第3話 襲撃−2
洞窟の内部は、青く発光しており中々幻想的な風景であった。
しかし、その光景に見とれている余裕の有る人間はその内部には残念ながら居なかった。
2人の男は、地面から次から次へと姿を現す敵と、闘うのが忙しいからであり、そしてその敵は人間ではないからである。
それにしても、地面から湧いて出てくるくせに、きっちりと最初のと同様に剣と盾と兜を装備しているのが不気味であった。
「死にたくなければ動かないことだ」
ローブの男はそう言った。
相手の狙いは自分である、だから動かなければ攻撃も受けないだろうという意味だ。
しかし。
「けっ、動かなけりゃあ死んじまうぜ」
こういう状況で、洞窟の隅っこに隠れているのが性分に合わない人間らしい、それに少なからずローブの男を手助けをしたいと言う気持ちも無い訳ではないようだ。
だが、そういう気持ちとは別に剣を構えずにこの異常事態に耐えられる人間はそう多くない、しかし構えるだけでその気配を察知してか相手は攻撃を仕掛けてくるのだから、やはり動かないわけには行かない。
相手の数はまるで減らなかった。
ローブの男は、手を翳すだけで相手を吹き飛ばしているが、それとほぼ同じ速度で地面から現れるので、敵の数が変わらない。
ダノンは善戦しているが、このような相手と闘うのは初めてだからか動きにどこかぎこちなさが有る、それに相手は体のどのパーツを斬り落とされても、平気で攻撃を仕掛けてくるのだ、足を斬っても地面を這いずりながら攻撃を仕掛けてくる、そういう相手に剣での攻撃はあまり有効とは言えなかった。
相手の動きは、俊敏でこそ無いが、それでも油断していては斬られてしまう。
戦いと言うのは体力を想像以上に奪う、それに相手がほぼ無制限に現れ、そして苦痛をまるで訴えないというと、肉体の疲労度が想像以上に有る、それになにより精神の方が参ってしまいそうだった。
いつ終わるか分からない戦いは激しい焦燥感を湧かせるのだ。
ダノンの顔色にはっきりとした疲れが浮かんでいた。
肉体と精神が参りそうなのはダノンだけである。
ローブの男は、ほとんど義務的に現れてくる敵に攻撃をしているが、とても率先して闘っているとは言いがたい、力を小出しにしているという印象を受ける。
「こいつら、死体、かよ!」
ダノンは戦闘の合間を縫って、それだけ言った。
会話でもしないと、精神が持たないと悟ったらしい。
「違うな」
ローブの男は冷静に言った。
「違う!?」
突っかかってくる相手を避けながら、ダノンが言った。
「こいつらはただの泥だ」
剣で相手を攻撃していたダノンよりも、相手にかなり近づいて、手で攻撃していたローブの男の方が相手の正体に早く気付いていたようだ。
「泥!?」
ダノンは、そう言われてから、僅かな余裕を作り相手を観察した。
自分は、最初から相手を騎士か何かの死体だと勝手に思い込んでいた、近くに墓地でもありそこから拝借し魔法か何かで何者かがそれを操って攻撃して来ているのだと。
死体と闘っていると言うのは気分的にもかなりマイナスで、薄気味悪さが拭えないと思っていたのだが、それが相手が泥だと思うと、もちろんただの泥が動く訳が無いのでただの泥ではなく動く泥だが、それでも動く死体よりはずっと相手をするのに抵抗が薄い。
ダノンはそう思った。
よくよく考えて見ると、死体にしては特有の腐敗臭がしないし、斬っても骨も何も見えない。
そう考えると、今自分を包んでいる恐怖の大半が抜け落ちたような気がした。
「泥なら、怖かぁねえぜ」
それからのダノンの動きは軽やかだった。
これが本来の動きなのだろう、さきほどよりも大分余裕を持って闘っている。
いくら泥人形だろうと、手に持っているのは本物の剣であるので、普通であれば怖いのだが、この男にとっては死体の方がずっとやり難い相手だったらしい。
それに相手に対する良い攻略方法をダノンは思いついていた。
攻撃を相手の両腕だけに絞っていた。
相手の攻撃方法はその2つの単純な物だけである、両腕を斬り落とされると相手はこちらに突っ込んでくる事もしなくなるのを発見したのだ。
泥人形達はかなりの数が倒されていた、その泥が洞窟内の地面に積もり、それはくるぶしの位置まで積もっていた。
