第七章・3
―3―
考えるようにうつむいていた顔を上げると、モザイク男がベンチから立ち上がるところだった。
「あ……」
ベンチにバッグが置きっぱなしになっている。なんでだろう。あんなに大事に持っていたのに。バッグを持っていたときの右手の感覚を覚えている。
ブラスバンドのパレードが目の前までやってきた。
モザイク男はベンチからかなり離れたところまで行くと、立ち止まり振り返った。バッグはベンチの上に置かれたままだ。そこへ小さな子供が走り寄ってくる。まだ幼稚園生くらいの女の子。
そして常磐は見た。
モザイク男が笑っている。
モザイクの下で、不気味に裂ける口の形が分かった。
常磐は確信した。
あれはやはり、犯人だ。
あれは爆弾魔だ。
あれは……
常磐はベンチへ視線を戻した。女の子がバッグに近づく。
あれは爆弾だ。
常磐はベンチへ向かって駆け出した。
「常磐さん」
鈴が止めるように名前を呼んだが、常磐は止まらない。
「それに触るな!!」
常磐は女の子に向かって叫んだ。女の子がきょとんとしたように立ち止まる。常磐はバッグの前に立ちはだかる。
「ここから離れて!」
常磐が言っても、女の子はその場に立ち尽くしたままだ。
「くそっ」
常磐はバッグに手を伸ばした。
「やめろ!」
初めて鈴が声を張り上げた。
しかし、その声は爆音によってかき消された。
目の前が真っ白になった。
いったい何が起きたのか。
飛んでいた視界が元に戻ってきて、常磐の初めに目にしたのは自分の両手だった……いや、実際は目にできなかったというのが正しかった。
常磐の両手は吹き飛んで手首から先がなくなっていた。
「わああああ!!」
常磐は地面につっぷした。
「常磐さん」
鈴が常磐の元に駆けて来る。
「手……手、がっ!!」
うめきもだえ苦しみ、鈴の声など聞こえない様子の常磐。
「常磐さん。しっかりしてください。こっちへ」
「ああ! あああああ!」
「こっちです」
小柄な鈴が常磐をかつぐようにして、ベンチから離れた木の茂みの奥へと連れて行く。
「常磐さん、常磐さん」
腕を抱えるようにして丸まっている常磐の前に、鈴は膝をついてしゃがんだ。常磐の肩を掴んで体を起こさせる。
「常磐さん。しっかり。俺を見て。俺の声を聞け。大丈夫。常磐さんの手は――」
鈴は苦しむ常磐のちぎれた両手に手を伸ばした。
「ここにある」
鈴のはっきりとした声がそう言って、目を開けると、目の前で鈴が常磐の両手首を握っていた。先ほど吹き飛んだはずの手は、ちゃんとそこにあった。
「あ……れ……?」
確かめるように手を握ったり開いたりしてみる。
「あ……よ、良かった」
泣き笑いのような顔をする常磐を、鈴は呆れたように見る。
「あなたという人は……」
ため息まじりの声。
「ここは夢の中だとあれほどいったじゃないですか」
そういえばそうだ。
「だいたい爆弾が目の前で爆発して、手が吹き飛ぶだけで済むわけがないでしょう?」
確かに。
「あいつも実際に人が爆弾に触ったらどうなるか、想像しきれてないみたいですけど」
「え」
「ここはあのモザイク男の無意識の意識によって作られた空間。奴の思いのまま。それにしても……」
鈴は爆弾が爆発した場所を見て言った。
「趣味が悪い」
ようやく落ち着いて来た常磐も、鈴の見ている方に目をやる。
「これは」
たくさんの人が倒れていた。先ほどバッグのそばにいた女の子も。そして、
「鞄の中に入ってたのは、爆弾だけではないようですね」
倒れた人の体にはガラスの破片のようなものが、深々と突き刺さっている。爆弾の殺傷能力をあげるため、バッグに入れられたものらしい。
そのとき、笑い声がした。
狂ったような。
あのモザイク男が、腹を抱えて笑っていた。
鈴が不快感をあらわにモザイク男を見る。
「常磐さん、帰りましょう。俺たちがあいつの無意識の意識に、影響を与える前に」