第2話 襲撃
「で、よ。俺が腰の物に手をやった時のあいつらの顔といったら、そりゃあ肝を潰した何てもんじゃなかったな、見せたかったぜ」
男の嬉々とした会話がその洞窟に響いていた。
「俺はこう見えても、剣じゃあ負けた事が無いのさ、昔はちゃんとした道場に通ってよ、そこでも一番だったんだ。世が世なら俺もなぁ」
先ほどから続いているのは男の自慢話、武勇伝の類である。
時には腰から剣を抜き、それを軽く振って実演もするのだが、それに伴った歓声などは上がらない。
洞窟内に灯された松明だけが、音の動きに合わせてやや揺れるばかりである。
洞窟にいるのは2人である。
1人はずっと話し続けている男。
もう1人も男で、こちらはまるで猫のようにそこに丸まって眼を閉じている、しかし男の声に時折返答するので起きているようではある。
話をしている男は、よほど話好きのようだった、久しぶりに話し相手とめぐり合えたことが嬉しくて、会話が止まらないようだった、この男なら少し形が人に似ているだけの樹に30分は話続けられるだろうと思えるほどの話しっぷりだった。
2人の関係は、旅の連れ合いというわけではない。
たった今ここで偶然会ったばかりの間柄である。
出会いはこうだ。
今は丸くなっている男が、ローブで頭部まですっぽりと顔を隠して、その洞窟に入ってきたのは特に目的があったわけではない、ただ身を休める場所を見つけて入ってきただけである。
夜に、こういう洞窟に訪れるのは、何かしらの事情を持つ者だけである。
金が無いというのもその事情の1つに数えて、他には人と関わりを持ちたいと思わない者や、あるいは何かから身を隠す者もそうだろう。
現に、先客は何かから身を隠していたらしい。
ローブの男が、洞窟から入り外から姿が見えなくなる辺りに来ると、その場で寝転んだ。
それを確認してか、中から声がしたのだ。
「追っ手じゃねえのか」
夜の洞窟である、光を灯さなければ視界は皆無である、夜目が利くと言っても多少の光が無ければ何も見えない、恐らく外から来た者が何も動きらしい動きを見せずに、そして特に誰も探す気配もまるでしないので声をかけたようだった。
ローブの男は返答を返さない。
洞窟のやや奥から何かを擦る音がしたかと思ったら、光が照らされた。
どうやら火種を起こし、その火を松明に付けたようだった。
奥からのっそりと姿を現したのは、口にまるで熊のような髭を蓄えた、獣の匂いすらしそうな野性味の溢れた男だった。
風呂に入っていない日数は、想像も付かない。
その体臭は、人込みの中に入ったら十分にそれだけで人除け代わりになりそうだった。
用心深い男らしく、松明を持った左手と反対の右手は、しっかりと腰の剣にかかっていた。
「おい、起きろよ」
寝ている男からやや距離を取って、声をかけた。
数度声をかけると、ようやく観念したのか。
「……何か用か」
寝ている男は、寝たまま返答した。
しわがれた声だった、何日も口を開かずに、急に声を出すとこのような声が出るだろうと思わせる声である。
それにしても、初対面の人間の前で寝たまま、それも相手は剣に手を当てているというのに、その余裕っぷりは尋常ではなかった。
「へへ、追っ手じゃねえだろ? お前」
もし、そうだとしても追っ手が、自ら名乗るわけが無い。
男としては、寝ている男と会話をしたがっているのだ。
「違う」
そう言うと、光から眼を背ける様に顔を動かし、また寝入りそうになった。
慌てて男は、再び声をかけた、さっきよりも声が大きくなっている。
「おい! 人と話すの久しぶりなんだ、さっき採った茸とか分けてやるからよ、ちょっと話に付き合えよ、な?」
寝ている男がその条件に心を動かされたとは思えないが。
「話したいなら勝手に話せ」
その言葉を聞くと、男は嬉しそうに話を始めたのだった。
・
そして現在に至る。
「剣が俺を生かしてくれたんだ、でも結局その剣で俺はこんな場所に隠れているって訳さ」
