第46話 無人
とある一室で、1人の男の前に1人の子供が立っている。
男は、人とは言い難い凶悪に満ちた眼光で、目の前の子供を睨むように見詰めている。
親の仇を、子の仇を、恋人の仇を、親友の仇を……、それらを見る眼よりも尚、濃い激しい感情が感じられる視線である。
子供の方は、その眼光だけで人を殺傷してしまいそうな威圧感を受けながら、その眼は遥か彼方を見詰めているように凡庸としていた。
透き通るような視線である、人の皮膚も内臓もその心理すらも簡単に見透かしてしまうような、純粋といういう言葉よりも遥かに澄んだ眼差しである。
その一室の名は総統執務室、二人の横の机には一つの箱が置いてある。
その箱は、今まで総統がどれほどの技術・魔術・科学力の類を用いても、開く事が叶わなかった代物である。
だが、今。
その箱は嘘のように、茹で上がった貝のように、その内側の今まで必死で隠し続けていた秘密を曝け出すように。
箱は開いていた。
・
総統府へは、あの荒野から、車で本来ならば後2〜3日はかかるのだが、キャオの『大地乃鍛冶屋』により造られた、大地を滑るように飛ぶ船の速度は通常の車を遥かに凌駕していた。
あの魔法は、ハンマーで大地の精霊に干渉して、望む形で物質を取り出すという特殊魔法で、造り出すというイメージよりも、大地に埋まっている物を掘り出すというイメージが強い。
その船に乗り丸一日かけて、プルシコフ、ダルマ、クァルゴ、ハヤン、ファエイル、ガイツ、キャオとティンクの双子、そして目を覚ましたパンチェッタは、総統府の在る中央都市、ガーゼンブルフに辿り着いたのだった。
瞬間移動魔法の方が良いのではないかという意見も出たが、全員が全員、それぞれに疲労していた、旅の疲労でもあり、戦闘での疲労でもある、瞬間移動魔法は恐ろしく体力を削るのだ。もちろん戦闘が始まればどれほど疲労の極地だろうと肉体を動かす事の出来る集団ではあるが、これから決戦に向かうという時に、体力の回復も行わずに乗り込むというのは愚か者のする事である。
本来ならば移動中の、しかも先ほどまで戦っていた相手との移動では、気を張りすぎて逆に体力を消耗してしまいそうだが、そういう神経が細い繊細な人間はこの中にはいないようであった。
一日というのは全員がその身を休ませるには充分な時間であった。
ハヤンは、体力的にまるで問題が無い、エクの身が心配なのでどういう手段だろうと一刻も早く乗り込もうと急いていたのだが、ガイツに諭された。
「その子供は無事だろうぜ、総統ってのが多少は頭が回るなら、あんたを誘き出す為に使うか、あるいは取引に使う為に生かしておくだろうしな」
「しかし、だからといって悠長にしていられない、今エクが殺されかけているかもしれないんだぞ!」
ハヤンの激しい抗議にも、ガイツは冷静に対処した。
「まぁ、待てって、こう言っちゃ何だけどよ、殺されるとしたらもうとっくに殺されているよ、最初から殺すつもりの奴を目の前に何時間も放置しておく奴はいないからな。だが殺されていないんなら、まだ生きている、今この場でもな。そういう話をしているんだぜ」
「だけど……」
「はっきり言って、ここにいる奴で本調子なのは、俺とあんただけだぜ、他の奴らはまるで闘えないって訳じゃないが、本当の実力からすれば1〜2割減ってとこか、いざって時はその差が大きいんだ、本当にあんたがエクって子を助けたいんなら、じっと我慢しろよ、な。俺だって体を休める以外に、色々と探りたい事も有るんだ、1週間も待てとは言ってねえよ、1日余計にかかるってだけの事さ」
そう言われてハヤンが折れた。
船が止まったのは、人目に着かない場所である、中央都市の端の端と言って良い。
もちろん国境警備隊の監視の眼はどの場所から進入するにしても光っているが、軍の中を網羅している人間がいる、プルシコフもそうだしファエイルもそうだ、それにプルシコフは、自分の指示でその警戒網の穴を自ら作り出すことも可能である、プルシコフは、まだ総統には動いていると悟られていないはずである、もしもファエイルがこのような指示を出せばすぐに総統の耳に入り、それなりの手を打たれるかもしれないが、とりあえずは進入に成功したことからまだ気付かれていないという推測がたてられる。