その時だった。
「よし、これなら――っ!?」
突然、ダノンは急激な虚脱感を味わっていた。
まるで背骨が引っこ抜かれるような脱力感である。
急に手に持っている剣の重さが数倍に膨れ上がったようにすら感じる。
めまいがして、呼吸が荒くなり、足が震え始めた。
「どうした?」
ローブの男が、尋ねても返答する余裕も今のダノンにはないらしい。
ダノンは、よろめき、ふらついた。
剣を取り落とし、前のめりに倒れそうになったダノンを、ローブの男は素早く抱きかかえていた。
ほぼ同時に、4対の泥人形が突きを放ってきていたが、ローブの男は表情を崩さずに、左腕に意識を集中すると、その手がまるで溶けた鉄のような色へ変貌した、その瞬間その腕を泥人形達に思いっきり右から左へ振った、泥人形達は原型を留める事無く粉砕した。
「俺を……、捨てて、逃げろよ」
ダノンが先ほどまでとはまるで違う弱々しい口調で言った。
病の時に弱音が出るような状況が、この陽気な男を襲っているようだった。
「生きたいんだろう? ならば生きろよ」
ローブの男は短いがはっきりとした意思の込められた口調でそう言った。
さっきまで死んだ魚のような眼だったのが、今でははっきりとした意思が込められているようだった。
その意思は言っていた、『お前を助けたい』と。
「……すまねえ」
ダノンを背負ったローブの男は、ダノンが何故急にこのような状態に陥ったのか、それを察知していた。
泥だ。
足元の泥から力を吸い取られる感触が有る。
ヒルが皮膚に付着し、そこから血を吸い取られているような感触に近い。
ローブの男は、力を吸い取られてもまるで平然としているが、成人男性ならばこの泥に直接触れているだけで数分も立たずに脱力してしまうだろう、もしもこの泥に浸かり続けていたら衰弱死も有りうる。
恐ろしく狡猾で、そして効率的な攻撃だった。
泥人形での攻撃は様子見のような物だ、その泥人形が破壊されると地面にその泥が撒かれる、そしてその泥は相手から力を吸い取るのだ。
自分の力で攻撃を仕掛けられているに等しい。
これをもし不意打ちで喰らえば、数十人いや数百人あるいはもっと大勢の部隊も簡単に無力化に出来るだろう。
ローブの男は、足元の泥がダノンに付かないように気をつけたところで、気付いていた。
少しばかり前に会い、一方的に自分の話しをしていたこの男に、自分が僅かばかりの情が移っている事に。
この男を死なせたくないと思っているのだ。
こんな自分にこういう感情がまだ有ったのか、そのような表情を見せると、ローブの男はダノンを背負ったまま洞窟の外へと一気に駆け出した。
この洞窟内では、動きも限られ、なおかつもしかしたらこの閉鎖空間だと泥をありったけ流し込まれる可能性も否定できない、そうなったら自分はともかくダノンはほぼ確実に死んでしまうだろう。
向かってくる泥人形達を、ハエか何かを払うように蹴散らしながら、それでいて剣がダノンに当たらないように気をつけ、洞窟の外へ出た。
洞窟を出たローブの男の眼に奇妙な物が飛び込んできた。
それは、一本の鉄柱だった。
「っ!?」
鉄柱が、地面に突き刺さっている。
それは、アイラの持っていた3本の鉄柱の1つであるが、もちろんローブの男がそれを知る訳が無い。
てっきりもっと大勢の泥人形か、あるいは何かが待ち受けていると思っていたローブの男は、やや拍子抜けしたようであったが、すぐにその鉄柱の異変に気が付いていた。
朧げな光を、その鉄柱が放っているのだ。
次の瞬間、鉄柱を中心としてその地面に、眩い光を放つ魔方陣のような物が急に映ったと思ったら、それは水面に石を放り込んだ波紋が広がるように、地面に広がっていった。
青い魔方陣だった。
辺りの暗闇が一気に青い光芒により裂けた。
ローブの男が、驚愕の表情を浮かべる前に、それは襲ってきた。
それは、強烈な振動と、そして熱であった。
まるで、いくつもの雷が吹き荒れる積乱雲の中に放り込まれたような強烈な力をそれは放っていた。
今まで居た洞窟も、まとめて吹き飛ばされていた。
その鉄柱を中心に、直径百m四方が一気に破壊されたのだった。