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第28話 異変

 

 プルシコフを含む総勢10名が村にやって来た時、村人全員が心から歓迎したわけではなかった、軍人というものを恐いと思う感情が皆に少なからず有るのだ。

 だが、それでも根は純朴な村人達である、

 危害を加えないと分かれば、客人として歓迎するために、村人が総出で、村長の家のすぐ傍にある集会場に集まって、準備を始めていた。

 時間はもう夕暮れ時である。

 100名程度がその集会場に集まっていた。

 子供もいれば、老人もいる。

 小さい村の全ての人がここに集まってる。

 皆が各自で持ち寄った野菜と山羊が数頭そこにいた、今日のメインディッシュである、山羊の丸焼きは年に数回も食べる機会は無いご馳走だった。

 料理の準備が始められていた。

 

                      ・


 隊員達が、村人が客人を迎える為に拵えた大型のコテージに招かれている間、プルシコフとジブデンの2人は、村長の元を訪れていた。

 今回の歓迎の礼を言う為である。

 村長の家に入った瞬間、村長は2人の顔を見て立ち上がり、そして満面の笑みを浮かべた、作り笑いにはとても見えない、突然の訪問ではあるがそれを喜んでいるようだった。

 

 「いや、ようこそ、お越しなさいました。名前も無いようなこんな辺鄙な村に、まさか首都の軍人様方が立ち寄ろうとは、これも何かの縁でしょう、田舎料理で、お口に合わないかもしれませんが、山羊の丸焼きと、村人達が精魂込めて作った作物は、どれも首都で味わう物に勝るとも劣らないほどかと存じますので、ご堪能なさいませ」

 流暢な、流れるような口調で村長はジブデン隊長を前に歓迎の意を笑顔で伝えた。

 その丁寧な、それでいて相手を敬う話し方に、ジブデンは。

 「うむ、こういう機会が無ければ、立ち寄る事も無い場所だからな。料理は、それほどの期待しておらん、首都の洗練された料理と比べては可哀想というものだ、まぁそれなりに楽しませてもらうとするが」

 尊大で、そして所々に失礼な口調で返した。

 プルシコフは、顔色を変えてはいないが、内心では呆れている。

 村長の笑顔は、まるで変わっていない、大した物だった。

 こういう相手と応対するのは初めてではないようだった、さすがにこの歳まで生きて、辺境の小さな村とはいえ村長を任せられている男は、それなりの経験を積んでいるといったところか。

 「ところで、隊長殿はいけるクチですかな?」

 笑顔のまま、村長は右手で杯を作り、それを飲むようなジェスチャーをしながら、ジブデンに尋ねた。  

 もちろん、酒は飲めるかという意味である。

 「うむ、まぁ飲めなくは無いな」

 言いながら、恥ずかしげも無くジブデンの喉が鳴っていた。

 任務に出てから酒とはほとんど縁が無かったのだ、さすがに任務の最中に酔っ払うわけには行かないという、最低限の常識がこの男にも有ったようだ。

 「おう、それならば良かった、以前首都で買った極上の酒を寝かせてあるのですよ、いかがですかな? なにぶん私は下戸なもので、処分してくれるとありがたい」

 「そ、そういう事ならば仕方が無いな」

 「隊長……」

 プルシコフが、たしなめるように言うと、ジブデンはプルシコフを睨みながら。

 「せっかくの歓迎の気持ちを無駄にしちゃいかんだろうが」

 強い口調で、そう言った。

 プルシコフが折れるしかなかった。

  

                         ・


 宴は中々の盛り上がりを見せた。

 踊りが得意な者は踊りを披露し。

 歌が得意な者は歌を歌い、楽器が得意な者は楽器を演奏し、そして特に何も得意な物が無い者は、純粋に騒ぎ楽しんだ。

 ハヤンは、宴に参加し、山羊の丸焼きやら、新鮮な野菜やら、トウモロコシの粉を混ぜて焼いたものやらのご馳走を頬張りながら、そして山羊の乳で作った酒を少しだけ飲みながら、チラチラとプルシコフに視線を送っていた。

