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第32話 消失

 

 「いでええ、っズねえ、えべええ」

 ラングは、首を真後ろからナイフで貫かれていると言うのに、まだ立ち、そして声を発していた。想像を絶する生命力だった、頚椎こそどうにか避けているかもしれないが、間違いなく喉は避けているはずなのに、どうして声が出せると言うのか。

 なんと、この短時間に先ほどまで喉から溢れていた血も、今は止まっている。

 「ラング……、お前も正気じゃないようだな」

 プルシコフは、ラングに向かって声を掛けているが、その声は無理に平静を保とうとしているように聞こえた。

 様々な葛藤が心の中で渦巻いているのだろう、今まで短い期間ではあっても行動を共にして、信頼をしていた自分の部下を殺すつもりで攻撃しなければならない状況というのは、想像以上に過酷な物なのだろう。

 「正気? 正気ってなんスか、部下にナイフ刺すの、正気だとは思えないスけどね」

 ラングの顔には笑みが浮かんでいた。

 先ほどまでは、声に明らかな異常が有ったのに、今では普通のときと変わらない声になっている。

 その時、ヂュゥュュという、焼けた鉄板に少量の水を垂らしたような音がすると。急にぼとりという音と共に、ラングの首からナイフが地面に落ちた。

 抜いた訳でも、また勝手に抜けた訳ではない、背後から喉を突き破っていた刃先の部分と、そして首の後ろに有る柄の部分が落ちたのだ。

 手は一切触れていない、自然と落ちたようにしか見えなかった。

 見ると、ラングの喉には傷が一切残って無かった、僅かに赤い血の跡が僅かに残っているだけである。 

 プルシコフも、ハヤンも、ティアもトマスもそのどう考えても異常な事態に息を呑んだ。

 ラングは、今まで以上の笑みを浮かべながら。

 「やっとー、俺のー、能力のー、使い方がー、分かってきたっスよ〜」

 ラングは、子供が遊びながら歌うようにそう言うと、突然ラングの全身がまるで突然の豪雨に見舞われたようにずぶ濡れの状態になった。

 もちろん雨など一滴も降っていない、その液体はラングの体の中から溢れてきたのだ。

 毛穴と言う毛穴から液体が溢れている、その光景は異常極まった。

 さきほどのクラゲのようなスライムのような物体を生み出す気配が無かった。

 だが、有る意味ではその全身がそのスライムと化しているようにも見える。

 プルシコフは動かずにその様子を観察するようにしている、先ほどは不意を突いた先制攻撃だった、だが真正面から何の策も無く突っ込むのはこのような相手の場合はとても得策とは思えない。


 ならば――

 

 プルシコフは、ごく自然に撫でるように太股に右手を下ろすと、次の瞬間にはその手から、ラングに向かい何かが急激な速度で飛んでいた。

 針である。

 長さは30cmほど。

 闇夜に溶け込むように、黒く塗られた針である。

 それがラングの顔面に目掛け放たれたのだ。

 もちろんナイフで首を貫かれて生きている男である、この程度で戦闘不能になるわけが無い、だが攻撃を受けて傷を負うにしても、避けるにしても受けるにしても必ず僅かでも隙は出来る、その隙を突いて攻撃を仕掛ける、そこまでプルシコフは考えていた。

 だが、その針をラングは避けなかった、しかしその視線は明らかにその針を目で追っていた。

 針がラングの顔に突き刺さった瞬間、その針はラングの顔に刺さってはいた、場所は目のほんの数cm下である、だがその針はラングには傷を一切付けていなかった。

 正確に言うならば、ラングの顔の表面の液体に刺さりその粘性により地面には落ちていないだけである、プルシコフの放った針はその液体の壁を貫く事が出来なかったのである。

 次の瞬間には、その針は顔の表面を覆っている液体に取り込まれ、その姿は一瞬で跡形も無く消え去ってしまった。

 隙を突いて攻撃を仕掛けようとしていたプルシコフは、完全にそのタイミングを逃していた。

 ラングは、それを楽しそうに見詰め、今度はこっちの番だよと言わんばかりに、体を覆っている液体を動かし始めていた。

 「っハヤン……、気をつけろ!」

 プルシコフは、ハヤンに警告した。経験上これから相手が何か攻撃を仕掛けてくるのが気配で分かる、もちろんそうでなくても突然このような変化が目の前の男に現れたら誰でも警戒はするが。