もちろん、全てをお見通しの上での罠という可能性も充分にありえるのだが。
この場所から総統府に行く為には、更に別の乗り物に乗り換えなければならない、歩いていくにはまだかなりの距離が有るからだ。
いくらなんでも、船の勢いのまま総統府に乗り込むわけには行かない、あまりにも目立ちすぎるからだ、作戦は秘密裏に行われなければならない、少なくとも総統府に辿り着くまでは。
「さて……、ここからは車で移動するか」
そう言ったのはガイツである。
「あー、それと、キャオとティンクはここまでな、お前らはもう帰れ、お前らなら二人でもちゃんと帰れるだろう?」
ガイツが付け足したように言うと、二人は不満の声をあげた。
もちろん帰るのが面倒くさいとかそういう理由ではない、これから始まるであろう戦いに参加できない事が不満なのだ。
「え〜」
「やだよ〜」
「ボク達だって役に立つよォ」
「そうだよォ」
頬を膨らませたり、腕を振ったり、可愛らしい仕草で抗議するのだが、ガイツの表情は変わらない。
「駄目だ」
有無を言わさぬ威厳の篭った声でガイツは言い切った。
「ここから先は危険すぎる、お前達を気遣っての事じゃない、お前らは足手纏いだ、相手が雑魚の大人数ならば連れて行くが、隠密裏に行動するには向いていないし力量不足だ、連れて行けばそれをカバーする為に誰かが死ぬかもしれない、もっともそんな優しい奴がここにいるとは思えないけどな」
子供に対するにはかなり辛辣な意見ではあるが、相手を子供だと思って宥めるようにいうのは逆効果だと知っているのかもしれない。
対等に扱い、対等に欠点を指摘しているのだ。
「ぶー」
「パンチェッタさんだって負けたのにィ」
双子はなおも食い下がった。
その言葉に、パンチェッタは苦笑を浮かべていた。
「お前らは負けてもいないだろうが、せめて相手をしてもらえる力量が付いてからそういう台詞は吐くんだ、分かったな?」
父親が子供に言い聞かせるように、説得力の有る口調でガイツは言った。
「ちぇ〜」
「分かったよォ」
本当に渋々といった表情で、双子は納得したようであった。
「保険かの?」
聞いたのはダルマである。
保険という意味は、もちろん全てが済んだ後、いわば英雄連としては敵国でのガイツとパンチェッタの身柄の安全を保障する為か、という意味である。
「まぁ、半分正解ってトコか、言っておくが、俺とパンチェッタがあんたらにどうかされない為にあいつらを帰した訳じゃないぜ。ここにいる全員に何かが有った時……、あの二人が英雄連に報告してくれるだろう」
「何か有ったときの為に……か」
この場にいるのは、ちょっとした軍隊に匹敵する戦力である。
人間としての戦闘技術のトップクラスに位置する、ダルマとパンチェッタ。
未知数の能力を持つガイツ。
そして幻闘獣憑きのハヤン、プルシコフ、クァルゴ。
戦力外なのはファエイルくらいである。
これだけの実力者が、揃っていれば、もしも目立っても構わないのならば真正面から一国の軍隊に奇襲を仕掛けて、それなりの成果を出せる面子である。
最終的には大国の軍事力に屈するかもしれないが、もしかしたら中枢だけを見事に倒してのければ一つの国を乗っ取る事かもしれない、そういう誇大妄想に思える話が、非現実的な話に聞こえないほどの連中である。
この全員が揃っていて、なおどうにも出来ない事態……、それは恐らく紛れも無い世界の脅威と言って過言ではないだろう。
「行くとするか」
プルシコフが誰にともなくそう言った。
・
「おかしいな……」
そう言ったのはガイツである。
場所は、もう総統府にかなり近い位置である、一応一目を気にして物陰に全員が潜んでいる。
「どうした?」
プルシコフが、尋ねた。
「周囲を探っているんだが……、人の気配が無さ過ぎる……」
「ああ、それは俺も思っていた、妙に人の出入りが無い……」
