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丘の上の歌声

〈アキラ、廃棄された貨物港に向かいながら〉


 教室を飛び出した俺は、制止するウェスティン校長を振り切って倉庫街の片隅で座り込んでいた。

 何もかもが気に喰わない。

 人格者ぶってスイとの婚約破棄を提案するコウも、市長の娘のカオリも、評議会から認められたナギもだ。それに留学生……ニューゴールウェイのことを持ちだして悲劇の関係者ぶっているが、本当かどうか怪しいもんだ。きっと管理者側の人間で、地べたを這う人間の苦労なんて分かっていないんだろう。

「見ていろ、俺は絶対に成り上がってやる」

 ……結局、俺は高みにいる奴らが羨ましいだけの、さもしい男なのかもしれない。

 これまでは確かにそうだった。でも今は違う。

「スイの家と同じくらいの財力を、いや地位でもいい。それがあれば許婚にもどれるはずだ」

 その時、倉庫街から楽しそうな笑い声が聞こえてきた。

 この辺りの労働者がちょうど休憩時間に入ったのか、輪になってわいわいと騒いでいる。みんな安い給料でこき使われているはずなのに笑顔が絶えないのは、きっとまだ未来を信じているのだろう。


 ……そうだ、俺やスイの両親も昔はあんな感じで笑っていた。

 互いに貧しい下請けでも、いつかは豊かになれるからと支え合い、時には一緒の食卓を囲みながら生活をしていたんだ。スイと許婚になった時も、そりゃそうだよな、と当然に思っていた。

 親父が事業に失敗し、支えようと無理をしたおふくろが倒れた時、俺は進学を諦めた。それでもスイと一緒の、いつもの明日が来るんだと信じていた。スイの家の事業がどんどん成長していって、互いの資産に差がついたとしてもだ。


 でもある日を境に全てが変わっちまった。

 スイの家族が引っ越したと聞いて、俺が親父にその理由を聞いたあの日から。

 

「アキラ、進学できることになったぞ。(がく)をつけてこんな底辺から抜け出すんだ」

 スイのことには触れず、安酒をあおりながら親父はそう言った。

「親父、そんな無理しなくてもいい。力仕事なら誰にも負けない自信がある。みんなを食べさせるくらい楽勝だ」

「その程度じゃ誰かの顎で使われて終わりなんだよ。だが、まだチャンスはある。お前が市政府の上層に取り入れば――」

「おい、酔っているのか?」

「スイとの許婚の件だが、昨日解消してきたぞ」

「はぁ? 冗談だろ。あいつん家と一緒に家業を大きくしようってこれまでがんばってきたじゃないか!」

「……」

「何とか言えよ!」

「うるせえ! お前にとってもこんな環境じゃだめなんだ」

「なにを根拠にそう言い切れるんだよ」

「俺や母さんの遺伝子が根拠だ。ふん、人工子宮(アトランティス)が間違いを起こしてくれればよかったのにな。遺伝子を受け継いだお前も失敗するに決まっている」

「お、親父……」

「だがな、生まれた環境が悪いだけだった、という可能性もまだある。だからアキラ、お前が証明してくれ。俺や母さんが惨めに落ちぶれたのは遺伝子ではなく環境のせいだったとな」

 後日、酔いが醒めた親父は、俺と正面から向き合うことをしなくなった。どうしたわけか、それから急に工場の金回りが良くなって、生活に困ることはなくなった。病床のお袋を問い詰めると、スイの許婚となった男の家から援助してくれたらしい。体のいい手切れ金ってことだ。

 家族のように思っていたスイと離れるのは残念だが、でもそれは当然のことだ。家同士の結びつきを強め、助け合うのが新春日部市の結婚であり、恋とやらで繋がる地球人とは違う。何か困ったことがあればいつでも助けに行けばいい。そう、それだけを伝えようと、スイが引っ越した高級住宅街に俺は足を向けたんだ。

「失礼、身分証の提示を」

 高そうな服を着た警備員が俺をじろりと一瞥する。鼻で笑ったのは俺のボロボロの服装を見たからか、それとも身分照会で資産の程が知れたからか。

「ここは君のような者が来る場所じゃない。帰りたまえ」

「おいおい、友人が訪ねて来たのに、門前払いどころか住宅区にも入れないのかよ」

「市に貢献している証明があれば可能だ」

「証明?」

「平均の十倍の納税額、公共事業への寄付、社会的名声といったところか。それらを市政府が認めればこのエリアの出入りは自由だぞ?」

「ふざけんなよ、おっさん」

「さっさと出ていけ、こっちの仕事を増やすなよ」

 これ見よがしに警棒を握りしめる警備員に対し、俺は震える手を押さえることができなかった。それはあの時の親父の気持ちが痛いほどに分かったからだった。

 腹いせに俺は五人ほど叩きのめし、警察も来て大騒ぎになった。そして逮捕される寸前、優男が現れて事態を収めてくれた。

「この騒動は僕の家が預かる。すまないが解散してくれないか」

 その言葉を受けて警備員や警察官の態度が明らかに変わり、たちまちのうちに引き下がった。


 そいつに助けられた恩を感じるべきだっただろうか?