男の話を信じるならば、男は剣の使い手で、いろいろな場所の用心棒のような事をやっていた。
ある時、ちょっとしたいさかいを起こして、街のチンピラを斬ってしまった、そのチンピラは実は街の犯罪組織の幹部の身内のもので、それで命を狙われてここに逃げ隠れている、らしい。
もっとも、それが全部丸ごと嘘であっても、何の不思議も無い。
「……何で逃げる?」
珍しく寝転がっている男が声をかけた。
「そりゃあ、おめぇ俺がいくら剣の達人だろうとよ、ちっと相手が多すぎらぁ、それに真正面から向かってくるわけでもないしな、食事に毒を盛られたらどうしようもない、俺だって死にたかぁ無いからな」
男は先ほどまでは、剣術が得意という話だったが、いつの間にか達人と自ら名乗っていた。
「死にたくないか」
「何だ? あんたは死にたいのか?」
「……生きる方が、死ぬより辛い時もある」
消え入りそうな声だった。
「そうかね、俺にはそんな事があるとは思えないね、生きているうちが華さ、どれほど辛かろうとな」
その言葉にローブの男は沈黙した。
僅かに見えるその表情には、痛ましいような何かが浮かんでいるようだった。
その沈黙を恐れたように、男は。
「なあ、そういや、今更なんだが、あんた名前は何てんだ? 俺はダノンってんだが……」
そこまで言った時、洞窟の入り口に何かの気配がした。
今2人がいる場所は、洞窟から10メートル弱入った場所である、外からはこの松明の明かりは見えても、中に誰が居るかそして何人居るかまでは洞窟の造り上、分からない。
それは中の2人にとっても同じだった、誰が何人来たのか分からない。
2人は、特にダノンは緊張した。
すぐに腰に剣をやるとそれを引き抜いていた。
さきほどとは違い、相手は明かりを見つけている、誰かが洞窟の中にいると言うことは相手に伝わってしまっている、それがもしも自分の追っ手だとすると隠れ遂せるのは無理だ、闘うしかない。
そう直ぐに判断したようだった。
寝ていた男も体を起こし、入り口に眼をやっていた。
何かを引き摺るような音が徐々に近づいてくる。
自分の足音を隠そうともしない。
それにしても奇妙な音だった。
人の足音ではない。
獣の足音でもない。
では、何の足音か?
その時、ダノンが思いついたように松明を消そうとしたが。
「明かりは消さない方が良い」
ローブの男が、言った。
その時に、ダノンも気付いていた、侵入者はこの暗闇の中、松明も何も光となるもの一切持っていないということに。
つまり、明かりが無くても活動が可能と言うことになる。
普通ならば、中の相手がいきなり明かりを消して視界を奪うと言うことを考えると、明かりを持って入る、中の人間がその光目掛けて遠距離から矢などで攻撃することを考えると、先頭の者が大きな盾を持って入る場合が多いだろう。
それをしないということは、光が無くとも見えるような道具か、あるいは魔法を施された相手という事か。
あるいは、光に惹かれて近寄ってきた明かりの類を一切持たない旅人と言う可能性も有るには有るが、それにしても声くらいはかけてもおかしくない、それが無いと言うことは、やはりただの迷い人が近寄ってくるのとは違うようだ。
音が徐々に近づいてくる。
歩幅にすると、後ほんの数歩と言うところで相手の姿が見える位置だ。
どうやら相手は1人らしい。
いや、1つと言った方が正しいかもしれない。
ダノンの首筋に汗が浮かんでいた。緊張し、湧いた唾液を飲み込む音が洞窟内にダノンの想像以上の音で響いた。
ローブの男には、そういう緊張がまるで見られない。
しかし、この状況を面白がっているようにも見えない。
痛いほどの沈黙が、場を包み始めた頃。
そしてそれは岩陰から、その姿を見せた。
それは奇怪なモノだった。
それは剣を持っていた、盾も持っていた、兜も被っていた。
しかし、それ以外は一切身に纏っていなかった。
ダノンが悲鳴を押し殺した。
それは人ではなかった。
