第5話 第二王子は、取引を持ちかけてくる
第二王子レオンハルト・ノクティスが去った後も、廊下の空気は張り詰めたままだった。
ミレイアが、不安そうにこちらを見る。
「……あの方、王族ですよね?」
「そうだ」
「怒らせて……しまったんでしょうか?」
俺は、首を横に振った。
「違う。
“値踏み”されたんだ」
王族が平民を見る時の目ではない。
敵を見る目でもない。
――獲物を見る目。
(早すぎるが……想定内だ)
雑用科に派閥が生まれれば、必ず誰かが嗅ぎつける。
そしてこの学園で、最も嗅覚が鋭いのが――第二王子だ。
その日の夜。
雑用科の詰所に戻ろうとしたところで、使いの者に呼び止められた。
「第二王子殿下がお呼びです」
周囲が、一斉に息を呑む。
雑用科の生徒が、王子に呼ばれる。
それが意味することを、皆が知っている。
俺は、ミレイアたちに視線を向けた。
「心配するな。
戻ってくる」
それだけ言って、歩き出す。
――戻れなかった場合の選択肢は、考えない。
案内されたのは、学園内の来賓用小会議室だった。
簡素だが、無駄がない。
いかにも、第二王子らしい。
レオンハルトは、すでに席に着いていた。
「座りたまえ、レイン・アルト」
その声には、昼間の探るような響きはない。
最初から、本題に入る気だ。
俺は黙って椅子に座る。
視界に、数値が浮かぶ。
【統治適性:S】
【交渉成功率:高】
【裏切り許容値:極高】
(やはり、危険な男だ)
「単刀直入に言おう」
レオンハルトは、指を組んだ。
「君は、この学園では異物だ」
「光栄です」
「褒めてはいない」
そう言って、薄く笑う。
「雑用科。
才能なし。
だが、周囲が動き始めている」
情報は、すでに揃っている。
「第一王子は、君を“守るべき弱者”だと思っている」
俺は、何も言わない。
「だが私は違う。
君を――危険な存在だと思っている」
沈黙。
普通なら、ここで怯える。
だが、俺は違った。
「それで?」
短く返す。
一瞬だけ、レオンハルトの目が細まった。
(いい反応だ、と言いたそうだな)
「取引をしないか」
そう切り出したのは、向こうだった。
「君は、雑用科に集まった人材を私に渡す。
私は、君を保護する」
保護。
王族が平民に与える、最も甘美で、最も危険な言葉。
「卒業後の地位も保証しよう。
官僚でも、補佐官でもいい」
周囲の平民なら、即答するだろう。
だが――
俺の視界では、別の数値が見えていた。
【忠誠要求率:極高】
【独立許容度:低】
(要するに、“囲い込む”気だ)
俺は、静かに息を吐いた。
「条件を、一つ追加しても?」
「ほう?」
「雑用科への直接介入は、やめてください」
空気が、変わった。
第二王子の眉が、僅かに動く。
「……それは、なぜだ?」
「彼らは、まだ“素材”です」
あえて、冷たい言い方をした。
「削れば壊れる。
ですが、今は育つ」
沈黙。
レオンハルトは、俺をじっと見つめ――
やがて、低く笑った。
「なるほど。
君は、駒を“数”ではなく“機能”で見ている」
正解だ。
「だが、勘違いするな」
声が、冷たくなる。
「君が拒否すれば、私は別の方法を取る」
「承知しています」
俺は、目を逸らさなかった。
「それでも、今は取引しません」
はっきりと、断る。
部屋の温度が、一段下がったように感じた。
「理由を聞こう」
「簡単です」
俺は、言葉を選ばなかった。
「殿下は、王になる器をお持ちです」
レオンハルトの目が、僅かに細くなる。
「だが――
その王国に、俺の居場所がない」
一瞬、沈黙。
次の瞬間、彼は声を上げて笑った。
「はは……なるほど。
“支配される側”に収まる気はない、と」
否定はしない。
「いいだろう」
レオンハルトは、立ち上がった。
「今日のところは引こう。
だが覚えておけ」
扉へ向かいながら、振り返る。
「君は、すでに盤上にいる」
それだけ言って、去っていった。
夜の回廊を歩きながら、俺は思考を整理する。
(これでいい)
第二王子にとって、俺は
・敵ではない
・味方でもない
・だが無視できない存在
それで十分だ。
詰所に戻ると、ミレイアたちが待っていた。
「……大丈夫、でしたか?」
「問題ない」
俺は、短く答えた。
だが、心の奥でははっきりしている。
学園は、もう“安全な場所”ではない。
王子が動いた以上、
次に来るのは――粛清か、利用か。
どちらにせよ、準備が必要だ。
(次は、学園全体を使う)
雑用科という最底辺から、
この学園の“流れ”そのものを掴む。
それができた時――
追放は、失敗ではなくなる。
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