新章・第5話 王太子の誤爆愛情事件
新章・第5話 王太子の誤爆愛情事件
その日は、最初から嫌な予感がしていた。
エリザベート・フォン・ローゼンクロイツは、
学園の中庭を歩きながら、背後に集まる視線の密度を感じ取っていた。
(……多いですわね)
いつも多いが、今日は特に多い。
ざわめきが、妙にざわざわしている。
「聞いた?」
「殿下が動くらしいわ……」
「今日こそ……って……」
(……何を“今日こそ”ですの?)
嫌な予感は、だいたい当たる。
中庭の中央。
噴水の前に、
やけに人が集まっている。
そして――
その中心に立っていたのは。
「……殿下」
王太子アレクシスだった。
正装。
無駄に整えられた髪。
無駄に気合の入った立ち姿。
(……あれは……
何か“やる気”ですわね)
エリザベートは、
そっと進路を変えようとした。
しかし。
「エリザベート!」
呼ばれた。
しかも、大きな声で。
(……詰みましたわ)
逃げ道はない。
周囲の生徒たちが、
期待と好奇心の入り混じった目で見ている。
エリザベートは、
覚悟を決めて振り向いた。
「……何かご用ですの、殿下」
距離を保ち、
感情を乗せず、
冷静に。
アレクシスは、
一歩前に出た。
そして――
深呼吸。
(……あ)
(これは……
“宣言”の前の呼吸ですわ)
「エリザベート」
「私は……」
その瞬間。
「やめてくださいませ」
静かに、
だがはっきりと遮った。
ざわっ、と空気が揺れる。
「……ここは、
そのようなお話をする場所ではありませんわ」
アレクシスは、
一瞬だけ言葉に詰まった。
だが――
止まらなかった。
「それでも、だ!」
(……止まりませんわね)
「私は、
君が去ってから考えた!」
(それはご自由にですわ)
「君がどれほど、
私にとって大切だったかを!」
(それは、
今言うことではありませんわ)
周囲が、完全に観衆になっている。
黒薔薇会も、
少し離れた場所で固まっていた。
マルグリットは、
両手で口を覆っている。
「……殿下……
これは……」
フローラは、
きらきらした目で小声。
「え、えっと……
公開……?」
クレアは即断した。
「誤爆」
リリアは前のめり。
「戦闘開始ですか!?」
セラフィーナは眉をひそめる。
「……止めろ。
完全に逆効果だ」
セシリアは、
額に手を当てた。
「……ああ、
やると思ったわ」
⸻
アレクシスは、
さらに一歩前に出ようとした。
だが。
エリザベートは、
きっちりと一歩引いた。
その所作は、
あまりにも美しく、
あまりにも冷静だった。
「殿下」
声は、低く。
「……これ以上の発言は、
学園の秩序を乱しますわ」
「な……」
「それに」
視線を上げ、
まっすぐに見据える。
「すでに、
婚約は解消されています」
(……完璧ですわ)
(今のは、
冷たい。
突き放している。
完全に“感じの悪い令嬢”……!)
しかし。
「……見ましたか……」
「公の場で、
きちんと線を引いた……」
「情に流されない……」
(なぜですの!?)
アレクシスは、
周囲の空気に気づいた。
そして――
焦った。
「違う、私は……
君を困らせたいわけじゃない!」
(今、
とても困っていますわ)
「ただ……
もう一度、
考え直してほしいだけで……」
その瞬間。
教師の一人が、
慌てて割って入った。
「殿下!
ここは学園です!
私的な感情は――」
「――殿下!」
生徒会の声。
「周囲への影響を
お考えください!」
新聞部が、
猛スピードで走り回っている。
「撮った!?」
「撮った!!」
「見出し決定!!」
(やめてくださいませ!!!)
⸻
エリザベートは、
静かに、しかしはっきりと告げた。
「殿下。
わたくしは、
もう前を向いています」
(本当は、
悪役令嬢ルートを向いていますけれど)
「どうか……
殿下も、
ご自身の立場をお考えくださいませ」
その言葉は、
あまりにも“正論”だった。
重すぎるほどに。
アレクシスは、
完全に黙り込んだ。
教師が、
そっと肩に手を置く。
「……殿下。
今日は、ここまでに」
「……」
王太子は、
何も言えず、
その場を後にした。
⸻
沈黙。
そして――
拍手。
(……拍手!?)
「冷静な対応だった……」
「感情を煽らず、
場を収めた……」
「さすがローゼンクロイツ様……」
エリザベートは、
天を仰いだ。
(評価が……
また……)
黒薔薇会が駆け寄ってくる。
「エリザベート様……!」
マルグリットは、
尊敬の眼差しだった。
「殿下を……
あそこまで……」
「殿下を
“守った”形になりましたね」
セシリアの一言が、
致命的だった。
「……守ってませんわ!!」
クレアが短くまとめる。
「殿下、評価下落。
あなた、上昇」
リリアは拳を握る。
「圧勝です!!」
セラフィーナは、
小さく舌打ちした。
「……可哀想に」
フローラは、
少し困った笑顔。
「でも……
エリザベート様、
とても綺麗でしたよぉ……」
(綺麗でなくていいのですわ!!)
⸻
その日の夕方。
学園の掲示板。
《速報》
王太子、学園内での軽率な行動を注意される
一方、ローゼンクロイツ嬢の冷静な対応が高評価
紙を見た瞬間、
エリザベートは、静かに膝を折った。
「……もう……
どうすれば……」
悪役令嬢への道は、
完全に迷子だった。
そして――
次なる“地獄”は、
すでに準備されていた。
(……次は、
何が来ますの……)
その答えを、
彼女はまだ知らない。
――続く。




