第六章・2
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「おはよう、鈴」
霧藤は座敷部屋の入り口に座っている鈴の足元にしゃがみ、鈴を覗き込む。
「気分は? 吐きそう?」
鈴はぷいとそっぽを向く。どうもこの二人は仲が良くないようだ。
「鈴さん。お茶が冷めました」
大酉がそんな事をいいながら、鈴にお茶を渡す。鈴がそれに一度確かめるように口を付けてから、のどに流し込む。熱いのが苦手らしい。
「今日は何をしに?」
鈴のその言葉は常磐に向けられたもの。
「あ……その」
「昨日の爆破事件と夢について相談に来たんだよ」
口ごもる常磐に代わって、霧藤が説明する。
「警察というのは、思っていたより暇なんですね」
鈴に皮肉を言われる。
「常磐さんはもしかしたら、自分も夢ワタリなんじゃないかと」
霧藤がそう言うと、鈴が呆れたような顔をする。
「それはちがう」
「確かに。彼のはワタリとは違う」
否定した鈴に霧藤もすぐに返す。
「でも自分の見ている夢で、もしかしたら次の犯行を止める手がかりが掴めるかもしれない。常磐さんはそう思ったわけだ」
「次の犯行?」
「犯人は次の犯行を予告しているらしい」
「やめたほうがいい」
鈴は素っ気なく言った。
「常磐さんはたまたま、犯人の意識に同調してしまっただけ。それによって、犯人の見ているのと同じ夢を見ただけ。ただ、それだけのこと。現実の事件の捜査に繋げようなんて馬鹿げてる」
鈴のその言葉に、常磐が少しムッとする。
「それでも俺は見たんだ。見なかったということにはできない。昨日のあの爆破だって。俺は犯人が署にダンボールの箱を持ち込もうとしているのを知ってたんだ。もし、あの夢であれが爆弾だってことまで見えていたら、もっと何かできたかもしれない。」
ついつい、口調が荒くなる。
「でも、あなたはただの同調者。犯人が見ている以上の物は見えない。犯人が箱を開けなければ、箱の中身が何なのか知る術はない」
霧藤が常磐とは逆に静かに言った。
「もしかしたら、常磐さんが同調したのは清掃員の人の夢で、箱の中身は掃除用具かもしれない」
霧藤の言葉に悔しそうな顔をする常磐。
「俺が見たのは所詮、夢だって言いたいんですか」
常磐がそう言うと、鈴がゆっくりと立ち上がった。
「そうじゃない」
座敷部屋から下りる鈴。
「むしろ、その考えは危ない」
鈴は空になった湯呑みを大酉に返した。
「あなたが見たのはただの夢ではない。それは事実。そして、あなたは夢と現実を混ぜ合わせて考えている。これ以上、夢に関わるのはやめたほうがいい。」
「関わる?」
「夢の中で何かをしようという考えです。やめたほうがいい」
「それこそ、おかしいじゃないですか。夢の中で何をしようと問題ないでしょう? どうせ、たかが夢の中でのことなんだから」
「だから、その考えは危ないと言っている。所詮夢。たかが夢。あなたは夢の怖さを知らない」
常磐の前まで歩いてくると、小柄な鈴は背の高い常磐を見上げるようにして言う。
「たかが夢の中の出来事なのに、どうして実際に心臓の鼓動は早くなるのか。どうして冷や汗が流れるのか。……たかが夢の中のことなのに」
「それは」
分からない。
「肉体は脳に支配される。そういう話を知ってますか?」
鈴は近くにある椅子に疲れたように座る。
「肉体は脳に?」
「脳がそうだと感じれば、肉体は反応する。動悸、発汗それ以上のことさえ、脳が感じればそれが肉体に現れるという話です」
「……よく分からないです」
「よく事故で手を切断した人が、あるはずのない手の痛みを訴えることがあるんですが。それは聞いた事はありますか?」
「ああ。はい」
「あれは脳がまだ、手がなくなったという肉体の現実に反応できず、手が痛いという指令を送ることで、人は無いはずの手すら痛いと感じてしまうんです」
「それが夢とどういう関係が」
我ながら、頭が悪い。
「脳が認識すれば、無いはずの感覚すら肉体が感じる中、脳の活動である夢を見る行為とは、あなたが思っているより危険ということです。特にあなたのように夢と現実を曖昧にしている人はね」
「でも、朝日奈さんは何度かもう、人の夢の中に入ってるんですよね」
「ええ。だから言います。人の夢の中になんて、入るもんじゃない」
きつい鈴の口調に、さすがに常磐が哀れになったのか、大酉が話に割って入る。
「まあまあ、鈴さん。常磐君は入りたくて入ってるわけじゃないから、気の毒といえば気の毒ですよ」
しかし、常磐は鈴に言い返した。
「俺は、ただ夢を見ただけで終わらせるつもりはないです」
すると、今度は灯が常磐を責める。
「なにそれ。自分は選ばれた人間だとでもいいたいの? 自分は特別だとでも?」
「別にそういうわけじゃ」
「また犯人の夢が見られるとはかぎらないんでしょ」
「そうだけど。でも、また見る気がするんだ」
「バカみたい。漫画のヒーローにでもなったつもり?」
確かに、漫画っぽい考えだとは思うが。
「鈴さんが犯人の夢に入れるなら、いいんですけどね」
何気なく言った大酉の言葉に、霧藤が小さく肩をすくめる。
「鈴はその人間に触れなければ渡れない。どこの誰かも分からない、犯人の夢に渡るのは無理だ。……待てよ」
霧藤が鈴を見る。鈴も霧藤にちらと視線をやったが、やがて霧藤の考えを察したかのように、珍しく驚きに目を見開いた。
「冗談じゃない」
「でも、それなら可能なはずだ」
常磐には二人が思いついたことが、さっぱり思いつかず訊ねる。
「なんですか?」
「つまり、犯人の夢に同調している“常磐さんの夢”になら、鈴は渡れるはずだ」
「そうか。そうですね!」
まさかそんな方法があったとは。常磐が犯人の夢に同調している時、その常磐に鈴が触れてワタリをすればいいのだ。
「霧藤、また鈴様にワタリをやらせるつもり?! 鈴様は嫌だって言ってるでしょ!」
またも鈴より怒りをあらわにするのは灯。
「あんたも何なのよ。鈴様を変な事件に巻き込まないで」
しかし、今度は常磐も引かない。
「犯人を捕まえられるなら、俺はどんな手段でもとりますよ」
「だから、そんなのはあんた一人でやれって言ってるのよ」
「灯」
鈴がなだめるように静かに灯の名前を呼ぶ。
「いいでしょう。もし、また常磐さんが犯人の夢に同調したなら、俺は常磐さんに渡ります。ただし何があっても俺は責任を持ちませんから。それでいいですか」
「朝日奈さん。お、お願いします!」
常磐は深々と鈴に向かって礼をした。