第3話 第一王子は、俺を善意で踏みつける
雑用科の朝は、鐘の音では始まらない。
始業を告げるのは、鉄扉が開く鈍い音と、監督役グスタフの怒鳴り声だ。
「起きろ。今日も仕事は山ほどある」
薄暗い詰所で、俺は静かに目を覚ました。
寝台と呼ぶにはあまりに簡素な寝床。石の床に敷かれた布切れ一枚。
だが、不思議と不満はなかった。
昨日一日で、はっきり分かったからだ。
この場所は、地獄ではあるが――
真実が一番よく見える場所だと。
その日の午前の仕事は、武闘科の訓練場だった。
訓練用魔獣の暴走。
抑えきれず、教師が処理を放棄したらしい。
血の臭いが、まだ空気に残っている。
「雑用科! さっさと片付けろ!」
怒鳴る教師の背後で、貴族生徒たちが遠巻きにこちらを見ていた。
恐怖でも嫌悪でもない。
――興味だ。
人がどれだけ壊れるかを眺める、無邪気な目。
(慣れているな……)
俺は無言で、魔獣の死骸に近づいた。
頭上に浮かぶ数値。
【教師:統治適性E/部下損耗率S】
……使えない上に、無責任。
この学園では、珍しくもない。
「――そこまでだ」
澄んだ声が、訓練場に響いた。
一瞬で空気が変わる。
ざわめきが止まり、誰もが一斉に振り向いた。
そこに立っていたのは、第一王子――
アルベルト・ルクスレイン。
光属性の魔力が、彼の周囲を淡く照らしている。
立ち姿は堂々としており、まさに“王子様”という言葉が似合う男だった。
「雑用科に、これ以上の危険な作業をさせる必要はない」
教師が慌てて頭を下げる。
「も、申し訳ありません! ですが規則で――」
「規則は人を守るためにある。
彼らは学園の生徒だ。道具ではない」
その言葉に、周囲の生徒たちがどよめいた。
称賛の空気。
憧れの視線。
――だが。
俺の視界には、別のものが見えていた。
【アルベルト・ルクスレイン】
【統治適性:A(成長限界)】
【善政志向:高】
【現実認識力:低】
(やっぱり、そうか)
彼は、善人だ。
だが、善人であるがゆえに、見えていない。
アルベルト王子は、俺の前まで歩み寄ってきた。
「君……名前は?」
「レイン・アルトです」
「そうか。レイン、怖い思いをしただろう」
その声は、本気で心配しているようだった。
――だからこそ、質が悪い。
「安心していい。
雑用科の扱いについては、私から学園に進言しよう」
周囲が、ざわつく。
「王子自ら?」
「すげぇ……」
だが、俺は分かっていた。
この言葉が、何を生むかを。
「感謝します」
俺は、深く頭を下げた。
するとアルベルトは、満足そうに微笑んだ。
「当然のことをしたまでだ。
皆が平等に学べる学園であるべきだからね」
――その瞬間。
教師たちの数値が、微かに変動した。
【反発率:上昇】
【問題人物認定:レイン・アルト】
見えないところで、確実に。
(これで俺は、“面倒な存在”になった)
案の定、その日の午後。
俺は、別の仕事を命じられた。
「単独で、第四実験棟の封鎖区画を確認しろ」
明らかに危険区域。
昨日の事故で、立ち入り禁止になった場所だ。
グスタフが小声で言った。
「……やりすぎたな」
「いえ」
俺は、首を振った。
「想定通りです」
善意は、構造を変えない。
むしろ、反発を生む。
アルベルト王子は、俺を救ったつもりだろう。
だが実際には――
俺を、より深い場所に突き落としただけだ。
封鎖区画は、静まり返っていた。
魔力の残滓が漂い、空気が重い。
だが、そこで俺は――
“拾うべきもの”を見つけた。
壊れた魔導装置の影で、震えている一人の少女。
雑用科の生徒だ。
彼女の頭上に浮かぶ数値。
【統治補助適性:A】
【忠誠誘導値:SS】
【自己評価:最低】
(……いたな。ここにも)
才能の測り方を、間違えられた人材。
俺は、静かに声をかけた。
「大丈夫だ。
――ここでは、俺が責任を取る」
彼女は、泣きそうな顔でこちらを見上げた。
その瞬間、俺は確信した。
善意で人を救う王子より、
**現実を見て人を拾う俺の方が、
この世界では“王に近い”**と。
雑用科は、最底辺だ。
だが――
最初の仲間は、ここで見つかる。
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