第九章・3
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人ごみの中、常磐と鈴は周囲に目をやりながら歩いた。
ふと上に目をやれば、ピンクのクジラ『くーよん』の巨大風船が、晴れ渡った青空の下、ぷかぷかと呑気に浮かんでいる。なんとも平和な光景だ。
ここに爆弾魔が来ているなんて、誰一人、想像していないだろう。
ワーと歓声が聞こえてきて、そちらを見ると特設ステージでショーが始まったようだった。
「リッキーのショーが始まったみたいですね」
ステージへと向かう人の波に、流されそうになる常磐と鈴。
「これじゃ、誰が誰だか……」
体の大きな常磐でも歩きずらい……ということは。
見ると小柄な鈴は流されるどころではなく、人にぶつかってはあちらこちらへふらついている。
常磐が心配していると、ややふくよかな……いや、だいぶふくよかな女性が鈴を押しのけた。鈴がよろめく。
「危ない」
とっさに常磐は鈴の体を支えようとしたが、それが逆に仇となったようで、鈴は常磐の胸に顔からぶつかった。
「……」
無言で顔を押さえる鈴。
「あの……大丈夫ですか」
「どうぞ、ご心配なく」
鈴は常磐の胸をぐいと押すようにして突き放す。言葉とは裏腹に顔は不機嫌だ。
そのとき、
「キャ!」
「なんだよ、おい!」
なにやら後ろから、もめる声がしてきた。見ると男が無理矢理、人をかき分け走って来るのが見えた。男に押された人が転ぶ。その男を追いかけて、もう一人男が走って来た。
「誰か!そいつを捕まえてくれ!」
追いかけている方の男が叫ぶ緊迫したその声。
常磐は逃げる男の方を見た。男は人ごみから抜け出し、更に足を早めた所だった。
「待て!」
常磐はとっさに男を追いかけた。男は植え込みを飛び越えたが、常磐はその男の背中をめがけてタックルした。
「うわあ!」
男と常磐はもつれ合いながら、植え込みの中へ突っ込んだ。常磐の怪我をしている左腕にズキンと痛みが走る。
「放せ!」
常磐は暴れる男の腕を取り、背中にねじり上げ、襟首をつかんで地面に押し付けるようにして捕まえた。
この前の婦女暴行犯と違って、抵抗はしても凶器のようなものは持ってなく、体も常磐よりだいぶ小柄だったため、意外と簡単に取り押さえることができる。
そこへ、追いかけていた方の男が息を切らして追いついて来た。今、気がついたが、追いかけていた男はイベントのスタッフジャンパーを着ている。やや小太りなその男は、膝に手をついて息をついた。
「あ、あんた助かったよ」
「この人はいったい何を?」
常磐は訊いた。つい捕まえてしまったが、事情が分からない。
「ボランティアの子供達が集めた募金を盗んだんだ」
倒れた拍子に男の手から離れた箱が転がっているのを見つけ、スタッフは中を見る。
「ああ、良かった募金は無事だよ。お兄さんお手柄だね」
スタッフが言って、周りから拍手が起きる。いつの間にか常磐の周りは人だかりが出来ていて、常磐は恥ずかしくなった。
男が常磐の力が少し緩んだところを逃げようと暴れる。
「おい、大人しくしろ」
「今、警備の人間を呼んできますから」
スタッフは行きかけたが、
「あ、俺、警察の人間なので」
と常磐は胸ポケットを探った。
「……あれ?」
上着を開いて中をのぞく。そこに入れておいたはずの手錠は、いつの間にかなくなっていた。