人の形をしてはいるが人ではない。
肌の色は、白でも黒でも黄色でもない。
細部まではこの光では見て取れないが、黒をもっと濁らせたような色をしているように見える。
剣や盾などの装備が、使い古された安物ではなく、新品のかなり良い物の様なのが逆に不気味であった。
「何だ!? こいつは!」
ダノンは、侵入者に油断無く剣を構えたが、僅かに手が震えている。
しかし、この状況で腰を抜かすことなく剣を構えられると言うことは、さきほどの武勇伝もあながち嘘ではないのかもしれない。
その声に向かってか、その人でないモノが向かってきた。
動きに無駄が無く、純粋に命を奪う為の突きをそれは放っていた。
だがダノンは、その動きよりも早かった。
その突きを見事に横に避け、そして避けるだけでなく、避けられたことにより僅かに体勢が乱れた相手に、すかさず剣を振っていた。
その剣は見事に相手の腕を、人間で言えば二の腕辺りから切断していた。
たっぷりと水を染み込ませた雑巾を地面に叩きつけたような音がして、腕が地面に落ちた。
だが、相手はまるで怯まない、今度は盾でダノンを攻撃しようとした。
ダノンは、それに反応しようとしたが、剣で斬ってもまるで堪えない相手に動揺した為か、それに間に合わなかった。
しかしいつの間にかローブの男が、ダノンとそれの間に割って入り、右手を無造作にそのモノに向けると、まるで体内に仕込まれた爆発物が炸裂するように、それの体は洞窟内に四散した。
「っ! 魔法使いか、あんた!?」
それにローブの男は返答しなかった。
「しかし、今のはなんだ? 斬った手応えは人とは全然違うしよ、気色悪ぃ……、しかし助かったぜ、礼を言っとく」
ダノンはそう言うと、自分の持っていた剣を平気でその場に棄て、足元に落ちている人間でないモノが持っていた剣を拾った。
自分の剣に愛着などを持つタイプの男ではないらしい。
「……けっ、こっちの方がよっぽど良い剣だぜ、悔しいよなぁ、俺よりこんなのの方が良い物使ってやがるとは」
ダノンは盾も兜も拾わなかった、軽い身のこなしの剣術を得意としているからか、あるいは防具を付け慣れていないからか分からない。
「聞きたいことが有るんだがね」
そこまで言った所で、ダノンは。
「今の奴は俺を追って来たわけじゃない、つまりあんたが狙い、違うか?」
ふざけた口調とはまるで違う真剣な口調で言った。
「恐らくな」
「ふぅん……、明日の朝一番でお別れするのが一番だな、あんなのとやりあってらんないぜ」
「明日と言わずに今すぐの方が良かったな」
「あん?」
「もう遅いかもしれない……、次が来た」
ローブの男の視線の先に、ダノンが眼をやると。
そこには、足音も立てずにいつの間にか、先ほどと同じようなモノが今度は5体も立っていた。
そしてそれは、地面から溢れるように、徐々にその数を増やしていた。
地面がやや青く発光してるようであった。
いや、地面がと言うよりも、洞窟全体がもう松明を必要としないほど発光していた。
・
「ジグドゥ、どうなの? やった?」
洞窟が見下ろせる位置の高台に2人の姿があった。
水竜国ローヴァのアイラとジグドゥの2人である。
洞窟までは少なくとも1〜2kmは離れている位置に2人は居る。
ジグドゥはアイラの言葉に答えずに、黙ったまま膝を地面に突き、そして両手を地面に当てている。
相変わらず表情に変化がまるで見られない。
2mを超える巨体が、無言でいるとそれだけで普通は迫力を持つが、ジグドゥの場合は相手を威圧するような迫力というものが希薄だった、このジグドゥに迫力を感じる人間がいるならば、その人間は同じ大きさの物なら何にでも迫力を感じるのだろう。
2人の立っている場所の中心に、アイラの持ってた3本の鉄柱の1つが魔方陣のような物が描かれている地面に突き刺さっており、それが奇妙な紫の光を放ち、2人の居る場所を周囲から覆っていた。
自分達の存在を相手から隠す為の術が施されているようだった。
