第九章・4
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バンバン!
男は花火の音がして空を見上げた。
寒いがとてもいい天気だ。帽子とマフラー、手袋という恰好は、冬場には不自然さを感じさせることなく、人物の特徴を隠してくれる。
着ぐるみのパンダが愛想を振り撒きながら、園内の地図を配っている。男がパンダの傍を通ると、パンダは男にも地図をくれた。
それにしても人が多い。予想以上だ。
それは男にとって別に悪いことではなかった。ただ、右手に持ったバッグが人に当たるのが、少し気がかりだった。
男はあるベンチへと向かった。そこは公園のほぼ中心で人も多い。しかし、そのベンチだけは空いていた。ペンキ塗り立ての張り紙が目立つように貼ってあるせいである。
周囲の人は近づいてくるパレードの方を見ている。
男は張り紙をはがしてベンチに座った。張り紙は前もって男が貼ったものだったからだ。他の誰かに、座られてしまっては困る。この場所が最高なのだ。
遠くから近づいて来るパレードの音楽に、男の顔がにやける。
目の前には子供を中心に大勢の人の群れ。
盛り上がりは最高潮。
さてと……。
男はバッグをベンチに置いたまま立ち上がった。
「ねえ」
呼び止める声に、男は振り向いた。
「鞄忘れてるよ」
中学生くらいだろうか。いつの間にか小柄な少年がバッグを置いたベンチに座っていた。
「鞄、忘れてるよ」
繰り返して、少年は男を見てにっこり笑った。
「……いや、それ、俺のじゃないから」
男は言った。
「そんなはずないよ。俺、見てたし。あんたがこの鞄持ってきたの」
少年の笑顔が男を小馬鹿にしたようなものに変わる。
男は少し苛ついた。
「ああ、でも俺のじゃないんだよ」
男は平静を装ってにこやかに言った。
「実はそこで拾ったから、落とし物として届けようと思ったんだけど、なんだか面倒くさくなっちゃってさ」
「なんだ。ちゃんと届ければいいのに。きっと落とし主も喜ぶよ。ほら、お礼に一割くれるかもしれないし」
少年の口調はやはり、どこか男を馬鹿にしているような響きがあった。
「……事務所が思ってたより遠くてね。嫌になったんだよ。なんなら君が持って行ってよ」
男の言葉に苛立ちが表れ始める。
「中身は確認した?」
少年はバッグに手を置いた。
「いや?」
「なんで?」
「勝手に開けたらまずいだろ」
「普通は中身を確認すると思うんだけど」
パレードの音がゆっくりと近づいてくる。
「中身が危ない物とかだったらどうするの?」
少年の言葉に男は少年を見た。
「……危ない物って?」
「そうだな……例えば」
少年は考えるように首を小さく捻る。
「……死体とか?」
男は少年の言葉に少し笑ったが、
「爆弾とか」
続けられた言葉にその笑みが消える。
少年は男をじっと見ている。少年も、もはや笑ってはいなかった。
「……」
「……」
パレードの音がどんどん近づいてくる。
少年は男の目をじっと見たまま訊いた。
「時限式か?」
男の顔が険しくなる。少年が目を細める。
男は少年を無視して行こうとした。しかし、少年にぐいと腕を引っ張られ、ベンチに座り込む。
ガチャリという音がした。
手首に冷たい感触。
「!」
見ると男の手は、バッグの取っ手に手錠で繋がれていた。
「何するんだ! はずせっ!」
男は怒鳴ったが、パレードに注目している客は、ブラスバンドの演奏する曲の音の大きさに、二人の様子には気がつかない。
「残念。鍵持ってないんだ」
パレードの先頭が二人の前を通過する。男がそれを歯ぎしりするほど、悔しそうな顔で見る。
「時限式じゃないんだろ」
少年は言った。
「今回は安全な所から、じっくり見物しようって思ってたんだろ」
見透かすような目で男を見続ける。
「そんなことはさせない」
男の息が荒くなっていく。目がうろうろと辺りをさまよう。
「どうする」
少年に追い詰められて、男は上着のポケットに繋がれていない方の手を突っ込んだ。
そこへ
「朝日奈さん!?」
声がして少年がそちらに視線をやる。思わず男もそちらを見た。
そこには場違いなスーツ姿の男が、きょとんとした顔で立っていた。
「常磐さん! こいつが爆弾魔だ!」
少年が立ち上がり言った。
◆◆◆◆◆◆
常磐は募金泥棒をフェスティバルの事務所に連れて行き、はぐれてしまった鈴の姿を探していた。そして、やっとベンチに座っている鈴を見つけたのだが、隣に誰かが一緒に座っている。
誰だろうか? 知り合いにでも偶然会ったのか。
「朝日奈さん!?」
近づいて行きながら名前を呼ぶと、鈴は常磐を見た。そして立ち上がり言った。
「常磐さん! こいつが爆弾魔だ!」
常磐は一瞬ポカンとしたが、ベンチに置かれたバッグと男を見て、すぐに理解した。
男がポケットから何かを取り出す。
「朝日奈さん! 離れて!!」
常磐は男に向かって走った。男は手錠の掛けられていない方の腕を、鈴の首に回すようにして捕まえた。人質にでもするつもりだったのだろうが、鈴の強烈な肘打ちが男の腹に入る。男が手にしていた物を落として腹を押さえ、前屈みになる。
「こいつ!」
常磐が男の首と腕を掴んで、取り押さえた。
「気をつけてください、常磐さん」
鈴の落ち着いた声がした。
「犯人の手、鞄と繋がってますから」
「え? って、これ俺の手錠じゃないですか!」
「ちょっとお借りしました」
「ちょっとって……」
いつの間に。
「これが起爆装置みたいですね」
鈴は男が落とした物を拾い上げた。常磐はバッグから手錠を外すと、改めて男の両手に手錠をかけた。そうして初めて、帽子とマフラーを外した男の顔を常磐は見た。
その顔は、まだあどけなさの残る少年だった。