第八章・2
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「そのクジラは霞野海浜公園の二十周年を記念してできたキャラクター『くーよん』だよ」
霧藤が開いたノートパソコンを、背後から食い入るように見る常磐。
ピンクのクジラは大きな特製の風船だった。
「これです。確かにこれが夢の中に出てきました!」
「この巨大風船は、今度の二十周年記念フェスティバルに向けての宣伝もかねて、二週間程前に浮かべたらしい。パレードやコンサートもあるらしいよ」
インターネットで検索した結果を読み上げる霧藤。
「フェスティバル……」
「特別ゲストに人気お笑い芸人のリッキーだって。へえ……僕は知らないけどなあ」
それを聞いて、常磐は興奮したように鈴を見た。
「朝日奈さん! リッキーですよ!」
「どなたですか」
鈴が面倒そうに返事をする。
「今、テレビで話題のお笑い芸人リッキーですよ。子供からお年寄りまで知らない人はいません!」
「……ああ。そのリッキーですか」
鈴が言うと、霧藤が少し驚く。
「鈴、知ってるの?」
「もちろん。バラエティー番組やCMに引っ張りだこのリッキーですから」
本当は知らなかったくせに、霧藤にそんな風に言う鈴。
とにかく、これだけの接点があるということは。
「朝日奈さん。 クジラ、リッキー、パレード、そしてあの人ごみ。爆弾魔の狙いはこのフェスティバルですよ!」
「そのようですね」
常磐とは逆に、鈴の言い方は素っ気ない。
「で、そのフェスティバルはいつなんですか」
「そうだ! いつですか? 霧藤さん」
常磐が訊くと、すでに霧藤は日にちを調べていた。
「十二日の土曜日」
「え、それって」
「明日。というか、もう今日だね」
「そんな」
慌てる常磐。
「こうしちゃいられない」
「どうするんですか」
鈴が座椅子にもたれながら言った。
「海浜公園に警官の緊急配備を要請しないと。手荷物検査とか、車の検問とか! あと、俺自身も海浜公園に行かないと。俺はあいつを見てるんですから」
「顔を見たわけではないのに?」
「そうですけど……」
「刑事の勘の見せ所ですね」
意気込んでいた常磐の顔が少し不安に曇る。
「あの、朝日奈さん」
口を開いた常磐の前に、鈴との間を遮るように灯が立った。
「ここはもう現実の世界。あとはあんたの仕事でしょ。警察でも公園でもさっさと一人で行きなさいよ。鈴様を巻き込まないで」
「俺は別に」
確かにもう少し協力してほしいとは思った。あのイカレた爆弾魔を、夢の中でとはいえ目撃した、自分以外の唯一の存在なのだから。
「常磐さん、悪いけど鈴を警察の都合で連れ回されると、ちょっと困るんだよね」
霧藤は灯とは違って、静かに言った。
それはそうだ。これ以上、鈴を頼るわけにはいかない。夢の中とは違って、現実の世界では本当に命を落としかねない。手が吹き飛ぶぐらいでは済まない。ある意味、今回の夢ワタリで、常磐はいいシュミレーションができたともいえる。
「はい。もちろん承知してます。朝日奈さん、有り難うございました」
そう言って常磐は一礼すると、足早に蜃気楼を出て行った。
「こういうのもなんだけど、なんか頼りないね常磐さんは。犯人をちゃんと捕まえられるといいけど。次の爆弾が爆発する前に」
霧藤がノートパソコンを閉じて鈴を見る。
「お疲れ様だったね。気分は?」
「お前は俺に何をさせたい」
鈴は睨むように霧藤を見たが、霧藤は気にもしていない様子。
「何って? 別に何も。僕はいつだって、鈴を心配してるよ」
にっこり笑い、そして整った顔を崩すような大欠伸をした。
「さて、僕はもう眠るから。あ、大酉さん、すみません僕は明日九時過ぎに出るので」
「じゃあ、朝食は八時半に用意します」
大酉が鈴の湯呑みを片付けながら言った。
「お願いします。あぁ、大酉さんも休んでください。この二人のことは気にしないで」
鈴と灯の方をちらと見て、座敷を出て行く霧藤。
「それでは。鈴さん、灯ちゃん、私も失礼しますね」
大酉は穏やかに言って、座敷の戸を閉めた。鈴と二人りきりになると別人のように、にっこりと笑顔をみせる灯。
「鈴様、霧藤やあんな馬鹿刑事のことなんて、気にしなくていいですからね」
「灯」
「はい」
「灯は眠らなくていいの?」
「……でも」
「いいよ」
鈴が両手を灯に差し出す。灯は嬉しそうに、でも遠慮がちに、その手に自分の手を重ねた。
「おやすみ、灯」
「おやすみなさい……鈴様」
そう言うと力が抜けたように、灯は鈴のかたわらに崩れた。その灯を布団へ抱え上げるなんてことは、灯よりも小柄な鈴にはできないが、布団へと引きずるように運んでやると、そこに灯を寝かせてやる。
鈴は先ほどの新聞を手に取った。
「爆弾魔……」