アトランティスからの恋歌
〈カオリ、学校の恋愛研究ラボにて〉
「あらら、せっかくおぜん立てしたのに失敗に終わっちゃいましたか。うーん、このアプローチではあの子に響かないか」
「……カオリ、君の提案に乗った僕が馬鹿だったよ。君のセンスはやっぱりおかしい」
最近、知己となった留学生のマーロンが恨みがましく睨みつける。
とはいえ、体をくの字に曲げて、痛みに必死で耐えている王子姿からは、怒気を受け取るより滑稽さが勝ってしまう。
「地球の記録のコミックではそう書いてあったんですから! いや、ナギが変わっているだけという可能性も――」
あのナギに恋をさせて見たかったのだけど、今回も失敗したらしい。
せっかく評議会の高官に頼んで、生物製造ラボからクローンのウマを買い取ったのに、これでは散財もいいところだ。
「侍医に見せましょうか? 医療に関してはあなたの都市よりも優れているはずよ」
「噂に名高い日本の薬漬けになるのはごめんだね。……もう大丈夫だ。ようやく体の痛みが和らいできた」
「では境界の世界の共有機能を切ってくださいますか? このままではあなたの本当の姿がわからないので」
境界の世界は色彩の薄いこの星の生活に文字通り色を付けるために発展した。その共有機能を使えば自分の顔をアバターに変えたり、服にテクスチャを貼りつけたりして相手に見せることも簡単だ。ただし、過度なテクスチャはリアルを損なうものとして禁止されているのだけど、そこは市長の娘ということでお目こぼしをもらっている。
「ふぅ、やっぱり境界の世界には慣れないな。僕の住んでいるニューゴールウェイでは反対運動も多いんだ。人の在り方に反するって」
王子様のテクスチャが消えていき、良く言えば人のよさそうな、悪く言えばありふれた感じの少年が現れた。
「でも今日は王子様のアバターをしていて良かったですね。明日、ナギに会っても気づかれないでしょうし」
「……そう願いたいね」
マーロンは明日、私とナギが所属する学園に留学生としてやってくる。なんでも恋愛研究をしている私達の活動を知り、ラボに参加したいということだ。そのこともあり、今日は恋愛実験に加えて、そのサプライズ歓迎のいたずらをしようとしたのだが、文字通りナギによって木っ端みじんに打ち倒されてしまった。マーロンの顔についた拳型の痣だけは明日までに境界の世界の化粧で誤魔化しておこう。
「ニューゴールウェイでも、いや、カーフィラシティや第二香港特区でもカオリ達のラボに注目が集まっている。人類を次の進化に導く、とても素敵な研究だと」
そこまで絶賛されれば、ラボの代表の一人として嬉しく思う。私とナギとの研究ですべきことは――。
「アトランティスからの恋歌、その謎を解き明かすこと。そうすれば人類は宇宙のどこに行ったとしても生きていけるはずだから」
人類は恋をしなくなったのだ。いや、恋が分からなくなった。
そんなある日、各都市に怪電波が流れてきた。
古い通信機を使い、音に変換してみるとノイズ混じりにトークと歌が聞こえてくる。
それは私達に劇的な効果をもたらした。
恋をすることはないのだけど、恋を考える人が増えたのだ。
非科学的な言葉を使えば、魂を揺さぶられた、ということだろう。
そしてそのラジオ番組は最後にこう言葉で結ぶ。
アトランティスから、愛を込めて、と。
誰が、どこから流しているのだろう。
そしてなぜ私達は影響を受けるのだろう。
アトランティスからの恋歌といわれるようになったその歌を手に入れることができれば、もっとたくさん聞くことができれば、私達はきっと恋をし、宇宙を旅することができる。そのためには解析と実験が必要だ。……被験者も必要だ。
ちょうど身近に恋愛に興味を持つ親友がいた。
恋愛を研究したいという他都市の留学生も引き入れることができた。
後はこの恋歌を分析し、ナギにちゃんとした恋をさせればいい。
人類が失った文化を私たちで取り戻すのだ。
もっとも、コミックのように恋で頬を染めるナギを見てみたいという気持ちもある。
「では改めまして、恋愛研究所にようこそ、マーロン。貴方はナギに恋をさせることができるかしら?」
私は打算から満面の笑みを作って、ナギの王子様候補に向けて手を差し伸べた。