第十一話
実家に帰るのは、三年ぶりだった。
玄関の匂いは変わらない。
洗剤と、少し古い木の匂い。
「急にどうしたの」
妹はキッチンから顔を出す。
手首に、細い白い線がいくつも走っている。
昔より薄くなったが、消えてはいない。
「顔、疲れてるよ」
先に言われる。
「夜勤が続いてるだけ」
「嘘」
即答だった。
湊は笑うが、視線を逸らす。
食卓に向かい合って座る。
湯気の立つ味噌汁。
しばらく他愛ない会話をする
だが本題は、喉に引っかかっている。
「最近、また夢に出る」
妹が先に言った。
湊は顔を上げる。
静かな声。
「自分が運ばれてる夢」
湊の胸が締まる。
「あのときさ」
妹は続ける。
「お兄ちゃん、“死なないで”しか言わなかったよね」
記憶が正確に再生される。
処置室の匂い。
自分の震える声。
「ごめん」
思わず出た言葉。
妹は首を振る。
「謝らなくていい」
「でも」
「私ね、あのとき“どうしてほしいか”自分でも分かってなかった」
視線が柔らかい。
「だから、あれでよかったんだよ」
湊は息を止める。
「今は?」
妹は少し考える。
「消えたくなる日はある。でも、電話する人がいる」
その言葉が、静かに落ちる。
「お兄ちゃんも、誰かに話せてる?」
問いが返ってくる。
湊は、佐伯の顔を思い出す。
「……少しだけ」
「それでいいと思う」
妹は笑う。
「医者でも、兄でも、人間でしょ」
湊は初めて、妹の手首を正面から見る。
傷は過去だ。
だが、存在は現在だ。
救えたかどうかではない。
“今ここにいる”という事実。
それを、やっと真正面から受け取る。