 あの箱について、何か分かった事が有るのでないか。

 そう思っているのだ。

 まだ聞く機会が無かった。 

 隊員を引き連れてやって来た時には、声を掛けられなかった。

 それに今もプルシコフ達は若干離れた主賓の席に座っているので、近寄って声を掛けるのが躊躇われる、それにプルシコフの周りの軍人達は若いが、ハヤンからしてみれば恐い印象を受けるのだ。

 プルシコフがその視線に気付き、視線を返し、頷くような仕草をした。

 僅かな仕草ではあったが、ハヤンには間違いようも無く伝わった。

 『後で行く』

 そういう意味が込められているようだった。

 それを見て安心した表情をハヤンは浮かべた。良かった、自分の事を忘れていたわけではない、そう思った。

 ハヤンの横には、ティアとトマスの姉弟が座っていた。

 「あの人?」

 ティアが、ハヤンに尋ねた。

 プルシコフがこの村にやってきた時に、最初に相手をしたのは自分だと、もう2人には話していたのだ。

 「ああ、あの偉そうな人の横の金髪の男がプルシコフだよ」

 偉そうな、というのはジブデン隊長の事である。

 「へぇ、何か、あの人のほうが落ち着いていて偉く見えるけどなァ」

 トマスが、子供ながらに的確な指摘をした。

 確かに客観的に見ると、酒を浴びるように無遠慮に飲み、無作法に肉を食っているジブデン隊長よりも、落ち着き払い、酒は失礼でない程度に口をつけ、そして礼儀正しく適度に食事をしているプルシコフの姿が、正しい大人の姿に見える。

 「随分整った顔立ちの人ね」

 何気なしにティアが言った。

 確かに、村では見かけないほどプルシコフは鼻が高く、眼も口も、そのバランスがどれも見てて心地良い位置に有る、そして何よりその眼からは淡い燐光が放たれているように、鋭くそして確かな意志の強い眼光が覗く。

 男のハヤンから見ても魅力を感じさせる男だった。

 「そうだな、首都に行けばああいう人も多いのかもな」 

 ハヤンは、納得するように相槌を返すと、トマスが会話にまた割り込んできて。

 「駄目だなぁ」

 と言った。

 「駄目って?」

 ハヤンは聞き返した。

 意味が分からなかったのだ。

 「姉ちゃんはさ、少しは妬いて――」

 その口に、ティアが山羊の肉の塊を押し込んだので、ハヤンには先が聞こえなかった。

 トマスは不意に口の中に肉を放り込まれたので、呼吸するのに必死になっていた。

 「ん? どうした?」

 「この子、まだ肉が食べ足りないんですって」

 呼吸困難に陥っている弟を尻目に、冷ややかな声を浴びせると同時に、ティアはトマスにカップに入った水を手渡していた。

 そこら辺はしっかりしている。

 トマスは、そのカップの水に飛び込むような勢いでしがみつくと、勢い良く飲み干した。

 「っが! 死ぬって! 怖えぇな、うちの姉ちゃんは、もう!」

 「何か言った?」 

 「いえ。滅相も無いです、……はい」

 ハヤンには意味が分からなかったが、トマスは神妙な顔付きになっていた。

 横にいる姉のティアは、頬を膨らませていたが、怒りはもう失せて、若干はにかんだような笑みが伺えた。

 その光景をハヤンは何故か微笑ましいという気分で眺めていた。

 

                      ・

 

 宴会も無事に終わり、村人全員がそれぞれの家に戻った。

 ハヤンも、ティアもトマスも自分の家に帰っていった。

 

 隊員達も、村人が用意をしてくれた隊員全員が入れるほどの大きさの簡易型コテージに入り、見張り2名を除き、全員がそれぞれ体を休めていた。

 自由時間であるが、さすがに見張りの役目の者は必要なのだ。

 ジブデン隊長は、自分だけ別の場所にテントを張り、1人で寝ている。

 村人が用意したコテージを『家畜臭い』という理由と、下位の隊員と一緒の場所で寝られるか、という理由からである。

 誰も、その事に対して文句は言わない。

 いつものジブデンでも誰も何も言わないが、今日は酒が入っている、こういう時にどれほど正論だろうと意見を述べようものならば、もう手に負えなくなるのは眼に見えている。

 隊員全員がそれを理解しているので、村人に妙なちょっかいでも出さない限りは黙っていることにしているのだ、これはもう暗黙の了解として隊員には伝わっていた。

 

