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蒼天の比翼  作者: ペンギンの下僕


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10/25

皐滸の戦い

 空は果てしなく蒼く、太陽を遮るものは雲一つない。夏の日差しが燦々と降り注いでいる。

 そのように澄み渡った空の下で、今まさに大地が血の河を作ろうとしていた。

 蔿賈(いか)を拐かして殺した闘淑(とうしゅく)は、堂々と熊旅に反旗を翻した。

 熊旅ははじめ、敢えて闘淑に対して下手に出た。公子を人質として送るので矛を収めよと闘淑に打診したのである。しかし、闘淑はこれを拒んだ。


 ――軍から離れたら、そこを狙われて殺される。


 というのが闘淑にはわかり切っているからである。

 熊旅が闘氏を疎んじていることは明らかであった。しかも熊旅の恐ろしいところは、寵臣である蔿賈を殺しておきながら、怒りに任せて軍を進めることをせず、闘淑に対して譲歩してきたことである。

 熊旅にとっては闘氏を排斥することこそが目的であり、その願いが果たされるのであれば手段は選ばない。まだ若くともそういった怜悧さがあり、そのために兄弟や伯父まで利用する狡猾さを闘淑は警戒した。


 ――ここで殺さねば、我が族は滅ぼされるだろう。


 闘淑は自分にそう言い聞かせた。

 一方の熊旅は、決して闘淑が思うほどに冷静だったわけではない。

 蔿賈の死は熊旅にとって大きな損失である。王としてはその才を頼みにしており、同時に軍事における師のような人でもあった。怒りに打ち震えながらも、


 ――蔿賈を失ってしまった以上、せめて闘氏の権勢を削がねば、私は累代の楚王の中に埋もれてしまう。


 という想いがあった。

 それでも感情に身を任せて闘淑を攻めなかったのは、


 ――蔿賈であれば、こういった進軍を善しとはしない。


 という感情からくるものであり、同時に王としての判断であった。

 闘淑と蔿賈の争いは、今の時点ではまだ大夫同士の私闘である。たとえ片方が死んでしまったとしても、君主である熊旅が一方的にどちらかの肩を持てば他の大夫たちに不安と懐疑を与えてしまうおそれがある。

 そこで熊旅は、敢えて闘淑に譲歩したのだ。

 それでいて闘淑に対して人質にしてもよいと言った公子たちは、熊氏ではあれど要職についていない者たちばかりである。これならば闘淑は人質としての価値なしと見て断るだろうとの思惑である。


 ――闘淑が私の仲裁を拒んだのであれば、大夫らも闘淑に不信を抱くであろう。


 楚の軍は、王直属の兵の他は大夫や公子たちの私兵である。王が出兵を命じ、大夫たちが従うことで楚軍として出撃することになるのであり、大夫たちが熊旅のことを疑い始めれば、それは軍の士気に影響する。

 だからこそ熊旅は、堂々と闘淑の非を鳴らして闘淑を楚の中で孤立させる必要があった。

 果たして大夫たちは熊旅の元に集った。それは闘氏を謀反人と見なしたということであり、楚王室への忠誠の顕れである。

 中には、闘氏の専横を面白く思っていない者たちのやっかみもあるかもしれない。

 しかし今はそういった様々な思いをすべて糾合して闘淑に当たる必要がある。楚における闘氏とはそれだけ大きな存在であった。



 熊旅率いる楚軍と、闘淑率いる闘氏の軍は皐滸(こうきょ)という地で相まみえた。

 会戦の前に、闘淑は闘氏の兵たちの前で叫んだ。


「聞け。我ら闘氏は若敖(じゃくごう)が公子、闘伯比(とうはくひ)から興り今日まで楚を支えてきた。然るに今の楚王は、我らの功を認めず、闘氏を楚から追い出そうとしている。闘氏あっての楚王室であることを知らぬ弱年の王は不要なり。楚に正しき秩序を取り戻すため、我らは必ず勝たねばならない」


 闘淑の兵は皆、闘氏やそれに類する家の貴族たちである。

 闘淑の言ったとおり、闘氏にはこれまで楚を支えてきたという自負があり、今日の楚の繁栄は闘氏の尽力によるものだと信じている。それを排斥する熊旅は悪であり、自分たちこそが正義であると心の底から信じていた。

