第二章・3
―3―
「はい。今日のおすすめ」
「いただきます」
カウンター席について、常磐は出された抹茶ババロアに木製のスプーンを差し入れた。
落ち着いた店内はやはり古めかしく、年期を感じる柱の色、モダンなテーブルや椅子にタイムスリップでもしたような気分だ。
今、店には常磐以外に客はいない。香ばしいお茶の香りに心が安らぐ。
「あ」
一口食べた常磐は少し驚く。
「うまい! 美味いですよ、これ」
「でしょ?」
顔に似合わず、もともと甘いものは結構好きな常磐。
「いや、こんなところにこんなうまい店があるなんて。知らなかった」
「それはそれは。よかった」
大酉は満足そうに笑った。
「ええと、あなたが……」
「大酉 圭介と言います」
「大酉さんが一人で作ってるんですか?」
「いやぁ、実は私が作ったんじゃないんだよ」
「そうなんですか?」
常磐は改めて店内を見回した。自分の座っているカウンター席には五人分の椅子。その他に二人掛けのテーブル席が二つに、ソファのテーブル席が三つ。奥の壁には花や風景の写真が飾られている。そして、戸の閉められた座敷部屋が一つあった。
「気になる?」
「え」
「あの部屋で夢占をするんだ」
「そうなんですか」
そこへ先ほどの少女、灯が私服に着替えて出て来た。
ジーパンに腰の下まで隠れる白いセーター。制服姿より少し大人びて、可愛いというより美人という言葉のほうが合うかもしれない。
しかしその顔はやはり不快そうで、
「まだいたの」
灯は素っ気なく常磐に言う。
「あ、どーも」
そう言った常磐には答えずに、灯は夢占をするという座敷の戸をそっと開けて中へ入って行ってしまった。
「めちゃくちゃ嫌われたみたいなんですけど……」
「灯ちゃんは鈴さん目当ての人には、だいたい不機嫌だから」
「鈴さん、ですか? 」
灯という少女も言っていた、その名前。
「ここで夢占をしているのも、そのババロアを作ったのも彼でね」
と、座敷の方を見る大酉。
「もしかして、あそこにその鈴さんが?」
「うん。今は寝てる」
「はあ。彼ってことは男?」
「そう」
「占い師って、何歳くらいの人なんです?」
「うーん。それは難しい質問だなぁ」
「?」
なぜか考え込む大酉。
そんな難しいことを自分は訊いただろうか。
リリリリリン
古めかしい音で電話が鳴った。
「はい。蜃気楼です」
大酉が取った受話器を見る常磐。今どき珍しい黒電話。
「ああ、これはどうも。はい。帰って来ていますよ。お待ちください」
大酉は受話器の口を押さえる。
「灯ちゃーん」
灯の入っていった座敷へと呼びかける。が、返事はない。
「灯ちゃん。電話だよ」
もう一度呼びかけると、先程よりもさらに不機嫌な顔をした灯が、座敷の部屋からでてきた。
「誰」
「分かってるでしょ? お母さんから」
「……上で取る」
灯はそう言うと、店の奥へと戻ってしまった。色々と訳ありな子のようだ。
常磐は少し冷めたほうじ茶に口をつけた。
「不便そうだね」
大酉がふと言った。
「え?」
「左腕の怪我。お兄さん、そっち利き手でしょ」
「あ、分かります? 右も使えるんですけど。やっぱ、利き手のほうが力が入るっていうか」
「鈴さんも左利きだから。見ていてなんとなくそうかなと」
「へえ……」
ガタン
座敷の部屋から音がした。
「あれ。もう目が覚めたのかな。……珍しい」
大酉がつぶやいた。
「すいませんね、ちょっと見て来ていいかな」
「あ、はい。どうぞ」
カウンターから出て行き座敷の戸を開ける大酉。
「鈴さん? 起きたんですか?」
常磐は首をねじり戸の隙間から奥を伺うが、残念ながら見えない。
「おはようございます。ずいぶん短かったですね」
話をする大酉の声が聞こえてくる。そこにいるであろう、鈴という占い師の声は聞こえない。
「今、一人来てますので、帰られたら教えます。はい」
大酉が座敷から出て来て、常磐はもう空になった皿へと視線を戻した。
「あの。占い師さん、起きたんですか」
「え、ああ。ごめんね。目は覚めたんだけど、今日はもう夢占は……」
「そんな」
「申し訳ないけど」
せっかく来たのに。
「ちょっと話をするだけでも」
「また日を改めてもらえないかな」
「俺は今夜も眠るんですよ? もうあんな夢はこりごりですよ」
常磐は立ち上がって座敷へと向かった。
「あ、ちょっとお兄さん!」
大酉が止める声も聞かず、常磐は座敷の戸を開けた。
「すみません! ちょっといいですか」
お香のような香り。一目で見渡せる畳敷きの部屋。長方形の小さな机が部屋の真ん中にあり、そのちょうど真上に御簾が掛けられている。普段は下ろされているようだが、今、それは引き上げられていて、その奥にその人はいた。
「……」
常磐は言葉を失った。
いったいどんな人なのだろうと色々想像していたのだが、その人は常磐のしていたどの想像とも明らかに違っていた。
座敷部屋の中、いきなり戸を開いた常磐を軽蔑するような目で見ているのは、まだほんの子供だったのだ。