 その中で、ディゼルはその箱を見詰めていた。

 妙に引き込まれる物が有る。

 例えようの無い感覚である、美女を見て美しいと思う気持ちとも違う、ご馳走を目の前にした時の気持ちとも違う。

 では何かと言うと、やはり例えられない。

 不思議な箱だった。

 文字の解析は、順調に進んでいた。

 約束通り一日で、いや今夜中には終わらせるつもりだった、これは正確に言えば任務中に発生した仕事ではない、自分の休憩時間を割いて行っているボランティアのような事だ。

 もちろんこの文字の解析は楽しい、滅多に見かける機会の無い文字を見て心が弾んだのは確かだが、それだけがディゼルがこの役目を引き受けた理由ではなかった。

 ディゼルは特に周りに誇示しないが、内心ではかなり誇り高い。

 子供の頃から、ディゼルは自分の知性に気付いていてそれを高める努力を怠らなかった、そういう強い自負が有る。

 腕力では敵わない相手でも知性を用いて倒す事が出来る、それを知っていた、だから子供の頃から負け知らずだった。

 プルシコフと言う男に会うまでは。

 およそ欠点が見当たらない男、それがディゼルがプルシコフと言う男を知った時に思った事だった。

 噂は聞いていた、自分は試験でトップだったので、過酷な修行で有名だったダルマという人の教えを免除されたのだが、それでもプルシコフと言う男の凄さは伝わってきた。

 戦闘や体力においてはもちろん、戦略においても、知性においても、そして人間性と言う点でも自分はこの男にだけは一歩及ばなかった、そう思っている。

 初めての経験だった。

 口に出して悔しがったりはしなかったが、内心ではかなり悔しい気持ちを押し殺していた。

 だがそれと同時に、プルシコフと言う男を尊敬する気持ちも湧いていた、この男に勝ちたい、それが決して体育会系ではないディゼルが初めて心に抱いた、熱い思いだった。

 

 そんな中、いきなりこういう事を頼まれたのは正直驚いた。

 話を聞くと、村で知り合った青年に頼まれたらしい。

 普通の軍人ならば、そういう類は無視してしまう、あるいはこの箱が価値の有る物だと判断したら、没収し私腹を肥やすかもしれない。

 けれどプルシコフはそれに真摯に対応し、そしてわざわざ自分の所に持ってきた。

 奇特な男だ、そう思っている。

 だが、それよりもディゼルが驚いたのは、自分自身の感情にである。

 プルシコフにも出来ないことが有り、そして自分を頼っている、その思いに優越感よりも強い思いが沸き起こった、使命感に似ているかもしれないが、それとは少し違う感情だった、意地だったのかもしれない。

 やってやる。

 そう思った。

 プルシコフに言った、『一日あれば』というのは決して容易い期限設定ではない、だがそれよりもなお早くこの作業を終えて見せる。

 勝ちたい、そういう感情ではなかった、あの男に認めて欲しい、もしかしたらそういう感情だったのかもしれない。

 だから、さっきの宴の最中もこの箱の事ばかり考えていた、だから酒も飲まず、食べ物は少し胃に納める程度に留めた、食べ物が詰まりすぎると頭の働きが鈍る、酒も有る程度ならば感覚を働かせる効果が有るかもしれないが、副作用も有る、酒に頼りたくは無かった。

 一心不乱にディゼルはそれに取り組んでいた。

 プルシコフは、この箱の持ち主の青年の所に行っている、この箱に書いて有る文字を後どのくらいで解読できるか、それを報せに行くらしい、わざわざ自分から足を運ぶと言うのは、よほど気が合ったのだろう。

 他の隊員も各自がそれぞれの時間を過ごしている。

 しかし基本的に私物が持ち込めないので、暇を持て余しているのが分かる。

 恐らくコテージ内の隊員のほぼ全員がディゼルの作業を何気なしに見ていた。

 

 その時だった。

 