 だからこそ闘淑と志を共にしているのであり、楚王と大夫たちを敵に回した今でも士気は高かった。

 時を同じくして、熊旅も兵を鼓舞していた。


「闘氏は令尹(れいいん)子文(しぶん)を輩出し、子文の智慧と徳によって楚は大いに栄えた。しかるに今、闘淑、闘克のともがらは子文ほどの才も勇気もないくせに、その遺徳を振りかざして傲岸な振る舞いを続けている。蔿氏の長を私闘で殺し、寡人(わたし)が仲裁を申し出ても受けなかったのがその証左であろう。楚は、それを支える大夫たちのものであり、闘氏の私物ではない」


 熊旅は敢えて子文という名宰相を持ち上げて、闘淑とそれに味方する者たちだけを非難した。

 ここで闘氏そのものを批判してしまえば、成王を輔弼した子文の功績までも批判することであり、大夫たちの反感を買いかねない。子文とはそれだけ優れた人であった。

 ともあれ、両軍ともに士気は高い。

 昂った二つの軍勢は、皐滸の地で激しくぶつかり合った。

 楚には三軍という軍制がある。中軍に楚王があって、信任厚い将がこれを率い、両横にある右軍と左軍が大鳥の翼のように楚王を守り、時に矛となって相対する敵を撃滅する形である。

 陣形という話をするのであれば、中軍が突出して左右の軍がそれに続く、敵を貫く矢のような形の陣、鋒矢(ほうし)の陣と、中軍が退いて敵を誘引し、左右の軍でこれを囲んで殲滅する鶴翼(かくよく)の陣とを状況に合わせて使い分けることが可能なのだ。

 鋒矢の陣は攻撃的な陣形であり、鶴翼の陣は防御的な陣形である。

 この戦いで熊旅が採ったのは鋒矢の陣である。自らがある中軍を突出させ、闘氏の軍に向かって果敢に前進していった。


 ――やはり、若輩ゆえに戦場を知らぬな。


 闘淑は心の中で嘲笑った。

 鋒矢の陣による一点突破は、兵力が同数かこちらのほうが劣る時に、敵の主将を破るか一時的に大打撃を与えて怯ませるために用いる陣形である。

 今は、数の上では闘淑のほうが不利であり、ならば鶴翼の陣を敷いて闘淑を待ち構えるのが常道であった。

 無論、それをされても闘淑は左軍、右軍の守りを押し切って中軍にある熊旅を討つ自信はあった。

 それなのに今は、闘淑からすれば目と鼻の先に楚王の命がある。遠いと思っていた勝利が目の前に転がり込んできたような気分であった。闘淑は実質的に、中軍だけを相手にすればよいことになり、兵力の不利は消えたも同然である。

 当然のこと、熊旅もその危険は承知である。

 とりわけ、潘尫(はんおう)は強く止めた。しかし熊旅は毅然とした態度でその直諫を退けたのである。


「この戦いは寡人(わたし)の不徳から生じたものである。それなのに、自らを安全な場所に置き、寡人(わたし)に従う大夫とその家臣たちに率先して血を流させるわけにはいかない」


 元より熊旅には、


 ――勝たねばならぬ。負ける時は、死ぬときよ。


 という不退転の覚悟を持ってこの戦いに挑んでいる。我が身の危険など二の次であった。

 両軍の戦いは熾烈を極めた。

 熊旅は御者を叱咤し、積極的に前線に赴いた。楚の将兵はこの行動に勇み立ち、王に負けるなと戈を振るって闘氏の軍中に斬りこんでいった。

 しかし、果敢に敵陣に踏み入っているだけあって、熊旅の身を危うくすることもあった。

 闘淑もまた戦車を走らせて前進しており、その視界に熊旅が見えた。闘淑は手にしていた戈を置くと、弓を手にして熊旅を狙った。

 一矢は、熊旅の足下にある銅鑼に突き刺さった。

 続く二矢は、熊旅の戦車にある車蓋を突き刺した。

 いずれも、少し間違えば熊旅を殺していたであろう。車上であるが故の僅かな照準の狂いが熊旅を助けたと言っていい。


「聞くがいい、我が将兵よ。かつて文王が(そく)を滅ぼした時、三本の矢を手にした。闘淑はその二本を掠め、今、寡人(わたし)に放ったがこれを無駄にしてしまった。もう畏れることはないぞ」


