第七章・2
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「ここはどこなんでしょうか」
人ごみの中、モザイク男と一定の距離をたもちながら、歩く常磐と鈴。
「どこでもないですよ」
「どこでも?」
「夢の中の場所なんて、どこかで見たような場所でしかないんです。その人の意識に強く残っている物や事が誇張され、そのままの姿ではなくなる」
「はあ」
難しい。意味が分からない。それを察して鈴が付け加える。
「この場所を目にして、実際にこの場所と同じ場所を現実世界で探そうとすると、ないって言っているんです」
「そんな」
「悲観することはないです。むしろ夢の中にあるものは、それだけ本人の意識に深く残っている特徴的な事だということです。逆に特徴だけを拾って行けば、現実世界との繋がりは見つけやすいかもしれません」
「はあ」
「例えば」
鈴はあるものを指差した。
「あれとか」
「なんだ。ありゃ」
目の前の空。
そこにはアニメ調のファンシーな、巨大でピンク色をしたクジラがふわふわと浮かんでいた。
「実に特徴的でしょう」
「でも……あんなもん現実にあるのかな」
「それにしても人が多い」
少し不機嫌になった鈴の声。
「そうですね」
モザイク男を見失わないように歩く。
「この人達も、あいつの意識が作ってるんですよね」
「そうなります」
「誰か知ってる人とかいるかな……」
すれ違う人達の顔をチラチラと常磐は覗いた。
「彼にとってこの群衆はあまり重要ではないようですが」
「なんでですか?」
「この人たちの顔を見てどう思います」
「どうって……」
改めて行き交う人の顔を見る。
「ありふれてる」
鈴が言った。
「そう思いませんでしたか」
思った。特に気にならない。記憶にも残らない。どこかにいるであろう、どこにでもいる人。
「彼にとっては、この人たちが誰かなんてことは関係なく、ただ群衆として人がいる、ということが重要なんだと思います」
「なるほど」
見た目が中学生ほどの子供の口から出てくる言葉に、ただただ感心する。
「あ、ま、待ってください! あの人は」
のっぺりとした印象しかない人たちの中、常磐はある人間を見つけて鈴を呼び止めた。だけでなく、肩をつかんだ。強くつかみすぎたようで、足を止め振り返った鈴の顔は険しい。
「ごめんなさい……」
謝る。
最近、なんだか謝ってばかりのような気がする。
「なんですか」
「あの人はちゃんと顔がわかりますよ!」
「……どなたですか」
鈴は目を細めて、その人物を見たが分からないようで。
「朝日奈さん、知らないんですか?!」
信じられないというような常磐の口ぶりに、鈴のしかめっ面が険しくなった。
「今、テレビで話題のお笑い芸人リッキーですよ。バラエティー番組やCMに引っ張りだこで、子供からお年寄りまで知らない人はいません」
「それは失礼。テレビをあまり見ないので、知りませんでした。常磐さんは物知りですね。世の中のことを実によくご存知だ」
「……」
嫌味混じり、いや、嫌味のみで返された。
そのお笑い芸人は舞台のようになった所に立っていて、常磐も以前テレビで見たことのある、お決まりの芸をしていた。
「ただの芸人好きかもしれませんね」
鈴はさらっと言って、モザイク男の尾行を再開した。
「……ならいいんですけど」
いや、良くはなかった。爆弾魔の夢でなければ意味がないのだから。
さらに後を着いていくと、奥から楽器を持ったブラスバンドの列が歩いてくるのが見えた。パレードだろうか。
すると、鈴が立ち止まった。
「朝日奈さん? どうしたんですか」
「……」
無言で指を指す鈴。見るとモザイク男がベンチに座っていた。
白いお洒落な木製のベンチ。脚と手すりは黒い鉄製で、曲線的なデザインになっている。そこにモザイク男は座っていた。右手に持っていたバッグも体の脇に置いてある。
やはり気味の悪い姿だ。モザイクの下にはどんな顔が隠れているのだろうか。モザイク男は座ったまま特に何をするでもなく、時折ちらと時計を見る。
「やっぱり、ただのお笑い好きな奴なんでしょうか」
常磐があきらめ混じりの声を出す。
「結局、こんなこと馬鹿げてたんですかね」
その言葉に、鈴が今日一番の恐い顔で常磐を睨んだ。
「その馬鹿げたことに俺を巻き込んでおいて」
「申し訳ないです……」
恐縮しっぱなしの常磐に、鈴が訊いた。
「刑事の勘なんて、所詮そんなものなんですか」
「それは」
「それに、あなたが感じたのは勘だけじゃなく、感覚だったはず」
「感覚?」
「犯人の感覚」
そうだ。
あの感覚。
バッグを握った手の緊張感。
異様な興奮。
胸の高鳴り。
あれは……