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林檎の花

〈ナギ、新春日部イースト・ハイスクールの教室にて〉


 ウマ騒ぎのおかげで午後の講義がホームルームだけになったその日、なぜか校長のウェスティン先生が教壇に立っていた。担任であるひめっちこと、ヒメコ先生が急用で来られなくなったらしい。優しいひめっちから熊のように怖いウェスティン先生に変わり、私は心の中でため息をつく。

「ナギ君、なにか私に思うところがあるのかね」

「いえ、何でもありません。ウェスティン先生こそ恐ろ――怖い顔をしてるけど何かあったのですか?」

「せめて上手く言い繕う努力をしてくれ。どこかの暴走娘のせいで、朝から胃が痛くてな、機嫌が悪そうに見えるのならそのせいだろう」

「かわいそうな先生。わたしにできることがあれば、何でも言ってください」

 あっ、先生、胃を抑えて深呼吸をし始めた。

 うーん、これは休んだ方がいいんじゃないの?

「……ナギ君、私を心配してくれると言うのなら、教室の窓から覗いているあの馬を視界から取り除いてくれないか」

「ウマ? ああ、そいつの名前、変態王子が言うにはロシナンテっていうらしいですよ。それに動かそうにもわたしのペットじゃないからなぁ」

「騒動の時もそうだったが、飼い主のマーロン君よりも懐かれているじゃないか」

「うんうん、人徳というやつでしょう。ロシナンテだって変態王子よりわたしの方がいいよね」

 そう言ってわたしはロシナンテの首を撫でる。

 もちろんこのウマに愛着がわいたのもあるが、半分ほどは飼い主への嫌味だ。ちなみにその飼い主は転校生として先生の横に引きつった顔で突っ立っている。

「ナギ、だからあれは実験だったって伝えただろう! ……カオリも何か言ってくれ、僕は君の指示通りに動いただけだって」

「カオリ? なーんか変だと思っていたらあなたも一枚かんでいたのね」

「かんでいたというか、すこしだけ知っていたというか、計画を考えただけというか」

「それってかんっぺきに首謀者じゃないっ!」

地球の記録(アース・レコード)のコミックの再現をしただけじゃない。うん、失敗したのは役者の力不足ね」

 わたしとカオリが騒いでいると、ウェスティン先生がいつものように「ばっかもーん」と一喝する。そして大きく咳払いをして、ようやくホームルームの主題である転校生の紹介を始めた。

「彼が今日から一緒に学ぶマーロン君だ。彼の所属するニューゴールウェイと新春日部市は久しく交流がなかった。いわば君達が外交の窓口でもある。来るべき新都市建設のためにも良い関係を築いて欲しい」

 良い関係、という言葉で先生は口ごもり、わたしとマーロンに視線を交互に送った。ずっと口げんかしていることを気にしているのだろうけど、主犯がカオリだと分かった以上、問題をこじらせるつもりはない。安心してよね、という気持ちを込めて先生にウィンクをするのだけど、それは先生のため息ではじき返されてしまう。

「……ではマーロン君、自己紹介を」

「初めまして、留学生のマーロンです。ナギとカオリの研究はニューゴールウェイでも有名で、そのラボの研究員として参加するために来ました。もちろん、新春日部市の文化なども学んで帰るつもりです」

 よろしく、と笑顔でさわやかに結ぶあたり、さすがは市政府公認の留学生だ。絵にはなるのだけど、残念ながら恋という感情には結びつかない。何かざわっとするのは、やっぱりあの王子様事件が尾を引いているのかも。

 ……いけない、いけない、わたしは模範的な市民なんだ。親友のカオリにいたっては市長の娘だ。笑顔を作り、率先して盛大な拍手をしようとした時、一人の男子生徒が先に立ち上がった。

「留学生ってのもいい。恋の研究ってのもいいだろう。でもな、評議会に媚を売るニューゴールウェイから来たってのが気に喰わない」


挿絵(By みてみん)


「アキラ君、座りなさい! これ以上は偏見に基づいた罵声とみなすぞ」

 制止する先生の声に、アキラは皮肉気に応える。

「偏見だと? 誰でも知っていることじゃないか。評議会や大企業に俺達市民の金が吸い上げられた後は、その大半がニューゴールウェイに流れているときたもんだ。そのマーロンも留学生じゃなく、こっちの富を搾り取ろうとするスパイなんだろうよ」

 ウェスティン先生が怒りで顔を真っ赤にして詰め寄ろうとするけど、その肩をマーロンが押さえ、アキラの前に進み出る。ほほお、けっこう度胸があるじゃない。

「アキラといったね。どうやら僕の故郷について誤解があるようだ」

「誤解も何も、事実だろうに。どうせそっちの市は評議会に税金も払っていないんだろう?」

「ま、事実ではあるけどね。でもニューゴールウェイは税を納めないんじゃない。納めることができないんだ」

「はあ?」

「ニューゴールウェイの人工子宮(アトランティス)が機能不全に陥った。この数十年、出生率は減少しているどころかジェットコースターのように滑り落ちている。都市消滅の危機に地球や評議会の援助を受けていて、何が悪い?」