 ハヤンは返事も返せずにいた。

 「俺の力は水……、何でも溶かす水……、好きなように動かせるのが俺の能力……みたいスねー。んじゃあ、こんなのはどうっスか」

 そう言いながら、両手を高く上げた瞬間、体に纏わり付いていた液体が四方八方に飛び散った。

 ハヤンはティアとトマスを守る為に、前に立ち塞がり両手を広げその液体全てを受けた、その液体は高濃度の強烈な酸のように、触れる度にハヤンの皮膚には焼けるような痛みが走った。だが、ハヤンが身を挺したお陰で後ろの姉弟に怪我は無かった。

 一方プルシコフは、その液体が散弾銃のように飛びかかってきた瞬間に、咄嗟に着ていた上着を脱ぎ、それを盾代わりにしていた。

 どれだけその液体が物を溶かす性質を持っていたとしても、最初に何かに触れるとそれを溶かすかもしれないが勢いは消える、そしてその瞬間が反撃の好機であるとプルシコフは考えている、なぜならば先ほど攻撃を止めた鎧ともいえる液体を、わざわざこちらに向けて放出したラングは今は無防備な状態だからだ。

 

 ボロボロになった上着を投げ捨て、手に持った剣でラングに飛びかかろうとした瞬間、ラングはそれを見越していたように優越感に浸る笑みを浮かべた。

 「駄目っスね〜。やっぱり能力の差が全てなんスよ……。あんたと俺とじゃ、もう格が違うんだよ!」

 今まで多少は相手に敬意と言うか、遠慮が伺えた口調がそこで一変した。

 その瞬間、プルシコフは迂闊に飛び込んだ事を後悔した。

 そして、液体を自在に操れる能力と言う物の真の恐ろしさを理解していた。

 今の液体は、物を溶かす攻撃で有るとプルシコフは考えていたのだが、実際には本当の目的は周囲に散らばらせる事だったのだ。

 そしてその液体は今、プルシコフの足を接着剤で止めたようにがっちりと掴んでいた、そして動けなくなった獲物に群がるアリのように、その周囲に散らばっていたゲル状の液体が一斉にプルシコフに飛びついていた。

 プルシコフは必死に動こうとしたが、その時には既にその体は完全にその液体に捕らわれていた。

 わざとそうしているのだろう、プルシコフは酸欠で死なないように、顔だけはその液体から出ている状態だった、だが顔だけ出ていても声すらも発せられない、その液体が喉を外側から圧迫しているからだ、それで死にはしないが声を出すのは難しかった。

 死ぬのか!?

 プルシコフはそれほど絶体絶命の状況に追い込まれていた、身動き1つ取れず、そして体は明らかにこの液体により溶かされていく…… 

 

 その光景を見ながらラングは。

 「あんたは俺の目標だったよ、いや、他の隊員にとってもな。でももう違う、あんたは所詮ただの人間、俺は違う、そしてそれが決定的な優劣の違いだよ。その液体はゆっくりと獲物を溶かす、あんたに敬意を表してじっくりと時間をかけたやり方でやってやるよ、あんたの体が溶けきる頃にはこの村の住人は全て溶かしているだろうな」

 そう言いながら、ラングはプルシコフに背を向け、ハヤン達三人の方に向き直った。

 そこには体中が焼けたような状態になったハヤンがいた、皮膚は所々ただれ、煙が上がっている。そして服もかなりボロボロに溶かされている状況だった。

 だが、まだハヤンは立ち、強い意志を秘めた眼でラングを睨んでいた。

 今までのハヤンには無かった物だ、今ハヤンを支えているのは背後の二人を守ると言う強い使命感なのかもしれない。

 