 ここでいう文王は楚の文王のことであり、息は郢から見て北東の地にかつてあった姫姓(きせい)の国である。文王はその在位の間に息を滅ぼしているのだが、その時に得た三本の矢が何を指すのかは分からない。

 わざわざ熊旅が喧伝するのであるから、楚人には膾炙したものであったのだろう。

 思い当たることと言えば、息の少し南に(げん)という国があり、この国もまた楚によって滅んでいる。

 弦はそのまま、弓のつるのことである。あるいは、息、弦の辺りは弓矢の生産が盛んな地であり、そこでは祀られた神聖な弓矢があったのかもしれない。

 もう一つ分からないのは、闘淑がこの矢を盗んだということである。

 楚王が得た戦果であるならばそれは間違いなく楚の王室に連なる宝であり、それを掠めるということは大罪である。闘氏を排斥したい熊旅にとって、これに勝る闘淑の非はないだろう。

 しかし熊旅は自らが矢を射かけられてはじめてこれを口にした。となると、楚王室の宝庫からいつの間にか息の矢が二本紛失しており、闘淑が射た矢を見て熊旅は初めて闘淑がそれを盗んだことを知ったと思うべきだろう。

 ともあれ、好機を二度も逃した闘淑は苦々しい顔をした。

 続く矢を放とうとしたが、熊旅を二度も狙われたことに激昂した楚の将兵は、いっそう苛烈さを増して闘淑と闘氏の軍に向かって押し寄せてくる。しかも熊旅が、闘淑の矢に怯むことなく前進してくるのである。

 熊旅が突出してくるのであれば、拙速に攻めて熊旅を殺せばいい。そう考えていた闘淑にとってこの膠着は誤算であった。数の優位を持ちながらも敢えて攻めの姿勢を見せた熊旅に奮い立った楚軍は勢いづいて攻めてくる。

 しかも、闘淑が中軍に手古摺っている間に、左右の軍が横撃してきた。熊旅率いる中軍の奮戦は左右の軍にも伝わり、闘氏を圧倒している。

 中軍が鋭い嘴のように敵を(つんざ)き、左右の軍は猛禽が翼を打つようにして闘淑に従うものを払いのけてゆく。今や熊旅の三軍は、蒼天を舞い獲物を狙う大鳥のようであった。

 それでも闘淑は、自らが退かぬことで兵を督戦した。しかし、一度傾いた戦局を覆すことは容易ではない。闘氏の兵は次第に軍としての形を保てなくなってきた。

 もはや闘氏の軍は陣の態を為していない。それでも熊旅は攻め手を休めることなく戦車を走らせ、再び闘淑と肉薄した。しかしこの時には、趨勢は決していたと言ってよい。


(そくし)を挙げ、心にゆとり無き者は必ず敗れる。おぬしの偉大なる祖父の言葉だ。その訓戒を忘れたが故に、自らの(すえ)がかつての屈氏のように敗れ去るとは、闘伯比(とうはくひ)もさぞや黄泉で嘆いておられることであろうよ」


 かつて楚に屈瑕(くつか)という大夫がおり、賢臣であったその人は、しかし最後は自恃の心が強くなりすぎて敗死してしまった。それを予見し、熊旅の口にした言葉で評したのが、闘淑の祖父たる闘伯比という人である。

 今の闘氏に対する皮肉であり、また、闘氏の功績を否定するつもりはなく、あくまで今の闘氏の専横のみを嫌うものであることを熊旅は示した。

 しかし闘淑からしてみれば、自分を排斥せんとする行いは、どこまでも闘氏の否定と映ったのである。どうにか一矢報いんとしたその時、闘淑の乗る戦車が穴に嵌って傾いた。

 やむを得ず闘淑は戦車を乗り換えたが、その間に自軍は潰走していた。

 敵に対して数で劣り、さらに威勢でも劣った軍の末路は惨めである。会戦当初は善戦していたはずの闘氏の軍は、気が付けば激流に流される木石の如くに、その姿を地上から消すこととなった。

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