第七章・1
第七章
―1―
「意外と早かったね」
数分後、突然眠りに落ち、あっという間に寝息を立て始めた常磐を見て、霧藤は感心したように言った。灯は寝ている常磐を憎らしいものでも見るように睨んでいる。
「また犯人の夢が見られるとは限らないじゃない」
「そうだね」
常磐がぴくりと身動きをした。
「もう夢を見始めたのかな。早すぎる気がするけど」
霧藤の言葉に、鈴は常磐の額に手を置いた。
「行ってくる」
◆◆◆◆◆◆
チリン
どこかで鈴の音がした。
気がつくと、人ごみの中を歩いている。
右手がずしりと重いのは、持っているスポーツバッグのせいだ。
心臓の鼓動が早かった。なんだかワクワクするような気持ちと、ハラハラするような気持ちとが入り交じった感覚。顔がにやけるがバッグを持った右手は緊張している。
人が多い。子供も親子づれもいる。仲のよさそうな恋人も。そのせいで歩きづらい。しかし、確実にどこかへ向かっている。
そう、なんども確認したのだ。そこがいいだろうと。
そのとき、前方から一人の少年が歩いて来た。
常磐ははっとした。
朝日奈 鈴がこちらに向かって歩いてくる。いつものフードを被ったグレーのパーカー姿。
そうだった。ここは夢の中。自分は今、誰かの夢の中にいるんだった。常磐はやっと自分の意識を取り戻した。
鈴の姿がどんどん近づいてくる。しかし常磐は声を出す事も手を振る事もできない。
そして、とうとう鈴とすれ違う……。
その瞬間、ぐっと腹を押されるような感覚がした。かと思ったら、まるで固く閉められた缶の蓋が外れたときのような、圧縮された空気が外にでるみたいな、とにかくスポンという感覚を感じた。
「常磐さん」
目を閉じていたらしく、目を開けるとそこに鈴がいた。いや、夢の中だから実際、ずっと目は閉じたままなのか? よく分からない。
「朝日奈さん……俺」
「良かった。無事ですね」
「はあ。俺、どうなったんです?」
そして気がついた。
「あ、俺、自分で動けてます」
「それに話せてますね」
「ああ! 本当だ!」
「大きな声を出さないように」
「す……すいません」
「まあ、実際に音がでているわけではないのですが」
そういえば。
「あ、腕……」
怪我をしているはずの左腕が自由だ。
「夢の中ですから」
左手を上げたり下ろしたりしてみている常磐に、鈴は言った。
なんだか夢の中の鈴は、現実の世界よりもしっかりした話し方のような気がする。現実の世界の鈴は眠そうな目をして、だるそうにしているという印象なのだが。
すでに眠っているからなのだろうか。
「あなたが同調していた者から、あなたの意識だけを押し出してみました」
手で常磐の腹を押すような仕草を交えながら説明する鈴。
「そうなんですか」
どうもあまり実感がわかない。ここは本当に夢の中なのか。
「俺もこんなのは初めてなので、うまくいくか分からなかったのですが、どうやら本人にも気づかれずに済んだようです」
「そういえば、俺が同調してた奴は?!」
また声が大きくなった常磐に鈴は少し眉を寄せ、今歩いて来た方へ顔を向けた。常磐もそちらを見る。
「なるほど。という感じですかね」
鈴は平然と言ったが、常磐はそれを見て愕然とした。
「なんですか……あれ」
人ごみの中、それは歩いていた。立ち止まり、歩く向きを変えたときに顔が見えた。
いや、見えなかった。
体は人だった。まだ若い男らしい。しかし顔は。
「夢らしくなったでしょう?」
鈴が言った。
確かに。
これは夢だ。
夢でなくてはありえない。
その男の顔は“モザイク”だった。モザイクのかたまりが首から上に乗っかっていた。男が動くたび、ノイズのようにモザイクが乱れる。
「どうしてあんな……」
「さあ、俺もあんなのは初めてなので」
鈴の声は少しも乱れず、落ち着いている。
「モザイクというのが面白いじゃないですか。犯罪を彷彿とさせて」
「そうだ! くそ。顔がわからないなんて」
悔しがる常磐。
「常磐さん。まだあれが爆弾魔と決まったわけじゃないです。ここが爆弾魔の夢の中とも」
「そ、そうか」
でも、あの高揚した気分は。高鳴る鼓動は。
「しばらく様子をみましょう。なるべく彼の邪魔をしないように」
「邪魔を?」
「ここは彼の夢の中。言ったでしょう? 主導権は彼にある。彼の意識をむやみといじくらない方がいい」
鈴はそう言うと、モザイク男の方へ歩いて行った。
「待ってくださいよ」
常磐も慌てて鈴を追いかけた。