の波長とか、そう言う物が皆無だった、それなのに人間1人をあれほどまでに破壊できる攻撃、それは一体どれほどの力なのだろうか。
「攻撃と言う事か!?」
プルシコフは周囲に警戒をしながら、振動波での防御を張り巡らせた、しかし誰も攻撃してくる気配は無い。
「違うよ」
その時、唐突に声が響いた。
幼い声である癖に、その声は高まった緊張を切り裂く名刀のような鋭さを持った声だった。
意識を失っていたはずの、エクの声である。
ハヤンは、驚いた。
「エク! 意識が戻ったのか!?」
「何が違うと?」
プルシコフは、エクの言った言葉が自分が言った言葉に対する答えであると即座に理解していた。
「あれはどういう攻撃でもないよ、ああなったのはあの人の力だよ、簡単に言えば資格が無いからもう生きていくことが出来なくなったんだ」
きっぱりとした断言の口調であった。
まるで全てを把握している物事を、新人に指導するような口調である。
「エク、一体何が有ったんだ? 総統とかいう奴はどこに隠れているんだ?」
ハヤンは心配そうにエクに問うたが、エクはほとんど毛ほども表情を変えずに。
「総統? それならさっき会ったはずだよ、大広間にいたろう? あれがそうだよ」
エクは静かに言ったが、その言葉の意味は全員の動揺を誘う物であった。
「あの怪物が!?」
「一体どう言う事だ!?」
エクの言葉を信じるならば、先ほど襲ってきた蜥蜴人間のような怪物が総統という事になる、ということはダルマは自分の国の指導者と死闘を繰り広げていたという事になる、愛国心は人より強いはずのダルマにとっては皮肉極まりない話である。
「あの人は勘違いしていたんだよ、『箱』が1人を全世界の王にする為の物だとか言ってね。あれはそんな物じゃないのに」
「どう言う事だ?」
ガイツが聞いたが、それに答えるようなそうでないような口調でエクは続けた。
「でもあの総統って人は肉体的には成功例だよ、他の人間が今みたいに形も残らなくなったのに、この場所でたった一人だけ、ああやって生き延びられたんだから、あれは生物としては完成形だよ、知性こそまるで話にならなかったけど、戦闘技術は生まれたてで過酷な修行を積んだはずのあなたたちと渡り合った、あれは病気にもかからない、肉体もほとんど食事しなくても生存可能、生殖能力の有無は分からないけど、あれば太古の昔に存在していたら、間違いなくこの星の王になっていただろうね」
誰も言葉を失っていた。
エクの言葉どおりならば、この総統府全体の中で生き残ったのは、先ほどの怪物化した総統だけであり、他の人間は現在のファエイルのように砂のように存在できないほどの物体になってしまったという事になる。
エクの言葉の続きを全員が待っていた。
「あの箱は、進化させる可能性が詰まった箱なんだ、幻闘獣というのは人の中に眠る可能性、本能、野生、まぁそんなような物だよ、単純だけど強靭な本能、だから幻闘獣は基本的に相手を喰らう、食欲というのは三大欲求の一つで濃いからね」
「意味がよく分からない……」
ハヤンが困惑極まる表情で達観したようなエクを見詰めている。
そのハヤンに向けて、まるで菩薩像のような笑みをエクは向けた。
「分からなくて良いんだよハヤン。簡単に言うとね、あの箱は強力な力を封じていたのさ、そしてその封印はファレイのような強力な力でなければ解く事が出来ない……はずだった」
「はず?」
「解いたんだよ、ボクが。人類史上稀有な魔力の持ち主である、ボクがね」
誰かの生唾を飲み込むような音が、その場に響いた。
「しかし、魔力を封印する契約をしたはずだが……」
プルシコフは、額に浮かぶ汗の存在を感じながらそう言った。
確かにレゼベルンからエクがハヤンに付き添う条件として、プルシコフは魔力を封じる契約をした。
その契約は、契約の神という存在に魔力を支払う代わりに契約を護らせると言う物で、それを破ると言う事はすなわち神に対する宣戦布告に他ならない。
「そうだね、あの契約は厄介だったよ、だから仕方ないから一度分解して組み立てたんだ」
「分解? 組み立てる?」
ハヤンが聞いた。
「そう。人の体なんて私からするとまるで玩具だ、体の一部が汚れていてそれが手が届きにくい場所に有るなら、分解して洗って組み立てれば良い、それだけの事だ」
はっきりと口調が変わっていた。
エクであり、エクで無い者。
その言葉どおりならば、間違いなくエクは死んでいる。
完全に分解されて、それからまた組み立てられた存在は正しいか。
否である。
姿かたちが同じだけで、それが同じ生命と呼べるか。
否である。
「お……お前……」
ハヤンが、何かを言おうとしているが、その言葉を喉が吐き出せずにいた。
「エクを返せ!」
ハヤンが怒りに満ちた激しい口調でそう叫ぶと。
エクの姿をしたモノは、まるでそれをものともせずに平然とした口調で、
「君らの概念からすると、容姿と記憶、それがその存在の証明だろう。私はエクの姿を持ち、エクの記憶を持つ、どこも違わない、ご希望ならば同じ物を何体か造ろうか、少々手間はかかるが君らは見分ける事が出来ないだろう、ちゃちな複製じゃない、本物を造ってやろう」
と言ってのけた。
それは生命の冒涜であった。
全人類に対する冒涜。
人ではない存在が、人である存在を侮辱、いや本人は侮辱とすら思っていないのかもしれない、そう思っていないことこそが真の意味での侮辱なのだった。
プルシコフも、ガイツも、クァルゴも動けない。
圧倒的なモノ。
それが目の前にいる。
これと戦うのか。
いや、戦えるのか。
「封印は解かれた。君ら人類を救ってあげよう」
エクの形をした、エクではない者は満足気な表情で、まるで天を抱え込むような姿勢で高らかに笑みを浮かべたのだった。