第40話 誤算と執念
エクはそれを見ていた。
世界でもトップクラスの達人と思える2人を、音も無くあしらったデモニムが、その圧倒的に謎と思える能力を使っているにもかかわらず、ほとんど一方的にプルシコフに倒される事の顛末を。
最初こそ、唐突に滝の如き水量がプルシコフを襲い一気に車の外まで押し流され、プルシコフが劣勢のようにも見えたが、車の外に出てからは、互いに何をしているのか理解しがたかったが、突然デモニムが倒れ、その直後にプルシコフの周囲に武器が出現し襲い掛かったが、それらが一瞬で消失し、その次の瞬間にはデモニムが全身から火を噴くと言う、自分で見た事を説明しようとすると逆に混乱してしまいそうな事が目の前で繰り広げられたのだ。
分かった事が1つ。
プルシコフの能力の強さ、あの強さを知っているからハヤンは戦う事を望まず、自らの意識を断つ薬を自分で飲む事を決めたのだ、あのプルシコフの力とまともにやり合えば、必ず死闘になると分かっていたからだ、死闘になればその傍に居る自分が巻き添えを喰らう――、そこまで判断したのだろう。
エクは、まだ意識を失ったままのハヤンに視線を向けた、その視線にはこの少年が自分の国では普段滅多に見せない親愛の情のような物が込められていた。
プルシコフの足元には、どうにか人の形を保っている物体が転がっていた。
当然だ、全身を火が出るほどに分子レベルで強烈に振動させられた人間が、無事に済むわけが無い。
人に肉の焼ける嫌な臭いが周囲に漂っていた。
「……殺しても、戻ってこない、か」
プルシコフは呟くように言った。
ほんの少しではあるが、デモニムを殺せば、あるいはダルマとクァルゴの2人が戻ってくるのではないかと考えていたのだが、どうやら違うようだ。
振動を当てる事によりデモニムの心音を探ったが、当然その鼓動は一切反応していない。
当然だろう。
心室細動どころではない、体中の細胞という細胞が激しく振動させられ、全身がズタズタになっているはずだ。
だが、これでも大した物と言って良い、本来ならば人の形すらも残らない攻撃を加えられたはずなのだ、プルシコフがあえて相手の肉体を分子レベルで分解してしまう分解振動ではなく、相手の肉体を破壊する攻撃をとった意図は分からないが、どちらにせよ勝負の結果は変わらなかっただろう。
プルシコフは、そのデモニムの成れの果てを跨いで、エクとハヤンのいる車に向かった。
死者に対する何かしらの感情も特に持っていないようだった。
「済んだ」
プルシコフは、ちょっとした用事を片付けたような口調でそう言ってのけた。
エクは答える事が出来なかった。
その直後だった。
突然、バシュウウッッ! という轟音が背後から響いたのだった。
プルシコフが咄嗟に振り返ると、そこには倒れ朽ちているはずのデモニムの姿が嘘のように消えていた。
「何だと!?」
プルシコフは己のミスを悟った、幻闘獣憑きの常人離れした生命力を侮りすぎていたのだ、跡形も無く消滅させるまでは決して安心してはいけなかったのだ。
自分の能力が相手よりも勝っていた事が、この慢心を呼んだのだ。
プルシコフの声とほぼ同時に、悲鳴がプルシコフの耳に届いた。
エクの声だった。
再度振り返ると、何も無い空間から、まだ煙が立ち昇る右腕だけがエクの喉元をしっかりと掴んでいる光景がプルシコフの眼に飛び込んできた。
それはデモニムの執念だった。
徹底的に敗れたのだ、あの時こうしておけば、こういう戦法を取っていれば――、そういう思考がまるで働かないほどの敗北。
10回闘えば10回、100回戦えば100回敗れただろう。
可能性が有るとすれば不意打ちだけだ、いや、それだって分からない、常に自分の周りに微細な振動を周囲に結界のように張っているのならば、それも通用しなかっただろう。
闘いでは完膚なきまでに負けた。
所詮自分はこの程度の器だったのだと、文字通り痛感していた。
あるいは、分相応の望みを持ったからこのような結果が自分に訪れたのだという気さえしている。
