第二話
午前四時過ぎ。
保護室の小窓から覗くと、宮下結衣は目を開けていた。
薬のピークは越えたらしい。モニターの波形も落ち着いている。
湊は扉を開け、ベッド脇の丸椅子に腰を下ろした。
「気分は」
「……最悪」
かすれた声。舌がまだ重そうだ。
「吐き気は?」
「ちょっと」
「水、飲める?」
彼女はうなずく。ストローで数口。むせない。
意識は清明に近い。今夜は点滴と経過観察で済みそうだった。
しばらく沈黙が落ちる。
保護室は静かだ。壁は薄いクリーム色で、時計もテレビもない。
結衣がぽつりと言った。
「先生」
「うん」
「私、本気じゃないって思ってるでしょ」
湊は少し考えてから答える。
「“今すぐ死ぬつもりの量”ではないとは思ってる」
彼女は、わずかに笑った。乾いた笑い。
「ずるいですよね。死なない量、選んでるんです」
視線が天井を滑る。
「怖いんです。ほんとは。痛いのも、苦しいのも」
言葉はゆっくりだが、はっきりしている。
「でも、朝になるのがもっと怖い」
湊は何も書かない。ただ聞く。
「みんな普通に会社とか学校行って、普通に笑ってるじゃないですか。あれが、できない自分が、朝になると確定するんです」
呼吸が少し乱れる。
「夜は、まだ言い訳できるから」
消灯後の街は、誰も活動していない。
動けない自分が目立たない時間。
「消えたいっていうのは」
結衣は目を閉じる。
「死にたいっていうより、“参加してないことにしたい”んです」
湊は、胸の奥で小さな引っかかりを覚える。
参加していないことにしたい。
それは診断名ではない。
処方もない。
「朝は来るよ」
それだけ言う。
「うん」
「でも、今はまだ夜だ」
結衣は目を閉じたまま、ほんの少しだけ頷いた。
モニターの音が、一定の間隔で鳴る。
今はまだ、夜だった。




