新章・第3話 社交界はわたくしを放っておいてくださいませ
新章・第3話 社交界はわたくしを放っておいてくださいませ
婚約破棄から一週間。
エリザベート・フォン・ローゼンクロイツは、
鏡の前で静かに絶望していた。
「……どうして、こんなことになりますの……」
映っているのは、
いつもよりも念入りに整えられた髪、
上質なドレス、
そして――
“本日、社交界初参加”のための完璧な装い。
(婚約を破棄した令嬢が、
社交界に出る理由などありませんわよね?)
本来なら、
噂を恐れて引きこもるか、
白い目で見られるか、
最悪の場合は“腫れ物扱い”。
それが常識。
それなのに。
「お嬢様。
本日は“話題の令嬢”として、
多数の招待がございます」
侍女の声は、容赦がなかった。
「……話題とは、何の話題ですの?」
「“自ら婚約を破棄した覚悟の女性”
“王太子に依存しなかった令嬢”
“次代の貴族女性像”
……などでございます」
(全部聞き覚えがありませんわ!!)
⸻
会場に足を踏み入れた瞬間、
エリザベートは理解した。
――逃げ場がない。
視線。
囁き。
そして、即座に形成される人垣。
「ローゼンクロイツ嬢……!」
「実物は、さらに気品がありますわね……!」
「婚約破棄の場での態度、
本当に立派でしたわ……!」
(なぜ皆さま、
“破棄された側”ではなく
“破棄した側”を称賛なさるのですか……?)
まだ何もしていない。
ただ立っているだけ。
それだけで、
評価が上がる音が聞こえる気がした。
(……まずいですわ)
エリザベートは、
“悪役令嬢としての戦術”を思い出す。
(こういう場では……
高慢に、冷たく、
見下すように振る舞う……!)
覚悟を決め、
一人の令嬢に向き直る。
「……ごきげんよう。
随分と、賑やかですわね」
声は冷たく、
表情も抑えめ。
(よし……
これなら“感じの悪い令嬢”に……)
しかし。
「……っ!」
相手の令嬢は、
目を潤ませて感動していた。
「なんて……落ち着いた物言い……!
浮かれもせず、
状況を俯瞰なさっているのですね……!」
(なぜですの!?)
別の貴族夫人が頷く。
「婚約破棄直後とは思えませんわ。
普通なら動揺して当然なのに……
この余裕……」
(余裕ではありませんわ!
内心、悲鳴ですの!!)
⸻
さらに追い打ちをかけるように、
年長の貴族が声をかけてきた。
「ローゼンクロイツ嬢。
若いながらも、自ら決断なさったその姿勢……
我々の世代も、見習うべきですな」
「……は?」
「王太子殿下という“安定”を手放すには、
相当な覚悟が必要だったでしょう」
(安定など、
悪役令嬢ルートの障害物でしか……)
「あなたは、
“選択する女性”ですな」
(やめてくださいませ!
称号が増えていますわ!)
⸻
会場の端。
黒薔薇会の面々が、
遠巻きにその光景を見ていた。
「……すごい……」
マルグリットが震え声で言う。
「何もしてないのに、
社交界制圧してる……」
フローラは手を握りしめる。
「エリザベート様……
完全に主人公ですぅ……」
「違いますわよ!?」
と叫びたいが、
距離がある。
クレアは短く結論を出す。
「社交界適性、SSS」
セラフィーナは腕を組んだ。
「……近寄りがたいのに、
誰も離れない。
最悪のカリスマだな」
セシリアは静かに呟く。
「……もう“戻れない”わね」
⸻
その頃、
エリザベート本人は限界だった。
(……だめですわ)
(悪役令嬢どころか、
完全に“模範令嬢”枠ですの……)
意を決し、
さらに一段、態度を強める。
「……皆さま。
わたくし、
あまり群れるのは好きではありませんの」
(これなら……
距離を置かれるはず……!)
しかし――
「まあ……!」
「孤高……!」
「一人で立つ覚悟……!」
「群れない強さ……!」
(なぜ加点されるのですか!?)
⸻
そこへ。
「ローゼンクロイツ嬢」
聞き慣れた声。
振り向くと、
そこには王太子アレクシスが立っていた。
周囲が一斉に息を呑む。
(……来ましたわね)
「……何かご用ですの?」
距離を保ち、
淡々と告げる。
アレクシスは、
以前より少しやつれて見えた。
「……君が、
こんなにも注目を浴びるとは……」
「それは、
わたくしの望みではありませんわ」
はっきり言う。
「……それでも」
アレクシスは一歩近づきかけ、
周囲の視線に気づいて止まった。
「君は……
やはり、特別だ」
(やめてくださいませ)
エリザベートは、
一瞬だけ目を細め――
そして、はっきりと告げた。
「殿下。
これ以上の言葉は、
互いのためになりません」
その声は、
冷静で、
揺るぎがなかった。
周囲がざわめく。
「……きっぱり……」
「未練がない……」
「美しい別れ方……」
(別れではありませんわ!
完全拒否ですの!)
アレクシスは、
それ以上踏み込めず、
静かに頭を下げた。
「……分かった」
去っていく背中を見ながら、
エリザベートは思う。
(……よし)
(今のは、
確実に“悪役ムーブ”ですわ……!)
しかし。
直後。
「見ましたか……!」
「感情に流されない強さ……!」
「元婚約者にすら敬意を失わない……!」
(……評価、上がりましたわね)
⸻
夜。
屋敷に戻ったエリザベートは、
ベッドに倒れ込んだ。
「……社交界、
恐ろしいところですわ……」
侍女がそっと毛布をかける。
「お嬢様。
本日の評価表でございます」
「……評価表?」
差し出された紙には、
丁寧な文字で書かれていた。
――《社交界評価速報》
・品格:最高
・自立性:最高
・精神的強さ:最高
・次代の象徴:有力候補
紙を落とす。
「……わたくしは、
ただ“悪役令嬢”になりたいだけですのに……」
天井を見つめながら、
エリザベートは本気で考え始めた。
(……次は、
何をすれば“評価が下がる”のか……)
新章は、
ますます泥沼に向かって進み始めていた。
――続く。




