第4話 覚醒
「あんたの泥が通じないんじゃ仕方ないわね」
破壊の様子を一kmほど離れた距離から眺めながら、アイラは溜息混じりに言った。
どうやらジグドゥは離れた距離からでも泥で相手の動きや、体力の残り具合が分かるようだった。
ジグドゥは洞窟の中に人間が2人居る事を当たり前のように気付いていたが、アイラにそれを伝えていない、これは何人いようと自分の泥の中にいれば変わらないという強い自負が有るわけでも、なにか深い考えが有るわけでもなく、ただ単純に伝え忘れているだけである。
ジグドゥは口にこそ出していないがわずかばかりに戦慄を覚えていた、中の人間のうちの1人はいくら力を吸っても、それが尽きそうになかった、今まで感じたことの無い力の総量をそこに潜ませているようだった、今までの普通の人間の何倍なのかジグドゥには分からないが、とても吸い尽くせる量ではないと感じていた。
そしてその力の持ち主は、泥の中を平然と動き回り、そして一気に洞窟の外へ駆け出そうとして動いた。
それをアイラに伝えての今の攻撃である。
その位置から見てもかなり凄まじい光景がそこに有る。
辺りに民家は無い、ここから地平線までが草原か密林である、それほどの大自然が視界に広がっている。
ローヴァが豊かな自然を蓄えた国なのがそれだけで分かる。
無理に人の手で何かを加えたり足したしていない雄大な光景がそこにある。
その雄大な光景の中に異常に太い青い煙突がそこに出現したように、未だに煙というか土埃というか、が舞い上がっている。
その部分だけ、その煙が収まれば樹も岩も何もかもが吹き飛ばされた円形の土地が残る事になる。
その中心部にいる人間の生存の有無は確かめるまでも無いだろう。
それほどの破壊力が今の攻撃には秘められていたのだ。
今の技は、あの鉄柱の中に封じ込められている雷召喚の魔方陣を展開し、その魔方陣上の対象に強烈な雷による破壊を与える攻撃魔法である、今までに対象が1人(今回も実は2人だが)の時にアイラが使用する事は無かった。
本来ならばあの力を小出しにして、白兵戦で使う事も出来るし、もう少し威力を抑えて、何度も投てきしたりするものなのだ、それを今回はあの鉄柱に眠っている力全てを一度に引き出したのであれだけの威力を発揮したのだ。
アイラとしては、ジグドゥの泥で相手が身動きが出来なくなった所を捕獲して、正式に依頼通り生け捕りして連中に引き渡したかったようだ、いざとなれば生け捕りを諦めて殺してしまっても良いと水守には言われてはいるが、それでもやはり不服だった。
仕事を正確に遂行することが自分の存在意義であると、常に思い生きているようだった。
「ね、ね、アイラ」
もう地面に手を置いておらず、立ち上がっているジグドゥが、アイラに尋ねた。
「何よ」
「質問〜」
ジグドゥは先生に尋ねるように、右手を高く掲げて訊いた。
「だから何よ?」
「あれじゃバラバラだよぉ、どうするの?」
「そりゃあバラバラでしょうよ、とりあえず雷柱魔方陣をありったけの力で打ち込んだんだから、跡形も……」
そこまで言って、アイラは気付いていた。
跡形も無く吹き飛ばしてしまったら、殺した証拠も残らない、どうやって対象を消した事を証明したら良いのか……
もしも、この事でまた特務大使とかいう連中に水守が嫌味を言われたり、またあらぬ言いがかりを付けられるのは耐え難い、取り逃がした言い訳をしていると言って難癖付けてくるかもしれない。
そこまで考えていなかった自分の浅はかさをアイラは呪った。
何しろ敵を殲滅しろと言う命令は受けた事はあっても、生け捕りの類の命令は受けた事が無いので、慣れていないのだ。
それに、自分は気付かなかったのにジグドゥに指摘されたのもまた情けなかった。
「あー、ジグドゥ、泥でそこら辺の残骸とか探れる? もしも残骸でもあれば証明できるかも知れないから助かるんだけど」
「んっとね、今ので、僕の泥もまとめて吹っ飛んじゃったから、少し時間が有れば集められるよ」
「そう、とりあえずあそこに向かうわよ」
そう言いながら、アイラは自分達の身を護り隠す役割をしていた鉄柱を引き抜くと、それを腰に差し込んだ。そして早足で爆心地に向かった。
ジグドゥの泥は近くに行けば行くほど精密に操れる、可能性は限りなく薄いが万が一相手が何か防御をしていてくれたなら(咄嗟にはとても魔法を使う暇も無かっただろうが)、体の一部分程度は残っているかもしれないとアイラは考えたのだ、しかしほとんど神頼みに近い確率だとも考えていた。
ジグドゥは、足元に散らばった自分の服代わりの泥を体に纏わり付かせた。どうやら、いつも見に纏っている泥は手で力を注がなくても操れるらしい、それを見に纏わないと普通の人の感覚だと裸で外に出るのに近い違和感が有るようだった。