 酒臭い息と共に1人の男がコテージ内に入ってきたのだ。

 ジブデン隊長だった。

 「うぉい、何やってんだ? あ?」

 恐らく寝付かれなくて暇になってこちらに来たのだろう、暇そうな隊員に対して説教をする気だったのかもしれない。

 ジブデンがコテージに入って最初に眼にしたのは、やはり真剣に何かをやっているディゼルの姿だった。

 一瞬コテージ内に緊張が走った。

 「なんだぁ? それ」

 ジブデンは真っ直ぐにディゼルに歩み寄るが、その足取りは不確かな物だった。

 「いえ……」

 うるさい、あっちに行け。その言葉をどれほど言いたいか……、この男に関わっている時間だけ解析が遅れてしまう、そういう思いがディゼルにあった。

 だが、その言葉を聞いた瞬間にジブデンの眼が釣りあがった。

 「いえ!? いえ、だと? この野郎! 上官が尋ねているんだ! 答えろ」

 酒のせいか、それとも本来の性格のせいか、一瞬で頭に血が上ったジブデンは、赤い顔で叫ぶように言った。

 「これは……、その、プルシコフ副官に頼まれた物でして」

 ディゼルは正直に言った。

 どういう言い訳も思いつかなかった、私物は禁止だから自分の物だとは言えない、拾ったなどと言ったら問答無用で没収か壊される可能性が有る、『軍人が拾い物するなんて品性の欠片も無いな!』そう言われるのが眼に浮かぶ、だがプルシコフの名前を出せば、あるいはこの男も引き下がるかもしれない、そう思ったのだ。

 だが、それは大間違いだった。

 「はっ! プルシコフ? なんだ、あの若造が。あいつに頼まれたって? 勝手に俺の部下を使う権利が、あいつに有ったとは知らなかったな! それは没収だ、良いか? あの野郎には俺の所に取りに来いと伝えろ、あの野郎の思い上がりを叩き直してやる!」 

 激しい口調でそう言った。

 酒の力が、ジブデンの発言に強烈な後押しをしているようだった。

 「困ります……」

 ディゼルは何とかそれだけ言った。


 だが、ジブデンはそれを聞こえなかったかのように、ディゼルから箱を奪い取ろうとした。

 「やめてください!」

 咄嗟にディゼルはそれを払い除けた、ほとんど反射的な動きだったが、酔っ払っているジブデンはそれでバランスを崩し尻餅をついていた。

 その頃には、そのコテージ内の全員の視線がそこに集中していた。

 起き上がりながらジブデンは、その腰の物に手をやっていた。

 剣である。

 「てめぇ……、上官に対してその態度は何だ……」

 剣を引き抜きながら、凄い形相でそう言った。

 ディゼルも、顔から血の気が抜けていた、いくら酔っているとはいえ、剣を引き抜くとは思ってもいなかったのだ。

 身動きが取れなかった。

 他の隊員の動きも凍り付いている。

 下手な動きが出来ない状況だった。

 ジブデンは右手で剣を振り上げながら、剣で攻撃をするかと思いきや、いきなりディゼルを蹴り飛ばした。

 剣に気を取られていたディゼルはその蹴りをモロに喰らい倒れた、ディゼルの眼鏡がどこかにすっ飛んで、そしてその眼鏡の割れた音だけが聞こえた。

 倒れたディゼルに容赦なく、ジブデンは蹴りを見舞っていた。

 

 4度目の蹴りを、ディゼルの腹に蹴り込もうとした時、ジブデンはその肩をぐっと引かれた。

 そこでようやくジブデンはディゼルを蹴るのを止めたのだった。

 「そこまでっスよ」

 ラングだった、険しい目付きでジブデンを睨みつけている、それでもかなり努力をして睨みつけるのを抑えているようだったが、その成果が現れてはいなかった。

 まるで親の敵を見るような目つきだった

 「ああ?」

 「上官に対する反逆行為、その制裁ならそこまでっス」

 「テメェが何決めてんだ?」 

 「それ以上やるなら動くスよ、俺らも」

 ラングは静かな口調だったが、明確な意思が込められていた。

 正確な意味は何も言っていないが、その眼は明らかに、これ以上やるならばあんたは命の覚悟をしろとそう言っていた。

 上官に対する態度がどうとか、あるいは命令違反として軍部に裁かれようと、あんたがこれ以上続けるならば、あんたを行動不能にするくらいは確実に攻撃をする、それで例えあんたが命を落としても知ったこっちゃ無い、そういう視線だった。