 都市が消滅するという、想像の埒外の言葉を受けて生徒の多くが言葉を失った。もちろんわたしもだ。誰もが反応できない中、ただカオリだけが手を叩いて事態を鎮静化しようとした。

「はいはい、みんな落ち着いて。マーロンも喧嘩を買わないの。それに軽率に都市の秘密を洩らさないことね。あなたの一言で、このクラス全員に守秘義務が発生したじゃない」

 境界の世界(クロス・ワールド)に評議会からの法的拘束を示す文書がそれぞれに示される。単純に要約すれば、発する特定の言葉に監視がつき、秘密を洩らしたと判断した場合は監視施設行きということだ。

「このクラスの全員をラボの研究員として登録しておいたから、一般人と違って秘密を知ること自体は罪じゃないわ。でも仲間以外に話すのは気をつけてね」

 その手際の良さに感謝しつつも、何かひっかかる。

「カオリ、恩着せがましく言っているけど、どうせ最初からこのクラス全員を研究員として登録してたんでしょ」

「ええ、午前に会った評議長にも確認済み」

「わたし、聞いていないよ?」

「だってナギったら、途中からいびきをかいて寝ていたでしょう? 夜更かしはダメよ。それとも夢を見すぎて睡眠が浅いのかしら」

「……いびきなんてしてないもん!」

 わたしの羞恥の悲鳴は、研究員にされたことを知った、クラスメートの驚きの声で上書きされる。やがてそれもカオリへのブーイングへと変わっていく。彼らは自分の意思に寄らずに巻き込まれたのだから仕方ない。それに、秘密を共有するという手錠をはめられたようなものだし。

 もっとも、クラスといっても変わり者(要注意人物)を集めたクラスだったので、その人数は少ない。たった六人なので秘密は漏れにくいと評議会は判断したのだろうか。それに市政府と最高統治機関である評議会の関係はあまり良くない。そういう意味ではこのクラスを抱え込むことでラボの研究を独占したいのかもしれない。

 あらためてメンバーの背景を考えると、評議会がこのメンバーを承認したのも納得できる。市長の娘であるカオリについては、評議会の管轄下に置くことで牽制できると考えているのだろう。それに都市開発の巨大企業(コングロマリット)の御曹司であるコウや、新春日部市最大の農業プラントを抱え、火星の食料供給を握る会社の跡取り娘のスイちゃんも同じくだ。

 無害な一般人と言えば、コウの家の下請けを家業としているアキラ、家族経営で都市のサーバー管理をしているのアザミぐらいじゃないだろうか。もちろん一番常識人で、善良な一般市民のわたしが秘密を守るのは言うまでもない。カオリ達とは違い、失うものはあまりないのだから気は軽い。でもアキラは不満げに声を張り上げる。

「勝手に監視対象にされちまった挙句に、キツネやタヌキ娘、それにこの王子様の手伝いだと? 俺はごめんだね」

 アキラが乱暴に席を立ち、マーロンにわざと肩をぶつけて教室を出ていった。その後をウェスティン先生が追いかけていき、自動的に放課後となる。

「ねぇ、カオリ、キツネやタヌキ娘ってわたし達の事だよね、それって何?」

「昔の人や動物の名前かしら? 地球の記録(アース・レコード)で検索してみましょう」

 わたし達がデータサーバーを検索すると、けっこうかわいい動物が出てきた。こうなるとアキラはいったい何を言いたかったのか、逆に分からなくなる。二人で首をかしげていると、コウが笑いながら、狡猾なのがキツネで、間抜けでお腹が出ているのがタヌキだという。

「おそらく、カオリがキツネでナギがタヌキだね。アザミもそう思うだろ?」

「そーっすね。この怖い目つきもそっく――」

「あら、アザミは私のことを、キツネみたいに狡猾で怖いと思っているのね。本当に残念。ええ、本当にね」

「ひええぇ、ナギちゃん、お助け!」

「タヌキ……わたしはおなかぽっこりで間抜けなタヌキ……」

「ほ、ほら、タヌキは愛らしいイラストも写真も多いから、これを見て元気出して。んで、カオリちゃんを止めてよお」

 そういってアザミが見せたのは、なぜか股間を大きく膨らましたタヌキの置物だった。

「ふ、ふふ……わたしはこんな生き物か」

「しまった、変なもの見せちゃった。なんで地球の記録(アース・レコード)にはこんなデータばっかり充実しているの!」

 シガラキ・タヌキという置物の股間をまじまじと眺め、拡大と回転を繰り返していると、マーロンが驚いたような、恥ずかしいような表情を向けてくる。

「ナギ、こんな置き物を作る日本の地球文化には驚くばかりだが、その、あまり観察するのはレディとしてどうだろうか?」

「へっ?」

 もちろん新春日部市に(動物の置き物とはいえ)裸をじっくり見る文化はないのだけど、とりたて何か変なことをしたつもりはない。なのに、こうもマーロンが気にしているのは何でだろう。