仕事のみに徹すれば、プルシコフに出会う前にこの仕事を終える事が出来たはずだ、ダルマとクァルゴと闘った事すらも無駄だったのではないか、あれは所詮自分の力を誇示したかっただけなのではないか、今ではそう思う。
2人の内どちらが標的か分からなければ、両方を連れ去ってしまえば良かったのだ。
だが、全てはもう後の祭りだ。
今から過去の過ちを取り戻す事など出来ない。
ならば、出来る事は一つ。
自分の仕事を全うするだけだ。
肉体は死に瀕していた。
いくら自分の肉体が常人よりも遥かに頑強で、回復力も桁違いでも、ここまで徹底的に破壊されたらもう回復は望めない。
心臓もどうやら止まっているらしい。
心臓が止まっているというのは死んでいると言う事ではないのか? だが、まだほんの少し、あと少しだけならば動ける、そしてきっかけが有ればもう少し、後10秒は生きられるかもしれない。
悩んでいる暇は僅かほども無かった。
何かに挑む時、それが失敗するかどうか悩むというのは余裕が有る人間だけだ、少なくとも自分にはそれだけの贅沢な時間は残されていない、考えると同時に行動するしかない。
僅かに動く指先で、異空間の穴を開き、そこから取り出したのだ。
本来はこういう使い方をする為に入れて置いた訳ではないが、今ではきっかけといえばこれしか思いつかなかった。
いざという時に、電化製品を動かす為に異空間に保存していた”電気”を取り出したのだった。
瀕死のデモニムには加減と言う物が分からない、本来ならばそれだけで普通は致死量に値する電流が全身を駆け巡った。
だが、それがきっかけとしては充分な物となった。
強烈な振動により破壊され、これからその活動を止めるはずだった細胞達が、電流によりほんの少し、壊れかけのテレビを叩いたらほんの一瞬だけ映像が映し出したように、再びデモニムに命を与えたのだった。
動きが戻ったデモニムは、すかさず異空間に飛び込んだ、プルシコフに不意打ちを仕掛けるとかそういう発想はもう無かった。
仕事を済ませるだけだ。
送り届けなければならない。
2人の内、どちらが正解か分からないが、確率としては50%、命がけのギャンブルとしてはかなり高い確率と言える。
プルシコフは手を出す事を躊躇った。
振動を操れると言っても、いかに精密な攻撃をしても、エクを抱えたデモニムだけを攻撃する事は不可能だからだ。
デモニムは、エクの体を異空間に放り込むと同時にその穴を閉じた、既に総統符のルジェリオ総統の部屋に穴を開いている、異空間の穴の中で距離は意味を成さない、間違いなく届いたはずだ。
エクを放り込むと同時に、デモニムは穴に再び逃げ込むだけの力は残されておらず、今度こそ力無くその場に崩れ落ちた。
「やりましたぜぇぇぇぇえ、総統閣下……」
達成感に満ちた口調であったが、その最後の仕事が失敗であったとは彼は知らない。
その言葉を吐いた瞬間、突然デモニムの体は上半身が抉られるように削り取られていた。
いつの間にか、デモニムの背後に1人の男が立っていた。
「良く分からないですけど、敵ですよねェ? こいつ」
最初にデモニムに襲われたクァルゴがそこに立っていた。
クァルゴの右腕の掌から胸の辺りまで、まるで剣で深く斬られたかのような溝が出来ていた、良く見るとそこには無数の牙のような物が生えているようで、巨大な怪物の口のように見えた。
この口でデモニムを喰らったのだ。
「戻ってこれたのか?」
プルシコフは尋ねた。
「いや、良く分からないんですけどねェ、車の外に出たトコまでは意識がハッキリしてたんですけど、気付いたらこういう状況で、敵っぽいのが目の前にいたから攻撃したんですけど」
突然こういう状況に放り出されたにも関わらず、目の前の相手を敵っぽいというだけで攻撃すると言うのも普通の感性ではない。
「ダルマ師匠は?」
クァルゴがそうプルシコフに尋ねたが。
「いや……、お前がここに出ていると言う事は、どこかにいてもおかしくないんだが……」
そう言い淀んだ。
「ここにおるわい」
車の陰からダルマがすっとその姿を現した。
