第9話 俺たちは、学園を捨てた
出立の日の朝、王立魔導学園はいつもと同じ顔をしていた。
鐘は鳴り、学生たちは授業へ向かい、
貴族の子弟は何事もなかったかのように廊下を歩く。
――まるで、俺たちが存在しなかったかのように。
(それでいい)
組織というものは、
異物を排除した後、何事もなかったかのように振る舞う。
それが、正常動作だ。
雑用科の詰所には、最低限の荷物だけが積まれていた。
武器と呼べるものは、簡素な剣が数本。
魔導具は、使い古しばかり。
資金も、雀の涙。
だが――
人だけは、揃っている。
ミレイア。
ドラン。
それ以外にも、雑用科や武闘科から数名。
誰一人、強くはない。
だが、誰一人、目を逸らしていない。
「……本当に、行くんですね」
ミレイアが、小さく言った。
「ここを出たら、戻れない」
「戻る理由がない」
俺は、即答した。
彼女は、少しだけ笑った。
「……ですよね」
その笑みには、もう怯えはなかった。
覚悟が、宿っている。
学園の正門前。
出立を見送る者は、ほとんどいない。
――いや、正確には。
見送らない、という選択をしている者たちが多い。
だが。
「レイン!」
声がかかる。
振り向くと、第一王子アルベルトが立っていた。
護衛も、儀礼もない。
一人きりだ。
「……見送りに来るとは思いませんでした」
「私個人として、だ」
彼は、少し困ったように笑う。
「君を、守れなかった」
その言葉は、真摯だった。
だが――
俺は首を横に振る。
「違います。
殿下は、“学園”を選んだだけです」
責めるつもりはない。
それが、彼の役割だからだ。
「君は……怒っているか?」
「いいえ」
本心だ。
「殿下は、善い王になるでしょう」
アルベルトの目が、僅かに揺れる。
「ただし」
続ける。
「この国が変わらなければ、
善い王ほど、苦しむ」
それは、忠告だった。
彼は、しばらく黙り――
深く、頭を下げた。
「……無事でいろ」
「はい」
それ以上、言葉は交わさなかった。
門を出る直前、
俺は、学園を振り返った。
高い塔。
整った回廊。
秩序ある世界。
だが――
俺の視界には、はっきりと見える。
【停滞率:上昇】
【崩壊予兆:中】
(変わらない場所は、いずれ壊れる)
それが、俺の確信だった。
「……なぁ、レイン」
歩き出してしばらくして、ドランが口を開く。
「俺たち、これから何者になるんだ?」
いい質問だ。
俺は、少しだけ考え――答えた。
「まだ、何者でもない」
「じゃあ、目標は?」
仲間たちの視線が集まる。
俺は、はっきりと言った。
「生き残る。
自分たちの居場所を作る」
そして、続ける。
「結果として、
この国が無視できなくなる場所を」
一瞬の沈黙。
次の瞬間――
誰かが、笑った。
「……相変わらず、でかいな」
だが、否定はなかった。
それで十分だ。
数日後。
俺たちは、地図にも小さくしか載らない土地に立っていた。
荒れた大地。
崩れかけた建物。
遠くで、魔物の咆哮。
――辺境領地。
学園が、
王国が、
教会が。
捨てた場所。
ミレイアが、息を呑む。
「……何も、ないですね」
「違う」
俺は、周囲を見渡す。
「制約が、ない」
それは、最大の利点だ。
ここでは、
誰も俺たちを見ていない。
誰も指示しない。
誰も、期待しない。
だからこそ――
好きにできる。
(ここからだ)
俺は、地面に足を踏みしめる。
雑用科は、終わった。
学園編は、終わった。
ここから始まるのは――
領地経営という、現実の戦場だ。
戦闘力はない。
魔法の才能もない。
だが――
人を見抜く目だけは、ある。
それで十分だ。
俺は、仲間たちを振り返る。
「まずは――
今日、寝る場所を確保する」
その一言に、皆が笑った。
大げさな宣言はいらない。
国を作るのは、いつだって、生活からだ。
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