 でもできなかった。

 その男の横でスイが立っていたのだから。

 こいつだ、こいつがスイの許婚だ。


 俺はどうにもならない叫び声をあげて掴みかかった。次の瞬間には顔の痛みと共に、空と奴の顔を見上げていた。

「事情はスイから聞いたよ。君にとってもかわいそうなことをしてしまった。僕との許婚は解消するように動くから、しばらく待ってくれないか」


 あっという間に叩きのめされ、

 見透かされ、

 憐れみをもかけられた。

 全てにおいて負けたと思った。

 そして俺は泣きながらその場から逃げ出したんだ。


 あてもなく街をぶらつき、小さい頃にスイとよく遊んだ丘に向かって階段を登る。その途中、あの高級住宅区が視界に入った。

「ま、所詮は住む世界が違ったってことだ。あいつなら弱っちいスイを守ってやれるだろうしな」

 友人とその家族が幸せであるなら、これ以上でしゃばる必要なんてない。それでいい、これで良かったんだと憑き物が落ちたようにそう思った。

 丘の上から風に乗って流れてくる、あの歌声を聞くまでは。


 Would God I were

 the tender apple blossom

 That floats and falls

 from off the twisted bough,


 歌だとは思うが、やけに下手だ。

 震えていたり、とぎれとぎれになったりして歌っている。

 それでもその歌を不快に思うことはない。

 ああ、俺はこの声を知っている。

 だって、昔はいつもここで遊んでいたんだ。

 明日も明後日も、

 一緒に遊ぶものだと思って過ごしていたんだから。


 To lie and faint

 within you silken bosom,

 Within your silken bosom

 as that does now.



挿絵(By みてみん)


 スイが丘の上にいた。

 前の家があった方角を見て歌っていた。

 あいつの背中を見ながらその歌を聞いていると、これまでの思い出が心の中に積み上げられていくのを感じる。それが溢れそうになるのが怖くて、俺はスイに声をかけた。

「スイ、どうしてここにいる」

「……ここにいたかったから」

 スイの紅潮した頬に、白く光る涙が零れ落ちるのを見た。その瞬間、どうしてだろうか、俺はこいつを誰にも渡したくないと思ったんだ。

「私ね、最近変なんだ。家のためなら仕方ないって思っていたんだけど、あのアトランティスからの歌を聞いてから何か壊れたみたい」

「壊れただって?」

「家なんか捨てて、アキラとずっと一緒に居たい。でも、でもパパとママに申し訳がなくて――」

 普通なら、彼女の幸せのために、追い返すのだろう。

 普通なら、友人の新しい未来を激励するんだろう。

 普通なら――。

 でも口にした言葉は、普通じゃなかった。


「俺が何とかしてやる、だから泣くのはやめろ」


 スイの歌声を、アトランティスからの恋歌を聞いて、俺はおかしくなってしまったらしい。言葉にした瞬間、積み上げられた思い出が一気に溢れた。何かの衝動に耐えられなくなり、スイを引き寄せ抱きしめる。この星の住民らしからぬ俺の挙動に、あいつは身を任せてくれた。


 あの時、あの歌を聞いて俺は変わった。

 でも現実は家業もおふくろの治療費も、

 学校に通うことさえもコウに頼っている。

 何とかしてあいつを超えることで、

 俺は自分の力を証明しなければならない。


 倉庫街の裏通りを抜け、老朽化のため閉鎖された貨物港に足を踏み入れる。三十年は使われていないはずだが、俺の姿を警備カメラが認識すると、重い扉が軋みながらも開いていく。埃だらけの部屋には人工子宮(アトランティス)を改造した大型のカプセルが並んでいて、それを整備していた女が俺の方に向き直った。

「誰にもつけられてない?」

「校長のウェスティンが追いかけてきたが、撒いてきた」

「退役したとはいえ、評議会直属の軍人も老いには勝てないか。さて、ここに来たという事は、スカウトを受け入れたってことでいいのよね。覚悟はできていて?」

「そんなものとっくにできているさ、それより報酬の話だ」

「もちろん危険に見合うだけの代価を用意するわ。何か欲しいものは?」

「次の市長の座を」

「……ハイスクールの生徒が市長になりたいだなんて、現実的というか、夢がないというか」

「現実的じゃないのはこの都市の方だろ。あんた達の思惑通りに、俺はこのバカげた都市をひっくり返してやる。生まれた環境が悪いならそれを潰してやろうじゃないか」

「それならせめて幹部にまで成り上がってからね。選抜試験があるけど、受ける?」

「もちろんだ。銃や格闘試験、実戦だってかまわない」

「ではその全部をしてもらいましょう。では改めて、ようこそターウースへ。革命軍は有望な若者を歓迎するわ」

 ターウースを名乗るこいつらは、地球から主権を奪い返すための革命軍だと主張している。しかし俺から見れば社会不適合者の集団でしかない。だがそれでいい。体制側でも勝ち組でもない俺にとっては最適な環境だ。

「早速だけど、君の神経を戦闘用義体に接続するから、この人工子宮(アトランティス)に入って。神経反応が作業用の義体より桁違いなだけ、痛みもリアルに近くなるけど、耐えられそう?」

「引き込んでおいて心配だと? 今さら担任ぶってどうする、ヒメコ先生よ」

「そうね、教え子扱いするのはここまでにしましょう。では同志として忠告するわ。死ねばそこまで。生きて何かを得たければあがきなさい」

「上等だ」

 カプセルが液体で満たされ、俺は目を閉じた。

 塩水のようなその空間に漂っているうちに、自分の神経が無理やりにはぎとられ、遠くの義体へと繋がるのを知覚する。痛みを必死で耐えていると、幻聴だろうか、遠くからスイの歌声が聞こえてきた。歌声が心地よい振動となって体を包みこみ、次第に痛みが和らいでいく。そして俺は膝を抱えながら目を閉じ、心地よい睡魔に身を委ねていった。

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