「もしかしてマーロンの股間って……こんなのとか?」

「断じて違う! ほら、そう言うのって夫婦とか、ごく近しい人ぐらいしか見ないじゃないか」

 どうも彼の故郷では独特の文化があるようだ。

 まじまじと彼を見ていると、マーロンが意を決したように質問をしてきた。

「ねぇ、新春日部市では夫婦をどのようにして決めるんだい」

「それは仲の良い友人とか、遺伝子の組み合わせがいい相手を探すとか、それに親同士の約束とか」

「へぇ、フィアンセという文化はあるんだね」

「そんなことで驚かないでよ。まったくニューゴールウェイってこっちと都市文化がそんなに違うわけ?」

「い、いや同じだよ。ということはナギ、君もフィアンセがいるのかい?」

「両親はわたしが生まれてすぐ、作業船の事故で亡くなったの。だから許婚(いいなずけ)を探してくれる親も後見人もいないんだ」

「……ごめん、プライバシーに踏みこみすぎた」

「いいよ、気にしていないって。そうだ、許婚って言えば、コウの許嫁がスイちゃんね。大きな企業同士の跡取りだから、新春日部市でも結構話題になっているんだ」

 マーロンにスイちゃんを紹介しようとするが、彼女は(うつむ)いたまま動かない。

「スイちゃん、気分でも悪いの?」

 おとなしい子だけど、今日は輪をかけて静かなのだ。かすれるような声が聞こえ、泣いていることに気付く。

「ナギ、どうしよう、私、私……」

 みんながスイちゃんの周りに集まり、その理由を聞こうとするのだけど、嗚咽を続けるだけで要領を得ない。コウがスイちゃんの背を優しくさすり、みんなに助けを求めよう、と呟くとようやく顔を上げてくれた。

「アキラが学校を辞めるって言うの。リスクを承知で危険な仕事をして大儲けするんだって。死ぬかもしれないのに、止められなかった」

 なるほど、それでイライラしていたのか。

 水くさいやつだ。クラスメートなんだから、お金のことも相談してくれればよかったのに。わたしはともかく、大金持ちのカオリやコウ、スイちゃんだっているんだから。

 それにしてもスイちゃんの反応も少しおかしい。クラスメートを心配して怒るのは分かる。頼られずに悔しく思うのも分かる。でも泣くというのはどういう思いからなのか。

 わたしの困惑をみとったのか、コウが説明をしてくれた。

「アキラとスイは幼馴染でね。そのころは親同士も仲が良くて、事業の方向性も近いからって許婚の約束をしていたんだ。でもアキラの家は事業に失敗し、多額の借金を背負ってしまった」

「ん? アキラがスイちゃんの許婚って、コウじゃなかったの?」

「今はそうさ。父さんがスイの家の将来性を見込んで持ちかけたんだ」

 話によれば、スイちゃんの親も事業の経営が厳しくなっていたため、資金提供されると聞いて小躍りし、すぐに同意したのだという。

「後で事情を知った僕は、アキラにもスイにも破談にするから時間をくれと伝えたんだけど、アキラは首を振ったんだ。自分が金持ちになればいいんだろうって」


 コウが秘密をみんなに話したことで、スイちゃんは気が抜けてしまったらしい。彼女は外に出てロシナンテに寄りかかりながら座り込んでいた。

 その様子を窓越しに見ながら私は少し考える。スイちゃんの態度も、アキラの態度もやっぱり腑に落ちない。どうして他人にあそこまで執着するのか。仲のいい相手が結婚したとしても友人であり続けることに何の問題もないはずだ。

 もし、事業の関係で後継者が欲しいのなら、市民一人が一人以上の養育をする義務がある以上、アキラとスイちゃんの合意があれば人工子宮(アトランティス)に遺伝子データを送信すれば良いだけだ。


 それだけなのに、なぜスイちゃんは全てを奪われたように虚脱しているのか。

 なぜアキラはコウの申し出を受けないのか。


「もしかして、この執着が恋とでもいうの? でもこの星の住民が恋だなんて」

 そう思い至った時、スイちゃんが口ずさむ歌が耳に入ってきた。

 

 Would God I were

 the tender apple blossom……


 それは新春日部市で流れている、ストレス発散や集中するための歌ではない。

 これまで聞いたこともない、だけどとても懐かしい感じのするそれは、間違いなくアトランティスからの恋歌の一つだ。


 「もしかして恋歌から影響を――」

 スイちゃんに尋ねようと窓から身を乗り出したけれど、声に出す直前でその言葉を抑え込んでしまう。


 落ち込んでいる姿なのに、

 泣き腫らした顔なのに、

 とても小さな体なのに、

 はっと息を飲むほど強く、美しく思えたのだ。

 

 スイちゃんは何かを追い求めるかのように、空に向かって手を伸ばす。

 そしてきれいな涙がひとしずく、赤く染まった彼女の頬を流れ落ちた。


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