水の廃墟
父さんは去年の夏、病気で亡くなった。母は1週間前行方不明になり、殺害されたと知った。
木内透水、今から台風の大雨で荒れた川に身を投げて、死のうとしている中学3年生だ。
(未練なんて、ない。大切な人を亡くして生きていけるほど人の心は強くないよ……)
俺は川に足のつま先を入れて水の冷たさを感じる。そのまま足は全部水に包まれて、歩き出す。
(人の心は脆い……)
くるぶし位まで水が浸かった時、自分ではもう制御が効かなくなる。気づけば川に弄ばれる。
(怖くない…身体を水に預けよう。)
身体は流れて石に頭をぶつかり、痛みを感じる前に俺は意識を失うーーーーーー
ーーーーー?
ポツッ。ポツッ。そんな水の滴る音が一定間隔でなり続ける。
(なんの……音...?)そう思いながら目をゆっくりと開ける。目の前には湿った木材でできた天井。
「生き…てる?」
(いや、死ねなかったと言うべきかな)
身体を上げると痛みは感じない。
あの川に落ちて怪我のひとつもしてないのか違和感を感じる。
「やっぱり俺はあの川で死ねたのかな?」
そう呟きながら周りを見渡す。
(ここは?)
くつ箱?どこかの校舎のようだ。しかし床の木材も壁の木材も、どこもかしこも湿っていた。
そこで先程までのポツッ。ポツッ。という音とは違うペタッという音がして咄嗟に音の方を見る。
「誰だ?」
そこにいたのは…猫?いや……形は猫だけどそれは”水”だった。その猫?は液体なのに重力を無視して形を保っている。
「本当に猫なのか?」
その猫は泣くことはないが、まるで猫のように俺の足元へ歩いてきて頭を足に擦り付ける。
(可愛い……)
思わず俺はその猫を優しく撫でようとした。すると急に猫はしっぽを立てて鳴き声は出さないが明らかになにかに威嚇している状態となった、
その猫が見ている方向を見るとまた俺は驚いた。
学校の教室から猫と同じく、でも形は人に似たもの。水でできたなにかがこちらをじっと覗いている。
(!?)
ゾッとした。鳥肌が立つ。恐怖を覚える。
(なんだあれは?)
人の形を微かに保っているが、腕と足がなくて顔がまるで何かに強打したようにボコボコだった。それは水でできていてもとても不気味で、とても人とは思えない。そしてその人?は”ナイフ”を持っていた。
(逃げなきゃ……)
そう思っていても恐怖で足が動かない。その何かは俺の震えた足を掴もうと手を伸ばす。その時!俺の腕が別の何かに掴まれ、その何かがいる方向とは逆の廊下に身体が動く。
(冷たッ!!)
掴んだものはとてもヒンヤリしていて心の中で叫ぶ。その何かはまた人の形をした水で俺の手を掴んで走っていて顔は見えない。
(助けてくれるのか?)
楽器が沢山並んでいる部屋、音楽室?にまで来るとその俺を助けてくれた人?はゆっくりと後ろを向く。
「え?母さん!?」
水で顔は分かりにくいがたしかに母さんだった。そして俺はここが”現実”ではないと確信する。
母さんは喋らないがゆっくりと俺の手を掴む。まるでなんでここにいるの?と言わんばかりに。顔は少し怒っていた。
「ここはあの世なの?」
すると母さんは首を横に振る。
「じゃあ現実?」
母さんはまた首を振る。
俺は困っていると、
ゲコッ、ゲゴッ、と音が響き渡る。音楽室にカエルの形の水が沢山集まってくる。
おかしい……。他の水の生物と違うこと。声が発せていること。そして7割は水だが、3割は水ではない普通のカエルの部分があった。
カエルは5匹ほど集まり、ケコッ!ゲゴッ!ゲゲロなどと合唱を始める。その合唱を聞きに来たのか分からないが、鯉の形の水は宙を泳いで集まり、スッポンの形の水はゆっくりと歩いて来る。
カエルの合唱は5分ほど続いて終了する。
(最近歌なんて聞いてなかったな……)
久々に母さんに会えたことやカエルの賑やかな合唱を聞いたことで先程の恐怖を軽減していく。むしろ最近と比べて楽しく感じていた。
母さんは俺の肩をトントンッと叩き、カエルを指指す。カエルを見ると先程まで水ではなかった箇所が水に変わっていく瞬間を目撃した。
(これは……どういうことだ!?)