 「あんたには手加減をしていなかった、出来る限りの力で触れたら骨も溶かすようにしたのに、何で無事なんだろうな……」

 敵を前にした言葉と言う気がしなかった。

 猟師が銃で獲物を撃つ、例えば大きな鹿だ、一発確かに頭部に命中したのにその鹿は走って逃げた、それを不思議がるような口調だった。

 「もう、ただ”丈夫”ってだけじゃ説明がつかない、それにさっき俺を殴った時の力、やっぱりお前も同類って事だな? だったら今の内に殺して置くのが得策という事か?」

 自問自答しているが、どこか誰かと話しているようでもある。

 だが、ハヤンにはそこまで考えている余裕は無い、考えている事は1つだけである、どうすればこの背後で怯えている2人をここから逃す事が出来るか、それだけである。もしそれが叶えられるのならば、自分の命は二の次で良いと真剣に思っている。

 「ま、良いや、まったく溶けない訳じゃなし、じっくり丁寧にやれば良いだけの事か……」

 そう言いながら、ラングはハヤンに向かって歩き出した。

 ラングの全身が、いつの間にかまた液体で覆われた状態になっていた。

 先ほどのハヤンの突然の攻撃を警戒しているのだろう、恐れてはいないが最大限の警戒をする、それが習性として身に付いているのだ。


 その時だった。

 ラングの表情に驚愕が浮かんでいた。

 「馬鹿な!?」

 突然どうしたのだろう、ハヤンにはその意味が分からなかった、全身の痛みと恐怖が思考力を低下させているのだ。

 ラングは、ハヤンを無視して後方――つまりプルシコフの方向に体を向けた。

 そこには、液体に捕らわれていたはずのプルシコフが立っていた。

 一体どうやって抜け出たと言うのか。

 「……何だ? ……何なんだよ! 何であんた立ってんだよ!」

 絶対の自信があったのだろう、ラングは軽い錯乱状態になっていた。

 だが、プルシコフは今までとは違い、どこか超然とした表情をその顔に浮かべていた、余裕とも一味違う何かがプルシコフの周囲に漂っていた。

 「……」

 プルシコフは、何故か自分の両手を見詰め、呆然としているように見えた。

 この隙をラングが見逃すはずが無かった、どのような方法で逃れたにせよ、もう一度捕らえ今度はじっくりと時間をかけたりせずに瞬時に溶かしてやる、そういう意思がラングから伺えた。

 「喰らえ!」

 ラングの体に纏わり付いていた液体が、まるで一匹の透明な竜に変じたようになり、それがプルシコフに襲い掛かった。

 だが、プルシコフはその攻撃に眼もくれなかった。

 唐突に透明な竜はプルシコフに触れる1〜2m先で、その肉体が消失していた。

 何かの攻撃で、例えば物理攻撃で破壊されたのとは異質であった、まるでプルシコフの周囲にある闇に溶け込むようにその竜の体の半分が瞬時に消失したのだ

 まるで見えない巨人が、握り潰したようだった。

 ラングの表情に先ほどよりもかなり濃い困惑の表情が浮かんでいた、一体どう言う事なのか、何故自分の攻撃が相手に当たらないのか? それが分からない、プルシコフが何かをした事だけは間違いが無いが、それが何なのかまるで分からない。

 プルシコフは困惑と恐怖に顔が引き攣るラングに、ゆっくりと向き直り、そして静かな口調で。

 「さっき言ったな……、格が何とかと。同じ言葉を返そうか」

 静かではあるが、明確な意思が込められていた。

 お前では俺に勝てない、向かってくるのならば容赦なく殺す。

 それだけが込められていた。

 

 「ち……、畜生おおぉぉぉぉぉォォォォ!」

 ラングは怒っていた。

 全てを溶かし、そして粘度も硬度も自在に操れる液体、完全無欠と思われる力を手に入れた優越感。

 そして生涯かかって乗り越えるべき目標である男を倒したと言う達成感。

 それら全てが音を立てて崩れていく。

 その喪失感にラングは怒りで対抗するしかなかった。

 「そうだ! 熱か! あんたは熱の力を使えるんだ!」

 当てずっぽうだった。

 だがラングは、推測にしろ何かを言わざるを得なかった、自分の水をあれほど簡単に消失させるのは熱だろうと単純に考えたのだ、そういう推測を言わないと精神が保てなかった、相手の能力が未知と言うのはそれほど恐ろしい事なのだ。