少しばかりバツの悪そうな顔に見える、ダルマはクァルゴと違い、敵と相対してそして異空間に送られたので、自分が何かしらの攻撃を受けて身動きが取れなくなっていたという事を理解しているようだ。
自分が不覚を取ったと言う事が屈辱なのだろう。
そのダルマは、左手に1人の男を引き摺っていた。
その男には右手首が無かった、元々無いと言うよりすっぱりと斬りおとされた直後のようだった、根元には止血の為だろうネクタイが巻かれており、傷口は生々しくまだ血が乾いていなかった。
総統補佐官に任命されたのだが、自室でデモニムに襲われたファエイルという男である。
意識を失っているようだ。
「あれ? 師匠、その人は?」
「懐かしい顔がそこに転がっておったわ、わしが本国にいた頃は確か総統符の見習いだった男じゃの? 職業柄、人の顔は忘れんからの」
ダルマが本国を離れてもう何年も経っている。
「ファエイル……、今では総統符の執務室でのやり手の男だ、次期補佐官候補と言われていたが……」
プルシコフは、最近まで本国にいたが、ファエイルが総統補佐官に任命されたのは、丁度プルシコフが本国を出た直後の事である。
「分からん事が多いが、とりあえずはこの男に聞けば良い事よ、わしらの知らん何かしらの情報を持っているかもしれん。手首が斬り落とされて血がかなり流れておるが、何とか命は助かるじゃろう」
そう言いながら、ダルマは懐から何かの軟膏のような物を取り出し、ファエイルの傷口に塗り始めた、どうやら薬草の類のようだ。
「いずれにせよ、今回のこの襲撃、総統が関わっていることには間違いが無いようだ……」
デモニムの最後の言葉と、このファエイルから出される答えはもう1つしかない。
「しかし、ずいぶんと辺りが散らかったな……」
プルシコフがポツリと言った。
その通りであった。
先ほどまでは無人の荒野で、2台の車が止まっていただけであった風景に、様々な物が転がっていた。
武器の類。
食料の類。
衣服も転がっている。
車の運転手も2人転がっていた。
全てデモニムが異空間に収納していた物だろう。
もしかしたらもっと本当は多いのかもしれない、ここに吐き出されたのはデモニムがわりと最近収納したものだけと言う可能性もある。
「良く分かりませんけど、プルシコフさんがいなかったらヤバかったですねェ」
相変わらず気軽な口調でクァルゴが言ったが。
プルシコフの顔には奇妙な緊張が浮かんでいた。
険しいと言っても良い表情である。
ダルマも、似たような表情を浮かべていた。
「どうしました? ……ッ!?」
その時だった。
何かが物凄い速度で近づいて来る気配をクァルゴも感じ取っていた。
地を走ってくる速度ではない。
空から何かが降ってくる感じである。
爆弾!?
いや、上空に飛行物体は無い、それに爆弾であってもプルシコフの振動の能力を使えば爆発を押さえ込む事が出来る。
何かが空気を切り裂いて、丁度3人の間に落ちてきた、いや突き刺さった。
それは一本の大剣であった。
普通の剣の基準から大きく外れている、小柄な成人男性と同等の大きさであり、重さはその比較にならないだろう。
偶然この場所に剣が降ってくる――、そういう事が起こる訳が無い。
誰かが意図してやった事に間違いない。
だが、どういう意味なのか、宣戦布告と言う事か、あるいはいつでもお前らを攻撃できるという意味なのか。
3人は無言で周囲に意識を張り巡らせた。
何も動きは無い。
よほど遠くから投擲したのか、人の気配はまるで無い、他の一切の動きも感じられない。
いや、違う。
動きはあったのだ。
周囲にではなく、三人の中央の降ってきた大剣にである。
亀裂が走っていた。
剣の中央に深い亀裂が走り、その亀裂にの”中から”獣のような指が這い出し、まるで門をこじ開けるかのように左右に開こうとしているのだった。
大剣の中から這い出ようとしているモノ。
それは口から紅蓮の炎を吐きながら、瞳は凶悪な視線で獲物を嘗め回すように睨み、この世の物とは思えない空間が歪んでしまうような破壊的なオーラを纏っていた。
それは決して人ではなかった。