エピローグ:悪役令嬢は、今日も諦めていない
エピローグ:悪役令嬢は、今日も諦めていない
王妃の執務室は、
思っていたよりも静かだった。
重厚な机。
整えられた書類。
窓から差し込む午後の光。
エリザベート・フォン・ローゼンクロイツは、
椅子に深く腰掛け、
ペンを手に取っていた。
(……王妃ですって)
(どう考えても、
手違いですわよね)
書類に署名をしながら、
彼女は小さく息を吐いた。
⸻
「エリザベート様」
扉の向こうから、
柔らかな声がする。
「お茶の準備が整いました」
「ええ、
今行きますわ」
(……この呼び方も、
まだ慣れませんわね)
⸻
応接室には、
見慣れた顔ぶれが揃っていた。
黒薔薇会の面々。
マルグリットは、
相変わらず少し緊張気味で、
フローラは嬉しそうに微笑み、
クレアは冷静に状況を観察し、
リリアは落ち着きなく椅子を揺らし、
セシリアは静かに紅茶を飲んでいる。
「……改めて」
セシリアが、
カップを置いて言った。
「本当に、
王妃になったのね」
エリザベートは、
眉をひそめた。
「なってしまいましたわ」
「なりたくは、
ありませんでしたのに」
⸻
「でも」
マルグリットが、
小さく笑う。
「エリザベート様は、
何も変わっていません」
「……そう?」
「はい」
クレアが、
淡々と頷いた。
「判断は早く、
感情に流されず、
嫌われ役を引き受ける」
「王妃になる前と、
何一つ」
「変わっていません」
エリザベートは、
腕を組んだ。
「それが、
問題なのですけれど」
⸻
「悪役ですよね!?」
リリアが、
勢いよく言った。
「王妃なのに、
悪役ですよね!?」
「ええ」
「そこは、
譲れませんわ」
フローラが、
ふわりと首を傾げる。
「でもぉ……
皆さん、
安心してますよぉ」
「王妃様がいると、
大丈夫だってぇ」
エリザベートは、
ぴたりと動きを止めた。
「……安心?」
「はいぃ」
「困ったときは、
エリザベート様が
何とかしてくれるってぇ」
(……最悪ですわ)
⸻
その日の夕方。
王城の回廊を、
エリザベートは一人歩いていた。
以前と同じ道。
同じ窓。
同じ景色。
それなのに――
立場だけが、
決定的に違う。
「……戻ってしまいましたわね」
自分に言い聞かせるように、
そう呟く。
「悪役令嬢は、
舞台から退場するものですのに」
足を止め、
窓の外を見る。
王都は、
穏やかだった。
争いの気配はなく、
人々はそれぞれの日常を送っている。
(……悔しいですわね)
(私がいるだけで、
落ち着くなんて)
⸻
「……それでも」
エリザベートは、
ふっと笑った。
「諦めませんわよ」
「悪役令嬢としての
理想像は、
まだ高いですもの」
誰もいない回廊で、
彼女は胸を張る。
「いつか必ず、
完璧な悪役を
演じてみせますわ」
その決意は、
真剣そのものだった。
⸻
だが――
その背中を見て、
人々はこう思う。
「やはり、
この国には
この王妃が必要だ」と。
エリザベート・フォン・ローゼンクロイツは、
今日もまた、
誰にも気づかれないまま――
国を守っている。
本人の意思とは、
まったく関係なく。
⸻
そして、
王妃の日記の最後の一文は、
こう締めくくられている。
《悪役令嬢としては、
まだ未完成》
《精進が必要ですわ》
その横に、
誰かが小さく書き足していた。
《※国はとても安定しています》
エリザベートは、
それを見て、
本気で眉をひそめたという。
⸻
――本当に、完。
――エリザベート・フォン・ローゼンクロイツより
ここまでお読みいただき、
誠にありがとうございますわ。
まず一言、
申し上げておきます。
わたくしは、悪役令嬢です。
……この点について、
物語を読み終えた皆さまが
首を傾げていらっしゃることは、
重々承知しております。
ですが、
本当にそうなのです。
嫌われ役を引き受け、
誤解され、
煙たがられ、
最後には静かに退場する――
それこそが、
理想の悪役令嬢ではありませんこと?
それなのに。
どうしてこう、
わたくしの行動は
「理解がある」だの
「公平だ」だの
「いてくれて安心する」だのと
解釈されてしまうのか。
まったく、
納得がいきませんわ。
⸻
本作では、
婚約を破棄し、
責任を拒み、
距離を取ろうとしたはずのわたくしが、
なぜか――
元の場所よりも
深く、がっちりと
囲まれてしまいました。
正直に申し上げますと。
完全に想定外です。
悪役令嬢は、
自由で、
孤高で、
孤立しているべき存在ですのに。
王妃ですって?
聞いたことがありませんわ。
⸻
それでも。
皆さまが、
この物語を
くすりと笑いながら読んでくださったのなら、
それは……
ほんの少しだけ、
救いですわね。
ええ、
ほんの少しだけです。
(決して、
喜んでなどいませんことよ?)
⸻
最後に。
もし、
次の物語で
わたくしがまた何かしら
騒動に巻き込まれていたとしても。
それは、
わたくしの本意ではありません。
本当に。
……たぶん。
⸻
それでは、
またどこかでお会いしましょう。
そのときこそ、
完璧な悪役令嬢として。
――エリザベート・フォン・ローゼンクロイツ




