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胎海の中で

 新春日部イースト・ハイスクールがウマの侵入によって大混乱を引き起こすことになるその前夜、白蝋のような顔をした少女がもう一人の少女を抱え上げていた。

 静かに医療用のカプセルに横たわらせ、呼吸用のマスクを被せる。内部に(たた)えられた液体は羊水と同じ成分であり、胎内を再現したそのカプセルは、その星の住民が人工子宮(アトランティス)と呼ぶ遺伝子合成システムを大型化したものであった。

 少女は椅子に腰かけ、スイッチを押してハッチを閉じる。しかし視線のその先にある、無邪気な寝顔が無機質な仕切りによって狭められていくのを見て、その動作を止めようと震える手を伸ばした。だが、自らに課せられた役割を思い出し、その手はスイッチではなくハッチ越しに相手の顔をなぞるのみだった。やがてアトランティスが少女に対し境界の世界(クロス・ワールド)を通じてコマンドを求めてきた。

「いつもの実験と同じよ。スパイン(シナプスの棘)の形状変化データから記憶を再現し、境界の世界(クロス・ワールド)上のサーバーに保存しなさい」

 評議会も知らない被験者の記憶や感情の保存と分析実験は、四都市の市長とその腹心らが秘密裏に行っている実験だった。人類が恋を取り戻すうえで、古いラジオから聞こえてくる恋歌というオカルトじみたものよりも、この実験ははるかに科学的なのだと関係者は強弁する。しかしそれは後ろめたさの裏返しでもあるのだ。なにしろ被験者は薬で眠らされ、自分の記憶や感情の全てを覗かれているのだから。そして何より当の本人がそれを知らされていないのだから。

「被験者は実験に対し無知であるべし。記憶に干渉するノイズを全て排除した環境で行うべし、か」

 それにしても、恋歌もこの実験も双方がアトランティスの名を与えられたことは、誰に対しての皮肉だろうか。少なくとも被験者に向けられたものではないだろう。穏やかな顔で眠る彼女は、なにか夢を見ているのだろうか。罪滅ぼしにもならないが、せめて幸せな夢であってほしいと少女は願う。

 やがてアトランティスが示すスパインの変化は、映像として構成され少女の前に映し出されていく。そこでは感情の変化も色として映像に示されるのだが、その色は地球の記録(アース・レコード)にある向日葵のような光を発していた。

「そう、今日も楽しかったのね。やっぱりあなたほど感受性の強い宇宙適合人類(アストロネアン)はいないわ」

 記憶はカフェへと景色を移し、楽しそうなおしゃべりが始まっている。被験者の視界に映る相手は自分であり、会話をするごとに光がその輝きを強めていく。確かな友情を示すその光は、しかし悔悟の鞭となって少女を打ちつける。

「ごめん、ごめん、ごめん……」

 少女は椅子の上にうずくまりながら謝罪を繰り返す。その時、うなだれた頭にアトランティスからの警告が降り注いだ。

「ハッカーの侵入を確認しました。現在、エクスクルージヴ(専守)ディフェンス(防衛)を発動中」

「そんな、アトランティスに侵入なんてできるはずがない!」

「エクスクルージヴ・ディフェンス突破されました。シナプスへの介入を確認」

「アクティブ・ディフェンスへの移行を早く! これ以上は浸食されてしまう!」

「介入レベル、第三段階を突破――第四段階での防衛に成功しました。しかし一時的に被験者の意識は外部義体に出力されます」

「出力先の情報を出して!」

「位置情報、地球の北緯五十三度十六分十二秒、西経九度一分十二秒。ブリオングロード社レイモア観測所。シナプスの出力先、カリーン型義体」

「地球ですって? それにその会社って――」

 それは百年前、世界中の科学者たちによって組織され、人類を宇宙に押し上げた地球の大企業の名だった。人工子宮(アトランティス)や、ラグランジュポイントにある宇宙ステーション、そして遠隔で操る作業用ロボットである義体を開発したのもこの会社なのだ。そして少女はその会社がすでに半世紀も前に解散したことも知っている。

「ゴーストめ、そんな怪しい奴らにあの子の意識を渡してたまるもんですか」

 少女は境界の世界(クロス・ワールド)のコンソールに指を走らせ、もはや防衛ではなく相手そのものを潰そうと四都市のメインサーバーを使ってカウンターアタックを実行する。この星の生活時刻は深夜であり、多少の無茶はできると踏んで都市機能の一部を止めてまで発動した攻撃は、しかしそのことごとくを防がれてしまう。

「もしかして本物のブリオングロード社?」

 こうなれば強制的に被験者を目覚めさせるしかない。だが第三段階までシナプスがつながっている以上、無理をすれば被験者の脳に深刻なダメージを与えてしまうのだ。悔しさと無力感に身を震わせる少女に、境界の世界(クロス・ワールド)からメッセージが届く。そしてそこには、こう示されていたのだ。


 誰にも危害を加えるつもりはないし、

 このお嬢ちゃんは責任をもって無事にお返しする。

 ただ美しい魂に、美しいものを見せたいだけだ。


 境界の世界(クロス・ワールド)に本物の草原と海の映像が映し出された。地上の義体から送られてくるその美しい光景は少女を圧倒する。

 被験者のはしゃぐ声が部屋に響く。彼女は地上の体験を夢だと思っているのだろうか。しかしそれも無理はない。シナプスを繋いだ義体は、感触だけでなく目に仕込まれた境界の世界(クロス・ワールド)によって服も、水面に写る自身の姿さえも忠実に再現しているのだから。

 どうやら危害を加えないのは確からしい。だがそれは相手への追及を緩めるものではない。少女は災害用にしか使われない四都市のサブシステムさえも起動させ、密かに被験者を通じてトロイの木馬を送り込む。

 一時間ほどが経ち、シナプス接続は解除された。そして少女は被験者を抱え上げ、壁を隔てた隣室、つまりは被験者の部屋に運び、ベッドに優しく横たわらせる。

 意識の覚醒はすでに始まっており、生理食塩水まみれの彼女を十分に拭う時間はない。そのため少女は薬品の匂い消しも併せて薔薇蜜水(ローズウォータ―)を彼女に振り撒いた。少女は疲れと怒り、そして涙で荒れた肌を境界の世界(クロス・ワールド)での化粧によって覆い隠す。やがてうっすらと目を開いた被験者に対し、柔らかい表情を作って微笑みかけた。


「ナギ、起きなさいっ。遅刻するわよ!」


 そして少女の待ち望んだ日常が始まった。

 人工太陽が都市を照らしている間だけ、少女は被験者に対しただの友人として振舞うことができるのだ。朝の光を浴びて少女は心からの笑顔を浮かべ、寝ぼけている友人を起こすべく悪戯を仕掛けたのである。

 

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