第十章・2
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「生き残り……」
言葉を無くした常磐。
「犯人は玄関から家に侵入。まず玄関で朝日奈 陽介を殺害し、その後キッチンにいた妻の明子を殺害。子供部屋から出てきた鈴を襲う途中、帰って来た鈴の兄、光と格闘になる」
霧藤は淡々と事件の詳細を語りだす。
「光は鈴を守ろうと必死に抵抗したようで、死亡した三人の中で一番傷がひどかった。その間に、鈴は傷を負いながら、一度は玄関へと向かったが、犯人によりリビングへと引きずり戻される。リビングでもう一度、犯人は光と争い、最終的に光はリビングで死亡。鈴はベランダへ逃げ、六階から落下。駐車場脇の花壇で発見された」
「ちょ、ちょっと。ちょっと待ってください!」
思わず常磐は霧藤を止めた。
「事件については俺も調べました。でも……でも、どういうことなんですか」
署で見た事件の資料を思い出す。現場の写真や、死亡した三人の写真。そして鈴の写真も。生前の様子を映した家族写真もあった。四人並んだその中に鈴もいて、今の鈴から想像できないような笑顔で笑っていた。が、まぎれもなくそれは鈴だった。
「どういうことなんですか」
常磐は繰り返した。
「この事件は“十五年も前”のことなんですよ?」
霧藤は常磐をじっと見て、ふいに立ち上がるとお茶を入れ始めた。
「霧藤さん?」
「まあ、そんなに慌てないでくださいよ。別におかしなことは何もない」
「でも」
「インスタントですが。どうぞ」
霧藤はコーヒーを常磐の前に差し出した。
「はあ……いただきます」
「常磐さんが何を不思議に思っているのか。鈴の見た目のことでしょう?」
その通りだ。
常磐が見て知っている鈴と、十五年前の事件資料の写真に映っている鈴は、まったくと言っていいほど変わっていなかった。変わっている所と言えば、今の鈴の方がどこか弱々しいのに比べ、十五年前の写真は、とても活発そうで元気な子供といったところ。
「常磐さんには言ってあったはずですけど。鈴は三十歳だと」
霧藤は自分の分のコーヒーを口に運んだ。
「やっぱり大酉さんの入れたお茶のほうがおいしいですね」
「三十……でも」
納得できない。
「鈴の時間はあの日から止まったままなんです」
「止まった?」
「いや、時間を飛び越えたというほうがいいかもしれません」
さっぱり分からず首を捻る常磐。
「鈴は事件のあったあの日、病院へ運ばれましたが、結局意識が戻らなかったんです」
「え?」
「鈴が目を覚ましたときには、事件から十三年が経っていました」
「それは……」
「鈴は二年前まで病院のベッド上で、眠ったままだったんですよ。まるで死んだようにね」
常磐はコーヒーのカップを手に固まった。
「でも、分かりますよ。僕も初めは驚きましたし。普通は眠っていても体は成長する。鈴は本当に当時のまま、十五歳のときから少しも変わっていなかったんですから。」
どこか感慨深げに霧藤は言った。
そんなことがあるのだろうか。しかし事実、鈴は十五年前と変わらぬ姿でいる。
「あ、でもある意味、良かったですね。目覚めたら三十歳のおっさんになってるよりも、そのままの方が」
ふと感じたことを常磐は言ったのだが、霧藤は困ったように小さく微笑む。
「そうでしょうか」
「え?」
「鈴の時間は十五年前から止まってしまった。当初は目が覚めれば体も目覚めて、また成長の兆しが現れるかと思っていたのですが、目覚めてこの二年、鈴には少しもそれが見えない」
溜息をつくように、ゆっくりと一度息をつく霧藤。
「自分と同じ歳の人間は、もうすっかり大人になり、家庭を作っている者もいる。社会にでて立派に働いて出世している者もいる。鈴はあの姿のまま、やがて年を取り衰え、死んでいく」
「そんな」
「今でこそ落ち着いてますが、初めは少し荒れてたんですよ」
鈴が子供扱いされるのを嫌うわけが分かった。
「事件の時の衝撃が影響しているのかもしれないです。脳にもダメージがありましたし」
「治すことはできないんですか」
「この一年、僕は鈴のメンタル面のサポートだけでなく、色々な治療を試みたんですよ」
「そうですか」
「元々、鈴は大人びたところのある子供で、中学生だった当時も頭が良く、成績優秀でした。そして目覚めてからの一年で、大学入試の試験もパスできるレベルにまでなった」
「すごいですね」
「もし、あの事件がなかったらと思うと、残念です」
「そう……ですね」
常磐は単純に感心した自分が恥ずかしくなり、うつむく。
「でも、どんなに頑張っても十五年の空白は埋まるものではない。実際には三十歳でも、やっぱり中身は十五歳の子供ですよ。それに病気のこともあります」
「あ、ナル……」
「ナルコレプシー、過眠症。この病気があるため、鈴を一人で外に出すことはできません」
「じゃあ、この前の海浜公園には」
「鈴が勝手に出て行ったんです。許可もなく。まあ、許可なんて出しませんし、そんな許可が下りないことくらい分かってるから、黙って出て行ったんでしょうけど」
「でも、眠ってしまうだけなんですよね」
「それですよ。常磐さん」
霧藤が少し恐い目で、常磐を見る。
「鈴にも同じようなことを言われたと思いますが、常磐さんは眠りの怖さを知らない」
鈴は“夢の怖さ”と言っていた。
「場所や状況、時間を選ばずに、眠りに落ちてしまうということは、例えば車を運転している途中や、真冬の屋外でも眠ってしまうということです。……分かりますよね」
それは死に繋がる。