第44話 丸呑み
目の前に出現した、六本の腕を持つ阿修羅を前に、クァルゴは軽く溜め息をついていた。
(やれやれ……、今度は着せ替え人形ですか)
本来ならば、身の丈2m強、六本の腕のそれぞれに剣、斧、槍、鎌、棍棒、鉄甲を備えているこの三面の阿修羅像を前にして、そのような余裕を見せる者は少ない、ただ恐れ戦くだけだ。
だが、クァルゴはもう目の前の二人の力量を見切っている。
キャオは、あのハンマーで大地を使った術(恐らく地中に含まれる鉱物などを利用し武器にする物だろう)で、相手が多数である場合に使い。
そして敵の数が少ない場合は、ティンクの人形を使った戦いをするのだろう、あるいはキャオの術を掻い潜って二人に危害を加えようとする者に対する守護者的な役割を持っているのかもしれない。
多分、これまでそうやって戦いに勝利してきたのだろう。
当然だ、これだけの術を使えれば、相手が一般的な兵士では話にならない、専門が剣ではキャオの術を防ぐ事が出来ず、専門が魔法だと、ティンクの人形の近接戦闘に対応できない。
よく出来ているといえば、よく出来ている。
だが、完成しすぎているせいで、そこから先のツメが甘い、その二つの攻撃を凌げる相手に対してはそこから先が無いのではないか、目の前に現れた”合体技”の武器を持った人形を見て確信した。
それに、クァルゴにとっては二人の攻撃は、強いとは思うが怖いとは思わない、人の命に届く攻撃ではない、自分と同等かそれ以上の相手と戦う時には、それなりの気構えというか、口では言い表し難い物が必要なのだが、それがまるで感じられないのだ。
だが、それだけが理由という訳でもない。
クァルゴ自体の能力、基本的な身体能力を始めとして動体視力からなにからが明らかに上昇しているのだ。
以前のクァルゴならば、もう少しこの状況に焦りを感じていたはずだ。
クァルゴ自身は、この力の高揚が何によって齎されたかを正確に把握できていない、それがまさか先ほど敵っぽいからという理由で喰らった相手が、幻闘獣憑きで、その力を吸収したから得た物だとは分かっていない。
幻闘獣憑きは、基本的に他者を喰らう事でその能力を得る事が出来る、もちろん相手の能力を完全に得る事は不可能であり、相性によりまるで力が向上しない場合も有る、だがそれでも基本的な身体能力の向上などは見込める。
もちろん代償は有る。
他者を喰らい続けると、自分が強くなると同時に自分に宿っている幻闘獣自体も強くなり、いつしか主導権が代わってしまうかもしれないのだ。
自分が自分であり続ける為には、自制が必要なのだ。
クァルゴはまだ明確に理解できていないが、デモニムの『異空間に物を保管する』能力は、クァルゴの単純に喰らうだけという能力には相性が良かった、少しまでまでならば喰らっても体の中に保存できる量がそれほど多くなかったのだが、今はかなりの量を体の中に取り込み、また自在に出す事も可能になっている、異空間が自分の体に直結したと考えるのが妥当かもしれない。
もちろんクァルゴも、まだ相手が力量の全てを出し切ったとは考えてはいない、切り札もあと一つ二つは隠して有るかもしれないが、それも奇妙な事に怖いとは感じていなかった。
その余裕を知ってか知らずか、阿修羅が猛然とした勢いで、クァルゴに迫っていた。
鬼気迫る表情だ、三面全てが怒り狂った表情を浮かべ、そしてその表情のまま固定されている。
クァルゴは動いた。
先ほど相手の足を噛み砕いた時に、腹の部分が破れた上着を脱ぎ捨て、上半身が裸になった。
そして相手を抱擁するかのように両腕を大きく開いた。
それは異様で、奇怪で、不気味で、見る者に戦慄を与える光景だった。
左手の中指から、右手の中指までの一直線上に、一瞬で線が入り、そして開いた。
そこに巨大な口が出現したのだ。
普通なら、その光景を見て怯む、少なくとも行動に僅かな乱れが生じる、だが人形である阿修羅像は気にしない、手に持つ全ての武器をクァルゴに向けて振るっていた。
だが。