驚いたこともあるが、興味深くも感じた。母さんをもう一度見ると訝しんだ顔をして俺の足を見ている。
その方向を見ると……
「えっ!?」
思わず声を上げた。その声は”静かになった”音楽室に響き渡る。足が……足が………!!足を抑えた手が震える。なぜなら一部水に変化していたからだ。
(なんで!?)
わけも分からず混乱している俺。それを見て母さんは何かをジェスチャーで訴えている。母さんら走るポーズをとった後に上を指さす。
「上の階へ向かうってこと?」
そう聞くと母さんは深く頷く。
急ぐよと言わんばかりに音楽室を出てさらに奥へと廊下を走り始める母さん。
「待ってよ!母さん!」
母さんを追いかけているとやがて母さんは足を止める。階段だ……。湿っていて今にも崩れそうな木材でできている。
母さんは何事もないかのように階段を勢いよく登っていく。崩れそうだと思う俺はそれに続くことはできず、ゆっくりと登っていく。足元をよく見て………
そこで俺は一部水になった足に視線が行く。
(俺もこのまま水になってしまうのかな?)
そう思うと恐怖した。その時...足を踏み外す。
「あっ!」短い声を発し、咄嗟に手を階段に置き、身体を支える。だけど中学3年生の身体を支えきることはできずに、湿った木はゆっくりと静かに折れる。
このままじゃ落ちる!頭から落ちたら最悪死ぬかもしれない...そう肌で感じた。
(死ぬ……)
いや、俺はもう死んでいるのか?何も分からない。でも、もし生きていたら今度こそちゃんと死ねるのかも……。顔が緩む。
手を掴もうとする母さんが見える。けど間に合わない。
ドターーーン!!
運良く足をぶつけただけで済んだ。すぐに母さんは階段をおりて俺に駆け寄る。(死ねなかったか……)そう思いながらあることに気がつく。痛覚がない。いや……足がほぼ水となっていた。
「また?」
そう思っていると母さんは焦ったようにしていた。
(俺が母さん見たく水になるのも時間の問題なのか?)
時間が経過が原因だから母さんが焦り始めていると思った。
足が水になったからか分からないが、母さん見たく楽に階段を登ることができた。
「ここが三階?」
三階まで登ってくると、さらに階段が現れる。
「屋上?」
そんなことを思っていると三階の廊下には最初にあった人の形の水がいた。背中がゾワッとする。そしてその人は微かに喋る。
「お……ま...えはみ……ちづれ……だ!」
「お……れは、み...ずになりた……くない。いや……だ!」
(この人喋れたのか?)
そう言ってナイフを取り出し、襲ってくる。恐怖で身体が動かない。母さんが俺を突き飛ばしてくれたおかげでナイフを避ける。続いて俺に向かってナイフを投げて来る。
(やばい……)
咄嗟にというより運良く転んでしゃがむようにそのナイフを避ける。
「なん……でよけ...る?お……ま...えし……にたい...んだろ?」
「え?」
「おま...えの……めは……しんで……いる」
何も分からない……ただ言えることは。
今は、いや……最初から...そう感じていた。あの時川に入る時、本当は怖かった。階段から落ちた時、頭をぶつけて死ぬんじゃないかと怖かった。母さんが死んだ時、自分も死にたいと思ったけど、本当は……本当は……目から”久しぶり”に涙が出でくる。
ナイフは……身体に刺さっていた。
(死ぬのかな?今度こそ…………)
”死にたくない”ーーーーー
ーーー母さんが笑顔でこちらを見ている。
「辛いこと…悲しいこと……沢山あるかもしれないけど、生きて!生きて幸せになって!透水……!」
ーーー目を開けると、俺は川の前に立っていた。