 「正解ではないが、遠くも無いな……」

 プルシコフは平然と答えた、答えをはぐらかしているのではなく、本心からの答えのように見えた。

 プルシコフは本心から答えているようなのだが、ラングにはそれがおちょくられたと感じた、子供からの質問を上手く誤魔化す大人、それぐらい自分とお前では差が有るのだよと、そう言われた気がしてならなかった。

 怒りが脳を焼いた。

 ラングは普通でも、短気な性格ではあったのだが、今は”普通”の状態ではない、よりいっそう短気になり、その眼は釣りあがり、まるで獣のような形相でプルシコフを睨みつけていた、何かがラングの肉体の奥の方で騒いでいるように見えた。

 もう人の声をラングは発していなかった。

 狂った獣の声だ、手負いでその痛みのせいで脳が正常に機能しなくなった獣、誰にでも構わず襲い掛かる凶暴な獣の声をラングは発していた。

 その声に呼応するように、辺りに散らばったゲル状の液体が、ラングの体に集まり始めていた。

 その大きさは小山のように見えるほどだ。

 だが、それを前にしてもプルシコフは平然としていた、既に先ほど手に持っていた剣は背中に納めている、もう剣を使う必要は無いと判断しているようだ。

 ラングが、正確に言うならばラングの周囲の液体が、意思を持った化物のように、プルシコフに襲い掛かっていた。

 だが、それらはプルシコフの体に触れる事も出来ずに消失していく、何かの能力をあの時プルシコフは得たのだ、絶体絶命でもう助からないと誰もが思える状況で、何かの力がプルシコフに働きかけ、そして人間離れをした能力を授けたのだ。

 その力の使い方は誰に習う事も無く自然と理解できた、ラングもその液体の操作の方法は本能とも呼べるレベルで理解しているのだろう、それと同じだ。

 だから、分かる。

 ラングの能力では、自分の能力には勝ち目が無いと言う事を。

 

 プルシコフはラングの攻撃をものともせずに、ゆっくりと近付いていった。

 その間も、ラングは絶え間無く強烈な溶解能力を有する液体による攻撃を仕掛けている、相手が軍隊であろうと、相手の装備に関わらず溶かしてしまう液体である、だがそれがプルシコフには通じない。

 ハヤンはその光景を見詰めながら、どこか神々しい物を見ているような気分だった。

 降りかかる悪魔の手を平然と払い除ける聖者……

 そのように見えた。

 「さよならだ、ラング」 

 その言葉と同時に、ラングは断末魔の悲鳴に近い声をあげながら最後の攻撃を仕掛けた。

 操作出来る全ての液体を、プルシコフの上下前後左右全ての方向から襲い掛からせたのだ。

 プルシコフが、どのような攻撃をしているにしても、この攻撃にはどれかに傷を負うだろうと言う確信もラングには有った。

 だが。

 それすらもプルシコフには通じなかった。

 

 ラングは気付いていた、攻撃を仕掛けた瞬間に、プルシコフはあらゆる方向から襲い掛かってくる攻撃に対処しながら、それと同時に自分に攻撃を仕掛けていたという事に。

 ラングは、自らの肉体にプルシコフの攻撃を受けて、初めてのその能力に気付いていた、気付いたと言っても恐らくその能力の端を垣間見ただけかもしれない、だがそれだけで自分には勝ち目が無いと思い知らされた、100回戦えば100回殺されるだろうという確信があった。

 自分の液体に走る波紋、それがプルシコフの能力のヒントなのだろうと、ラングは思ったが。

 だが、思ったところでどうにも出来ない。

 その時には、もうラングの肉体のほとんどが消失していたのだから。

 一体どうしてこれほどの破壊が行えるのか、それを深く考えるだけの猶予はラングには残っていなかった。

 一呼吸も経たずに、僅かに残っていた肉体も、次の瞬間には跡形も無く消失していた。

  

 そこにはもう何も残されていなかった。

 ラングの肉体の一欠けらももちろん、そこにラングの残り香すらも漂ってはいなかった。




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