第29話:戻らないつもりでいる
第29話:戻らないつもりでいる
「王妃候補」
その言葉が、
王城の中で使われ始めてから三日。
不思議なことに、
大きな混乱は起きなかった。
反対運動もなければ、
抗議の声もない。
むしろ――
静かすぎるほどだった。
「……妙ですわね」
エリザベートは、
廊下を歩きながら呟いた。
視線は相変わらず多い。
だが、以前のような
探る目でも、警戒でもない。
どこか――
「受け入れた」目だった。
(これは)
(嵐の前触れですわ)
彼女は、
そう結論づけた。
⸻
王城の小会議室。
アレクシス王太子は、
深刻な顔で資料を見ていた。
「……婚約破棄後も、
支持が落ちていない?」
「はい」
側近は即答した。
「むしろ、
“覚悟を示した”
“責任から逃げなかった”
という評価が増えています」
「……理解できない」
殿下は、
珍しく弱音を漏らした。
「彼女は、
逃げるために破棄したんだ」
「そのはずです」
「なのに……」
側近は、
言葉を選びながら続ける。
「“戻らない選択をしたからこそ、
戻ってほしい”
そう受け取られています」
殿下は、
目を閉じた。
(最悪だ)
⸻
一方その頃。
エリザベートは、
黒薔薇会の面々に囲まれていた。
「……エリザベート様」
マルグリットが、
恐る恐る切り出す。
「本当に……
このまま、
何もなさらないおつもりですか?」
「ええ」
エリザベートは、
きっぱりと頷いた。
「婚約も破棄しましたし」
「役目は終わりましたわ」
「……それがですね」
クレアが、
淡々と告げる。
「終わっていません」
「……?」
「“王妃候補”という扱いが、
正式文書に残っています」
フローラが、
おずおずと付け足した。
「えっと……
“婚約に縛られないからこそ、
理想的”
って……」
エリザベートは、
固まった。
「……縛られない方が、
理想的?」
「はい」
セシリアが、
疲れた声で言う。
「逃げ道を用意したら、
逆に評価が上がるタイプの地獄ね」
⸻
エリザベートは、
その場を離れ、
一人、庭園に出た。
空は穏やかで、
風も優しい。
(……おかしいですわ)
(断罪される流れではありません)
(婚約破棄も、
受け入れられました)
(それなのに)
彼女は、
胸に手を当てた。
(なぜ、
“戻る”前提で
話が進んでいるのかしら)
⸻
その日の夕方。
王城から、
正式な招待状が届いた。
文面は丁寧で、
強制の言葉は一切ない。
ただ――
一文だけが、目に留まる。
「今後の在り方について、
一度ご意見を伺いたく存じます」
エリザベートは、
それを読み、
小さく笑った。
「……なるほど」
「“説得”ですのね」
彼女は、
迷わず返書を書いた。
《お断りいたします》
《私は、
その役目に向いておりません》
書き終えたあと、
少しだけ考えて、
こう付け足す。
《それでもなお、
お話があるのでしたら》
《“悪役”として、
伺いますわ》
⸻
その返書を読んだ夜。
殿下は、
しばらく黙り込んだまま、
呟いた。
「……戻らないつもりか」
だが同時に、
こうも思ってしまった。
(それでも)
(彼女は、
また戻ってしまう)
なぜなら――
戻らない覚悟を示すたびに、
彼女の評価は、
確実に積み上がっていくのだから。
⸻
エリザベートは、
まだ知らない。
自分が今、
「戻らない選択」を
何度も繰り返すことで――
最も強く、
この場所に縛られていることを。
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