そしてアイラの背中を追いかけたが、どうにも足が遅い。
「あ、待ってよぉ」
ジグドゥが声をかけ、アイラが振り返りジグドゥに小言を言おうとした瞬間、それは起こった。
衝撃が襲ってきた。
突然の出来事だった。
アイラとジグドゥは、まとめてその場から地面ごと激しく宙に出されていた。
最初に吹っ飛ばされたのはアイラで、そのアイラの体がジグドゥに衝突しそのまま吹っ飛ばされたのだ。
アイラはか細い悲鳴をあげ、ジグドゥは何が起こったか分からない顔のまま飛んでいた。
2人ともが、自分の体の重さの感覚が無くなるほど宙を舞った。
ジグドゥの見に纏っている泥が衝撃吸収材の役割を果たした為か、2人は一気に5m以上も飛ばされたのにほとんど無傷だった。
「何なの!?」
泥に塗れながら、アイラがヒステリックな声を上げた。
ジグドゥは、その問いかけに答えない。
その眼は一点に集中していた、アイラの背後の方向を見ていた。
その眼にははっきりとした怯えが浮かんでいた。
「え?」
すぐにその異常に気が付いたアイラは、その視線を追った。
そして見た。
そこに居たのは2人が初めて目にする存在だった。
人ではない。
人の形が僅かに中心に見えるが、その全体を覆っている赤と黒とそして黄金色が混じったような奇妙な色の霧のようなモヤのせいで、人の輪郭すら朧げである、その霧の大きさは呼吸をするようにその形を変え、大きいときは7mほどに膨れ上がり、小さくても3mは存在していた。
禍々しい力の塊がそこにあった。
辺りは月明かりすら照らさない闇なのに、その姿は闇の中にはっきりとその存在を主張していた、そして周囲もその存在に照らされ昼間ほどではないがかなりはっきりと周囲の物が眼に映る。
その霧は動いていた。
動きながらその形状を変えていた。
時には、そこに獅子の顔が現れては消え、象の鼻のような物が現れては消え、サイの角のような物が現れそして消えた。
一時も同じ形を保たずに、しかし常に何かの動物の一部分のような物が霧の中ではっきりとした形として現れ、そしてすぐに消えていく。
形状が酷く不安定な存在だった、しかしこいつが今の攻撃をしてきたのは疑いようもない。
2人から距離にしてまだ100mは離れているというのに、その攻撃力は圧倒的だった。
あの距離から攻撃してきて、2人は軽く吹っ飛ばされたのだ。
もしも、ジグドゥがアイラに声をかけアイラが足を止めていなかったら、それだけでアイラは死んでいたかもしれない、それは決して低い可能性ではない、それほどの破壊力が今の攻撃には間違いなくあった。
その霧に明らかに眼球の思えるような物が悪夢のように浮かび上がった。
1つの紅い眼球である。
大きさにして3mは有ろうかと言う巨大な眼球がそこに出現していた。
それが紛れも無く2人を補足していた。
それは歓喜していた。
獲物を見つけた喜びに。
それは憤怒していた。
自分を攻撃した存在に。
そしてそれは咆哮していた。
この世界のあらゆる存在に向けて。
霧のあらゆる部分が、あらゆる生き物の口に変貌し、そこから雄叫びが迸っていた。
犬のような顔もあれば、猿のような顔もある、狐のような顔もあれば、一体何なのか見当もつかない顔をした物も浮かび上がっている。
そのどれもが、思わず身を竦ませてしまうような、心臓が跳ね上がるような雄叫びを上げているのだ。
人間が本能的にびくりと体を震わせてしまう雄叫びだった。
アイラとジグドゥは、まるで金縛りにあったように動けなかった。
動くと言う選択肢が頭からすっぽりと抜け落ちてしまったかのようだった。
幾重もの激戦を潜り抜けてきたはずの2人が、完全に目の前の存在の威圧感に呑まれていた。
「もしかして、これが私達の相手だったの……?」
アイラが呟いた。
そうなのだ。
これが、さっきまで自分が攻撃を仕掛けていた相手の正体なのだ。
確証は無い、しかし妙な確信が有る。
攻撃を仕掛ける前はただの人間より少し特殊なだけだと思っていた、だからそれなりに警戒し出来る限り遠方から限りなく慎重なそれでいて確実な攻撃を仕掛けたはずだった、そしてそれは成功したかに思われた、しかしまるで成功などしていなかった。
こうして目の前に現れたこれのどこに攻撃により弱っているという印象を持てると言うのか。
アイラは自分の喉が恐ろしく渇いている事に気付いていた、冷汗も止まらない。
それほどの肉体的影響力の有る恐怖がそこに存在していた
「こんなのと戦おうとしていたなんて……」
アイラの口から絶望的な言葉が零れ落ちた。
禍々しく赤黒い色と、そして眩い黄金色を強引に混ぜたような光を放つ霧のような怪物。
幻闘獣ファレイ、それがそいつの名前であった。