「……仕方ないわね」
アイラは、そう言うと、残った2本の鉄柱の1つを右手に持ち、地面に手を当てているジグドゥの背後に回ると、その鉄柱を思いっきり振りかぶった。
そして――
何と、そのままジグドゥの頭部に横殴りに振りおろしていた。
一切の躊躇や逡巡も無く、また手加減の類も見られなかった。
ジグドゥの頭部は、思いっきり吹っ飛び、肩から上には何も乗っていない状態になった。
それだけの事をしたと言うのに、その最中にアイラに躊躇はまるで無かった。
当たり前の事を当たり前のようにやった、ただそれだけのようであった。
奇妙な事が2つあった。
1つは、そうやって頭部を破壊されたら、前か後ろか横に必ず人は倒れるが、ジグドゥは何も変わらずその姿勢のままで止まっている。
もう1つは、まるで血が出ない事、そして頭部の中身といえる部位が一切飛び散った中に見られなかった事である。
「起きた?」
アイラは何も無かったかのような口調で、頭部の無いジグドゥに声をかけた、すると。
「うん、起きたよ」
ジグドゥの外見とはまるで違う声がそこからした。
子供とまでは行かないが、若く、そして可愛らしい声である。
そこ、というのはジグドゥの首があった場所の根元からである。
「出てこなくてもいいから顔ぐらい出しなさい」
母親が朝、中々布団から出てこない子供を叱るような口調でアイラは言った。
「もう眼が覚めたから出るよ」
やはり首の根元から声がすると、ジグドゥの肉体に劇的な変化が現れた。
まるで全身を覆っていたアイスが溶けるように、その巨体は崩れ出し、地面に落ちていった。
ぼとり、ぼとりとさっきまでは肉体であった部分が剥がれていく光景は圧巻であった。
そこから現れたのは華奢と呼んでも差し支えの無い、20代に手が届いたかどうかという年齢にしか見えない青年であった。
肌の色が1度も陽に晒されたことが無いように白い。
美少年、そう形容してもどこからも文句の出ない顔をしているが、その顔には勇ましさとか、男らしさと言った男性的な物が決定的に欠如していた。
髪は長髪で、その長い髪を首の後ろで結んでいる。
不思議なことに、服にもその肌にも、そして爪の間にも先ほど身に纏っていたモノが付着していなかった。
「んー、外も中々良いね」
そう言うと、ジグドゥは思いっきり背伸びをした。
両手を天に向かって伸ばし、足はつま先で伸びていた。
思わず倒れそうになるまで背伸びをし、本当に足がよろめいた所をアイラはすかさず片手でその背を支えた。
「まったく……、運動不足よ。それでどうなの? やったの?」
先ほどした質問をアイラは繰り返した。
「んー、とね。ちょっと寝てたから分かんない」
ジグドゥの無邪気な答えにアイラは頭を抱えた。
「あのね! この仕事は水守様からの直々の仕事なのよ? 分かってるの? あんたを拾ってくれたのは誰? 育ててくれたのは誰? 恩義に報いなさい!」
アイラが強い口調で言ったのだが。
「はぁい。でもね、まだ最初のを送った所だから、これからだよ」
まるで豆腐に釘を打つように、ジグドゥの返答には手応えが無い。
やはり、またアイラが頭を抱えたその時。
「あ」
と、ジグドゥは言った。
「どうしたの?」
「最初のやられちゃった」
「ま、そうよね。あの程度でやられるなら”特務大使殿”がわざわざ依頼に来ない、か」
「次の送る?」
「そうして、いつものように続けて」
「はぁい」
本当に大丈夫なのか、アイラは少し心配していたが、ジグドゥの能力がこの性格とはまるで違い、陰湿でそして恐ろしい物であるとコンビを組んでいる自分が誰よりも知っているので、そこは信頼しているアイラではあった。
ジグドゥは、その華奢な両手を、地面に当てると、地面は僅かに青みがかって発光し始めた。
その光の筋は、まるで数10匹の青蛇が、凄まじい勢いで伸びていくように、一気に地面を走り始めた。
その筋は、あの洞窟に向かっていた。