「いや、俺たちの周辺や出入りだけの問題じゃない、総統府の中も、まるで人の姿が無い」
ガイツははっきりと言い切った。
感覚的な物ではなく、明確な確信を持った言葉である。
「何故分かる?」
今度はダルマが問うた。
「こいつを使って探ったからな」
ガイツはそう言うと、掌を開いて全員に見せた。
そこには、形容しがたい不気味で小さな生き物がいた。
「なんだそれは?」
聞いたのはハヤンである。
「労働中毒小妖精、俺と契約を結んでいる妖精だよ」
鳥のようではなく、虫のような羽が生えている人型の生き物である、百歩譲って眼を細めてみれば妖精に見えなくも無い。
しかし、眼の下には濃いクマが浮かび、視線は定かではなく、フラフラとしている、どう考えても休息が必要な状態に見える。
だが、すぐにガイツの掌から飛び立つと、またどこかへ飛んで行ってしまった。
「妖精戦団と言われる所以は、そういうところにあるのかの」
ダルマが、感服したように言った、妖精と契約というのは口でいうほど容易い事ではないと知っているのだ。
妖精は、辺境に隠れて住んでいるか、あるいは自身に隠蔽魔法をかけていて、見つけるのは至難であり、その上で契約を結ぶにはそれ相応の代償を払う必要が有る、誰にでも出来る事ではない、だがその反面、妖精の力は人の魔力よりも遥かに汎用性が有り、役立つのだ。
「まあ、な。ここら辺一帯にあいつの同族数百体に飛び回ってもらって調べたのさ、中々役に立つ奴らだよあいつらは、あんたの手首を拾ってきたのもあいつらだし、あんたらの場所を突き止めたのもあいつらの仕事さ、レゼベルンにいるって情報は聞いていたが、正確な位置までは流石に分からなくてな」
「私の手首をですか?」
そう言ったのはファエイルである。
気を失っていたファエイルは、自分の手首を誰が拾ってくれたのかまでは気が回る訳が無かった。
「ああ、便利なのは良いんだが、年中仕事を言い付けていないといけない契約なのが面倒臭いがな、あいつらは仕事を言いつけないとすぐ契約破棄しやがる。その点、律儀なのは『獄炎妖精』だな、契約こそ厄介だったが、契約破棄なんてしやしない。あんたらに最初に攻撃を仕掛けた時も活躍してくれたし」
どうやら、最初に空から飛んで来た大剣の中に潜んでいた、化物がその妖精のようだ。
「……あれ、妖精なんですか? どっちかって言うと、なんと言うか、何百年も炎の中に住んでいた悪魔みたいだったですけどねェ」
クァルゴが正直な意見を言った。
確かに、どれだけの譲歩をしても、あれは妖精というイメージとはかけ離れた存在であった。
「ま、悪魔も妖精も似たようなモンだって事さ、それよりも問題なのは今だぜ」
「ああ、そうだな、ここら辺一帯を調べたというが、どのくらいの範囲だ?」
「半径10km四方に俺達を除く、人影は皆無だ、もちろん総統府の部屋一室一室くまなく探した訳じゃない、奥の方までは嫌な気配がするらしくて小妖精も近寄りたがらない、奴ら死んだらもう働けないから嫌がっているんだ。多分、俺達が向かう場所はその辺りだろうな……」
「誰もいないって、どういう事なんでしょう?」
ファエイルが、不安を隠しきれない表情で尋ねた。当然だ、ここは国の中枢機関である、そこが無人というのはどう考えても正常とは程遠い。
「元々警備上の都合で周囲こそ人は少ないが、総統符の中には少なくとも数100人を超える人間が勤務していたはず、それが1人残らずとなると……」
国の政に関わる役割の人間はもちろん、警備兵までの姿も見えないというのは、一体どういう事態が起こればこうなるのかまるで予想が付かない。
「行くしかないな、逆にスッキリしたじゃねえか、ここまで怪しければ、もう隠れる必要も無いだろうぜ」
ガイツは、こういう不気味な雰囲気に合わないような明るい口調で言ってのけた。
「ああ、ここでじっとしていても何も変わらないからな」
ハヤンが同調した、他の者も異論は無いようで、無言で物陰から立ち上がった。
本当にまるで人の気配が無い。
これがとてもこの国の中枢施設とは思えない。