まるで関係無かった。
その攻撃全て、いや阿修羅像の上半身を、クァルゴはその巨大な口で銜えていた。
まるで、鰐が獲物を丸呑みにする光景を見るようであった。
どういう攻撃をしても、それを丸ごと飲み込んでしまえば問題ない、その攻撃はそう言っているようだった。
クァルゴは阿修羅像を銜えているが噛み砕かない、クァルゴの胸から阿修羅像の足が生えているような光景のまま、クァルゴは上半身だけを天を仰ぐように向けて、そして下半身も丸ごと飲み込んだのだった。
流石の二人もそれを見て言葉を無くしていた。
若干、顔色も悪いように見える。
自分達の自慢の攻撃が、まるで通用せず頭から喰われてしまうのを見れば当然と言えば当然だろう。
追撃する意思が、そこで途絶えてしまったように二人は立ち尽くしていた。
まだ、攻撃しようと思えばいくつかの技か術は残っているのだろうが、それをしようとする気概が今は残っていないのかもしれない。
その二人を見詰めながら、クァルゴは。
「まだ続けるんですかねェ」
と、相変わらず飄々(ひょうひょう)とした口調で問いかけた。
だが、二人はその問いに答えない。
その時だった。
まったく別の方向から声が届いてきたのは。
「はっはっは! 止めとけ止めとけ、お前らじゃ勝てねえよ、勝ち目が無い時は戦わない事だ」
そこには、ガイツとプルシコフが立っていた。
ガイツは心底楽しそうな笑みを浮かべながら二人に近付いていった。
「ガイツさァん」
「このおじさん死なないんだよォ」
キャオとティンクの二人は子供らしい口調で、ガイツに抱きつきながら言った。
その二人の頭を撫でながら、ガイツは、
「まぁ、負ける事も必要だな、お前らはこの負けでもっと強くなるよ、負け知らずで行くよりたまには負けとけ、負けとけ。もっと強くなる為に努力も忘れるなよ」
「はぁい」
「はぁい」
学校の授業を覗くような光景である、とても今まで殺し合いをしていた場所とは思えなかった。
「あれ? そっちは戦ってないんですか?」
クァルゴは、まったく無傷で現れたプルシコフとガイツを見てそう尋ねた、もしも戦ったのならば、どれだけ力を抑えても傷1つ無いと言う事はありえないからだ。
「その男が、戦う気が無いと言うからな……」
どこか、戦えなくて残念という口調も込められているようにも聞こえる風に、プルシコフは言った。
「どうやら、一段落したようじゃの」
また別の方向から声が響いた。
そこには、左手にファエイル、右手にパンチェッタの襟首を掴み、地面をズルズルと引き摺りながら歩いてくるダルマの姿があった。
戦いを終えた直後の疲労感はもう窺えない、むしろ久しぶりに自分の力を出しきっての戦いを終えた高揚感と、満足感が見て取れる、肌の血色も良いように見える。
「おー、パンチェッタに勝ったのか、あんた。しかも殺さずとは凄いな!」
ガイツが、素直に驚嘆した声をあげた。
遠目で見ただけで、パンチェッタがまだ息をしているのを察したようだ。
「こいつは?」
ダルマは、ガイツから視線を逸らさずにクァルゴとプルシコフに問うた。
「英雄連のガイツ」
プルシコフは簡潔に述べた。
「妖精戦団か、大物じゃの。それで、これからどうする気じゃ?」
ダルマは、鋭い視線をガイツに送りながら、誰にともなく尋ねた。
もしも、戦いになればすぐに意識を失っているパンチェッタの命を奪うつもりでいる、人質という考えではない、意識を取り戻すと厄介だからだという理由でだ。
答えたのはガイツだった。
「俺としては、幻闘獣憑きの処分ってのが最優先なんだが……」
少なくとも、この場には幻闘獣憑きが二人もいる。
プルシコフのアポルオン。
クァルゴのヴァルヴァルス。
そして、最初の攻撃で車と一緒に吹っ飛んだハヤンのファレイ。
ガイツはそれを全て知った上でこの発言をしているのだろうか。
そうだとしたら自殺行為に近い、それとも目の前の二人の幻闘獣憑きとしかもダルマを相手に勝つ手段を持っているとでもいうのだろうか。
