第十章・1
第十章
―1―
「昨日昼過ぎ、世間を騒がした霞野署爆破事件の犯人が、ここ、霞野海浜公園で捕まりました。犯人が捕まったのは、まさに次の犯行の直前という劇的なものでした」
常磐は署のデスクでぼーっとテレビのニュースを見ていた。
昨夜から一夜開けて昼になっても、ニュースはその話題でもちきりだった。犯人がまだ十五歳の少年ということや、爆弾作りの方法など、インターネットによる情報公開のあり方にまで内容は飛んで、TVではしばらく、このニュースばかりを見ることになりそうだった。
鈴がいなかったら、おそらくニュースの内容は違っていただろう。
鈴はどうしているだろうか。
『眠り病』。本当の名前はもっと難しかったが、そんな病気があるとは知らなかった。
「おい」
そういう声とともに、ぼんやりとしていた常磐の頭に衝撃。
「いっ……なんですか。東田さん」
「なんですかじゃねぇ」
東田は常磐の頭を小突いたファイルを、常磐の目の前に乱暴に置いた。
「なんですか。これ」
「常磐お前、あの朝日奈ってガキのこと、ちゃんと分かってるのか」
「ちゃんとって?」
「気になってちょっと調べてみたんだけどよ」
常磐は驚いたように東田を見る。
「なんでですか。そんな勝手に調べるなんて、失礼ですよ」
「お前に変な宗教にでもはまったりされんと、ややこしいからな」
「朝日奈さんは、そんなんじゃないです……」
「とにかくだ、調べてみたら、とんでもないことがでてきた」
東田が眉をひそめてファイルを叩く。
「とんでもないこと?」
◆◆◆◆◆◆
「やあ、いらっしゃい」
霧藤はにこやかに言った。しかし常磐はドアを開けた所で、中に入らずに固い表情をしている。
「まあ、中に入ってください」
言われて常磐は、部屋の中へ足を踏み入れた。
「すみません、突然お邪魔して」
「これからはご予約をお願いします」
「いえ、別に診察をしてほしいわけじゃ」
「冗談です」
いつもの人当たりのいい微笑みを浮かべながら、霧藤は椅子をすすめた。
霧藤の勤める精神科の病院。診察室は割合広く、日当りもいい。よくある事務的な机の他に、丸いテーブルとそれを囲む4脚の椅子。診察用のベッド、奥には給湯設備まであった。
「患者さんによって、リラックスできる環境は様々なんですけどね」
霧藤はきょろきょろと部屋を見ている常磐に言った。
「難しそうですね、精神科のお医者さんというのも」
「それで、常磐さんはどういったご用件で」
常磐は顔を曇らせ、言葉に迷っているようだったが、一枚の紙をポケットから取り出すと、霧藤に渡した。
「なんでしょう」
折り畳まれたその紙を広げた霧藤の表情は、一瞬固くなったが、またすぐに穏やかに微笑むと、それをテーブルに広げた。
「まあ、警察なんですから、調べたいと思えばすぐに調べられますよね」
それはある新聞記事のコピーだった。
「これはどういうことですか」
「常磐さんこそ、どういうつもりですか」
「え?」
「こんなこと調べてどうするつもりです?」
「どうって……」
「ただの好奇心ですか?」
「そんな、違います」
「僕は一応、鈴の主治医なんです。守秘義務というのがあるんですよ。常磐さんには関係のないことですしね。それとも令状でもお持ちですか?」
常磐はうつむいた。
「これは、俺の勝手なんですけど……俺はまた、ああいった夢をみるかもしれない。できればそのとき、また朝日奈さんの助けをお借りしたいんです。もちろん夢の中だけの話ですけど」
「確かに勝手ですね」
「だから、教えてほしいんです。それによっては、もう二度と朝日奈さんの手を借りるようなことはしません」
霧藤はテーブルの上に広げた新聞記事のコピーを手に取った。
「当時四十五歳だった大学講師の朝日奈 陽介とその妻、二人の子供が犠牲になった朝日奈一家惨殺事件」
大きな見出しが残酷な事件を告げている。家の間取りにそれぞれの殺害場所までが記されている。
霧藤は言った。
「お察しの通り、鈴は朝日奈 陽介の次男。この事件で唯一の生き残りです」
◆◆◆◆◆◆
灯は早足で蜃気楼への道を歩いていた。
店が見えたとき、蜃気楼から女子高生のグループが、キャアキャアいいながら出て来たのを見て顔をしかめる。
店の『営業中』の札の下には『起床中』の札。
「おかえり、灯ちゃん」
店に入ると言った大酉のことは無視をして、鈴のいる座敷へと向かう。閉められている戸を遠慮なく開けると、鈴はテーブルに広げた札のようなものを片付けているところだった。
今は御簾が垂れていて、手元しか見えない。
「おかえり灯」
顔が見えなくても、そんな風に戸を開けるのは灯しかいなく、札をまとめながら鈴は言った。
「ただいま帰りました……」
「どうした」
御簾をめくり、息を切らしている灯を見て鈴が訊く。
「また、どこかに行っちゃったんじゃないかと……思って」
不安気な声でいう灯に鈴は
「おいで」
と灯を呼ぶ。
灯は座敷に上がって鈴の前に座った。
「昨日は心配させた」
鈴がいなくなったことを知った灯が、ひどくうろたえていたと目が覚めてから大酉に聞いた。
「もうどこにも行かない」
鈴がそう言うと、灯は顔を伏せる。
「違う。私、ただ心配で……」
「うん。分かってる」
言いながら優しく鈴は灯の頭をなでた。灯は鈴の膝に頭を乗せる。
大酉は座敷の方を見ると、そっと店の『起床中』の札を裏返した。