 さすがのジブデンもその眼光のあまりの鋭さに酔いが覚めたようだった。

 そして気付いたのだ、自分は特別待遇で免除されたが、こいつらは軍でも有名な過酷な修行を施すダルマの教えを受けていたという事に、もし彼らが本気になれば、酔っていなくても一対一でこちらが武器を持っていても勝ち目が無いという事に。

 ディゼルが自分の攻撃を受けたのは、こいつがその修行を受けていなかっただけという事に。

 今や、ラングだけでなく他の4名の隊員も、今まではただ従順なだけの部下だったはずが、鋭いまるでそれだけで人の命を奪えるほどの眼光をジブデンに向けていた。

 クァルゴもその中にいる、普段は捕え所の無い表情のこの男が、明確な殺意に似た感情を浮かべていた。 

 「お……、お前ら、軍法会議だ! 上官の命令無視だ!」

 負け犬の遠吠えのような情け無い台詞を吐きながら、後退りをしているジブデンを無視するようにラングは、倒れているディゼルの元に近寄り、しゃがみこんだ。

 「おい、大丈夫か? ディゼル。 止めるのが遅くなって悪かった。くそ! それにしてもムカつくぜあいつ……」

 恐らくその言葉はまだコテージ内にいるジブデンにも伝わっていたが、それに対して配慮する気持ちはラングにはもう失せていた。

 うつ伏せになっていたディゼルをラングは抱き起こした。

 ディゼルは何かをぶつぶつと呟いていた。



 許せない。

 許せない。

 自分よりも精神的に、いや人間的価値が圧倒的に劣る存在から、こういう仕打ちを受けるとは思ってもいなかった。

 胸が焼かれるように苦しい。

 苦しい。

 燃えるようだ。

 蹴られたという物理的痛みもあるが、それ以上に燃えるような苦しみが有る。

 屈辱だった。

 あの男が憎らしかった。

 無能な、取り柄と言えば家柄だけ、自分が何一つ努力をしていないのに、それに気付いているのか気付いていないのか、その上に胡坐をかき、のうのうと生きている、それだけならまだどうにか許してやれるが、こうして今、自分にしたように、自分よりも下の人間を甚振るのは許せない。

 部下と言ってもただの形式上のものだ、お前程度、俺ならばすぐにでも抜かしてやる。

 しょせんコネだけの人間などは、実力の前には無意味だ。

 ああ、それにしても胸が熱い。

 熱く、そして苦しい――。いや、苦しいのはさっきまでだ、今ではむしろ……そう。 

 心地よさが競りあがってくるようだった。

 全身の毛穴という毛穴から、何かが湧いて出てくるような気分だった。

 何かが自分の中から迫り出してくる感覚、ディゼルが感じたのはそれだった。

 


 ラングに抱きかかえられたまま、ディゼルは吼えていた。

 人の声ではない、野獣の声だ。

 それがディゼルの喉から発せられている。

 ディゼルの眼は人の眼では無かった、真っ赤な、白目も黒目も無い、ただの紅い塊が押し込まれているような色だった。

 獣の眼。

 ラングが思ったのはそれだった。

 だが、どのような獣もラングの知る限りこういう眼はしていないはずだ、なのに脳裏にすぐに浮かんだのは、血に餓えた獣の眼という表現だった。

 次の瞬間。

 ディゼルはラングの腕の中から、凄まじい勢いで、ほとんど寝転がった状態から一気に跳んでいた。

 吼えながら跳んでいた。

 一瞬にして2mは跳んだ。

 コテージの天井がそれほど高くない為、頭を擦るようにしながら跳んでいた。 

 その着地地点には、状況がまるで分からず、戸惑いと恐怖の表情を浮かべ、悲鳴さえ発する事の出来ないジブデンが突っ立っていた。

 


 ディゼルが最初にいた場所に、ぽつんと置かれていた『箱』が、その光景を嘲笑うかのように、奇妙な光を発していたのだが。

 それに気付いている者はコテージ内には誰もいなかった。


 ましてや、今夜でこの村が消滅する事に気付く者など、いるはずも無かった。

 


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