「とりあえずあの兄さんに聞いてから、どうするか決めようか?」
ガイツは、その場にいる誰とも違う場所に視線を送りそう言った。
その時、全員の視線がその場所に注がれた。
そこには1人の男が立っていた。
距離にして20mは離れているだろうか、全員が視界に納まる場所に立っている。
「ハヤン……」
プルシコフが、そう呟いた。
そこに現れた男――ハヤンは、妙に目線が定まらない、夢遊病者のような視線をその場にいる全員に向けていた。
奇妙な事に、ハヤンに宿る幻闘獣ファレイが暴れる前兆のような物が感じられない。
車が吹っ飛ぶほどの衝撃から身を護るには、ファレイが力を発揮しなければならない、そしてファレイが力を出しすぎるとハヤンの意識は消え、体の主導権はファレイに移り、破壊の限りを尽くす、はずだ。
だが、その気配が無い。
不気味なほど静かな気配であった。
「ここはどこだ……」
ハヤンは、その場にいる誰でも良い、答えてくれるならば相手を選ばないという口調で問いかけた。
それに答えたのは、プルシコフだった。
「現状を簡単に説明する、お前とそしてそれに付き添って付いて来たエクという少年を搬送中――」
その言葉を遮って、急にハヤンが動いた。
その場にいる全ての人間が驚愕した。
一瞬で、ハヤンはプルシコフの前まで移動していたのだ。
(なんだと――)
プルシコフも驚愕していた。
レゼベルンの大聖堂の一室でハヤンに飲ませた薬、あれは幻闘獣の力を抑える効果があるというよりも、調和と取らす為の薬と言って良い、現に自分もそしてクァルゴも定期的にあれを摂取し、力を抑えている、ハヤンは今までそのような薬の類を使った事が無かったのだろう、精神をギリギリまで張り詰めた状態だったに違いない、そこにあの薬を使ったことにより、反動で通常よりも見事な調和が取れたとでもいうのだろうか。
少なくとも、今見た限りでは、ファレイの圧倒的な力がハヤンの体の外に出ず、体の中で見事に機能しているように見える。
今の動きも決して魔法や瞬間移動の類ではない、圧倒的な瞬発力の成せる技だ。
だが、それだけの動きをしたというのにほとんどまだ気配は希薄なままだ。
「エク? 何でエクまで?」
ハヤンは、自分の肉体が今までとは比べ物にならないほど機能しているのに気付いているのかいないのか、プルシコフに質問をした。
「お前を連れて行こうとしたら付いて来たんだ」
「今、どこに?」
「それをこれから話す」
そうプルシコフが言うと、ハヤンは黙って言葉の続きを待った。
「搬送中、突然襲撃を受けた、その際に襲撃者にエクはさらわれた」
「さらわれただと!?」
「ああ、そして、その直後にまた別の襲撃を受けて、とりあえず今は休戦中といったところか……」
「誰が、いや、どこにさらわれたんだ、エクは!」
「場所の検討はついている」
「言え!」
今にも食いつきそうな勢いでハヤンは言った。
一瞬、プルシコフは言い澱んだ。
場所は分かる。
総統府だ。
だが、この場には英雄連の人間もいる、それを軽々しく口にして良いものだろうか、そういう思考が有るのだ。
しかし、この場ではどういう言葉もハヤンを宥めるには足りないだろう、下手したらこの力が格段に向上しているだろうハヤンと戦う羽目になりかねない。
「総統府だ」
そう言ったのは、なんとガイツであった。
驚いたのはプルシコフ、ダルマ、クァルゴの三人である、この男どうしてそれを知っているのか、激しく動揺こそ見せないが内心ではそう思っている。
「違うかい?」
試すような、それでいて人懐っこい笑みを浮かべながらガイツは言った。
「総統府!? どこだそれは!」
「まぁ、まぁ、慌てなさんな、これから皆でそこに向かおうってんだ、もちろんあんたも行くだろう、な」
「ああ、行くよ」
硬い決意の口調でハヤンが答えた。
その場にいる誰もがそのやりとりに口を挟む機会を失っていた。
その間に、ハヤンのその言葉を聞いて、ガイツは満面の人を惹きつける笑みを浮かべながら。
「決まりだ」
そう言った。