建物の外壁自体は煌びやかで、重厚な威圧感を放ち、そして当たり前のように清潔に保たれているのだが、まるで廃墟のそれの持つ特異な外部の世界と交わらない世界を持つ雰囲気がそこに潜んでいるように感じる。
一向は、ほとんど身を隠さずに真正面から侵攻していった。
遮る者はいない。
本来ならば、隠し通路からの潜入を予定していたのだが、まるで警備兵がいないのにわざわざそういう手段をとる必要は無いという結論に行き着いたのだ。
暗証番号が必要な扉も、堅牢な壁も、この一行にとってはそれほどの障害とはなりえなかった。
どんどんと、奥に進む。
進むに連れて、小妖精も進入を拒むほどの嫌な気配、これは瘴気とでもいうのだろうか、墓地や曰くありげな場所が放つ気配、それよりも禍々(まがまが)しい物が漂ってくる。
「たまらんな……」
そう言ったのは先頭を歩くダルマである。
この建物の地理に一番詳しいのはファエイルであるが、ファエイルが先頭に歩いていると不意に襲われたときに対処が出来ない、だからダルマが歩き、その横にパンチェッタが歩き、ハヤン、ファエイル、ガイツ、クァルゴは一列ではなく、適当に付いて歩いている。
もちろん周囲に人影は無いが、全員が警戒をしている。
現在の目的地は、総統執務室である。
ファエイルが、箱を見た最後の場所であり、そしてエクと総統がいる可能性が高い場所、そして小妖精に探らせた所、最も嫌な場所と報告を受けた場所だからである。
次の大広間を抜け、更に奥へと進むとその部屋は有る。
先頭を歩くダルマとパンチェッタはその大広間に続く巨大な扉を開こうと手を添えた瞬間。
それは起こった。
一瞬、目の前のドアが捲れ上がるような暴風に似た殺気が叩きつけられたのだ。
「ぬぅっ!?」
「なに!?」
頑強なはずの扉を突き破り、2本の丸太のような太い腕が飛び出し、その左右の拳がダルマとパンチェッタを見事に命中し、二人は後ろに歩いていた一同の間を縫うように、後方に思いっきり吹っ飛ばされたのだった。
扉の向こうから攻撃を仕掛けた者は、そこから追撃するわけでもなく、一行の目の前には2つの穴の開いた扉が不気味な静けさと共に沈黙しているだけである。
痛いほどの沈黙が流れた。
誰も吹っ飛んで行ったダルマとパンチェッタに気を配れない、あの二人がそれくらいで死ぬような連中ではないと思っているのも理由の一つではあるが。
今の攻撃を仕掛けた者が、僅かの隙に襲ってくる可能性は決して低くないと考えているからでもある。
「行くぞ」
そう言ったのは、プルシコフである。
プルシコフは、扉に近付かずに、振動波で扉を分解し、そして間髪入れずに大広間へと侵入した。
他の連中もそれに続く。
そこに居たのは、奇怪な人影。
身長は3メートルを超え、全身は青と緑が混じった爬虫類を思わせる色をした皮膚、口は耳の根元まで裂け、眼は瞼が無いのかむき出しの紅い眼が一行を見つめている。
蜥蜴人間という表現が最も適しているようなモノであるが、そんな生易しいものではないと実際に眼にしたら思うだろう。
全身から漂うのは強烈な瘴気と、殺気と、敵意と、そして血臭である。
周辺の空気が歪んで見えるほどの雰囲気を纏っているのだ。
部屋には何体か、元は人であったらしい破片が転がっている、誰がそれをやったのかわざわざ問うまでも無い。
これほどの存在が、この一行の誰にも気付かれずに気配を断っていたというのがにわかには信じられないほどの強烈な存在感である。
(このバケモノが、総統府の人間を皆殺しにした……? いや、それにしては人の死体が少なすぎる……、一体?)
プルシコフは、相手を分析しながらそのような思考を巡らせていた。
「守護者って訳か……、とりあえずこいつを倒さない事には先に進めなそうだな、誰がやる? 全員でやるってのもアリだが」
ガイツが提案したのと同時に一同の背後から声が上がった。
「そいつは俺がやるぜ」
「そいつはわしの相手じゃ……」
ダルマとパンチェッタ。
恐らく日常の一切全てが気が合わないであろう二人が、この時は恐ろしく息の有った声を発したのであった。