第12話:王都、何も起きていないのに大混乱
第12話:王都、何も起きていないのに大混乱
王都は、今日も静かだった。
少なくとも、表面上は。
会議室に集められた面々は、誰一人として声を荒らげていない。書類を叩く音もなければ、机を指で鳴らす者もいない。ただ、全員の表情だけが、なぜか一様に疲れていた。
「……で、彼女は今日は?」
問いかけたのは年配の貴族だった。声は低く、慎重だ。
「庭園です」
即答だった。
「庭園?」
「はい。紅茶を飲まれています」
「……それだけ?」
「それだけです」
沈黙が落ちた。
その沈黙は、考え込むためのものではない。
**“嫌な予感を共有するための沈黙”**だった。
「……何も、していない?」
「はい。何も」
「誰とも会話せず?」
「三歩以上の距離を保ったままです」
「護衛は?」
「規定通り。問題ありません」
誰かが、深く息を吐いた。
「……一番まずいやつだな」
誰も否定しなかった。
エリザベート・フォン・ローゼンクロイツが「何もしていない」。
それは王都にとって、最も処理に困る状態だった。
問題を起こせば対処できる。
反発すれば抑えられる。
だが、堂々と紅茶を飲んでいるだけの存在を、どう扱えばいいのか。
「囲ったはずでは?」
「囲いました。護衛も増やしました」
「接触も制限したな?」
「はい。三歩以上、厳守です」
「ではなぜ……」
誰も答えられない。
答えは単純だったが、口に出したくなかった。
――彼女が、それを気にしていないからだ。
一方その頃、問題の中心人物は庭園にいた。
エリザベートは、いつも通り優雅に椅子に腰かけ、紅茶を一口飲む。風が髪を揺らし、陽射しが穏やかに差していた。実に平和な光景だ。
ただし、その周囲は異様だった。
通りかかる令嬢たちは、皆そろって一瞬足を止め、そして進路を微妙に変える。
(……今、話しかけたら危険な気がする)
(でも、何もしてないよね?)
(いや、それが一番怖いんじゃ……)
誰も声には出さない。
だが全員が、同じ結論に達していた。
――近づかないのが正解。
結果、庭園は不自然なほど広く保たれ、エリザベートの周囲には、ぽっかりと円ができていた。
その様子を遠巻きに見ていた護衛の一人が、同僚に小声で言った。
「……あれ、守ってるのか、隔離してるのか分からなくなってきたな」
「分かるな。
でも、どっちにしても近づく勇気はない」
同意の頷きが返ってきた。
同じ頃、王城の執務室では、王太子アレクシスが頭を抱えていた。
「……おかしい」
「はい、殿下」
「何も起きていないのに、なぜ王都全体が緊張している?」
側近は、間を置かずに答えた。
「殿下。それが“起きている”のです」
「?」
「ローゼンクロイツ嬢が“何もしない”状態を、王都は処理できていません」
アレクシスは、ゆっくりと理解した。そして、顔色が目に見えて悪くなる。
「……つまり」
「はい。彼女が自由なままだと、王都は勝手に意味を探し続けます」
「止めたら?」
「圧をかけた、と解釈されます」
「放置は?」
「陰謀を疑われます」
「……」
完全に詰んでいた。
しばらくして、側近が恐る恐る口を開いた。
「殿下……いっそ、彼女の基準に合わせるという選択は」
アレクシスは、遠い目をした。
「……それができていれば、ここまでにはなっていない」
その頃、庭園。
エリザベートは紅茶を飲み干し、満足そうに微笑んだ。
「今日は、ずいぶん静かですわね」
王都が集団で頭を抱えていることなど、知る由もなく。
静けさの正体が、彼女自身であることにも気づかずに。
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