第八章・1
第八章
―1―
重たい瞼をこじ開けるようにして開く。和室の天井が目に入った。
「おはよう」
新聞を呼んでいた霧藤が、常磐が目を覚ましたことに気がついて言った。
「大丈夫? 途中なんだか魘されてたけど」
布団の上に寝たままの状態の常磐の手首を取り、脈を計る。
「結構早いね」
そう、あれはただの夢だったのに、こうして現実にある肉体の心臓が、どくどくと脈打っている。
「俺……」
話そうとして、口の中がカラカラになっていることに気づく。それを霧藤がすぐに察する。
「大酉さん、水をお願いします」
「はい。ただ今」
大酉が水差しからコップに水を入れた。常磐は起き上がり、それを受け取ると一気に飲み干した。
そして、鈴がまだ横になっているのを見る。
「朝日奈さんは……」
言ったとき、鈴がうっすらと目を開けた。
「お帰りなさい。鈴様」
灯は鈴の傍らから片時も離れなかったようで、ほっとした様な笑顔でそう言った。
お帰りなさい、か。
確かに帰って来たという感じだ。それにしても、自分が目を覚ましたときには、顔も向けなかったのにと、常磐は少し憮然とした顔になる。
「どれくらい」
鈴は訊いた。
「二時間ほど」
大酉が答え、茶を入れる。時計は夜中の一時をすぎた頃だった。
「何か成果は?」
霧藤が鈴に向かって尋ねた。
「たしかに常磐さんは他人の夢に同調する能力を持っているようだ。そして、今回同調した相手は常磐さんの予想どうり、爆弾魔のものと言っていいようだった」
「へえ。すごいじゃないですか、常磐さん。すべて常磐さんの言っていたとおりだ」
「はあ……」
あまり嬉しくはない。
「で、爆弾魔の正体はつかめたのかな?」
「それは」
あのモザイクの顔を思い出し、気分が悪くなる。
「直接、誰なのか分かるようなものを、見ることはできなかった」
鈴はあっさりと言った。
「なんだ。そうか。まあ、夢の中は色々なことが誇張されたり省略されたり、抽象化されてしまったりするからね」
仕方ないというように、小さく肩をすくめる霧藤。
「ただ、次の犯行を考えていることは確かみたいだ」
ガラスの破片と共に、鞄につめられた爆弾。
「常磐さんの手は吹き飛んだ」
鈴の言葉に、常磐はそのときの自分の手の有様を思い出し寒気がした。
「それはそれは、またずいぶんと派手なことをやらかしたね」
「俺は止めたんだ」
鈴の声にわずかに苛立ちを感じ取れる。
「すいませんでした」
謝ってばかりの常磐。
「でも夢の中なんだし」
続けて言った常磐の言葉に、鈴は馬鹿にしたような視線を常磐に向ける。
「ほら、もう忘れている」
「はい?」
「3つともすべて。ここまできれいさっぱり忘れられると、むしろすがすがしい」
またも嫌味だらけの言葉をかけられる。
夢の中へ行く前に鈴が言っていた、3つの覚えていてほしい事。
・他人の夢の中で勝手な行動はしない。
・夢が現実にも影響を与えることがあるということ。
・自分がいるのが夢の中だということ。
確かに……。
勝手に飛び出して行って、爆弾に手を吹き飛ばされ、夢の中だということも忘れパニックに陥った。
「俺が夢の中でしたことが、現実にどんな影響があるんでしょうか」
「知りませんよ。そんなこと」
元々良くなかった機嫌を、更に損ねたようだ。
「どうせ夢なんて、目が覚めたら忘れてしまうようなものですから」
「例えばでいいんで……」
なおも訊こうとすると、
「しつこいわね」
灯が怒る。
「愁成」
鈴が霧藤を呼ぶ。
「何?」
「自分が爆弾魔だとして、ある日、自分の仕掛けた爆弾で男の手が吹き飛ぶ夢を見た。どう思う?」
「すごい質問だね」
苦笑いする霧藤。
「そうだなぁ……」
ほんの少しの間考えて、霧藤は言った。
「僕はなんてひどい事を考えていたんだろう。と、犯行を思い止まる」
常磐の顔がそれを聞いて、少し明るくなる。
「なるほど」
しかし霧藤はまだ続けた。
「もしくは、なんだその程度なのかと、爆弾の威力を強くする」
「そんな!」
「例えばの話だよ。さっき鈴も言ったように、目が覚めたら本人は夢の内容を覚えていないかもしれない。夢を見たことすらも」
「でも、可能性はあるんですよね」
なんて不確かなものに自分はすがっているのかと、改めて感じた。
「無意識の意識だからこそ、ふとしたきっかけになりかねない」
鈴は大酉が入れた茶が冷めたのを確認して、口をつける。
「爆弾を作る際、やっぱり火薬をほんの少し多くしておくか。そんなことを思う。本人はどうしてそんなことを思ったのかもわからない。そんな気まぐれをあたえるきっかけに、夢はなりうる」
「……」
「署に戻って、通常の捜査を頑張った方がいいんじゃないですか」
鈴は眠そうな目をこすって言った。
「……はい」
「まあ良かったじゃないですか。常磐さんが夢の同調者ということは、はっきりしたんですから」
「そうですね」
また、あんな夢を見るのだろうか。
「お騒がせして、すみませんでした」
「まったくね」
灯はさっさと帰れと言わんばかりだ。仕方なく立ち上がる常磐。
「気をつけてくださいね。外は真っ暗ですから」
大酉の気遣いが心にしみる。
「それでは、お邪魔しました」
座敷から出て、靴を履く。
「常磐さん」
鈴が常磐の名を呼ぶ。
そういえば、鈴にちゃんと礼を言ってなかった。常磐は姿勢を正して、鈴に向かってしっかりと頭を下げた。
「朝日奈さん、有り難うございました」
「常磐さん」
声が険しくなる。どうやら待てということらしい。
「な、なんでしょうか」
「クジラだ」
鈴の言葉に首をかしげる常磐。
「はい?」
「クジラです」
そういう鈴の前には、先ほど霧藤が読んでいた新聞がある。
常磐はもう一度靴を脱ぎ座敷に上がると、その新聞を覗き込んだ。
「これは……」
常磐は思わず息を呑んだ。霧藤たちも新聞を覗き込む。そこには巨大でピンク色をした、クジラの写真が掲載されていた。