虚ろな心と言葉の刃(人間とは、矛盾した弱き生物である)
言葉は心を傷付け、心はこれを防ぐ術を知らない
唐突な話だが、私は苦しみが絶えない。
何故苦しみが絶えないのかを自分なりに推察してみた。
結果、私の苦しみの原因は、私が人間であるからという結論に達した。
何故人間だから苦しみが絶えないのかと、問う者もいるだろう。
では、人間が人間である故の苦しみを暫し閑談頂こう。
人間とは、心を持ち言葉を持つ。心は弱き防御壁の無い虚ろなモノだ。心を見た事をある者も無く、心に触れた者も無い。虚ろであるが故に壊れ易く非常に脆い。
言葉は、意思伝達機能としてのみ存在するなれば何も臆する事の無いモノだ。しかし、言葉は時として心に対し鋭利な刃物と化す。言葉の刃は、心という虚ろな存在を斬り付ける。しかも、研ぎ澄ました紙が触れただけでも切れてしまう程の鋭利さで。
人間には、研ぎたての鋭利な言葉と、守る壁すら持たない虚ろな心が存在する。
これが、私を苦しめる原因なのだ。
人は他者の心を傷付けまいと、刃を鞘に押し込んだまま、話をしているつもりになっている。
しかし、言葉の刃を受ける側からすれば、それは既に抜刀された刃になっている事すらあるのだ。
どれだけ細心の注意を払っても、言葉の刃の抜刀を自制する事は叶わない。何故ならそれは、言葉を受ける側が抜刀されているか否かを決める為である。
ここまで言って分かる通り、私は人間であるが故に苦しみが絶えない。
この一筆を見ている者達よ。言葉は、刃。さすれば、この文面に記されたこの言葉の羅列もまた刃と思い、人と接して頂きたい。
私は人間であるが故に苦しみが絶えないが、人間であるが故に喜びも得ている為、これ以上の駄文は無用の長物と考え、この刃の駄文を締めさせて頂く。
要約すると、人と話す時は気を付けて話しましょうって話。
何気ない一言で相手に深手を負わせる可能性もあるからね。