第十話
数日後、昼の外来。
中年女性が涙ながらに言う。
「息子が死にたいって言うんです。どうしたらいいですか」
その言葉が、鋭く刺さる。
診察室の空気が薄くなる。
——どうしたらいい。
自分も、知りたい。
視界の端が白くなる。
「先生?」
声が遠い。
鼓動が速い。手が冷たい。
あの処置室。
平坦なモニター。
妹の包帯。
呼吸が浅く、速い。過換気に近い。
湊は一度、診察を中断する。
「少しだけ、時間をください」
廊下に出る。
壁に手をつく。
吐き気がする。
——大丈夫だ。大丈夫だ。
だが身体は言うことをきかない。
「先生?」
振り向くと、夜勤でよく組む看護師の佐伯が立っている。
「顔色、真っ白ですよ」
「……ちょっと」
いつもなら、ここで笑ってごまかす。
寝不足です、と言う。
だが今日は、言葉が出ない。
代わりに、別の言葉がこぼれる。
「少し、しんどい」
自分でも驚くほど、率直な声だった。
佐伯は表情を変えない。
「座りましょう」
スタッフルームに連れていかれる。
紙コップの水を渡される。
「過呼吸気味ですね。ゆっくり吸って、吐いて」
指示は簡潔だ。
湊は従う。
数分後、鼓動は落ち着いてくる。
「最近、夜勤多いですよね」
「……うん」
「一人で抱えすぎです」
否定できない。
「患者さんのこと、持ち帰らないでください」
その言葉に、思わず笑う。
「無理だよ」
「でしょうね」
佐伯も少し笑う。
沈黙。
それでも、責められている感じはない。
「たまには、先生も“消えたくなりました”って言っていいんですよ」
湊は顔を上げる。
「ここでなら」
結衣に言った言葉が、返ってくる。
胸の奥が、わずかに緩む。
「……消えたくなることがある」
初めて、声に出す。
佐伯はただ頷く。
「ありますよね」
それだけだ。
解決策は出ない。
カウンセリングもない。
だが、“言えた”。
その事実が、思いのほか重みを持つ。




